アンタを想う、オレの世界。
「シツレーしま……ンだよ、またか」
無人の室内を見て、今日もスレ違った事を悟った。
ッたく、居ないなら鍵くらい閉めろよ。もしくは書置きを残しといてほしい。
ホント、アイツは一体何を考えてんのか分かんねぇ。保健室の先生のクセに保健室に居ないなんて、職務放棄ってやつじゃねーのか?やる気あんのか?
毎回毎回、あちこちを探し回るこっちの身にもなれ、とは思う――けど、それと同じくらいアイツを探し回る時間が楽しい。バカらしい、でも楽しいんだ。
目指す目標があるってのはいい。そこに向って駆け抜けている間は、夢中になれるから。あーだこーだと鬱陶しい事を何も考えなくてもいいのは救われる気分だった。
いつの間にか低いと感じるようになっていた廊下の天井を見上げながら、思考をグルリと動かす。
「さて、と……今日は屋上か、いや、調理室か?」
今日は今朝から少し肌寒いから屋上はナシだ。アイツはかなり寒がりだから、こんな日は外に出たがらないだろう。となるとホットミルクを作りに調理室に行っている可能性が高い――が昼飯時の今、生徒が寄ってきそうな場所には行かないだろう。となると、残りは1つしかない。
電気こたつがあって、静かで、飲食禁止だから直ぐには生徒がやって来ない、あの場所だ。
「ほぉら、やっぱココに居た」
「――んぇ?」
答えが出る前から図書室に向っていた自分に対する驚きが半分、反応も姿も何もかも想像通りのアイツに対する驚きが半分。
空かさずに後ろ手で扉を閉めると、だらけきったように机に乗せていた上半身を伸ばして『キンチョーしてます』と言わんばかりの顔でオレを振り返った。
「アンタ何やってんスか、こんなトコで。養護教諭のクセに何で保健室に居る時間の方が少ないんだよ」
「と、とと図書室ではお静かに願いまぁす……」
「へぇ?その図書室では飲食厳禁なんスけど?」
「しー!こっ、これはえっと、ほら、その、そう!君が見てるのは幻覚だよマヤカシだよ!」
「図書室ではお静かに願いまーす」
「あうう……」
アイツが呻いている隙に靴を脱いでこたつに潜り込んでやる。アイツの位置を南とするなら、オレは西の位置に。それも含めてか、アイツは変な鳴き声を発しながら首をすくめてショゲていた。
ホントに、何でこの仕事を選んだのか。
どこを見てもプライドの高い連中だらけ……そんな学校で、コイツは浮きまくっている。
先生になるのが夢だったのかと聞いた事があったけど直ぐに否定されて。それでも向いているからこの職業を選んだのかと思ってたのに今は、そうじゃないって事を知りつくした。それなら給料で決めたのかと思ったけど、先生ってのは給料が良いわけではないらしい。
いつもいつも生徒からバカにされるくらい威厳もなけりゃ、ズバ抜けた何かがあるわけでもない。頭が良いヤツらに言い負かされて、傍から見たらイジメだと思えるようなやりとりを何度もカーテン越しに聞いた。ベッドでオレが寝ている事も忘れて、一人で泣いてる声だって何度も聞いた。
それなのにコイツは、何も無かったように笑ってくるんだ。それもわざとバカみたいな顔をして。
そういう顔じゃなくて、普通の笑顔が見たいのに。楽しいと思わせてやりたいのに。
話題作りの為に机の上にあるチョコレートを1つ、自分の口に投げ入れる事くらいしか出来ないヘタレっぷりが嫌になる。
「あ、あっ!それ、私のおやつ!」
「図書室では飲食禁止でしょ――って事で、これでオレも共犯。だから今のは口止め料ね」
「このチョコ高いのにぃ」
「良いじゃないスか。そんだけあるんだし、1つくらい」
「君はいつもそう言いながら私のおやつを取るんだから……そんなに甘いのが好きなら自分で買えばいいのに。そしたらもっといっぱい食べられるし、誰にも文句言われなくなるんだよー?」
「あー無理ッス、太っちゃうんで」
「めっ!若者なんだからちゃんと食べなさい!じゃないと成長出来ないぞ!」
「――、」
『どれだけ食べた所で、オレが望む成長は出来ねーんだよ』と言いかけた口を閉じる。
そんなのはただの八つ当たりだと分かっていたし、その言葉のせいで感づかれるかもしれないと思うと言えなかった。もしバレたら、コイツは二人きりになった途端に逃げだしかねないから。
そうしたらオレは――こうして話す事も出来なくなってしまったら、オレはまた腐ってしまうだろうから。
「じゃあ、アンタはオレより年上なんだから我慢するべきなんじゃ?」
「えぁ、それは、」
「ほらぁ、ウィンウィンの関係じゃん」
「違うよ!?我慢してる時点で私は負けてるよ!?」
「ははっ、ガキみたい」
「なんだとぉー!?」
両手をバタバタと動かして抗議する姿を笑ったのは、アイツの体より少し大きな白衣のせいで余計にガキっぽく見えたからだ。小さくて童顔でガキみたいな言動してりゃあ、そう見えない方が不思議なんだけど。それに加えて大きめの赤縁眼鏡と鼻にかかるような甘えた声、オマケにドジっこ属性までついてるんだから、そういうテストがあったらコイツは余裕で満点を取れると思う。
しかも胸もないし……ホント、見れば見るほどガキっぽくて、スゲーかわいい。
「そういえば、何か用事があったの?」
舌にまとわりつくチョコの甘さを唾液で流し込んでいると、漸く落ち着いたらしいアイツが心配そうな顔でオレを見ていた。
気にかけてもらえて嬉しいけど、そんな顔をさせてしまうのが情けなくて――だけど、やっぱり嬉しさの方が勝っていて。おかげで今日も「複雑な気分になるからやめてくれ」とは言えなかった。
「いーや?1日1回はアンタをからかわないと気が済まないだけ」
「うわーうわー!最近の子は怖いなぁ……あ、怖いといえばこの前さ、何故か分からないけど家の前に生徒が立っててびっくりしたなあ」
「は?いやそれどう考えても怖いとかビックリで済むレベルの話じゃねーだろ。ちょ……え、家に誰か居ないんスか、家族とか、彼氏とか」
「今は従妹の子供が泊まりに来てるんだ。通学がね、前に居た家だと遠いんだって。頭が良くってさぁ、その時も機転をきかせて助けてくれたし、いつも文句も言わずに家事もやってくれてさぁ、しかも料理が美味しくてねぇ……本当に頭が上がらないんですよぉ」
「ふぅん……大変ッスね、アンタもソイツも」
喋る度に鼻からも口からもチョコレートの甘いニオイがする。口に入れて直ぐに飲み込んだのに未だに居座り続けるチョコレートのせいで余計に腹が立つ。今直ぐにコーヒーでも飲んで全部流し込まねぇと、そろそろ余計な事を吐き出しそうだった。
「んじゃ、そろそろ帰るから。早退の紙、書いてくれた?」
「あ!紙は書いたけど、ごめん、保健室に忘れてきちゃった……直ぐ取ってくるね!」
「いや、自分で取りに行くからいいッスよ。そのまま下駄箱向かえばいいし」
「そう……?じゃあいつもの引き出しに入ってるからね、気を付けて帰るんだよー?それから、」
「アンタって呼ぶな、でしょ。分かってる」
「んもぉ、分かってるなら気を付けなさいってば」
「はいはい、今度から気をつけるって。じゃあね、センセ」
「うん、また月曜日に会おうね!待ってるから!」
興味の無い話から逃げるオレに、笑顔で手を振ってくれるんだから罪悪感が湧いて仕方ない。
アイツを好きになればなるほど自分が嫌なヤツだと思い知らされるのに、何でアイツを好きになってしまったんだろうか。悔しくて、誰かをブン殴ってやりたいと思っていてもアイツが「それでもいいんだよ」と笑うだけで、ごちゃごちゃしたモンが全部どっかに消えるのは何でなんだろうか。
まっすぐに下駄箱に向いながらカバンの中にある早退届の紙を取り出してみる。
受領の欄にはガキみたいな丸い文字でアイツの名前と、その後ろには相変わらず動物の肉球のスタンプが押してあった。「今日の動物は誰でしょう?」なんて、ガキみたいだし、そもそも分かるワケがねーのに。思わず顔がニヤけて止まらない。
「あーホント……コイツの事、スゲー好きだわ」
どうせ忘れてるだろうと思って事前に引き出しも開けたし、寧ろ手元にあるんだからアイツを探し回る必要もなけりゃあ、書いたかどうかなんてイチイチ聞かなくてもいいってのに。ほんの数分話す為だけに校内を探し回って、覚えてもらう為に好きでもない甘いモン食って……どうしてこう、回りくどい事しか出来ないんだろうか。
いつまで経っても名前で呼んでもらえない時点で近付けそうにないって分かってるのにな。