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眠り屋 〜夢の綴り帳〜   作者: 三千
鈍色の天使 −向日葵
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偽物の夢、翻弄




「まるでこれは同棲のようですねえ」


口にしてから、あ、すみませんと謝りを入れる。


雀さんとずっと一緒に過ごした一日が、終わりを告げようとしている。


「これが可愛い女の子だったら良かったんですけど。むさ苦しい男に付き合ってもらって、本当に申し訳ないです」


「いえ、こちらこそすみません。失言でした。あんまり居心地がいいものですから、仕事だということをすっかり忘れていました」


僕が申し訳ないというように頭を掻くと、雀さんも笑って言った。


「でも俺、仕事辞めてから半分引きこもりっぽかったんで、良かったですよ。人と話すの、やっぱ楽しいですね」


「そうですか。それは良かったです、けど。……あのう……僕、野菜炒めなら作れますけど」


恐る恐る言ってみる。朝ごはん昼ごはんお昼のおやつと、ずっと雀さんにごはんを作ってもらっているので、同棲といっても肩身は狭い。


「いやあ矢島さん、お客さんにそんなことしてもらわなくても。俺、作るの得意ですから、全然大丈夫ですよ」


「はあ、僕は半ば強制されて、野菜炒めができるようになった口ではありますが……」


(京子さんの)愚痴を言いかけ、そこで僕ははっとした。


そう言えば、あのうだるような夏の日、手に入れたアイドル名鑑。

あれはどこに置いたのだったっけ?


頭の中で事務所を隅々まで思い返してみたけれど、どこにもその姿はないような気がした。


アケミマートに持って行って、花月くんに預けたのだっただろうか?

それとも、うさぎ書房の辻氏に、返本を願い出たのだったか?


僕が黙り込んだのを見て、雀さんが声を掛けてきた。


「お腹空いてませんか? 俺、そろそろ晩飯ばんめし、作りますよ」


慌てて愛用の腕時計を見ると、すでに7時を過ぎていた。


「あれ、もうそんな時間? では、お言葉に甘えて。お願いします」


そして雀さんがフライパンを握った、その時。


それはやってきた。


時が止まった。


雀さんはぴたりと動きを止めて、その場に立ち尽くした。どうやら雀さんが休眠状態に入ったようだ。


その姿は、先日川べりで見た、そのもの。


フライパンを持つ手がだらりと下がっていく。僕は、上手にフライパンをキャッチすると、それをコンロの上にそっと置いた。


雀さんの光を宿していた瞳。それはすぐに暗く濁っていき、光を失ってしまった。


雀さんの身体はピクリとも動かない。その脳は、心臓は、動いているのだろうか? 身体中に張り巡らされている血管は、その血液を運んでいるのだろうか?


不安に思うほどに。


今、雀さんは夢の中にいる。


僕はその傍に座り込んだ。


そして、雀さんのその夢への中へと足を一歩、また一歩と踏み入れていった。




✳︎✳︎✳︎




(これは、言葉ではどうもこうも、説明できないもんですねえ)


僕は心の中で呟いた。


グレーの世界。


壁が、床が、天井が、四方八方その全てが、グレーで覆われている。


それは美しい艶のある鈍色にびいろ。そして、ぶよぶよとした質感がある。


触れてみると、つるりとした肌触りが、僕の背中をぞくりとさせた。


そして不思議なことに、その世界に雀さんは存在していなかった。本人やその他の登場人物不在の夢。僕が関わってきた依頼で、そんなものは今回が初めてなのだ。


ぐるっと辺りを見回すと、壁まで一定の距離があるはずなのに、そのぶよぶよな質感とグレーという色彩からなのか、ぐわっと襲いかかってくるような圧迫感。


壁が迫り上がってきて、まるで僕に覆い被さってくるような錯覚に捕らわれ、僕は圧倒された。


そして、その鈍色にびいろをなんとか振り払うようにして、さらに辺りを見回す。するとその一角にトンネルの入り口のような、先へと進む道がある。


僕はその入口へと慎重に一歩、足を踏み入れた。


そして、ぶよぶよとした床を靴下の裏に感じながら、次第に幅も高さも狭くなってくる道を、軽く中腰のような姿勢になって歩いていった。


途中。


足の裏に異変を感じた。


柔らかかった床が、いつの間にか硬いものになっている。


(な、一体これは何でしょうか……)


そして今までは濃い灰色グレーであった色の世界にも変化があった。


驚くことに、進めば進むほどに。黒に近づいていくような、そんな変化。


そして。


それは、そこにあった。


行く手を阻むようにして、横たわっている、黒々としたかたまり



これは、なんだ? いったい、なんなのだ?



鈍く、もやのかかったような思考で、必死になって考える。



このどす黒いもの。これはいったいなんなんだ? と。



その時。


どこからか。


囁くような声。


「テン、」


若い男性の声。


愛しさにまみれ、もう一度。


「テン、」


声の主は、雀さんなのだろう。


天ちゃんの名を、何度となく呼ぶ。


さも愛しそうに。さも大切そうに。


その声は切なく、甘く、やわらかく、そして愛情に満ち溢れている。



僕は、考えていた。


あの川べりで天ちゃんに出逢ってから感じていた小さな違和感たち。


僕とは異なり、一滴も汗をかいていない登場人物。まるで人形のような仕草。音を生まない所作。


糸の切れたネックレスからバラバラになって落ちる細かいビーズのように、その違和感は僕の足元にぱらぱらと落ちていき、床で跳ねてはそこかしこに散らばっていく。


そうなのだ。


これは、僕の夢だったのだ。


僕が見ている・・・・・・のではない。


僕が見させられている・・・・・・・・・・、『夢』だったのだ。


そう答えが出た途端に。


鈍色にびいろの壁や床が、足元からガラガラと崩れ落ちていった。


僕も一緒になって落ち、そして意識を手離した。




✳︎✳︎✳︎




ソファから起き上がると、軽い頭痛がある。


この長ソファは、この事務所を開く時、知り合いの家具屋で見つけて、購入したものだった。


滑らかな皮の手触りが眠りを誘うのにちょうど良いと気に入り、この長ソファと一人用のソファとをついで買った。


起き上がって座り直すと、完全に騙されたと、僕は苦く笑った。


一体どこから、僕の夢であったのだろう。


「夢の中に、雀さんがいないと分かった時点で、気づくべきでした」


間違いなく、どこぞの夢魔の仕業だろう。


だが、夢から醒めたばかりの頭では思考は思ったように働いてはくれない。


僕はしばらくの間、頭を両手で抱えてうな垂れた。


そして、きょろきょろと大体の感じで部屋を見回すと、その部屋のどこにも、やはりアイドル名鑑の姿が見当たらないことに気づく。


僕は大きな大きなため息を吐いた。


「はああ、そうですか。もうそこから、僕の夢だったわけですね。京子さんに放り出されるところからとは。……なんとも間抜けな話です」


僕は立ち上がって、まだふらふらする身体にむちを打ちつつ、事務所を飛び出した。


そして、急ぎ足で一軒の家へと向かう。夢だったとは言え、その地図は正確であったらしい。


「雀さん……」


汗だくになりながらも、玄関の前に着くとピンポンとチャイムを鳴らして、家主を待つ。


さらに二度、チャイムを押したとしたところで玄関のドアが開いた。


「なんだよ、うるせえな。新聞なら読まねえから、いらねえぞ」


ボサボサの茶髪の頭を掻きながら、起き抜けの顔で出てきたスウェット姿の青年に僕は声を掛けた。


「雀さんですね、僕は矢島と言います」


「誰だあ? 勧誘か何かか? うぜえんだよ、消えろよ」


ドアを閉めようとするところに、僕は叫んだ。


「天ちゃんに頼まれて来ました‼︎ 少し話を聞いもらえませんか‼︎」


閉められようとしていたドアが動きを止める。


「おまえ、いったいなんなんだ。天ならもう死んでんぞ。気味悪いこと言うな‼︎」


慌てて、僕は続けた。


「雀さん、最近奇妙な夢を見るでしょう。それが原因でお仕事をお辞めになってますよね。どうか、話を聞いてもらえませんか? あなたに危険が迫っているかもしれません」


止まっていたドアが動きを取り戻す。


閉められるかと思いきや、そのドアは大きく開けられ、雀さんがずいっと中から出てきてくれた。


「……なんでそんなこと知ってんだ? おまえ、一体誰なんだ?」


そして、僕はその場で両の手を握り込んだ。


汗が額から一筋流れ、顎へと伝って、落ちていく。


今度こそは、肌を汗が伝う感覚があった。


ここへ来てようやく僕は、現実を感じられることができた。




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