第二話「六月、それは梅雨の季節」その4
「おはよう」
「おーッス」
そんな声を聞きつつ、由乃は密かに教室でため息をついた。
理由のひとつは、この前繁華街に行ったその日から丸々一週間雨が降っている、という気分的なもの。もちろん、ずっと降っているワケではなく、気がつくと降っている、と言ったぐらいだが、由乃にとっては同じだった。
もうひとつの理由は、そんな雨にもかかわらず毎日繁華街に足しげく通っているのに、一向にカイが捕まらないことだった。
おのれ梅雨めッ!!
もはや怒りの矛先は別のものへと変わっていた。
「で、今日も行くのかよ……」
ため息混じりに俊樹が言った。
「行く。行くって言ったら行くわ。わたしにも意地があるもん」
「午後からの降水確率百%でも?」
うぐぅ。
「………い、行く」
こうなっては後にはひけない。
俊樹はわざとらしく大きなため息をついた。
「あのさぁ、オレ思ったんだけど、カイに会いに行こうとすると何がある?」
「?」
「もしかするとカイに会えないのってそれが理由なんじゃないか?」
「何が言いたいのよ」
いぶかしがる由乃に俊樹はずばり言った。
「雨」
「は?」
「だから!」
じれったくなっておもわず声を荒げてしまう俊樹。
「オレ達が行くと必ず行き違いになってるだろ。それってつまり、晴れている午前中にだけ居て、雨が降る午後にはもう帰ってるってことなんじゃないのか?」
由乃はハッと目を見開いた。
「それって……」
「そういうことだろ?」
「…………」
わなわなと手を震わせ、由乃はハリセンを振りかざす。
「おまっ、そりゃ八つ当たりだろ!?」
「八つ当たりくらいしたっていーじゃない!!」
スパ――ンッ!!
ハリセンが見事にクリティカルヒット。
「おー、今日も派手にやってるねぇ。俊樹、お前もしかしてMのケがあるんじゃねーだろーな」
イヤンと両手を口元にやり、不気味な乙女ポーズを作る竹田。
「このままだと、1-Cの名物になるんじゃない?」
と、まるっきり他人事のように有希。ハリセンをもろにくらって突っ伏している俊樹に近づき、
「で、今回は何したの?」
とおもしろそうに聞いてくる。その後ろからは、由乃と竹田の呑気な会話が聞こえてきた。
「なぁ由乃ちゃん。このハリセン、いっつもどーやって出してんの?」
「あは。企業秘密だよ♪」
「…………」
もはや俊樹に顔を上げる気力は残っていなかった。
心から思う。
――……世の中って、こんなもんだよな……。
***
天気予報の言う通り、はかったかのように学校から出る頃には雨が降っていた。
そこで由乃は諦め、俊樹とともに魔法工房へと帰った。
そこに悠の姿はない。
一週間前から地下の実験室へと姿を隠しているのだ。
実験室に入る前、例のマンドラゴラを持って悠が、
「ああ、この色といい艶といい……実験意欲をかられるなぁ……。鉢から出ようとする姿もプリティだけど……フフフフフこの俺から逃げられるかな? マンドラゴラよ」
などとマッド・サイエンティストも真っ青なセリフを吐いていたのを、俊樹は密かに聞いてしまっていた。表情は恐ろしくて見ていない。
そのことを思い出してしまい、俊樹は顔が青冷める。
「なに俊樹、その顔は。そんなにわたしのつくったアップルパイがお気に召さない?」
んん? と立てたひじにのせた首をかしげる由乃。口元は笑顔だったが、目はあきらかに怒っていた。
「あ、いっいやそうじゃなくて……」
あわてて弁解する俊樹。でなければ再びハリセンが飛ぶことは目に見えていたからだ。
他に人がいない魔法工房内で、丸いテーブルに白いテーブルクロスをかけ、二人はおやつタイムを満喫していた。
「そーいやさ」
俊樹はとっさに話題を変える。身の危険をひしひしと感じたからである。
「なんで有希に魔法のこと話したんだ?」
パクリと一口アップルパイを食べる。甘すぎることなく、なおかつサクサク感をくずすことなく仕上がっている。プロ顔負けの相変わらずな腕前である。
「そりゃまぁ、あんたもこっち方面での理解者がいるかなーと思ったから……」
由乃もパイを一切れ口に入れた。
「それともいらなかった?」
「あ、いやそれは……」
確かに、有希に隠し事をするのは辛かったし、自分の今の状況を判ってくれる人がいるのは心強かった。といっても、有希が真の理解者というワケではなかったが。
(結局……勘違いされっぱなしなんだよなぁ………)
俊樹にとって今一番切ないことであった。
「それにしてもさー……」
ちらりと由乃の視線が店内へと移る。
店の扉には『OPEN』の札がかかっている。にもかかわらず、客の数はゼロ。
原因はひとつ。悠が店内にいないためだ。
魔法工房は開店して一ヶ月半くらいであるため、知名度も低く、客といえば悠のおっかけぐらいなのである。
悲しい事実であった。
「世の中って厳しいよな」
というわけで、悠が実験意欲をかられている現在、由乃と俊樹は特にすることもなくティータイムを満喫していた。
だがそれも一週間も続けば次第と不安になってくる。
「なぁ、実際この店で本当に食っていってるのか?」
疑問混じりに聞く俊樹。
どう考えても客入りの悪いこの店から悠や由乃の生活費、果ては俊樹のバイト代が出ているとは思えなかったからだ。
「あ、そのへんは大丈夫」
あっけらかんと由乃は答える。
「わたしは魔法屋として、悠兄ちゃんはその補佐として組合からお給料出てるからね。ついでに言うと外国の両親からも仕送りあるし。お給料だけで間に合ってるんだけどねー、しかも仕送りってそれだけで余裕で暮らしていける額だし」
「……それって店してる意味あんのか?」
俊樹は少々呆れ顔でつっこむ。
「あー、それはね。魔法屋は元々魔法士のために魔法具を売るお店の名前だったのよ。それがいつしかお店じゃなくて、そのお店を持つ人のことを指すようになってね。今では一般客へのカモフラージュのために別の物も置いて、ごく普通の店を装うようになったの」
ポツリとつけ加える。
「……ま、仕事はそれだけじゃないけど」
最後のセリフは聞こえなかったのか、俊樹が由乃の言葉を要約した。
「ということはつまり、別に客が来なくても困ることにはならない、と?」
「それを言っちゃあ身も蓋もないでしょ」
それに、と由乃はつけ加える。
「最近お給料減ってきたのよねー。不景気の波が組合にまでいってるのか、次ボーナス出るか出ないかの瀬戸際だし?」
それって魔法士もサラリーマンと対して変わらないのでは?
あやうくのどまで出かかった言葉を俊樹は飲みこんだ。
「というわけで、こっちとしては魔法工房の売り上げも上げたいところなのよね。このままだとあんたのバイト代もままならなくなるのよ!」
ビシ、とアップルパイを口に運んだ後のフォークで、俊樹の鼻の辺りを指す。
(それは困る)
切実にそう思った俊樹は、店内を見回す。
統一感のない商品の数々。可愛らしい小物類(由乃の趣味)も多々あるのだが、それに混じって不思議系な品物類(悠の趣味。多分)もちらほら見える。
それらが放つ一種異様な雰囲気が店内を漂っていた。
客が来ない原因はここにもありそうだ……と、密かに俊樹は思った。
それと同時に、こんなことを考えている自分のことも……。
それは昔の自分からは考えつかないことだった。
―――こんなに他人と関わりあうなんて。
(どうしてだろう?)
俊樹は考えながら、アップルパイの最後の一切れを口に運んだ――まさにその時だった。
ちゅど―――ん。
文字にするとこんな音が店内に激しく響いた。それはまさしく地下からとどろき、同時にもくもくと灰白い煙がたちこめる。
ガタッと二人はイスから立ち、地下室へと走る。
「悠兄ちゃんッ!?」
バーン、とすでに半分ほど吹っ飛んでいるドアを開け、由乃は悠の無事を確かめる。
悠は飄々と片手を上げた。
「お、由乃。どうしたんだ?」
あれだけの爆発音がして、どうしたはないだろう。
「すごいことになってるじゃん……中」
「ああ、言われてみると」
ポンと手を打つ悠。
(……おいおい)
とは俊樹の心の中のつっこみである。
「まぁそんなことよりだな。役に立ちそうな物創っといたぜ、由乃」
「え? なになに?」
それは例のマンドラゴラから創った物らしい。小ビンの中には水色の液体が入っていた。
「悠さん、コレなんだよ?」
俊樹が聞くと悠は意味ありげにニッと笑い、
「ま、そのうち判るよ」
そして次の瞬間勢いよく手を組んだ。
「ああ、これで愛しのゾンビ達と再会できるぜ!!」
「……好きですよねぇ、ソレェぇえええひでででで」
ぎう~、と悠は俊樹のほっぺたをひねりあげた。
「俊樹、お前まーだ抜けてないのか敬語!」
「――――~~!!」
声にならない絶叫をあげる俊樹。その頬を勢いよく放し、悠は俊樹を解放する。
そんなやりとりなど全く無視して、由乃が首をかしげながら聞いた。
「それにしても悠兄ちゃん。このところどころ散らばっている卵は何?」
「ん? ああ、ソレ創り終わって腹減ったからさー、ゆで卵でも食おうかとレンジでチンしたんだよ」
悠の言葉に由乃と俊樹は固まる。
生卵をレンジでチンすると爆発する、というのは有名な話である。
「それって、それって……」
つまり爆発は、魔法薬を創っていたせいではなく、その後の生卵のせいだと……。
そしてお約束通り、実験室には由乃の叫び声が響き渡り、近所迷惑となったのだった。
「ゆ……悠兄ちゃんのばかぁああ―――!!」