綴り帳 小話「京子さん、そのレビューとやらはいったいなんですか?」
「こんにちは〜〜〜」
語尾に音符でも付いていそうな、明るい声。
京子さんが、こんなにもワクワクした足取りで、『眠り屋』の事務所に入ってくるのは珍しい。
僕は、渋々にも目を通していた『アイドル名鑑』を閉じた。
「先生、私ね。今日、ねぎさんという方から、素敵なお手紙をいただいたのですよ」
「それは良かったですね……っていうか、ねぎさんというのは京子さんのお知り合いですか?」
京子さんは意味深な笑顔を浮かべながら、持っていた鉢植えを日当たりの良い窓辺へと置いた。
その鉢植えには、小さくはあるが白く可憐な花が咲いている。
「はい、私のお友達です。まるで、このワイルドストロベリーの花のような方なんですよ」
「ワイルドストロベリーといえば……」
僕は本棚に寄っていき、下から二段目の棚に置いてある花言葉辞典を手に取った。
慣れた手つきで索引を探る。「ワ行」。後方から探すと、果たしてそれはすぐに見つかった。
この花言葉辞典は、花の写真も載っており、『眠り屋』の仕事で使う花を探す際にも、活用している。すでにヨレヨレでところどころ破損していたりするが、僕はもう長いこと、この辞典を使っている。
手に馴染むのだ。
「ふうん、ワイルドストロベリー……『尊重と愛情』『幸福な家庭』『無邪気』ですか」
京子さんが取り敢えずで置いた窓際の鉢植えを、僕はまじまじと見た。
白く小さな花の真ん中は黄色に光っている。
こんな小さな花から、小さいけれど美味しそうな苺ができるのかと感心しながら、じいいぃぃっと見ていると、京子さんが、斜め後ろからどかっと力任せに僕にぶつかってきた。
その拍子に吹っ飛び、よろける。
「ちょ、なにするんですかあ」
京子さんはそんな僕は御構いなしで、小さな如雨露で水をやり始めた。
「い、痛いじゃないですか。本当に京子さんは、乱暴なんだから」
すると、京子さんはふふふんと鼻歌なんかを歌いながら水をやり、そして小さな花を指先でちょんちょんとつつくと、極上の笑顔を浮かべて言った。
「ふふ、今日は本当に嬉しい日です」
僕を邪険にした割に、機嫌はいい。いや、邪険にしたから機嫌がいいのか?
僕は怪しみながらもソファに戻ると、さっきまで飲んでいたタピオカミルクティーの残りを、ずずずっと啜り上げた。
「それにしても、そのねぎさんという方からのお手紙、よほど嬉しかったんですねえ」
啜り上げた最後のタピオカが喉に突っかかり、ぐふっとなりながらも、僕はそう言葉を投げた。
「もちろんです。すごく嬉しいことを書いてくださったんですよ。いただいて拝読した瞬間、ねぎさんたら天使? 天使かしら? なーんて思いましたもの。ワイルドストロベリーの花言葉、そのままのような方なんです」
「『尊重と愛情』ですか」
「そうなんです。いつも周りに気を配っていらっしゃって。お相手さまのことをよく思いやっていらっしゃる、優しい方なんです。コメントもとても丁寧で、ふわふわって感じなんですよ」
僕は、コメント? と訝しみながらも、京子さんのお友達ということもあり、これは間違いなく素敵な人だと直感した。
ただ。
この京子さんの喜びようはどうだ?
京子さんはワイルドストロベリーに水をやると、如雨露を持ったまま足取り軽く、るるるんと回転しながら、キッチンへと入っていったのだ。
僕を、どかんと押し倒しておいて(実際は倒れていない)、憤懣やるかたなしとは、このことだ。
「まったく、と……」
僕は、言葉を慌てて飲み込んだ。
『年甲斐もなく』
この言葉が一番、京子さんの逆鱗に触れる。
なんとか言わずに済み、持ち直した僕は、そのまま言葉を続けた。
「そ、その手紙にはさぞ、良いことが書いてあったんでしょうね。おだてに乗せられて踊っちゃうだなんて……あ、」
僕はその時、気がついてしまった。
いや、おだてに乗せられて、という言葉が、これも京子さんを怒らせるのだ、ということではなく。
まさか。
「京子さん、そのねぎさんとやら、まさか男性じゃないでしょうね?」
見ると、京子さんはキッチンから半身を乗り出して、ふふんと片方の口角をひねり上げている。
「だとしたら、なんです?」
もちろん普段から美人ではあるのは間違いないのだが、こういう時の京子さんは、もろに、なんていうか「美魔女(?)」となる。いつもの僕なら、ここら辺ですでに降参の手を上げているが、今日はそうはいかなかった。
「だとしたらですねえ……ちょっと心配です」
京子さんは笑いながら、キッチンから出てきた。いつのまにか着けていたエプロンのポケットに手を忍ばすと、中から花柄の封筒を取り出しながら、僕に近づいてくる。
「これが、男性からのお手紙に見えますか?」
差し出された封筒を受け取る。すると、ふわりと優しい花の香り。
それだけで、僕は昂りつつあった気持ちが、すううっと落ち着いていった。
「中はなんて書いてあったんですか?」
すると、京子さんは笑いながら。
「うん、まあそれはおいおいご説明しますね」
僕は少しだけ、唇を尖らせた。
「なんですかそれ」
「だって、先生はレビューとかって、わかります?」
「ん? なんですか? そのレビューって?」
僕が、首を傾げると、京子さんは口元に手を当てて、
「それは、おいおい教えて差し上げますよ」と言って、おほほほほほと、高らかに笑った。