第三話「荒れ狂う七月の夜」その3
カチッカチッカチッ……
静寂に包まれた教室の中では、時計の秒針の音がやけに高く響き渡る。
私語をする生徒は誰一人いない。何名かはいまだにシャープペンシルを動かし、また何名かは必死にプリントを見直している。
確実に時は刻まれていき、そして……。
カチッ―――キーンコーンカーンコーン……
『よっしゃあぁッッ!! 地獄は終わったぞ――――――ッ!!』
「……まだLHRがあることを忘れずに」
クラス全員が騒ぐ中、担任の冷静なツッコミが入る。
ほぼ一週間かかった期末テストも無事終わり、歓喜にうちひしがれる1ーCの面々であった。
LHRも終わり、日直の仕事である集めたノートの提出状況をチェックしていた俊樹に、
「じゃ俊樹、わたし帰るからっ」
と言い残して由乃は早々に帰っていった。
「あれ、先に高城帰ったの?」
「あぁ、悠さんが帰ってるかも、って」
「ははぁ、俊樹フラれたワケね」
「はぁ? 何言ってんだよ、竹田」
チッチッチッ。人差し指を左右に振る竹田。
「甘いな。その調子じゃまだ手も出してねーんだろ。いいか、俊樹。女の子なんつーのは――」
「はーいそこまで。俊樹に変な入れ知恵しないでねー」
ぐい、と竹田の頬をつねる有希。額にはうっすらと血管が浮かんでいた。
「ってーな有希。俺は俊樹のためを思ってだなぁ」
「思わなくていいから。俊樹まで悪の道に引きずり込まないでくれない?」
「あ、ひっでー。俺、こんなに良い子なのに」
「「誰が?」」
ハモった上に即答だった。
「え、俺様」
自分を指差す竹田に対し、俊樹ははぁ、とため息をつき、有希は「え、どこ?」とあさっての方を向いた。
「……お前らって、さりげに冷たいよな」
「誉め言葉と受けとっとくわ」
にこ、と微笑む有希。
「いや、オレお前には言われたくないし」
さらりと俊樹。
何か反論しようとした竹田だが、
「じゃオレ、ノート出してくるから」
「あ、あたしクラブあるから。またねー」
当の二人が席を立ったため、それはままならなかった。
「くっそー、覚えてろよ」
ベタベタな捨てゼリフを残し、竹田もまた部活へと向かった。
***
遅くなったな、と思い、急ぎ足で俊樹は学校を出た。時計はちょうど午後一時を差している。
「おい、俊樹」
帰り道でいきなり声をかけられた。
振り向くとそこには竹田がいた。その手にはコンビニの袋があり、買い出しの途中であることがよく判る。
「……話があるんだ」
「?」
いつもと違い、妙に無表情な竹田をいぶかしむ俊樹。
「何の話だ?」
「ここじゃちょっと……」
「ここじゃできない話なのか?」
やはりおかしい。
俊樹は今まで人との付き合いを避けてきたが、竹田は別だった。中学からの悪友、と付き合いが長い分、俊樹は竹田のことを少しは理解しているつもりだった。
竹田は少し考え、口を開く。
無表情な顔がかえって事の深刻さをうかがわせていた。
「………有希のことなんだ」
「!」
「ここじゃアレだし……別のところで話そう」
俊樹はおもわずうなずいていた。
有希のこと、と聞いて放ってはおけない。いまだに俊樹は二ヶ月前のことをひきずっているのだ。
悪夢にとりつかれていた妹。自分はそのことに気づいてやれることもできなかった。
そんな想いがあったからこそ、俊樹は素直に竹田についていったのだ。
――そう、魔法工房とは逆の方向に歩いていく竹田に。
「ハァッハァッ」
少々息を切らせながら、由乃は魔法工房の前にたどり着いた。
中に誰かがいる気配はない。
(やっぱり、帰ってきてないんだ……)
しょんぼりとする由乃だが、魔法工房の玄関先で誰かがしゃがみこんでいるのに気づき、すぐさま営業スマイルをとった。
目の前にしゃがみこみ、顔をのぞきこむようにして話しかける。
「どうしたの?」
「……あっ」
それは少年だった。
黒い髪、黒い瞳、その色は由乃のものとよく似ていた。そして何と言っても、
(か、カワイイっ!)
男の子にそんな風に思うのは悪いかも知れないのだが、本当に愛らしかった。
そう、まるで人形のように。
「ゴメンナサイ。お店開いてなかったから……」
実に申し訳なさそうに言う。その態度もまだ声変わりしていない声も、どれもがツボだった。
「あ、ちょっと待ってね。すぐ開けるから」
由乃は本当の笑顔で対応し、すぐさま鍵を開け、少年を中に通した。
「自由に店内見ててね。ちょっと着替えてくるから」
そう言って、由乃は上機嫌で自室のある三階へ上がっていった。
「どこまで行くんだ? 竹田」
「…………」
「おい、もうとっくに一時過ぎてるぞ。部活どうするんだよ?」
「……………」
やっぱりおかしい。
俊樹は再び疑問に思い始めた。
部活人間の竹田が、部活のことに反応しないなんて……。
「おい、竹田!」
肩をつかみ、強引にこちらを向かせようとしたのだが、竹田はその手を振り払った。
様子が違う。考えるより先に言葉が出た。
「お前、竹田じゃないな」
俊樹は自分の言ったセリフに自分で驚いていた。
(何でオレこんなこと……)
だが言われた当人である竹田は、大して驚いていないようだった。
いや、むしろ平然としている。
「……クスッ……よく判ったね」
「――――えッ?」
天地がひっくり返った。足払いをくらったのだと俊樹が判ったのは、地面に倒れてからのことだった。仰向けに倒れ、強く背中をアスファルトに打つ。
「……ってー」
などと言ってる間に、竹田が覆い被さるように俊樹の身体の自由を奪った。
運動部と帰宅部の違いなのか、俊樹は全く身動きがとれない。
「見たところ一般人にしか見えないけど、君、魔法屋のお姫サマの下僕でしょ?」
「!?」
「ボクのことが判ったのは誉めてあげるよ。でも、ひとつ質問してもいいかな? なんで君みたいな一般人がお姫サマの下僕なんかしてるの?」
竹田の口から出る声はとても高かった。
そう、それは一ヶ月前にも聞いたことがある声。
「………何のことだ?」
俊樹はあくまでシラを切る。
だが竹田はにっこりと笑い、そっと耳にささやきかける。
「身をひくなら今のうちだよ。お姫サマのわがままに付き合ってると、そのうち大変なことになるよ」
全身が総毛だった。額に血管が浮かぶ。
「余計なお世話だッ!!」
勢い任せに頭突きをくらわすと、竹田の手がゆるんだ。
今だとばかりにその拘束から抜け出す。
そしてささやかれた方の耳を手でこする。その手には鳥肌が立っていた。自分より背は低いが体格のいい野郎にささやかれて、良い気分はしない。いや、むしろ金輪際ご遠慮願いたかった。
竹田は手で鼻を覆っている。どうやら頭突きの被害を受けたのは主にそこらしい。
俊樹は辺りに目を走らせ、何か武器になりそうなものを探す。
ちょうどそこに、竹田が持っていたコンビニの袋が目に入った。
竹田が襲いかかってくる。
俊樹はあわててかわし、袋から出かかっていたペットボトルを手に取った。勢いよく振り、再度襲いかかってきた竹田に飲み口を向け、フタを開けた。
勢いのついた炭酸飲料が竹田に襲いかかる。
「―――――くっ!」
顔面にマトモにくらい、竹田は手で顔を覆った。そこから音を立てて蒸気が立ち上る。
「?」
俊樹は目をみはった。ただ目くらましにでもなればいいと思った反撃が、かなり効いているようだ。
がく、と竹田のひざが折れる。
顔を上げ俊樹に向かってニッと不敵に微笑んだ。
そして竹田はバタリと地面に倒れた。
「お、おい」
俊樹は竹田を揺さぶる。蒸気はすっかりひいている。
しばらくして、竹田は意識を取り戻した。
「………ん、んんっ」
「竹田……だよな?」
竹田はそれに応えず、ぼーっと数回まばたきしていた。
「……俊樹? 何でここに……ってかココどこよ!?」
「竹田だな……」
ホッとする俊樹。
「うわっ、コーラくせーっ!? うげっ、鼻血まで出てるし」
おい、と竹田は俊樹に向き合った。
「一体どういうことだよ!」
「い、いやそれは…………そ、そんなことより竹田。お前もしかして買い出し中に可愛い小学生男子と会わなかったか?」
「はぁ? いきなり何、お前。頭おかしんじゃねーの?」
はじめ相手にしなかった竹田だったが、よく思い出してみろと俊樹に念押しされて記憶を探る。
「いや、待てよ……そういや、会ったな。って、なんかそこからの記憶が飛んでるような……」
(やっぱり……)
そう、竹田の顔面から出た蒸気は、祥子と同じ、灰がとけたものだったのだ。
俊樹は納得し、『彼』が竹田の中からいなくなる直前に見せたあの笑みを思い出す。
なにやら嫌な予感がしてきた。
そう、彼は自分をどこに連れて行こうとしていたのか。
考えてみれば、今俊樹は学校から魔法工房とはまったくの逆方向にいる。
もし、彼が連れて行くのではなく、引き離すことだけを目的としていたら……。
俊樹は一目散に駆け出していた。
「お、おい、俊樹ッ!?」
「悪い竹田ッ、部活ちゃんと行けよ!」
説明することもできない今の状況ではこうするしか他にない。心の中でわびを入れながらも、俊樹が足を休めることはなかった。