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眠り屋 〜夢の綴り帳〜   作者: 三千
宝箱の在り処 −柊
39/63

その真実を暴かれて


「何度も足労を掛けてすまない」


加賀さんがどのようにこの堅物を懐柔したのかは分からない。が、一度目の訪問よりも柔和な表情を浮かべているように、僕には見えた。


腹をくくったのだろう、そう思えるような顔つき。


「いえ、僕の方こそ昨日は大変、失礼な態度を取ってしまいました。若輩者と笑って、お許し願えるといいですが」


「ははは、いいんだ。こちらこそ大人げなかった。私もあなたと同じく、まだまだ若造だということだ」


椅子に座る。


先ほどから忙しく歩き回っていた給仕の女性がお茶を置いて去るまで、大河内氏のその唇は、堅く堅く結ばれていた。


そして、女性が部屋から出て行くのを機に、秘書の加賀さんがドアへと歩いていく。


「ああ君はここに居たまえ」


その言葉に加賀さんが足を止めて振り返る。加賀さんの表情は暗くかげっていて、その顔からは心の内ひとつとして読むことができない。


ドアの近くから戻り、前回そうだったように、大河内氏の傍に静かに立った。


大河内氏が柔和な声で指示を出す。


「座ってくれ。話が長くなるかも知れん」


すぐ隣の椅子を指さす。加賀さんはそこへ、遠慮がちに腰掛けた。


「さあ、飾り箱の話をしよう。先ずはどんな物なのかを簡単な絵に描いてみた。私は余り絵は上手くないが、大体こんな感じだ」


懐から一枚の紙を出す。腰を浮かせて僕に渡してくるのを、僕も同じように腰を浮かせて受け取った。


紙には箱の詳細が描かれている。


とても美麗な飾り箱だ。緑や赤の宝石に金縁のデザイン。全体にはえんじ色の布が張り巡らされている、とある。


「中には、なにが入っているのですか?」


大河内氏はなにか言い掛けて、少しの躊躇を見せた。斜めに伏せられた視線は、目の前のティーカップに注がれている。


逡巡、だったのかも知れない。


「唯臣様、」


加賀さんが声を掛ける。遠い目をしていた大河内氏が、その声で正気に戻ったようだ。


「すまない、ぼうっとしてしまった」


苦笑を織り交ぜながら、椅子に深く座り直す。そのままの姿勢で、ふうっと息を吐いた。


「何から話していいのかと思案していた」

「どのようなことからでも大丈夫です。時系列がバラバラでも構いません」


僕は手帳を取り出すと、ペン先を押しつけて話が始まるのを待った。


「そうだな、箱の中身を話す前に、先ずは私のことを話そう。私は……私の父は大河内貞臣さだおみというのだが……私はその父、貞臣の……実子ではないのだ」

「唯臣様っ!」


加賀さんが立ち上がり、声を荒げた。


「良いんだ、加賀。まあ、座りなさい」


加賀さんは少しの間立ち尽くしていた。けれど、大河内氏に座るように手でいなされると、渋々に腰を下ろした。


「正確には実子でないと思われる、だがな」

「証拠がないということでしょうか」

「そうだ。そしてその証拠とやらが、この飾り箱の中に入っているのだと思う。そんなようなことを、母は言い遺して亡くなったからな」


「この飾り箱に、……」


僕は手元にある紙を再度、広げて見つめた。


「私の父は、私が子供の頃に亡くなっているのだが、まるで似た部分がなくてだな。祖父からも、息子の貞臣に似ても似つかぬと、何度となく言われながら、私は育った」

「けれど大河内さん、」


見かけだけで判断は出来ないのでは、と僕が言い掛けたのを彼は手を上げて制し、そのまま話し続けた。


「年端のいかぬ子どもでも、母と父の間に恋愛の情がないことぐらいは、感じ取れるものなのだ。父は、女性関係にだらしなかった。そんな父を母はいちいち許していたのだがな。けれど、そんなことを繰り返しているうちに、お互いに気持ちも離れてしまったのだろう」

「…………」

「母は母で、時々物思いに耽っている様子を見れば、母にも好きな男がいるのではと想像に難くなかった。そんなこともあって、私は父の実の子ではないだろうと、幼な心に分かっていたのだよ」


大河内氏は、ようやくティーカップに手を伸ばした。口をつけてごくりと飲む。すでに冷めてしまっているだろう、その紅茶を勢いよく飲んでしまうと、彼はそれをそっと置いた。


カチャンと乾いた陶器の音が、部屋に響く。


大河内氏は、大きく深呼吸をした。やっと飾り箱の本質の部分を話せたのだと、ほっとしたような面持ちのようにも見えた。


しかしそれとは対照的にとでも言うべきか、今度は加賀さんの表情が暗くかげっていく。


その加賀さんの瞳。まるで、川に泳ぐ魚がいきなり進路を変えた時に、その尾ひれによって川底が巻き上げられ、泥で濁ってしまった淀みのように暗い。


その加賀さんの様子が少し気になったが、大河内氏はそのまま話を続けていった。


「母は、父が若くして亡くなってからは……厳格な祖父の庇護の元、ひっそりと息を殺すようにして生きていた。けれど時々、ふとした時に愛情を取り戻すのだ。その時だけは、一人の女性の顔に戻っていたように思う」


少しの沈黙。大河内氏が目を細めて言う。


「想い人を想っている時の母の顔は、……とても美しかった」


柔和な表情。緩む口角。細めた目の目尻には、深く刻まれた皺。

これが母という存在を思い出す時の、息子の顔なのだ。


けれど、彼はすぐにも、元の堅い表情を取り戻してしまった。


「母は私を守るため、決してその事実を認めなかった。祖父の厳しい追及や叱責にも屈せずに、必死になって耐え忍んできた。きっと、その想い人のことを心の拠り所としていたのだろうと思う」


はあっと盛大な溜息を吐く。


「私はその人の子ではないだろうかと思っている」


くしゃりと顔を歪ませ、一瞬。

これほどまでにと思うくらいの、情けない顔になった。


そうか。

僕は大きな勘違いをしていたのだ。


僕は、大河内氏の顔に刻まれたその皺の上品さから、彼がお金にも困らず、なににも苦労をせずに育ってきたのだ、などと邪推していたのだ。


僕は、そんな自分を恥ずかしく思った。


どんな人にも、その人の生き様がある。僕は今回、それを初対面の時点で、軽んじてしまったのだ。


けれど、今さらそれを悔やんでも仕方がない。


僕は僕のできる限りの仕事をして、この不義理を詫びなければならない。


そう強く思った。


「母は、私をどうしても祖父の後継にしたかったのだろうな。この秘密を抱えたまま死んでいった。けれど私は、母の生前にその飾り箱を渡されたはずなのだ。それは覚えている。大事なものということで、棚にある隠し扉の中に入れておいたはずなのだが。どこを探してもないのだ。消えてしまったのだよ」

「他に思い当たる場所はないのですか?」

「ない。それ以外の場所に仕舞った覚えがないんだ。それで、ほとほと困り果てているというわけだ。祖父が亡くなるまで、絶対にその飾り箱を開けないようにと言い含めて、母は死んだ……」


目を伏せる。


「祖父の遺産を相続してからなら、私が実子でないことが分かっても、許されるのではないかと、そう思ったに違いない。私が大河内の家から追い出されないようにと、考えたのだと思う。きっとその飾り箱の中には、私が実子でないという何かしらの証拠が眠っているのだろうと、そういうことなのだ」


僕がメモをするのを途中で止めて、最初に書き出したその内容も、ペンで黒く塗り潰すのを見たからだろうか、大河内氏は今はそう暗くはない顔をしていた。


最初にひざの上で力強く握られていた両手も、話の途中で解かれて、今では肘掛に乗せられ収められている。


「軽蔑するか? そんなにも財産が欲しかったのか、と」


僕に聞いたのか、加賀さんに聞いたのか、それとも本人自身に問われたのか。


自嘲の意味が含まれる言葉を投げかけられたが、僕は苦笑するだけに留めた。


「その飾り箱の存在を知る人は、他にはいらっしゃらないのですか?」

「ああ。この内容に関しては加賀にも話をしたのは初めてだ。私と母だけの秘密だ。鍵はほら、ここに、」


白いワイシャツの首の襟を掻き分けて、チェーンに付けられた鍵を出す。


その鍵は思ったより小振りなものだった。大きさや貧弱な形から、飾り箱があまり頑丈な造りでないことが窺える。


誰にも知られてはいけない、そんな大切な秘密を、果たしてこのようなヤワな宝箱に仕舞うだろうか?


「他に実子だという方々が、名乗り出ているとお聞きしました」

「ああ。その件に関しては、裁判沙汰になるかも知れない。今流行りのDNA鑑定というやつだ。実子だと分かった者には、それなりを渡そうとは思ってはいるが。どうなることやらだ」

「では、もう二三質問をしても良いですか?」

「いいだろう」


箱の中身は暴露された。


もう何も隠す必要もないからだろうか。大河内氏の顔には、一種の清々しささえ感じる。


「では、三日後の夕方に」


夢へと入る約束をすると、僕は帰り道をまた、そろりと後ろをついてきた黒塗りの車で、送ってもらうことにした。助手席に乗り込んで、運転手と世間話をする。


そしてやはり、その口からは、主人の悪口を聞くことは、ひとつとしてなかった。


✳︎✳︎✳︎


夜の始まりを告げる宵闇の時刻であった。


僕はこの時期、比較的手に入れやすい柊の、珍しくも花がついた枝葉を持って、大河内氏の屋敷を訪れた。西洋の柊と違い、日本の柊は冬に花をつける。このクリスマスの季節にはもう終わりかけではあるが、小さな白い可憐な花がちょんと咲くだけで、心が洗われる気がしてくる。


車での送迎なので、大して寒さに晒されずに済んだはずなのに、やはりこのクリスマスという時期は、身震いするほどの寒さだ。


僕は今にも雪が降りそうなどんよりとした空を見上げながら、僕が吐く息の白さを実感していた。


そして見上げた屋敷の二階の窓には、ほんのりと明かりが灯されている。


幻想的な風景。


「この屋敷が、僕の周りではクリスマスに一番近しい存在ですね。がちゃがちゃと飾り立てなくても、ちゃんとクリスマス風ですから、不思議です」


今、僕の事務所では、クリスマスカラーに彩られているばかりではなく、マキちゃんが身体中に巻きつけて持ってきた黄色の電飾が、縦横無尽に張り巡らされて、ピカピカと光っている。


自分の事務所をこんな風にさらに居心地悪くしたマキちゃんにぶつぶつと文句を言いながらも、けれどクリスマスが終わればまた元の部屋へと戻して貰えるだろう、そんな日を夢見ながら、僕はここ三日ばかりを過ごしていた。


それも、秘密の宝箱を想いながら。


「探し当てることが……本当にそれが、正解なのかどうか」


僕は呟くと、屋敷の玄関に続く階段をゆっくりと踏みしめた。


✳︎✳︎✳︎


柊の小さな花が、手触りの良さそうな毛布へと落ちる瞬間。


大河内氏の目蓋が少しずつ塞がれていく。


その様子を見ながら僕は。脳裏に焼きつけた飾り箱の形を思い浮かべている。


そして耳元へ。

そっと。

囁く。


「お母様の形見の飾り箱を、どこに隠したのですか?」


そして、夢へと向かう。


いち、にい、さん、しい……


カウントを始める。

そのカウントに合わせるように、どこかで乾いた音がはぜる。


パチッ、パチッ、パチッ。


僕は気がつくと、窓際に立っていた。ここは二階の部屋であろうか、僕は外を見下ろしていた。


幼い男の子が縄跳びをしている。


縄が地面に当たる度に、パチッ、パチッと、地面がはぜる音が響く。


革製の細いサスペンダーに吊り上げられた七分の裾のチェック柄のズボン。真新しい白シャツ。黒く重たそうな革の靴。


縄跳びには不向きな服装。


ジャンプする、男の子を見る。その度に首元でチェーンに付けられた小さな鍵が踊り跳ねている。


(あの鍵は確か……)


そうだ。この男の子は、大河内氏の子どもの頃だ。そう思った瞬間、僕はこれが彼の夢の中だとようやく頭で理解できた。


じっと、観察してみる。


男の子の傍らには、一人の女性が立っている。


男の子を見守る彼女の後ろ姿。この二階の窓からは、その表情は窺い知れない。


けれど、男の子がジャンプをしながら、ちらちらと彼女を見るその表情は、得意そうな笑顔と至福で満ち溢れていた。


(大河内さんのお母様ですね)


きっと彼女も、その顔に微笑みを浮かべているに違いない。


僕は、窓際から少し離れ、自分の居る部屋を見回してみた。


僕が通されたあの広々とした居間ではない、それよりは少し小ぢんまりとした部屋であった。揃えられた家具に、そのセンスの良さが窺える。


そして。


部屋の中央より窓側に置かれた丸テーブルの上を見た。


ギョッとしてしまった。


例の飾り箱が置いてあるのだ。


大河内さんが書いたイラストそのものの飾り箱が、そこにひっそりと存在している。


その時、僕の真正面に位置するドアが突然、バタンと開かれた。


その突然すぎるできごとに、驚きのあまり、僕は微塵も動けなかったのだ。


(おわ、)


夢の中で注意すべき点。本人はもちろんのこと、その他の登場人物に接触しないよう、僕はいつも細心の注意を払っていたのだが。


そのことが頭をよぎっても、僕はそれでも一ミリも動くことができなかった。


登場人物との接触。それはその夢の内容を大きく曲げてしまう恐れがあること。そして不測の事態に見舞われる恐れがあること。


この時、僕はドアから入ってきた人物にすっかり見つかってしまい、恐れ慄いてしまっていた。


僕がその場で息を殺して立ち尽くしていると、そんな僕には一向に構わずにその人物はつかつかと部屋へと入ってきた。飾り箱を持ち上げて腕の中に抱える。すると、踵を返して部屋を出ていってしまった。


呆然と。

立ち尽くすしかなかった。


そして混乱する頭がようやく落ち着きを取り戻してくると、僕は慌てて窓際へと駆け寄り、外を見た。


そこにはもう、誰も居なかった。


地面には、男の子が回していた縄跳びが。

蛇のようにグニャリと横たわって残されていた。


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