6 赤の海王と緑の女王
少し長めです。
「その眼は何を見てるのかなぁ〜? 」
アーラシュがニヤついていた。針山のようになった魔剣の集合体は、なかなか珍妙であった。と、それにぴょこりぴょコリと足が生え、てけてけとサルビア侯爵のもとに歩き出す。それは、まがまがしい毛を持つものの、よく見るとつぶらな瞳がかわいらしいハリネズミであった。
「な? 確かに魔剣は貫く運命を持っていたはずじゃぞ。それなのになぜじゃ。なぜそのような得体のしれない生き物になっておる!?」
「そんなかわいそうなことを言うとこの子が、悲しむぞ。ほら見ろ、泣き出したじゃねーか。」
ハリネズミは、その小さい瞳にいっぱいの涙をためていた。小きものがウルウルとする様子に庇護欲を掻き立てられ、張り詰めていた女王の力がふっ、と弱くなった。だが、その次の瞬間、再び女王から力があふれ出した。
「母性を掻き立て、隙を作ろうとしたな、ひきょうものめ! だが、妾にはきかぬ! まやかしもろとも消し去ってやろう。主人公は我一人!!! 」
瞬きする間も無く空間に溢れた炎が、ハリネズミを焼き尽くした。女王は顔を和らげる。
ハリネズミは、今や風に吹き飛び消え去りそうなほどの僅かな灰となっていた。そこに、アーラシュは、指先から血を一滴落とした。
「愚かだな。ハラミ。お前は、コイツと一緒なんだよ……不死なる憎悪・ハリセンボン‼︎ 」
サルビア侯爵の言葉に従うように、ハリネズミであった灰は、跳ね、口から水を吐く。その水は、意志を持ったように速やかに広がり、女王を包み込むように押し寄せる。水中には、無数の赤いハリセンボンがいた。それらは、女王を刺そうと押し寄せる。
「猪口才な! 」
女王は、ハリセンボンをあるものは炎で焼き、あるものは孤城を使って防御するが、キリがない。焼けば焼くほどハリセンボンは増えて、その姿は紅き煙のようになり、女王の城を、玉座を蝕んでいく。
「ハラミ。お前をこの世界に導いたのは、そのハリセンボンのように絶えることなき憎悪であり、復讐心だ。それがお前の深淵。神など、過ぎたる望みを持つな。身を滅ぼすぞ。」
アーラシュの言葉に、女王は唇を噛んで彼をキッと睨んだ。
ーー神など、過ぎたる望みを持つな。ーー
その言葉は女王の深淵を揺さぶり、彼女は2万年前を思い起こしていた。
この世界に天地ができたばかりの頃。
西の大陸の岸辺で、赤の海王は珍しき客人を見つけた。それは、人間の少女であった。
この世界にはまだ人間は生み出されていない。彼女が世界の外から来たものであることは、想像に難くなかった。
彼女の茶色い髪は、黄昏時の陽光に照らされ、朱みを帯びていた。それと反対に、顔色は青く、唇は紫色で呼吸は弱々しかった。アカは赤の海王にとって、好ましきものであった。彼は、少女を抱き上げ、近くの彼の拠点に運ぶと、介抱した。
「あれ……? ここは? 」
介抱の甲斐あってか、翌日の太陽も大分天頂に近づいた頃に、彼女は意識を取り戻した。赤の海王の姿を見て、怯えたように地面に伏せた。
「お赦し下さい! 剣翼神様! 」
地面に額を擦り付ける彼女を見ながら、彼は首を傾げた。
「剣翼神? 俺は確かに剣は持っているけど、翼はねぇよ。なぁ、お前はそこの海岸に漂着していたんだ。何があった? 」
「記憶だけは……記憶だけはどうか奪わないでくださいませっ! お姉さんの記憶さえ有れば私は……っ。」
まるで話が通じなかった。少女は、赤の海王のことを『剣翼神』だと勘違いしているようだった。細い肩が硬く震えていた。
赤の海王は、彼女の細い手を両手で包み込むようにした。
(ひとまず、落ち着いてもらわねば。)
「お前は、勘違いをしているようだ。俺の名前は赤の海王。俺に翼はないぞ。お前、『剣翼神』とやらに何をされた? どうしてここに来た? 」
少女は大きく目を見開く。
「そんな? では、貴方様は何という神さまなのでしょうか。」
「神様? 俺はそんな大層なもんじゃねえよ。ただの赤の海王、だ。そんな怖がらなくても良い。それより、なぜお前はここにいるのだ? 」
少女はしばらく固まっていた。と、瞳からポタリと一筋の涙が流れ落ちた。何かの堰が切れたように、彼女は泣きじゃくる。
赤の海王は、そんな彼女の涙を、根気強く、優しく拭い続けた。
「私の名前は、ハラミ。結生ハラミと言います。多分……この世界と違うところから来ました。」
やがて落ち着いた彼女は、ポツリ、ポツリとここに来るまでに起きたことを語った。
勇者に、大事なお姉さんを軽々と殺されたこと。おかしな世界と人々の様子。世界の秩序に復讐しようとしたこと。その為に「ゲーム」というものを作り、仲間を募ったこと。計画は、実行間際に密告によって政府にバレ、彼女達は世界と神への反逆者として裁かれることになったこと。処刑場で、彼女の一番の協力者で、親友だった者が顔を削がれ、記憶を奪われた上で異世界に飛ばされたこと。後を追ったものの、海の中に転落し、溺れたこと……。
「よく、生きていたな。……辛かったな。……頑張ったな。」
赤の海王は、人にかける語彙をあまり多く持ち合わせていなかったので、そう言うのが精一杯であった。
「ソイラリア。」
ハラミは、小さく呟く。
「うん? 」
「ソイラリアっていう名前なのです。私の親友。彼女は、きっとこの世界にいるはずです。
私は、彼女を救いたい。その為に、まずはこの世界に慣れる必要があります。そこでお願いです。貴方のお手伝いをさせてください。赤の海王様。」
先ほど泣いていた少女は、もうそこにはいなかった。赤の海王を見つめる眼は、力強かった。彼は、ふっと笑って、彼女の頭を撫でた。
「良い眼をしてるな、お前は。」
ハラミは、顔を赤くした。
赤の海王は、それには気づかず、続けた。
「手伝いか。有難いな。ちょうど俺も一人で寂しかったんだ。炊事はできるか?」
ハラミは赤い顔をして、ボーッとしたまま頷く。
「それは良かった。釜の使い方や火の起こし方はわかるか? 」
実際には、ハラミは、炊事はからっきしだった。彼女のもといた世界では、料理は全て自律人形が作っていたので、当然といえば当然であったが。
赤の海王は、そんな彼女に何も言わず丁寧に炊事を教え、細々としたことでその都度彼女を褒めた。
やがて、ハラミは家事を一通りこなせるようになった。見違えるように幸せそうになった。
赤の海王にも変化があった。黙々と仕事するのみだった彼は、時折笑うようになった。
また、彼はハラミに名前を貰った。
「アーラシュ。この名前が貴方にぴったりだと思うん。」
ハラミによれば、それは、ハラミが小さい頃に読んだお伽話の中に出てくる王子様の名だという。赤の海王は、ハラミを妹のように思っていたので、それは、それは嬉しかったのだそうだ。
そんなある日、アーラシュのもとに一人の女人が訪れた。
彼女は、緑の女王、と名乗った。
彼女は、やけにアーラシュに慣れ慣れしく、とにかくボディータッチが多かった。
ハラミは、緑の女王とアーラシュが一緒にいるのが辛かった。だが、アーラシュの仕事の邪魔をするわけには行かず、我慢していた。
それから程なくして、アーラシュは緑の女王と旅に出ると言い出した。ハラミは、反対した。ハラミは、この世界のことをあまりよく知らない。アーラシュとの生活においては、ハラミは緑の女王より詳しかったが、旅に出れば、長旅をしてきた緑の女王の知識の方が圧倒的に多いことは確実だった。アーラシュはそんな彼女を頼るに違いない。アーラシュと緑の女王がベタベタイチャイチャしているのを見たくはなかった。
緑の女王は、そんなハラミの様子を見て言った。
「やん♡ 嫉妬してるの?ハラミちゃん? 可愛いーーい♡ 」
ハラミの中のボルトが何本か飛んでいった。ハラミは、アーラシュに詰め寄る。
「アーラシュ! 私と緑の女王、どっちが大事? 」
アーラシュは、頭をポリポリ掻きながら答えた。
「うーん。比較なんて出来ないよな。俺にとってハラミは、妹みたいなもんだし、緑の女王は大切な仕事仲間だ。」
「なっ……。」
ハラミは、絶句した。アーラシュに名前で呼ばれるのは、自分一人のはず、だったのに。また、ハラミの中のボルトがぷつりと飛んだ。アーラシュはハラミの様子も見ずに続ける。
「だけど俺の役割はこの世界の秩序を保つために、生き物の数の均衡を保つこと。クルエラは、そんな俺を助けてくれる。世界は、何よりもまず大事だ。そういう観点からは、クルエラとの旅は優先されるな。」
プチッ。
残っていた僅かばかりのボルトが弾けとんだ。
ハラミは、世界に好きな人を奪われた、と思った。
お姉さんは、勇者という世界の代弁者に奪われた。此度、ハラミは好きな人さえも世界に奪われたのだ、と感じた。
「ーー今まで、お世話になりました。赤の海王様。」
ハラミは、冷静に深い礼を捧げる。
「ハラミ? どうしたんだ? ハラミ? 」
アーラシュは気付くのが遅すぎた。
答えず、ハラミは走り出す。
擦れ違い際に置き土産を吐いて。
「ーーリア充爆発しろ!!!! 」
ーー背後で猛烈な爆音が響く。
ぎょっとして思わず振り返ったハラミが見たのは、無惨な状態になったアーラシュとクルエラであった。
「神など、過ぎたる望みを持つな……」
シカバネのようなアーラシュが、息も絶え絶えに呟くのが、聞こえた。
ハラミは逃げるように走った。
ひたすら走った。
『リア充爆発しろ』は、記念すべきハラミの初魔法であった。
(なのに、何故、こいつらはピンピンしているんや⁉︎ )
女王は、自身の苛立ちを見せぬように、その呪文を唱えた。
「ーーリア充永劫爆発!!!! 」
魔法の細長い瓶が現れる。アーラシュとクルエラは、そこに吸い込まれる。
と、プシュプシュシュワシュワと軽快な小さな音がその瓶から立ち始めた。
「あれって……ラムネ? 」
ソイラリアが首を傾げながら言った。
クルエラは、頬を赤く染めていた。
「いやーーん! ありがとう♡ ハラミちゃん! 炭酸風呂、ダイエットにいいのよね〜♪ 粋なプレゼントもできるようになったのねっ♡ 流石〜! 」
アーラシュは、若干怒っていた。
「ハラミっ! この色欲ババァと一緒に密室空間に俺を隔離するとかいう趣味の悪い冗談はやめてくれ! ここから早く出してくれよ! 」
ハラミは驚く。
「色欲ババァ? 赤の海王、貴方は彼女を愛していたのではないのか?」
「誰がこんな奴を愛するんだっグエエーー」
アーラシュはクルエラに肘鉄を食らって泡を吹きつつ、叫んだ。
「俺が愛しているのは!! シシィなんだよ! ぶっ飛ばされる度その愛の重さを感じてるんだよっ♡
ねぇ〜、シシィ、」
パシィーッ。
シシィと女王は、同時に防音結界を瓶の周囲に張り巡らせた。
「あら、気が合いそうじゃな、妾達は。」
女王は、攻撃の手を休まずシシィに笑みかける。
「こればかりは、そうですね。」
シシィもリボルバーを回転させつつ連射で首肯した。
実は筆者は炭酸が飲めないので、ラムネはシュワシュワ可愛いイメージで使っています。