第三話「荒れ狂う七月の夜」その5
「……後でちゃんと話すから、アンタは後ろに下がってて」
事態の説明を求める俊樹を黙らせ、由乃はものすごい剣幕でデイジー=ローズをにらみつけた。
全身がひきつるように痛む。
(……どこかの骨、折れてるわね)
冷静にそう判断した由乃は、赤い錠剤を一つ取り出し、口に含んだ。全身の痛みがやわらいでいき、由乃はゆっくりと立ち上がる。
「あら、やっと本気を出してくださるのかしら?」
デイジー=ローズの皮肉に、由乃は静かに答える。
「ホントは、ドーピングなんてしたくなかったんだけどね。でもま、こう痛くっちゃあ、なんにもできないし、ね!!」
「ね」のところで、由乃は俊樹をデイジー=ローズめがけて突き飛ばした。
本当に手段を選んでいなかった。
「でええええぇっ!?」
「なっ!?」
何の予告もなく突き飛ばされた俊樹は、すっとんきょうな悲鳴を上げ、不意をつかれたデイジー=ローズにすきができる。
「今っ!!」
由乃は、左手首につけた銀のバングルに向け、右人差し指と中指で五芳星を描く。光の軌跡を残し、それはバングルに吸い込まれていった。
青白く輝きだしたバングルを掲げ、由乃は願う。
―――――強く。
『汝が眠りを解放せよ――――封印解除!!』
ズガアアァン!!
強大な音とともに、周囲に砂煙が巻き起こった。
由乃の左手首から銀のバングルがすべり落ちる。
(――身体が熱い……)
砂煙の中で、由乃はなぜか幼い頃の自分を思い出していた。
今以上に幼く、魔力のコントロールができなかった自分―――。
その頃からすでに、左手首にバングルをつけていた。
それでいて、うまく魔力を制御できないことが、くやしくて――情けなくて……。
(最近になって、ようやくうまく扱えるようになったんだよね……)
修行のたまものである。
けれど、封印を解くとなると話は別だ。
由乃には自らの膨大な魔力を支える器がまだない。
実力も、経験もこれからなのだ。
(でも―――)
今解かなければ、いつ解けるというのだろう。
今、この時、由乃は強い〈力〉を欲している。
そしてその〈力〉は、自分自身の内に秘められていた。
〈封印〉という、開けてはならないパンドラの箱の内に。
「――――光よ!」
左手を掲げ、由乃は〈力〉を集める。
いつもより強く、密度の濃い〈力〉。
少しでも油断すると、自分自身が押しつぶされそうになる。
今制御できるであろうぎりぎりの〈力〉をため、由乃は〈光〉をデイジー=ローズがいるであろう方向へ放つ。
―――――一閃。
一筋の光が宙を割り、次の瞬間、爆発した。
だが、あまりに威力が強く、爆風にあおられ、由乃も後ろに吹き飛ばされてしまう。
ズササアアァ―――ッ。
地面をまるでスケートリンクの上をすべるかのように、勢いよく飛ばされた。
「…………全身打撲に火傷……は、大丈夫か」
うーん。さっき飲んだ鎮痛剤がきれた時が恐いわ。
倒れたまま、一人独白する由乃の元に、砂煙を割って俊樹がやってきた。いや、実際にはよく判らないが、そんな気がするのだ。今現在視界はすこぶる悪く、ほんの一メートル先もよく見えない。
「おい」
「俊樹」
由乃は、半身を起こして、俊樹がいるであろう方を見る。
見えなくても判る、自分に降りかかってくるウラミの視線が、かなり痛かった。
「イヤ、だってさ。アンタは魔法効かない体質だから、平気だって判ってたし。そのー……」
くどくどと言い訳を並べていた由乃は、最後にぽつりと付け足した。
「でも、ケガがなくてホントによかった……」
「……そんなコト、どうでもいい」
「えっ」
俊樹のつぶやきに驚いて由乃は視線を上げる。
ちょうどそこへ風が吹き、俊樹と由乃の周りの砂煙が晴れた。
地に倒れたままの由乃の姿を見、俊樹の表情が豹変する。
「お前、その髪……眼も……」
純粋な驚きの声。瞳が大きく見開かれた俊樹を見上げ、由乃は自嘲の笑みを浮かべた。
「……やっぱり、驚いた? これが、わたしの本当の姿よ」
風になびくプラチナブロンドの髪。
月の光に複雑な煌めきを返すアメシストの瞳。
先程までの黒髪黒眼とはまったく違う、まさに神秘的といった姿の由乃がそこにいた。
本来の姿――そう、由乃もまた、悠のように色素が薄くなっていたのだ。そして悠とは反対に、色素を濃くし、それをごまかしていた。
しかしそれも、〈封印〉を解けば元の姿に戻る。
そう、判っていたことだ。
〈封印〉を解いたことに後悔はしていない。
「どうして……」
震える声で、つぶやく俊樹。
「どうして何も言わなかったんだ」
思いもよらなかった言葉に、由乃は顔を上げた。
俊樹と視線が合う。
「一言くらい、言ってくれてもよかっただろう! 魔法使いと対決といい、お前のその姿といい……――オレは、そんなに頼りないのか?」
言ってて、自分で不思議に思っていた。
なぜ、こんなことを言っているのだろうか? 魔法のことでは自分は役に立たない。判っている。判っている、けど……。
なんでこんなに情けない気持ちになるのか? この疎外感は一体なんなんだ!?
「お前、オレに何も言わなさすぎだよ。オレは、魔法とか全然判らないけど、話を聞くことくらいはできる。―――それくらいさせてくれよ……」
「俊樹……――」
そんな風に想ってたの?
由乃が俊樹にこのことを言わなかった理由は、一つだけだった。
巻き込みたくなかったからだ。
〈魔〉の力を扱う者同士の戦い。巻き込めば、ケガだけではすまない事態になることの可能性は高いのだ。でも……
「そうだよね……。アンタは、わたしの下僕だもんね。これからはちゃんと言うよ」
由乃は、ふらつきつつも立ち上がった。
「でも、今は逃げて……」
「えっ?」
俊樹は振り返る。
明るかった。
夜だというのに、そこだけぼんやりと明るい。そんなかんじがしたのだ。
砂煙が徐々におさまっていく。デイジー=ローズは無事だったのだ。
デイジー=ローズは、目の前で自分をかばうように手を広げ、宙に浮いている灰を忌々しそうに見つめていた。
「余計な真似でしてよ! カイ!!」
「ハイ。余計なマネでした、デイジーサマ。――でも、ボクは貴女様の使い魔です」
灰の周りに、白い風が巻き起こる。
「だから、主を傷つけようとする者を、見逃すことはできない」
声が変わった。今まで、少年のボーイソプラノだったのが、青年のハスキーボイスに変化したのだ。それでいてその声は灰のような明るさがない。
感情のない声。
白い風は次第にやんでいき、灰の姿が再び現れた―――否、灰だった者の姿がそこに現れた。
「この姿で貴様たちと会うのは初めてだったな」
銀褐色の髪と瞳。額にはめこまれた碧の宝石は、彼が人ではなく、〈魔〉の者だと顕著に表している。
「私の名はカイ=アッシュ」
現れたのは、二十歳ほどの美青年。白を基調とした異国風の服を着ていた。
先ほどまでの灰は、どことなく闇を連想させる者だった。そして、今現れたカイ=アッシュは逆に光を連想させる。
「…………。それが真の姿ってワケね。もしかして、別人格なの?」
「それは正しくない。私は灰で、灰もまた私だ。たとえ姿形が変わろうと、本質までは変わらない」
(そーいうもんなの?)
と思いつつ、由乃はもう一つ心の中でつぶやいた。
(なんか、金持ちのオバサンとホストみたい)
はからずも、俊樹もまた同じことを思った。が、二人とも声に出さなかったので、場の空気はシリアスなまま流れていく。
カイ=アッシュは無表情のままだ。
「我が主を傷つけた罪。身をもって知るがいい」
言うや否や、カイ=アッシュは俊樹と由乃めがけて魔法弾を放った。だが、それは俊樹に当たる前に、パアンッ、と硬質な音を立て、霧散するのだった。
カイ=アッシュは一瞬驚き、その表情がかすかに動いた。
「――魔法絶縁者か」
魔法攻撃は効かない。と、即座に判断し、別の行動に移す。
由乃と俊樹が気づいた時には、カイ=アッシュは俊樹の目の前にいた。
「ぐはあっ!!」
俊樹は、こみあげてくる何かを抑えるのに必死で、何が起こったのか一瞬判らなかった。
カイ=アッシュが俊樹のみぞおちに、見事にヒザを決めたのだ。
がくっ、と俊樹はヒザを落とし倒れる。
「俊樹!?」
悲鳴にも似た声を上げる由乃。
すぐさまカイ=アッシュに、魔法攻撃をしかけようと呪文を唱えるが、激痛が突然襲いかかってきた。
鎮痛剤がきれた!?
由乃が魔法で創った薬である。
効くのが早ければ、効き目が切れるのも早かった。
薬を服用した状態で、回復魔法をかけるのは危険なのでしなかったが、こんなことなら危険でもしとけばよかった。と、由乃は後悔した。
そして、この一瞬のスキを見せてしまった自分にも後悔した。
ガキッ!
後ろ首に衝撃が走る。
由乃は身動きが取れない。気絶する一歩手前だったのだ。
カイ=アッシュは、倒れこんだ由乃の髪を無造作につかみ、顔を上げさせる。
「フッ。魔法屋と言ったところで、しょせんはただの小娘か」
感情の見えない声で、ささやくようにカイ=アッシュは吐き捨てた。
「は……なしてっ」
なけなしの力で抵抗する由乃。
とたん、右半身に衝撃が走った。
カイ=アッシュがこの至近距離で魔法弾を放ったのだ。
点々と地面に赤い華が咲く。
声にならない叫び声を上げ、由乃の体から段々と力が抜けていく。ぼやけていく視界の中、カイ=アッシュの顔が目の前にある――それだけが判る。
由乃の痛覚はすでに麻痺しかけていた。
――これが最後のチャンスである。
最後の力を振りしぼり、自分の血で汚れたてのひらを、カイ=アッシュの顔に押しつける。
そして由乃は呪文を一気に唱えた。
「―――くっ!!」
カイ=アッシュは飛びのく。
右手で顔を抑えていた。指の間から、煙がシュウシュウとたちこめる。
カイ=アッシュの左手が突き出され、魔法波が放たれた。
由乃もすかさず、魔法波を出し、カイ=アッシュのそれと正面からぶつかり合う。
二つの魔法波は、相互干渉をひきおこし、由乃とカイ=アッシュは正反対に吹っ飛ばされた。
「カイ!!」
デイジー=ローズは、カイ=アッシュの元へと駆け寄る。その表情は常の自信にあふれたものではなかった。
カイ=アッシュの周りに白い風が巻き起こり、その姿が灰へと変わる。
幼い少年の姿。その身体は傷だらけであった。
「デイジーサマ……お役に……くぅっ、た……たてなくて、スミマ……セン……―――」
灰は、苦しそうにつぶやき、そのまま気を失った。
「カイ!? しっかりなさい!」
灰からの返事はなかった。
「くっ……今日のところは引き上げてあげるわ!」
デイジー=ローズは、灰を抱え上げ言う。
その瞳には、明らかな憎悪と決意の光が宿っていた。
「でも、あたくしはあなた方を絶対に許さない」
そして、デイジー=ローズと灰の姿は、闇にまぎれていった。
その後のことを由乃は覚えていない。
***
気がつくと、由乃は誰かの背中におぶわれていた。
赤いツンツンの髪が目に入る。
「悠……兄…ちゃん」
「気がついたか? 由乃」
「どうして……ここに」
「そりゃあれだけハデに魔法戦してたら気づくって。あ、俊樹なら家に帰ったよ」
「そう………」
由乃は、再び眠りについた。
今、由乃の真っ赤に染まった左手首には銀のバングルが光っている。
悠には新たに〈封印〉をほどこすことはできない。が、なんとなくここにはコレがないと――そう思い、つけたのだ。
「まさか……封印を解くなんてな……」
横目で眠っている由乃を見ながら、悠は一人つぶやいた。
それに――――
「――デイジー=ローズ。まさかお前が、この街にきてたとはな……」
第三話 Fin.