3 アネモネ②
マリンは、マロン色のつぶらな目をしています。
木立の間を縫うように、曼珠沙華が咲いている。
一行は、その花に導かれるように山の頂を目指していた。
「サルビア侯爵。あなたの口から奥方様のことについて聞きたいわ。」
サルビア侯爵は、曼珠沙華を見つめたまま静かに語る。
「我が妻、アネモネ・サルビアと私は、幼少の頃に婚約致しました。政略結婚ではありましたが、お互いに好き合っており、幸せでした。彼女は、聖属性を含む5属性の魔法が使え、病院で奉仕治療を行うほど実力と慈愛を兼ね備えた魔術師でした。」
この国の民はほとんどのものが魔法を使えるが、複数属性を使用できるものは、少数であった。複数属性を使えるのは大半が貴族で、その中でも5属性持ちのアネモネは群を抜いており、また、希少な聖属性を使えることから当代最高と称される魔術師であったのだ。
サルビア侯爵自身も、5属性を扱うことができた。当然ながらそんな二人の間に生まれる子供は、将来が期待されていた。
「サルビア侯爵から見て、先ほどのアネモネさんは、どう映ったの?」
サルビア侯爵は、ソイラリアの目があるであろう高さにに目を合わせて答える。
「邪な魔力は、感じませんでした。ただ、寂しそうで。何か私の知らないものを見ているようでした。彼女は、確かにアネモネのはずなのに知らない誰かのような気もしました。彼女の記憶の中の私についても、私であるはずなのに知らない誰かのような気がしました。」
クルエラが足を止める。
「私も、彼女からは邪な魔力は感じませんでしたわねぇ。とすると……、サルビア侯爵の記憶が改竄されている可能性が高そうですわねぇ。」
「それもあり得るわね。ただ、失われた魔法の深淵を私たちが知らない以上、その痕跡を私達は見落としているかもしれないわ。だから、アネモネさんの記憶も真実とは判断できないと思いますわ。」
「ああ……ソイラ様はなんて深い思考をお持ちなのでしょう。貴方様ににお使えできるシシィは、幸せ者でございます……」
大抵の大人は、子供の深い思考のすえに導き出された言葉を、屁理屈などと呼び、可愛げのない、と評するものだ。
だが、シシィは、ソイラリアが深い思考を行うことを誰よりも喜ぶ。
いかなる時、いかなる場所であれ。
サルビア侯爵の目が光る。
「では……アネモネも、ディルも、生きて……? 」
「可能性ならな。」
先行していたアーラシュとマリンが引き返してきていた。
「ソイラリア様。この道の先に、こじんまりとした屋敷があります。中からは、ほのかに聖鎖なものと思われる聖魔力を感じることができます。しかし、何者かが住んでいるようです。このような地にすまうに相応の魔力を持っているようです。」
「遥か西の地の果てに 此の世と彼の世のさかいあり そこに住まうは縁の女王 双葉を結えて死を結ぶ」
シシィは、ハバリウム王国では誰もが知る童謡を口ずさんだ。
ソイラリアはこくり、とうなずいた。
「シシィの歌った童謡の、縁の女王と呼ばれている存在に何か関係あるかもしれないわね。縁の女王は、ある地では死神として、また他の地では誕生神として信仰されているわ。正面からやり合うのは得策では無いと私は思うの。」
「俺たちは、怪盗ですからね。」
アーラシュは、ニヤリと笑う。
「では、宴の時間ですな。」
サルビア侯爵の言葉に、ソイラリアは、首肯する。
「ええ、宴を始めましょう。」
奈落山中腹に、こじんまりとした屋敷がある。白い石壁に緑の屋根。玄関と思しき扉は、木でできているようだ。屋敷の庭には、曼珠沙華とアネモネと、名もなき空色の花がまだらに敷き詰められている。
その中にポツンと建てられた東屋に、一人の老婦人がいた。彼女は、一人だった。
彼女の手にあるティーカップには、紅茶が入っている。
湯気は、一糸の乱れもなく静かに上っていく。
と、ひとひらの蝶がどこからともなく舞い降りてきた。
老婦人は、微笑む。
「どの唄がそなたを生み出したのじゃ? 」
すると蝶は、地面に叩きつけられ、その姿はみるみるうちに溶けた。
現れたのはソイラリアだった。
「ど、どうして……? 宴はまだ、前菜でさえ……。」
彼女の周囲には、茫然としているシシィとアーラシュとサルビア侯爵とクルエラの姿もあった。
老婦人は、優しく微笑んだ。
「すまぬのぉ。よくできたかげろうじゃったのぅ。感心じゃ。わらわもそなたの宴に興じたかったのじゃが……いかんせん、残された時は、そう多くないのでの、ソイラリア。」
ソイラリアは、まるで彫像のように固まっていた。
いつの間にか、老婦人の傍にはアネモネの姿があった。
どことなく、老婦人とアネモネは似ていた。
「貴方のことを、ずっと、ずっと、お待ちしておりました。十三人目のソイラリア・テイム・ハバリウム様。いえ、バグの申し子よ。」
そう言って、アネモネは、深々と頭を下げる。
ソイラリアは、静かに、気を失った。
「アネモネ……? 」
サルビア侯爵が呟く。
「十三人目の……? 」
シシィの表情は、能面のようだった。
「バグの申し子……? 」
クルエラの顔からは、感情が窺い知れない。
「と、と、と、とにかく……い、入れてもらえるのでショウカ、マダム。」
アーラシュが冷や汗をかきながら口を開く。
老婦人は、花が綻ぶように笑った。
「ええ。勿論。わらわはそなたらを歓迎しようぞ。そなたらは、よくやってくれた……『ブラックテイム』。正しき世界の未来を妨げる者達よ。」
老婦人の瞳は、笑っていなかった。
シシィは、呟く。
「正しき、世界の未来を……私達が、さ、妨げる……?? 」
紅き満月に照らされて、そのこじんまりとした屋敷の屋根は、黒々と光っていた。
屋敷の周りを12のおぼろな人影が包んだ。人影は、皆少女のようだった。
彼女達が手を繋ぐと、12の人影は淡く優しく光り輝き、屋敷を優しく包む光の壁となった。
ワオーーーン
その壁の傍でマリンが遠吠えをしていた。
ワオーーーン
ワオーーーン
ワオーーーン
木霊は輪のように奈落山を包み込んでいく。
彼は、薄紫に輝く瞳で満月を見上げる。
紅き満月は色を失いその縁は薄く青をはらんでいた。
連休はいかがお過ごしでしょうか