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きみを想う、私の世界。


「よい、っしょ……っと」


鞄は腕に通して、書類は出来る限り片手に抱えて。落とさないようにもう片手を添えながら、車のドアをおしりと背中で押して閉めた。あとは取っ手の部分に親指を押し付けて――よし、これでオッケー。

念の為に一度だけ振り返って、ヘッドライトやルームランプの消し忘れがない事を確認した。


「よし、今度こそオッケー!……わとと、」


前に向き直る際に足がもつれてしまったけれど、転びはしなかったからセーフ。ついでに誰にも見られてないから平気、平気。

少し痺れたような、むくんだような感覚のする足は、図書室でゆっくりしすぎたのが原因かもしれない。そのせいで生徒にはおやつを取られちゃうし、目当ての本は見つからなかったし……あーあ、今日のチョコは本当に高いやつだったんだけどなぁ、残念。

それにしても何で、あの子は感想を言ってくれないんだろう。「美味しいでしょ?」って聞いても「普通」とか「まぁまぁ」ばっかりで、全然美味しそうな顔をしてくれないからモヤモヤしちゃう。人の物を横取りするくらい甘い物が好きなら、もっと嬉しそうにしたらいいのに。それとも思春期だから、そういうのが恥ずかしいとか?


「確かにあの子、見た目からして不良って感じだし――ううあ、さむいさむいっ!」


思考を停止してしまうほどに冷たい夜風が吹き上げて、思わず叫んでしまった。恥ずかしさも相俟って玄関ホールに駆け込んで、呼んだエレベーターが降りてくるまでの間、いつものようにその場で駆け足をした。荷物が無ければ階段を駆け上がっていきたいくらい待ち遠しい。もったいない。少しでも早く帰りたい。まさか家に帰る事がこんなにも楽しみになるなんて。

出来る事なら、不安に怯えていた過去の私に伝えてあげたい――「大丈夫、あの子が来て2週間もしない内に不安は消えるよ」って。


「あ、お帰りなさい」


カギのかかってない玄関の扉を引っ張ると、中の明かりがついていて。どれだけ静かに開けても「キィィ」と鳴ってしまう音を聞きつけて、直ぐに出て来てくれて。いつだって優しい声と暖かい手で出迎えてくれるからまるで新婚さんみたいで、ついニヤけてしまう。

でもそんな事を言ったら困らせてしまうだろうから、今日も必死に飲み込んだ。


「ただいまぁ!寒かったよー!」

「わ!?……もう、だから何かと抱き着くのは止めてくださいよ、その度に驚くんですから……ほら、今日の夕飯は鍋にしたので、沢山食べてしっかり暖まってください」

「ほんと!?わーい!全身ひえひえだから助かるよぉ!何鍋?何鍋?」

「冷蔵庫に豆乳があったので、お好きかなと思って豆乳鍋にしたんですけど――」

「わ、わー!すっごい嬉しい!豆乳鍋、大好きっ!」

「あはは、そんなに喜んでもらえるとは。従姉さん相手だと本当に作り甲斐があって、僕も楽しいです」

「ふっふふー、きみが楽しんでくれてるみたいで、おねーさんはもっと嬉しいぞー!」


腕に抱えた書類でズキズキと痛む心臓を押さえて、首に巻いた大きなマフラーで口元を隠した。

だってうまく笑えているかどうか自信が無かったから。笑えていなかったらきっと、心配させてしまうから。それなのにあの子は優しい声で「コートとマフラー、かけてきますよ」って言ってくれるんだもん、それが少しだけ辛いかな。


「あ、その顔は『ソファにでもかけておけばいい』と思ってますね?皺がつくから駄目ですよ。僕がやっておきますから、その間に手洗いとうがいを済ませておいてください」

「あうぅ……ありがとね、本当に何から何まで悪いなぁ」

「何を言ってるんですか、僕は居候させてもらっている身ですよ?その恩返しになればと思ってやっている事ですし、家事をするのも好きですから……安心して、もっと甘えてください」

「ありがと、すっごく嬉しい……でも――」


ブランド物でもないコートを、とても丁寧にハンガーにかけてくれる背中は私よりも大きい。頭1個分ほど違う身長は、これからもっと離されていくのだろう。鍛えた事のない細い腕でも私より力が強くて、重たい買い物袋だって涼しい顔で持ってくれる。二人で並んでうがいをしていると、喉仏が主張された喉に視線がくぎ付けになってしまう。

日常の中で、それもふとした拍子に「ああ、もう立派な男の子なんだな」って思い知らされて、その度に心臓がバクバクと高鳴って息が出来なくなる。最初は緊張してるからドキドキしてるんだろうと思っていたのに、今じゃもう、そんなんじゃないって事を完全に理解してしまった。


やましい気持ちを抱いて申し訳ないという罪悪感はある。私を信じて送り出しただろう従妹にも、私を信じて頼ってくれただろう彼にも、土下座レベルの謝罪をしなければいけない。

それなのに、学生時代に戻ったような気持ちでこのドキドキを甘受している私が居るのも事実で……ついつい甘えてしまう。彼が学校を卒業してもこのままずっと一緒に居られるんじゃないか、なんて淡い期待をしてしまっている。



「僕、生徒会書記に立候補したんです」

「希望が通ったのは良かったんですが、予想以上にやる事が多くて……自宅からだと通学に時間が掛かるので、あまり遅くまで残る事が出来なくて。母に毎回送迎を頼むわけにもいきませんし、一人暮らしの許可ももらえなくて……」

「急な話だし、ご迷惑を掛ける事を承知で我儘を言います、此処から通わせてもらえませんか?お願いします」――


従妹と一緒に遊びに来たと思ったら、いきなり土下座をされた時は本当に心臓が止まるかと思ったっけ。

最初は理由を付けて断ろうと思っていたけれど、話を聞いている内に彼が自分の将来をしっかりと考えている事が分かって。自分が高校生の頃は『将来はこうなりたい』程度の考えしかなかったし、その希望を叶える為の準備も何もしてなくて、大学に入ってから慌てて勉強したのを思い出したんだよね。だから本当にすごいなって関心した。

それに比べて、従妹の引き留めている理由が単純過ぎて……自分の子供だし大切だから過保護になっちゃうのかもしれないけれど「若いんだから駄目」なんて切り捨てるのはあんまりだと思った。私も学生時代は両親に「学業が本分だ」とか「若いのにそんなにお金を持っては駄目」なんて言われて、ずっとバイトを禁止されてたから……同じ悔しさを抱えているのかもしれないと思うと、このまま知らないフリは出来なかった。

だから条件付きで同棲するって事にしたんだけど……見事に、一つも問題がない。


毎日二人分の朝ごはんとお弁当を作ってくれて、学校から帰ってくる時に買い物もしてくれて、「時間があったので」と掃除や洗濯をしてくれて、私が帰ってくると夕食を出してくれる。勿論、学校の勉強も生徒会書記の仕事もやった上で。

「私が責任持って面倒見るから安心して」なんて言って引き受けたのに、どう見ても私が面倒見られてる状態だから本当に頭を上げられない。それを嫌だとか迷惑だとか少しも思わないのがまた困りものなんだよねぇ……どうしたものかなあ。


「先生?」

「わ!びっくりした!」

「それはこっちのセリフですよ。急に反応が無くなってしまったから……もしかして疲れてるんじゃないですか?最近は夜遅くまでお仕事なさってたみたいですし、今日は早めに寝て、ゆっくり休んでください」

「あ……ごめんね、心配かけて。ちょっと色々考えてたけど、もう大丈夫!それに、家事を殆どやってもらってるから全然疲れてないよ!」

「そう、ですか?……少しでも役に立てているなら良かったです。くれぐれも無理はしないでくださいね?」

「きみは将来、絶対に良い主夫になるね!あ、寧ろこのまま私の旦那さんになっちゃうのはどうかな!?」

「あはは、流石にそこまで面倒を見てもらうわけにはいきませんよ。それに先生には、もっと包容力のある男性の方が似合っていると思いますし」


うん、分かってた。というか、そりゃあそうだよね、こんな私だけど一応は先生と生徒の関係になるわけだし。それにプラスして完璧な子供と駄目な大人じゃ、簡単にあしらわれるに決まってるのに。

自分で言っててなんだけど、全部が不釣合いだって言われてるみたいで泣きたい気分になった。


「また大人っぽい対応しちゃってー!というか、さっきから『先生』って呼んでるし!もー!」


けれどこれ以上は迷惑をかけたくなくて、必死におどけて笑って見せた。

そうしたら彼が何処かホッとした表情をしていた気がして、望みはないんだと思い知った。


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