8 絡まる糸延びる糸
玉の緒よ たえねばたえね ながらへば
カゲロウが消えていく。
「……と、いうことだ。」
白の冥王と呼ばれし少年は、傍の女人を抱き寄せる。
「こうして、我らは再び見え、愛を育んできたのだ。何度生まれ変わろうと、俺とアネモネとして。」
白の冥王はアネモネに熱っぽい視線を注ぐ。それを受けるアネモネも、蕩けるような笑みを浮かべていた。
シシィとソイラリアは、「お腹いっぱい……」と言う顔をしていたし、女王は、真っ赤な顔で奥歯をギリギリと噛み鳴らしていた。
アネモネが申し訳なさそうに口を開く。
「縁の女王様やソイラリア様、シシィ様に私がお伝えして謝らなければならないことは、他にもございます。」
「私は、冥王様に時を超える能力の他に、異なる世界に移動するための能力も与えられておりました。その能力を使い、あちらこちらの世界を回り、見聞を深めていたのです。ある時、私は、縁の女王様や、ソイラリア様、シシィ様がかつていらっしゃった世界、剣翼界リビドシャドウに参りました。」
再び、カゲロウが遥か昔の記憶を蘇らせる。
アネモネが降り立った剣翼界リビドシャドウは、かなり荒廃していた。乾き、低い丈の草がまばらにしか無い荒原に、灼熱の太陽が照り付けていた。
丘陵地帯の端に、集落があった。
アネモネを見る人々の目は、うつろであるのに、皆、アネモネの姿に怯えていた。どこの世界に行っても、笑顔でアネモネに駆け寄ってくる年頃の子供と同年代の子達も、痩せこけ、地べたに蹲り、死んだ魚のような目をしていた。
(この世界は……出来てからかなり年月が経過しているはずなのに、どうしてこんなに貧しいのかしら? )
アネモネは、長老と思しき枯れ木のような老人に声をかけた。
「こんにちは。私は、アネモネ。こことは違う世界から来た旅人です。」
声をかけられた老人は、恐怖に満ちた表情で、掠れた声を震わせた。
「新しい、勇者様でございましょうか。申し訳ございません。ここは、もう、お出しできるものがないのでございます。それでもと言うのならば、この老いぼれを、薪がわりにお使いください……燃える部分も少ないかも知れませぬが……」
アネモネは、絶句した。
「私は勇者などではございません。ただの旅人です。それにしても……なんてこと。御老人、私に勇者とやらについてご教授くださいませんか。 」
老人は語った。
この世界の神は、剣翼神一柱のみ。かつては、よくこの世界を収めていたと言われているが、数千年ほど前に急に姿を消した。程なく、『7人の地上で最も強い勇者が集いし時、神は再びこの地に降臨される』という予言が出た。それからというものの、人々は「最も強い勇者」になるために互いに戦い、腕を磨いていたが、あまりにも戦が続いた結果、その戦いは強者が弱者からさまざまなものを奪う略奪戦と化するようになった。戦えない者たちは、一方的に勇者達に搾取される立場になった。
アネモネは憤慨した。何もせずに、おそらく何処かに隠れているであろうこの世界の神に怒りを覚えた。
それに、目の前の飢えた人々を放っておくことが出来なかった。
そこでアネモネは、彼女の力で食べ物を生成し、老人に差し出した。
「僅かではありますが、話を聞かせてくださったお礼です。お受け取りください。」
老人は目を見開いた。そこにあるのは、もうずっとまともに食事をしてなかった彼らにとっては金よりも有難い、山のような食糧だったのだ。
「ーー神様じゃ。神様が我らに恵を授けたもうた。」
老人は、そう大声で皆に叫んだ。
アネモネは、驚き焦った。この世界の神は、姿は見えぬとはいえ剣翼神ただ一柱のはずだ。人々が自分を神と称えれば、アネモネは、この世界の秩序に反した存在となる。
(不味い。)
すぐにでもこの世界から去らねば、剣翼神の神罰とやらが下るであろう。
しかし、空を見上げたアネモネの瞳は、すでに不吉な影を捉えていた。
影は大きくなり、アネモネの前に着地した。男だった。真っ黄色な金髪がトサカのように逆立っている。肌はよく日に焼けていて、がっしりとした体つきをしている。白い両翼を背に負い、剣を帯びていた。
「面白い。我が世界で神を称する不届き者は、どんな野郎かと見にこれば、これは驚いた、花のように美しい乙女ではないか。」
アネモネは、ゾゾっと背筋に悪寒が走るのを感じた。男はニヤニヤと下卑た笑いを浮かべていた。
「我が名を知ってこれほどのことをなすとはなかなか肝が座っているではないか。剣翼神ローレルの名を知って……それとも知らなんだか? ああ? 何か言ってみよ、女。さすれば我がそばに侍ることを許そうぞ。」
ローレルは傲慢に笑った。
アネモネは、キッと彼を睨んだ。
「貴方は、何故民に手を差し伸べようとなさらないのですか。」
「差し伸べる? ははははは。馬鹿馬鹿しい。強きもののみが生き残るのが我が世界のことわりぞ。」
「それでも! この世界には戦えない人々もいるではないですか。そして、貴方が愛でる強きもの、も、そのような人々が作る食糧や、資源が無ければ生きていけない。つまり、貴方の作った秩序が、この世界ではうまく回っていないのです。この世界は不完全で、不健全です。貴方が放置していたせいでは無いのですか⁉︎ 神ならば神としての務めを果たさねばならないのではございませんか。」
アネモネが、言いすぎた、と気づいたのは、遅かった。ローレルは、激怒していた。
「許すまじ! 度重なる無礼を働いて我が前から無事下がれると思うたか! 」
ローレルの剣が前触れもなく肉薄する。
アネモネは、持ち得る限りの力を振り絞って剣翼界から離脱したが、その一部ーー異なる世界を移動する能力を与えられた部分ーーを剣翼神に奪われ、命からがらこの世界に強制帰還した。
「こうして、私は異世界に渡る力を失った訳ですが、その後も異世界、とりわけ剣翼界は常に監視し続けていました。今から1.7万年ほどまえから剣翼界で、私の力が広く使用され出したのも確認していました。確認していましたが……どうしようもなく。
ソイラリア様やシシィ様、ハラミ様がこの世界に初めて来られた時も、貴方様型からは、私の力の匂いがしていました。
切れ切れな記憶と記録をつなぎ合わせると、私の力が、おそらく剣翼界で前世のソイラリア様やシシィ様、ハラミ様の運命に関係していたことは想像が尽きます。
誠に、私目の不注意で迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。」
俯いたアネモネに、縁の女王が視線を逸らしながら合いの手を入れる。
「どこかの阿呆が己が使い魔に異世界渡りの権能を全て渡しおったし、その使い魔があやつに権能を奪われおったので、この世界から異世界に干渉することが出来無かったのじゃ。」
アネモネが、懐かしそうに笑う。
「その折は……縁の女王様も一生懸命でございましたものね。」
「そちの責任も大きいというのに。何と呑気な使い魔じゃな。」
僅かながら、アネモネと女王の間に、和やかな空気が流れた。
と、女王が一気に顔を赤くして言った。
「なんじゃこの空気は! 我らは闘ってあるのじゃぞ! うむ、忘れたとは言わせぬぞ、あのカスタードクリームのような甘ったるいカゲロウを……汝等、妾を馬鹿にする気か! ーーリア充永劫爆発!!! 」
しかし、そこにラムネ瓶は現れなかった。
「何故ぞ? 妾は虫歯が出来そうだと言うのに! 」
「チッチッチッチッチ」
白の冥王は、指を振りながら、艶然と微笑んだ。
「甘いのはお前だな、ハラミよ。『リア充』とは何だ? 2万年も愛し続けてきた俺とアネモネの仲がそんな軽いものだと思ったか? 笑止也。俺とアネモネの愛はこの世界の深淵をも超えるものだ。いや、俺とアネモネの愛はこの世界の深淵を支えているのだ。」
「そんな⁉︎ ……まさか、こ、これは……」
世界の深淵を凝視した女王は、感嘆の声を上げる。星の力の間を、網の目のような忘れ時の大剣の聖力が包み込むことで世界はその根元を保っていたのだ。
白の冥王は朗々と唄う。
「俺とアネモネの愛は世界より重く、冥王と花は世界より大きく咲いているのだ! 見よ、小娘。これがお前の知らなかった2万年なのだ! これが、神無界アマリリスだ! 」
星の根元は、無数の花で覆われていた。誰かを誰かが愛する気持ち。それが長い時の間にたくさん、たくさん、花を咲かせていたのだ。
「妾に……これは見えておらんだ。なんと……美し……ゴホン、ゴホン。」
優しい気持ちは憎しみを乗り越え、優しく寄り添い少しずつ世界を変えていたのだ。
「落ち着かれたかしら? 」
ソイラリアの声が玉座の間に響く。女王の姿は、シワだらけで、萎れて、小さかった。しかし、女王は力を振り絞って言った。
「ならぬ……聖鎖を渡すわけにはいかぬ。そなたは、その身に宿る呪いを、解いてはならぬのじゃ。」
「もしかして、呪いはなかった? 」
ソイラリアの言葉に、女王は、首肯した。
「青の魔王は、そなたに呪いをかけてはおらぬ……そなたにかけられた呪いは、もっと別のものじゃ。もっと厄介な呪いのしるしとして『そなたの顔を他人が認識できる能力』が奪われているのじゃ。言い換えれば、呪われているのは、ソイラリア以外の者全員とも言える。」
「では、あの有名な、私の誕生祭の話で4人の良い魔法使いーー『ブラックテイム』ーーと青の魔王が王と王妃の怒りをかったのは何故? 何故お父様とお母様はお怒りになったの? 」
大人達は黙り込んだ。
クルエラが、沈黙を破って、静かに、言った。
「国王夫妻は、世界の未来を選ばれたからです。」
「それは、仮に、青の魔王と『ブラックテイム』が私にかけられた呪いを解く方向に動いていたとすると、お父様とお母様は、呪いを完成させる方向に動いたってことね。そして、呪いが完成しなければ、世界に、ハバリウム王国に不都合が生じる。呪いが完成すれば、不都合は生じない、あるいは良いことが起きる? 」
ソイラリアと大人達の間に気まずい空気が流れる。沈黙は、肯定を意味していた。
「なんて……ソイラ様は賢いので……
なんで……なんで……ソイラ様がっ、こんな目にあわなきゃいけないのっ。何故っ、……私の可愛いソイラちゃん、がっっっっ!!! 」
シシィの嗚咽する声が静かに空間に染み込んで行く。
忍ぶることの よわりもぞする