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眠り屋 〜夢の綴り帳〜   作者: 三千
たゆたう時間 −リンドウ
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夢に囚われる


そうだ。唐突に気がついた。

この違和感はもしかして、と。


「七緒くん」


ノートに買い物の記録をつけている七緒くんの背中を見つめる。僕はその時点でかなりの確信を持って声を掛けていた。


「七緒くん、君……」


七緒くんは何ですか? と返事はしたものの、かたくなにこちらを振り向かずにいる。


「顔を……顔を見せてもらえませんか?」


彼はしばらくの間、ノートを頑固に見続けて動かずにいた。が、ついに僕の方へと振り向いた。回転イスがギギギッと音を立てて回る。


そうなのだ。よくよく考えれば分かるはずだった。


僕が七緒くんの、彼の顔が覚えられない、という事実に気がついてはいた。


毎日のように学校帰りにこの事務所にやって来て、毎日のように顔を見ているはずの彼の顔。けれど一旦、七緒くんがランドセルを背負って帰ってしまうと、七緒くんがどんな顔だったのか、漠然とした輪郭としてしか記憶できないのだ。

それを、怪しむべきだった。


そして、何かにつけ。失ったリエコさんのことを思い出させられる、という事実。この記憶のぼやけた曖昧さと対称に浮かび上がってくるリエコさんとの鮮明な思い出。


けれどその違和感は、夜に眠り朝目覚めればすっかり修正され、忘れ去られている。


ここで僕はようやく気がついたのだ。


「あなたは、夢魔ですね」


覚えがあった。

仕事の都合上、夢魔に頼んで依頼者の亡き夫になりすましてもらったことがある。

その後、その夢魔とはウインウインの関係となり、時々仕事の手伝いをしてもらうようになった。


そう、夢魔は誰にでもなれるのだ。

誰にでも、なり代わることができるのだ。


『やっと気づきましたか』


そう言うと、七緒くんに扮した夢魔は、七緒くんの姿のまま、じっと僕を見て言った。七緒くんの顔が、さらにぼんやりとしてきて、その輪郭をぼかし始める。


『これは……この世界はあなたの夢です』


「夢? まさか! 僕は夢を見ないはずだ! それにしてもどうしてこんなことを……?」


『私は、あなたに思い出して欲しかった。リエコのことを。そして彼女とあなたの赤ん坊はもうとっくの昔に亡くなっている、という事実を。

現実として受け入れて欲しかった』


ここに居る夢魔は、いつも仕事を手伝ってくれる知り合いの夢魔ではない。

初対面なのに僕のなにを知っているのだという反発心が勝った。


「僕は、ちゃんと受け入れています」


『けれど、あなたは毎日のように彼女たちのことを思い出している』


「そんなことはありません。最近は思い出さない日もあるぐらいで……」


『……あなたの仕事が、思い出すきっかけになっているようです』


「そんなことはありませんっ‼︎」


我を忘れそうになる。


『……あなたは自分が夢を見ていないと思っていますが、自分では覚えていないだけ。実際は毎日、同じ夢を見ているのです。リエコと赤ん坊と、あなたの三人で幸せに過ごしている夢を。それは三人で食卓を囲むイメージだったり、公園の遊具で遊んでいるイメージだったり……』


夢などは見ていない。そう信じて今まで生きてきた。しかもリエコさんと赤ん坊との家族団欒の夢だと主張する。にわかには信じられないという気持ちと、自分の中に土足で踏み込まれたというような怒りで、次には言葉が出なかった。


『あなたは自分の夢の中で、それはそれは自分勝手に、家族との幸せな時間を創り上げている。そんな自分の願望で飾り尽くしたニセ物の夢を、あなたは毎日のように見ているのです』


「う、嘘だ……僕は夢を見ない……見ていないはずだ」


『哀しいことです。あなたは、朝起きた時にそれまで見ていた夢を完全に忘れるように、そう、夢自体をリセットしてしまうように、自分自身で暗示をかけているのです。それも無意識に。

夢の中くらい、家族三人で過ごす幸せな世界にひたっていたいのでしょうね』


けれど辛い思い出など忘れもしたい。矛盾した潜在意識。それがそうさせているのですと、夢魔はそう言った。


僕の全身が震え出した。

これは、怒りだ。

なぜ、夢魔とはいえ他人なんかに、そんなことを言われなければならないのか、と。


『私はまず、その矛盾した潜在意識を変えてみようと試みました。ですが、あなたの心の底にまでは手が届かなかった。だから、リエコを思い出し現実を受け入れるようにしようと思いました。少しづつ夢を作り変え、いくつか記憶を呼び覚ますキーワードを散りばめ、あなた自身がそのことに気づくことによって、一見幸せに見える駄夢を、作ることをやめてもらおうと。現実を受け止めればきっと、朝リセットすることをやめ、自分がしていることを理解できるのでは、と……』


どろどろでぐちゃぐちゃ。今の僕の中身はこうなっているだろう。複雑な感情が入り乱れて、飛び交っていて、そしてぶつかり合っている。


僕は、夢魔の言葉を遮って言った。


「どんな夢を見ようと、そんなの僕の勝手じゃないですか! あなたには……あなたには、関係のないことじゃないかっ」


投げつけるように、言った。


たかぶった気持ちを抑え切れずに。

いや、怒りに震える気持ちを抑え切れずに。


そして自分でも支離滅裂な訳のわからない怒りが湧いてきて、僕は真っ黒になった。


夢魔が姿を変えられるなら、なぜリエコさんを選んでくれなかったのか?

七緒くんなどではなく、リエコさんの姿となって僕の前に現れてくれたら良かったのに!

どうせなら僕はリエコさんに、逢いたかったんだ!


このままもっと真っ黒になって、僕という存在を闇にでも葬り去ってくれたなら、尚のこと良かった。


七緒という姿を借りた夢魔は、僕の理不尽な怒りにも動ずることなく、僕をじっと見つめていた。そして、唐突に去っていった。

突然の「無」だった。

僕の頭はぐるぐると渦を巻き始め、どうやらこのまま夢から覚醒するらしいことを悟った。


そして、ようやく眠りから目覚めた。


ぼうっと、かすみが掛かったような重い頭と、ぐずぐずとした真っ黒な心での覚醒。

覚えている。夢を。

長い長い夢の内容を一つ残らず脳に押し込まれたからか、ひどい頭痛がある。


カレンダー付きの時計を確認すると、僕は丸一日、深く眠り込んでいたようだった。

気がつくと、頭痛に加えて激しい空腹感も湧いてくる。


「おなかが……空きました」


言うことをきいてくれない身体を無理やり動かし、まずは温かいスープを流し込んで生気を取り戻した。買ってはあったもののずっと使わずにそのままに期限が切れていた頭痛薬を二錠飲む。


長い間眠っていてなかなか取れない疲労感は当分の間はついて回り、夢魔によって染め上げられた真っ黒な心のまま、僕はそれより三日の時を過ごした。


そう、リエコさんが逝ってしまった時も、こんな風に生き続けていたっけ。

細く浅く息をして、見つからないようにと何かから隠れるようにと。

息をひそめて。


ぼんやりとした面持ちで過ごしたこの一週間。


この現実世界では、もちろん夢魔によって創り出された七緒くんは現れず、部屋の中央に置いたカラーを生けたはずの花瓶も、その姿を消していた。

家具なども最小限しか置かれていないシンプルな部屋は、相変わらず見慣れた元のままの部屋に過ぎない。


けれど、夢の中の現実があまりにリアル過ぎて、僕は錯覚に近いものすら覚えていた。


七緒くんが淹れるお茶専用になりつつあったオンボロなヤカン。七緒くんがノートをつける時に使っていた2Bの鉛筆。七緒くんがアケミマートへ行く時に持参するキリン模様のマイバック。


愛着というものだろうか。


「僕が見る初めての夢。いや、僕が覚えてる初めての夢、か」


リエコさんを、無理に忘れようとしていたわけではなかった。

ただ、辛すぎる思い出だ。

なにもかもを投げ捨てて、辛い思い出からが逃げ出したいと思うことはままあった。

毎日のように思い出にどっぷりと浸るのは、僕の身と心とが保たないと、分かっていた。その甲斐あってか、ここ何年かは、思い出すこともあまりなかったように思う。


夜中に幸せな家族三人の夢を創り上げることによって、足りていない心の隙間を埋めていた。そう考えるのが妥当なのかもしれない。


「それならそれで、結果オーライじゃないですか。それなのに、なぜ今頃……」


ただ、時々思う。


七緒くんが受け取った、あの真っ白のカラーの花束を持ってきたという女性は、リエコさんだったのだろうか。

どうして夢魔は、七緒くんという人格を選んで現れたのだろうか。


どうして、どうして……。

疑問が浮かんでは消えていく。


「ああ、まるで夢魔に乗せられてしまっています。そんなの、ただの創り話でしかないと言うしかありません。しかも夢魔が創ったニセ物の夢ですからね」


自分に言い聞かせて落ち着くようにと、胸の辺りを手でそっと押さえる。


そして、空腹を満たそうと買ってあったメロンパンを紙袋から出し、牛乳と一緒に頬張った。



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