第三話「荒れ狂う七月の夜」その4
少年はがく、と肩を落とし、よろめいた。
熱を持った額をおさえる。
(力を集中させすぎた……あの人間、なかなかやるね……)
その手にはデジカメがおさまっていた。
軽く頭を振って意識を現実に引き戻し、明るい未来を想像した。
(さっさと任務しあげて帰ろーっと)
そうすることでがぜんやる気も変わってくるのだ。
「おまたせ」
レジ横の扉が開き、由乃が姿を見せる。
少年は素早くななめがけのショルダーバッグにデジカメを直す。由乃の方へ振り向くと、彼女は大きなトレーを持っていた。その上には二人分のクッキーと紅茶。
「ね、お茶しよっか」
「わ、ありがとうございます」
にこ、と少年は無邪気に微笑んだ。
それにつられて由乃もまた笑顔になる。
(んーもぅ、なんて可愛いのっ)
由乃に少年趣味のケはない。のだが、彼を見ていると全国○万人はいるであろう、ショタコンのお姉様方の気持ちが判りそうで怖いな、としみじみ思う由乃であった。
「あのでも、いいんですか? 一客であるボクなんかとお茶してて」
「ああ、いーのいーの。どうせ他にお客さんいないし。それに……」
悠兄ちゃんも俊樹もいないから寂しかったし。
ふぅ、とため息をつく由乃。考えてみれば、開店して二ヶ月、こうして二人ともいない状況というのははじめてだった。
まぁ俊樹はともかく悠は当分帰ってこないだろう。なにしろヤ〇ザの集会に参加しているのだから……。
ふっ、と遠い目をする由乃。どうやら自分の中で悠に対する思いをきちんと整理したらしい。……多少想像上のことが混じっていたが。
由乃の頭の中で、悠は真っ黒なスーツに身を包み、サングラスをかけ、(なぜか)銃を片手に物陰から大通りを狙っていた。
そしてその悠の背後には新たな刺客が迫っていて―――
ぐっばい。悠兄ちゃん。
――つくづく想像力が豊かな娘である。
と、店の奥でお茶をしていた由乃の耳に、チリンチリンと店内に客が入ってきたことを知らせる鈴の音が入ってきた。
「あ、俊樹来たみたい。ちょっと行ってくるね」
そう言って、少年を店の奥に残し、由乃は店の方へと向かった。
「もう、俊樹遅いよ。ノート届けるのに何分かかれば気がす、むの……」
店内にいた俊樹に、由乃はそう声をかけたが、ふいに口をつぐんだ。
「……なんでそんなに疲れてんの?」
「………い、いや……ちょっと、な……」
ひざに手をやり、上下に肩を動かしている俊樹。
七月ということもあって、汗が体中にまとわりつき、店内の冷房が心地良かった。
ずり落ちそうになっていたメガネを直し、汗で張り付いていた前髪をかき上げる。
「なんともなかったみたいだな……」
ふぅ、とため息をつく。
「? 何言ってんの?」
由乃の言葉を聞いて、俊樹自身も何を言っているのだろうと不思議に思った。
そう、なんでこんな自分を平気で人体実験に用いるような女を心配したのか?
思わず考えこみそうになったが、ふと、視界のすみに人影を見つける。
「! 誰かいるのか!?」
「え、お客さんだよ?」
その時、少年が姿を見せた。
俊樹の態度に少々ビクついているようだ。
「大丈夫よ、なんかちょっと疲れてるみたいだから――」
そう言って少年の元へと行こうとした由乃を、俊樹はぐいっと引き戻した。
「ちょ、どうしたの? 俊樹」
俊樹の行動に由乃は眉をしかめる。
「どうしたのはこっちのセリフだ!」
俊樹は少年を見たまま視線を変えない。
俊樹には判ってしまっているのだ。
少年の正体が。
由乃の反応がもどかしくて、つい声が大きくなる。
「なんで気づかないんだ!? こいつがあの『カイ』だよ!!」
「えっ!?」
少年は微動だにしない。
「何、言ってんの俊樹……」
由乃は笑おうとしたが、俊樹のその真剣なまなざしに、まさかと思う。
(嘘よ。だって、あのコからは匂いがしないもの。……だから――――)
困惑する由乃の心情をあざ笑うかのように、少年が口を開いた。
「クスッ……まさか下僕クンの方に見破られるなんてね……魔法屋じゃなくて、ただの一般人に」
少年はニコ、と微笑んだ。
「そういえば、まだ自己紹介してなかったね。ボクの名前は灰。デイジー=ローズサマの使い魔だよ」
「嘘……どうして……」
いまだ困惑している由乃に、灰は小ぶりのショルダーバッグから小さな香水のビンを取り出し、ヒラヒラと振ってみせる。
「あ、なんでって不思議そうな顔をしてるケド、匂いを消すなんてこと、ボクの御主人様には朝めし前なんだよ。ね、判らなかったでしょ? 由乃サン」
「! わたしの名前……」
そういえば、わたしまだ名乗ってない――ここでようやく由乃は気づいた。そう、先程も、灰は「由乃サン」と名前で呼んでいた。
――どうして気づかなかったのだろう?
その外見的特徴は前々から知っていたのに。
見る者をあざむく、無邪気な笑顔が今は憎らしかった。
「要は消臭剤のようなものか」
ふむ、と俊樹は納得した。
「……でもま、そんなことする必要はなかったかもしれないね。外見で人を判断するのは、大したことない証拠。由乃サンの実力がどれほどのモノかは知らないけど、魔法屋としては失格かな」
その言葉にカチンときた由乃を俊樹は「ま、まぁまぁ」となだめる。
「放して俊樹ッ。お願いだからハリセン一発でもいいからかまさせてっ!」
魔法屋であることに誇りをもっている由乃にとって、灰のセリフは許しがたいものであった。
「ちょ、落ち着けって! 前も言ったけど、怒ったらあいつの思うツボだろーが」
「っ………。確かに。そうね」
ハリセンを持った手を下ろす由乃。
灰をまっすぐ見つめ、毅然と聞いた。
「……ひとつ、教えて。あなた、一体何が目的なの?」
灰は相変わらず笑顔を絶やさない。
「今日はね、君が本当に魔法屋なのかを調べに来たんだよ。あ、あとそこの下僕クンが何なのかもね」
俊樹と由乃は顔を見合わせる。
「ま、下僕クンの方は結局よく判らなかったけど、ま、いっか。魔法屋の店に入れたし」
ヒラヒラと調査用のデジカメを見せる。
「なっ!?」
「ま、ボクに言わせれば君みたいなマヌケな魔法屋、デイジーサマの足元にも及ばないと思うけどね」
にこにこと、さらにとんでもないセリフを吐く。
由乃はぐっとハリセンを握り直した。
ぎりぎりと歯ぎしりをし、今にも魑魅魍魎を呼び寄せそうな雰囲気である。
灰はごそごそとショルダーバッグをあさっている。中からは棒付きキャンディーやモデルガンや宴会用鼻付きメガネやらがぼろぼろとこぼれ、俊樹を脱力させた。
「あ、あったあった」
と、灰は白い球体を取り出し、ポイッと投げ捨てた。
球ははじけ、ぼぼんとあたりを煙が包む。煙幕だ。
「なっ、何?」
「なんだ?」
がほごほせきこむ二人に、灰はくすくす笑いながら捨てゼリフを残した。
「またね。無力な魔法屋とその下僕クン………」
こうして灰の姿は消えた。
ゴホゴホとせきこみながら、由乃の手にはいまだ握られたままのハリセンがあった。
(このパターンって……)
そのハリセンの行方を、俊樹は知りたくなかった。
***
あれからあっという間に一週間がたった夜―――
訪問者は、闇にまぎれてやってきた。
漆黒の髪と瞳は、文字通り闇にまぎれたように錯覚させる。
年相応の愛らしい微笑みを浮かべた彼より早く、由乃が先に口を開いた。
「ひさしぶりね、灰クン。わざわざおでむかえゴクローサマ」
「クスクス。よく判ったね。ボクが迎えにきたってこと」
「バカにしないでよね。わたしだって一応魔法屋なのよ」
「この前は気づかなかったのに?」
「この前はこの前、今は今よ」
毒を吐きあい、にこ、と微笑みあう二人。
一見非常にほのぼのしているのだが、その実非常に危険な状態だった。
一触即発。
次に互いを刺激するような発言があれば、間違いなくこの近辺は吹き飛んでいただろう。
それほどの実力がこの二人にはあった。
先に口を開いたのは灰の方だった。
「ま、そんなコトはおいといて。デイジーサマのいるトコロまで案内するから、ついてきて」
そう言って、灰はマイペースに歩き出した。由乃は、そんな灰の後を追った。
「あ、ここだよ。ここでデイジーサマが待ってるんだ」
「…………」
由乃は絶句した。
案内されたところは、清華学園だったのだ。
しかし、よくよく考えてみれば、学校のグラウンドというのは、何もない上に広い。派手な魔法戦をするにはぴったりな場所である。
「まさにうってつけ、ってヤツね」
独白する由乃。
視線はまっすぐグラウンドの真ん中に仁王立ちしている人物に向けられていた。
ゆるいウェーブのかかった茶の髪を、優雅なしぐさで払う彼女。体の線が判る、ぴったりとしたボディコンスーツを身に付け、手にはドクロの頭付きの一目で呪具と判る杖を持っている。胸元にはゴールドのロケットペンダントが光っていた。
あれが灰の主、魔法使いデイジー=ローズなのだろう。
デイジー=ローズは、碧の眼を挑戦的につり上げ、真紅の唇が笑みの形をつくっていた。
なかなかの美人である。
――――が。
由乃は、おもわずつぶやいてしまった。
「………うわっ、厚化粧……」
夜目でも充分すぎるくらい、彼女は化粧が濃かった。
ピキッ。
魔法使いの額に青スジが浮かんだのは言うまでもない。
二人の間には随分な距離があったのだが、はっきり聞こえたようである。
「フフフフフ!! ズイブンな口をきくのねぇ! お子様『魔法屋』サン?」
「いいえぇ!! 年増『魔法使い』サンに比べたら、なんてことないですわ!」
「フフフフフフ」
「オホホホホホ。――先手必勝!!」
由乃は素早く、魔法爆弾を取り出しデイジー=ローズに投げつける。
卑怯というなかれ。
魔法使いという邪悪な存在を打ちのめすためには、手段を選ぶ必要はないのだ。
パシュッ。パシッ、パシッ。
が、由乃の爆弾はことごとくデイジー=ローズに当たることなく、砕け散った。
「なっ、結界!?」
「まさか、不意打ちのつもりでしたの?」
デイジー=ローズのまわりに、いつのまにか青白い光球がいくつも宙に浮いている。
魔女は笑みを浮かべたまま、魔法屋の少女を指示し、叫ぶ。
「GO!!」
その言葉を合図に、光球は由乃に向かって突き進む。
「なっ!?」
バンッ、バンッ、バンッ!!
由乃のかわした光球は校庭に当たり、はじけるたびに砂が舞い飛ぶ。
「ゲホゲホゲホッ」
まともに目や口に砂が入って、痛いことこの上ない。
思わず立ち止まってしまう由乃に、光球が数発命中する。
「キャアアアアアア――――ッ!!」
舞い上がった砂のせいで、光球が見えなかったのだ。
由乃は急いで呪文を唱えようとするが、全身に走る痛みのせいで、うまく集中することができない。あせればあせるだけ、呪文が口の中で空回りしてしまう。
呪文はただ唱えるだけでは意味がない。
その意味を真に理解し、受け入れることができなければ、それはただの言葉に過ぎないのだ。
(落ち着かないと――!)
そう思うのだが、なにしろ舞い散る砂ぼこりのせいで涙とせきがとまらない。
とてもじゃないが集中できる状態ではなかった。
「ああーら。ギブアップするには早くてよ」
せきこむ由乃に近づき、その黒より黒い髪をつかむデイジー=ローズ。その髪に顔を近づけ、吐き捨てる。
「――……魔法屋の香りね。なんて忌々しい……」
その言葉に由乃は目を見開いた。
デイジー=ローズの顔を見上げ、当惑する。
「どうして……」
「…………」
ふ、と意地の悪い笑みを浮かべ、デイジー=ローズは空いた片手を宙にかざした。
そこに〈力〉が集まるのを感じ、とっさに飛びのく由乃。
再び視線を向けると、そこには青い氷の矢が無数に浮かんでいた。
デイジー=ローズが指を鳴らすと、氷の矢はいっせいに由乃めがけて飛んでいく。
一本、二本。三本目まではかろうじてよけた。
だが、四本目はすでに由乃の眼前まで迫ってきている。
―――よけれない!?
思わず目を閉じる由乃。
ザシュ、ザシュ、ザシュシュッ!!
目を開けると、矢は由乃の目の前にささっていた。
由乃は、地面に倒れていた。すんでのところで、誰かが由乃をひっぱったのだ。
目の前にいる人物があまりに予想外だったため、由乃は一瞬我が目を疑う。
「俊樹!? な、なんでいるの?」
「なんでって、後つけたに決まってんだろ」
いばって言うことではない。
「お前、今日に限って店来なくていいとか言ってたからな。……何かあると思ってみれば、案の定これだ。お前一体何やってんだよ!?」
俊樹は、由乃を問い詰める。
そんな二人を冷ややかに見ていたデイジー=ローズは、ふと口を開いた。
「あの小娘の下僕は人間なのかしら? カイ」
「見たところただの一般人です、デイジーサマ」
「そう。……やっぱり、大したことないのね。あの魔法屋の小娘。あたくしが直接手をくだすまでもなかったかしら」
普通、魔法士の実力は連れている下僕や使い魔など従者の力で計られることが多い。
強い〈力〉を持つ者ほど、従者にするのが難しいためだ。そのため、魔法士の〈魔〉の力が強い程、有能な従者を連れていた。由乃の場合は例外といえる。
それを知らないデイジー=ローズはくす、と嘲笑を浮かべ、胸元のロケットに手を伸ばした。
(――見ていてください)
ロケットを握りしめ、強く想う。
(あなたの望みは、あたくしが叶えます――)
頭の中に思い描くはただ一人。
誰よりも何よりも大切な人。
(あなたが魔法屋を嫌うのなら……)
「あたくしは、魔法屋の存在を、この世から消し去ってみせますわ」
まっすぐ若い魔法屋を見すえ、デイジー=ローズは薄く微笑んだ。