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眠り屋 〜夢の綴り帳〜   作者: 三千
夢酔いのバス停にて −オシロイバナ
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怒りの矛先

少しすると、山崎さんが住む、古めかしいアパートへと着いた。山崎さんの性格なのか、不要な物が一切無いシンプルな部屋。


「どうぞ」


出してくれた麦茶は可愛らしいリンゴの模様がついたグラスに注がれていた。そのギャップに少しだけ戸惑う。


けれど、僕は先ずは仕事が優先と思い直し、夢へと入る手順などのインフォームドコンセントを始めた。


これは依頼者の夢の中へと入ることによって起こり得る事案や、注意事項、その方法などを事細かく説明し、本人の了承を得るものだ。


「今回は、残念ながら山崎さんから夢の詳細をお聞きできなかったものですから……あ、良いんです。気にしないでください」


彼が腰を浮かして、そわそわし始めるのを、僕は手で制した。


「けれど、やはり事前準備が決定的に不足しています。なので、一度目は様子をじっくりと見させて欲しいのです。それから後日、数回夢へと入らせていただくことになりますので、その点ご了承いただけますか?」


僕はいつにも増して、何度も念を押した。


最後に料金の説明する。山崎さんは目を皿のように丸くしてその表情を崩したが、それが考えていたより高かったのか、もしくは安かったのか、そこまでは分からない。


直ぐに立ち上がってスーツの内ポケットから財布を持ってくる。


「後ほどのご請求になりますので、今日は不要です」


手でストップをする。

山崎さんは無言で頷くと、テーブルの前にどしっと座った。苦笑いの僕。山崎さんは相当変わった依頼人だ。


先ほど手に入れたオシロイバナをポケットから出した僕は、そのまま軽く握り、指を上にしてテーブルの上へと置いた。


「では、夢へと入らせていただきますね」


指を人差し指から一本ずつ開いていく。手のひらには、目にも鮮やかな濃いピンクの小花。

オシロイバナのその存在感。けれど確か花言葉は……、


臆病。内気。


そして、山崎さんには一見そぐわない、


疑いの恋。


オシロイバナをじっと見つめていた山崎さんの目蓋が、ゆっくりと閉じられていく。うつうつと船をこぎはじめて机に突っ伏してしまったこの大男が、一体どんな夢に悩まされているというのか?


これから見るであろう光景を想いながら、夢への入り口へと向かうカウントを数え始めた。


刻、刻、刻、刻……

腕時計の秒針を追う。

いち、にい、さん、しい、……カウントを止めて目を開けると、僕はいつの間にか。

バスの最前列に座っていた。頭がクリアになるのを待って、後ろを窺い見る。


最後尾の長い座席には、山崎さんとその隣に座る、美しい女性の姿。

想像とは違った光景に驚きながらも、僕はその席で夢の登場人物に見つからないようにと、息を殺した。


✳︎✳︎✳︎


バスはその日も走り続けていた。

俺が降りるバス停の、少し手前に大きな橋がある。タイミング的にはここが一番良さそうだ。

俺は意を決して胸ポケットに入っているものを引っ張り出した。隣に座る彼女が、そんな俺のぎこちない動作に、少しこちらを見たような気がした。

俺はポケットから取った物を、直ぐにも右手で握り込んだ。クシャだとかパリッだとかの音がしたように思うが、そんなことはもうどうでも良い。

俺は勇気を出してそれを彼女に渡せるのか? うまく渡せるだろうか? そんなようなことで頭の中は一杯になった。

橋を渡りきってしまうと、バス停が見えてくる。

俺はもう一度、右手を握り直して、その中の存在を確認する。

ちらと横を見た。彼女はもう、顔を向こうにむけて外を見ていた。

俺は次の瞬間、握り込んだ右手を彼女の前へと伸ばした。それに気付いて、彼女が俺を見る。


初めて。真正面から見た、顔だった。


綺麗だ、そう思っていた気持ちは容易に覆されてしまう。

俺は動揺した。

それはもう、綺麗とか美しいとか、そういう言葉では表せない。

俺は心臓を両手で掴まれて、ブルブルと揺さぶられる感覚に(おのの)いてしまった。胸がいっぱいになり、吐き戻しそうになった。

慌てて俺は、右手で握っていた物を、彼女の手に押しつけた。そしてそれを無理矢理にも握らせると、俺はカバンを肩に引っ掛けて、バスを降りた。

いつもなら降りた後もバスを見送っていたのだが、今日はそれすらできなかった。

一心不乱に家へと走った。

部屋へと飛び込むと、俺はその場にばたりと倒れ込み、はあはあと息を吐きながら、そのままそこで動けなくなった。

脳裏にも、まぶたにも、心臓の裏側にも、真正面から見た彼女の顔が映し出されている。

俺は、最後に大きな溜息を、はああっと吐くと、顔を両手で覆って、いつまでも消えない彼女の顔を見ていた。


✳︎✳︎✳︎


「なんとまあ、純朴な……恋ですね」


僕は山崎さんの夢から辞した後、そして半寝でぼんやりと虚ろな彼を置いたままアパートを出てから、元来た道を戻るようにして帰っていた。


「けれど、これはちょっとおかしいです」


とぼとぼと歩きながら、山崎さんの夢の中での光景を思い出す。おかしいと思ったのは、今までに僕が入ってきた他の依頼者の夢の様子と違って、夢全体がなぜか朧げで薄っすらとしていたからだ。


残像のような印象だった。とにかく、何もかもが薄いのだ。

背景、人物、そして当の本人でさえ、儚げで直ぐにも消え去ってしまうような、そんな夢。


そして、彼が駆け出してバスから飛び出した瞬間に、僕は追い出されるようにして、夢から醒めた。


けれど、そのことを横によけて置くのならば、山崎さんの純粋な想いだけがひしひしと伝わってきて、僕はなんとなく嬉しかった。


「彼女は、現実の人でしょうか」


夢の中だけの存在。そういったことも、ままある。


事務所にはもうすぐ到着だ。こんなしんと静かな夜は、ひたひたと夢の続きが追いかけてくるように思えて仕方がない。

僕は事務所へと帰ってからも、現実へと戻るのに少しだけ苦労した。


✳︎✳︎✳︎


俺が初めて彼女を目にしたのは、ずいぶんと前のことだった。俺は本社勤務だったが、社員の勤務状況を確認するため、時々は工場へと足を運んでいた。

シフトによってずらして取る昼休み。そのシフトの機能が上手くいっているかを確認するために、俺は社員食堂に足を運んだ。

そこで彼女は数人と食事を共にしていた。テーブルには彼女と男が二人、そして女が一人。

その女は彼女とよく一緒に作業をしている、いわゆるバディの存在だった。


「ねえねえ、柏木かしわぎさんさあ、普段はなにして遊んでるの?」


彼女の前に座る男らが、身を乗り出して話し掛けている。俺はその時初めて、彼女の名前が柏木だと知った。

俺もついでに食事を摂ろうと、近くのテーブルに料理を乗せたトレーを置く。その集団を斜め前に見ながら、俺は焼き魚に手をつけた。


「別に。特になにも」


彼女の返事は聞き取れないほど小さい。怯え。びくびくしている。

彼女がそんな話し方だからか、他の三人は調子づいて、どんどんと大きな声になる。


「ふはは、特になにもて!」

「暗いなあ。もっとさあ、テンションあげてこっ!」

隣の女がバシッと、彼女の背中を叩いた。この距離でも結構な音がした。俺がちらと目を遣ると、彼女の表情はその痛みで歪んでいた。


「そうだあ、帰りに焼肉食べていかない?」

「いいねえ」

女が提案して、男が賛同した。

「柏木さんも一緒に行こうよ」

「私はいいよ、みんなで行ってきて」

すると女が彼女に身を寄せて言った。

「え~、一緒に行こうよ。ね、一杯奢るからさっ!」

「でも、」

「はい、決まり~」

「うおっしゃ、焼肉う!」


男二人が強引に取りまとめてしまう。

俺は食べ終わったトレーを食器の返却口まで持っていった。食器を受け取ってくれたおばちゃんに、軽く頭を下げた。

他の奴らのように、ごちそうさん美味かったよと、声を掛けられればと思う。

けれど、人と話すことが苦手だ。いざ喋ろう、話し掛けようとすると、唇が貝のように引っついてしまって、声が出ない。

だからもう、諦めてしまった。この口が悪いんだと、そう思って今まで生きてきた。


トレーを片してから、喫煙所に向かう。

煙草を一本吸い終わって出ようとすると、食堂で彼女を取り囲んでいた男二人が入ってきて座った。

俺が出て行こうとしたからか、他に誰もいないと気を許し、二人で笑い始めた。


「焼肉、四人だと二万はするぞ。良いのかよ?」

「良いんだよ。趣味はねえって言ってただろ? 他に給料の使い道がねえんだから、俺らがパアッと使ってやろうぜ」

「本当にあいつ、金持ってんのか?」

「ヨリが柏木は金持ってるって言ってた。あいつ、他の奴らからも目つけられて、金パクられてるって。いいカモっつーわけ。だから、俺らも金を巻き上げてやろうぜ」


背中でこの会話を聞いた時、俺はとてつもなく嫌な気持ちになった。

どす黒いものが俺の中へと広がっていく。イライラとした気持ちを抑えきれずに、俺は廊下に置いてあるゴミ箱を思い切り蹴飛ばした。ゴミ箱は蓋を飛ばして転がっていき、空き缶をいたるところにぶちまけた。

俺はその様子を冷えた目で見ていた。見ていたら少しだけ冷静になってきたので、空き缶を拾ってゴミ箱へと戻した。ゴミ箱には、蹴飛ばした時についた、亀裂が走っていた。


それから俺は、彼女を見るようになった。すると、誰も彼もが彼女から金をむしり取っていく。女は化粧品や菓子やドリンクを買わせ、男は金を借りに来て、返さない。

彼女は上手に断ることができずに、財布から金を出し続けた。

俺は彼女を憐れんでいた。

けれど、口下手で小心者な俺は、彼女に話し掛けることも、奴らに制裁を加えることもできないのだ。


胸のモヤモヤだけを抱きながら、彼女を見ていた。

ずっと、見ていた。

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