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眠り屋 〜夢の綴り帳〜   作者: 三千
邂逅 −白椿
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出逢い



「話が違うじゃないですか! いったいこれはどういうことですか? 契約違反も甚だしいですよ! 許し難い暴挙と言わざるを得ません!」


僕が言うのを、最初は神妙な面持ちで聞いていた翁だったが、直ぐに態度を一変して今度は僕の襟ぐりを掴み上げる勢いで反論してきた。


「約束を違えて済まんかったとは思うが、あれは大介が悪い! それにもう終わったことじゃからの。済んでしまったものは仕様があるまい。ちゃんと金は払う! それで文句はないはずじゃ!」


「そういう問題じゃありませんよっ!」


夢魔の逆鱗(げきりん)に触れた場合、その場で襲われて喰われていたかも知れない。夢とはいえ、精神に負傷もしかねない、危険な行為だ。


僕は身震いをする思いで、さらに畳み掛けた。


「暴力はいけませんと、僕は何度も言ったはずです。それを無視して、あなたは『大介』さんに掴みかかっていった。あなたは本当に身勝手な方だ! そのユキさんとやらが逃げ出すのも頷けますよ! 大介さんを選んで正解だと思います!」


僕はここまで言ってから、しまったと思った。事情をよくは知らないのに、言い過ぎてしまった。


ああ、やってしまったと、襲いかかってくるは、後悔の念。


けれど、これ位で引き下がる(おきな)ではない。


「うるさいっ! おまえのように世の中のことを何もわかっちゃいない若造に、そこまで言われるとは不愉快この上ない! 帰らせてもらう!」


そして正蔵さんは上着や荷物をがばっと抱えると、バタンとドアを叩きつけるようにして出て行った。


「あなたのような偏屈じじいは、こっちこそ願い下げですよ!」


僕はまだ冷めやらぬ怒りを抱きながらキッチンへと入り、薬缶に水を入れ五徳にガチャンと音を立てながら、火をつけた。コーヒーでも飲んで落ち着こう。そうだ、こういう時は何か甘いものでも食べて、などとブツブツと言いながら、戸棚を探る。


そして、どら焼き見つけて取り出し、扉をパタンと閉めた瞬間。


今まで戦争でもあったかというような雰囲気を漂わせていたリビングから。



かさりと乾いた音がした。



キッチンからリビングへと顔を覗かせる。


するとそこには京子さんにもらった白椿の、その純白の花が、ぼたりと床に横たわっていた。


その姿を見て、僕の中の熱は一気にその温度を下げていった。



白椿の花言葉は、『完全なる美』



完全なものなど、この世に存在するのだろうか?


僕はそのまま、その場に立ち尽くしたまま、薬缶がピイと鳴るまで、その横たわった椿の花を見つめていた。




✳︎✳︎✳︎



「何とも無様な姿をお見せしてしまいました。申し訳ありません、京子さん」


京子さんが花期の期限が切れそうだからと、腕に一杯のかすみ草を抱えて持って来てくれた日のこと。


この失態と言わざるを得ない今回の案件。それを渋々ではあるが、京子さんに報告したのだった。


終始、苦虫を噛み潰したような顔の僕に対して、京子さんにいつもの揶揄(からか)いはない。持ってきたかすみ草を花瓶に生けながら、それはそれは優しく、僕を気遣ってくれた。


「先生、あの人はああいう人なんだから、気にしちゃ駄目です。良いんですよ、たまにはバシッと言われないとね。この私ですらですよ? きつく諌めることはできませんからね? 今の今まで、きちんと筋を通して言ってくれる人が、周りに居なかったのかも知れません。正蔵さんにとって、良い経験だったんじゃないですか、今回なんかは特に」


「ありがとうございます、京子さん。気を遣ってもらって。でもこれからは気をつけますよ。もう二度と同じ(てつ)は踏みません」


僕は、少なからず反省していた。第一印象から偏屈じじいと決めつけたことも悪い。それに詳しい事情もわかっていないというのに、人の心に土足で踏み入ったのではないだろうかということも。




京子さんとのこのやり取りの後、モヤモヤした気持ちで過ごしていた金曜日のことだった。


事務所のチャイムが鳴った。


チャイムを鳴らしたのが正蔵さんであったことに、僕は驚きを隠せなかった。


「ど、どうされたのですか?」


僕は慎重に尋ねた。


「どうしたもなにも、金を払いにきた」


子供のように頬を膨らせながら、事務所のリビングに据えてあるソファに、どかっと座る。


僕は少しドキドキしながらも無言でコーヒーを淹れ、そしてそれにお茶菓子のかりんとう饅頭を添える。コーヒーを口に含むと、正蔵さんは早口で話し始めた。


「いやあ、なんと言うか、この前は悪い事をしたと反省してだな。この通りだ。すまんかった」


素直に謝り、頭を下げる正蔵さんを見て、こちらもどうしたものかと焦ってしまう。


「いえいえ私も口が過ぎました。あなたを怒らせてしまいましたね、反省しています。申し訳ありません」


「契約違反をしたわしが悪いんじゃ。気にせんとってくれ。でな、これがこの前の代金じゃ」


渡された封筒を、改めさせて頂きますと言って封を切る。そして、僕は首を傾げた。


「依頼料はこの半分の筈ですが?」


「違約金のようなもんじゃ。受け取ってくれんか」


僕は半分を引き抜いて、封筒を机の上に差し出す。


「申し訳ありませんが、お約束の金額しか受け取れません。折角のご厚意ですが、お返しさせて下さい」


すると正蔵さんは憮然(ぶぜん)とした顔を作ってはみたものの、ようやく封筒を背広の裏ポケットに収めてくれた。


「あんたもわしに違わず、頑固者じゃの」


「お互いにそういう部分があるのかも知れませんね」


正蔵さんは僕が淹れたコーヒーをずずずっと飲むと、かりんとう饅頭を口に放り込んだ。


「あんたに言われたことなあ、実を言うと正直きつかった。あ、待て。本当の事じゃから気にせんでくれ。雪さんはわしの許嫁じゃった。その名の通り、雪のように美しい人でなあ。けれど、許嫁とは言っても親同士が決めたこと。雪さんには好いとる男がおった。それが、わしの親友の大介じゃった」


予想通りのストーリーであった。


僕もかりんとう饅頭をほおばると、こくっと頷いて続きを促した。


「もうバレとるとは思うが、あの写真の半分には雪さんが写っとる。あれはわしが大介に雪さんを紹介した日に撮ったもんでな。大介が写真機を買ったと言って意気揚々(いきようよう)とうちに来たもんだから、わしも撮りたくなってしもうてな。大介に写真機を借りて、二人を撮ろうとした。それで二人を寄せてしまったんじゃよ。後悔したで。わしは雪さんを気に入っとったからなあ。わしが二人をくっつけてしまったようなもんで、口惜しい思いで、身も心も千切れんばかりじゃったあなあ」



この先もこの翁は、そのことを後悔して生きるのだろうか?



「二人が去ってから、わしは気が狂ったようにがむしゃらに生きてきた。周りを顧みることなく、な。それがそもそも間違っていることに気付かんかったんじゃ」


「これから先はきっと変えられますよ」


「ははは、そうかもしれんが……もう遅い」


深い皺を幾重にも寄せて笑う、(おきな)の姿。そこに憂いが潜んでいることに、僕は気がつかなかった。


帰り際、正蔵さんが杖を持ち直しながら言った。


「いやあ、それにしてもあんたは凄い。あんな神業、誰もができることじゃない。すこぶる驚いたわ! それにずっと長年恨んでおった大介めに、本心を心の底から吐き出せて……いやいや睨むんじゃない、ちゃんと悪かったとは思っておるぞ。けども本当にすっきりしたぞい。助かった。サンキューな!」


最後のサンキューにやられはしたけれど、正蔵さんのはちきれんばかりの笑顔を見ることができて、僕は少し救われたような気持ちになった。


床に横たわった、白椿の花を遠くに想いながら。




✳︎✳︎✳︎




「すごく豪華な葬儀でしたよ。たくさんの弔問客がいらっしゃっていて。私もお焼香の時間を短く、ささっと済ませてしまったくらいです」


喪服を上品に着こなしている京子さんが、疲れた~とばかり事務所のソファで足を投げ出して伸びをする。


「正蔵さんの依頼を受けたのも、もう二年も前になるんですね。僕はそれ以降お付き合いはありませんでしたが、京子さんは親交がおありだったんですよね」


「ええ、頻繁ひんぱんにうちのお店のお花を使っていただいて。ずっとお元気でしたのに、さらりと逝ってしまわれましたわ」


「僕の印象では石に(かじ)りついてでも、という感じだったのですが……。寂しくなりますね、京子さんもご家族の方も」


「会社はやっぱり息子さんが継がれたようです。遺言書もちゃんと用意してあって。ご自分の病気をお知りになってから、色々と前々にご準備されていたそうです。先生に依頼されたあの時にはもう、ご自分の寿命を知っていたのかもしれませんね」


神妙な顔をしてがさがさと鞄を探り、京子さんは一通の封筒を取り出した。


「それでですね。私宛にもお手紙を頂いたのですが……」


達筆だ。フラワーショップ京子 殿、とある。


「ふふふ、ご家族の方々が、一個人である私になんの手紙をと不審に思っていらっしゃいましたが、正蔵さんの遺言で事前に開封しないよう指示があったようで。正蔵さんがなにか私に遺しているようなら、どうぞ遠慮なく言って下さいと戦々恐々とされいて。遺産狙いの愛人みたいで、とおぉぉっても、面白かったです」


京子さんがいつもの悪戯っ子の笑顔をこちらに寄越したので、僕はその悪魔の微笑みに思わず吹き出してしまった。


「けれど、」


京子さんの声色が変わった。


「この手紙はもちろん私宛ですが、先生。あなた宛でもあるような気がしています。読みますから、聞いてくださいますか?」


僕はこくっと頷くと、向かいのソファに座った。


京子さんの、澄んだ声に聞き入った。




『正蔵、果たしてお前は元気にしているか……』


思わぬことだった。


その書き出しで、あの大介さんから、正蔵さんに宛てた手紙だとわかる。あの依頼の日の、その後のことだろう。


僕の胸に、微かな痛みが走った。


『正蔵、お前と道を違えたあの日、雪さんとお前の仲を割いてしまった責任を感じ、私はお前の元から去った。何時かは逢いたいと思っていたが、どの面を下げて会ったらいいのだと、そうしている内に長い長い時間が過ぎてしまった。本心を言おう。私は雪さんを好きではなかった。雪さんには、一緒になってくれと乞われたが、お前を差し置いて、無論そんなことはできるはずがない。私は断固として受け入れなかった。だが、お前の人生と雪さんの人生とを、狂わせてしまったのには間違いない。私がお前の元を去って何年かしてから、雪さんもまたお前の元を去ったと知り、私は何てことをしたのだと申し訳ない気持ちで一杯になった。本当にすまなかった。許されるとは思っていないが、お前の人生はその後どうだったのだろうかと、幸せだったのかと、気になって仕方がない。お前の活躍ぶりは、新聞などで知っている。いつかはお前に会って、直接謝らねばならぬ』




京子さんがひとつ、息をついた。そして静かに、続きを読み始めた。




『大介、お前こそ、幸せであったのか? 雪さんが去った時、俺は雪さんがお前を追いかけて行ったのだと思い込み、二人を恨んでいた。だが、お前は雪さんとは一緒にならなかったのだな。なんと言うことだ、俺はとんでもない勘違いをしていたわけだ。

お前が気にしていた俺の人生だが、結構良い人生であったと思われる。俺の活躍ぶりは、知っているであろう。その後、家族にも恵まれ、金にも恵まれた。なかなかの人生であったと自負している。お前が謝る必要はない。雪さんはお前を好きになった、ただそれだけなのだ。お前に非は無い。しかし今の今まで、お前にそのような(かせ)をはめてしまっていたのかと思うと、心が痛んで仕方がない。お前が責任を感じ苦しんでいたなどと、知らなかったとはいえ。大介、許して欲しい。本当に済まなかった。心から謝りたい。お前にも、そして雪さんにも』




そして。


最後にこう書かれていた。




『或る日。大介からこのような手紙と一本の白い菊の花とが送られてきた。その菊は、大介の葬式で使われたもので、俺が手紙を受け取った時にはもう大介はこの世を去ったとの旨。大介はこの手紙を書いてはみたものの、とうとう生きている間には、投函できずにいたようだ。遺言にて、俺に送って欲しいと指示があったようで、大介の養子と名乗る者から送られてきた。俺が書いた返事はもう届かない。今一歩、遅かったのだ。けれど、俺が死んだ時、棺桶に入れて俺が直接持っていけば良いと考え、そうする事にした。お前にはこういうやり取りがあった事を知っていて欲しいと思い、これを写した。

お前には世話になった。改めて、礼を言う』


京子さんが手紙を静かに封筒へと仕舞った。


そうか。


僕は得心した。


このようにして、人の人生は(つむ)がれていくのかと。

二人の人生は確かに、不完全そのものだった。あの世でしか会うことが叶わないというのに、それで良しとし、お互いを許したのだ。


そうなのか。


もちろん、僕もだ。もがきながら足掻きながら、分かち合いながら補い合いながら、僕自身も自分の生を全うしていくのだと。


僕はそのことに気づき、少しの感動すら感じていた。



白椿の花言葉は、


『完全なる美』




誰しもがそれを求めながら、


——不完全なまま、邂逅する。





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[一言] 一気読みしてしまいました! どの話も面白かったです!それぞれの人生が詰まってました! どの話がいい、と言うのは難しいので……完全に好みからなんですが、『現見のあなた』とか好きです。ああでもど…
[良い点] 久々の矢島先生!(≧▽≦) おじいさん、最初の第一印象から夢を経て、その後段々と、思ったよりも人柄が悪い人ではないのかも? と読ませる書き方がおさすがです。 茶目っ気あふれる京子さんがます…
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