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眠り屋 〜夢の綴り帳〜   作者: 三千
指先の、その体温が。 −無花果
33/63

愛しい




『指先の、その体温が。』





膨大な本の数々。それは気の遠くなるようなくらい豊富なジャンルに分かれている。


図書館。


人間がその一生の時間を使い果たしたとしても、読み終わらない大量の本がある。

僕はここで、永遠にも近い時間を、過ごす。その時間の無情さを同時に、この肌身に感じながら。


今までに僕が読んだ本の数などは、その永遠という存在の尻尾にすら届かないような、そんな微々たるものに過ぎないのだろう。

いつまで経っても辿り着けないゴールなんだなあ、などと思う。


僕は時々。


この図書館の一番奥にある一人用のソファに腰掛けて、そんなようなことを考えたりして、物思いにふけることがある。

携帯を持っていないので、電源を切ったり、その存在を気にすることもない。


「うっそでしょ、スマホ持ってない人なんてこの世に存在するわけ? いないでしょ‼︎ 0パーでしょ‼︎」


時間に縛られないということは、心を解放することに似ている。


「あはは‼︎ そんなこと言っちゃってえ。ただ単に、ぼけっとしているだけでしょ‼︎ 先生はっ」


静寂をびりびりと破るように響く、甲高い声。女子高校生はさらに僕をぶった切ってくる。


「ほんと先生はヒマ人だなあ。ちゃんと本を読んでるかも、あやしー。読んでるフリして寝てんじゃないのお⁇」

「おまえ、ちょっとうるさいぞ。ここ図書館だっつーの」


(まあ、はるひ。おまえの言う通りだけどな)


認めると途端に、あくびが……。


それにしても、この図書館。

いや、図書室という名称が正確だ。市内では有名なお嬢さま学校の、その敷地の一角。

さすが私立と言わざるを得ない、この設備。


とにかく。この建物一棟が丸々、図書室なのだ。信じられるか?


(大学図書館なみの規模だろ、これは)


片手に持って開いていた、読みかけの本に目を落とす。

すると、すかさず。

例の、容赦のない女子高生が話し掛けてくる。


「ねえ、先生ってば」

「なんだよ、さっきから。うるさいな」

「だからあ、今度のテスト範囲、もうちょっとせばめてくれないかなあ」

「はあ? はるひ、おまえいい加減にしろよ。授業でやってんのに、テストに出さないって、そんなことあり得るか?」

「んもうっ‼︎ じゃあ、どんな問題が出るのか、ちょっとだけ。ね⁇」

「……どっちみち教師としてアウトなことさせんなよ。はよ帰れ。本が全然、読めないだろーがよ」

「なんだよう、いつも寝てるくせにい」


まったく、イマドキの女子高生ってのは、本当に。お前を好きだっていうやつの気がしれん。


あの制服は確か、隣町の男子校。サッカー部か野球部かは知らんが、そのキャプテンだか主将だかってヤロウが、学校の正門前で、はるひに堂々とコクってきやがった。


体育会系が、文化系を好きになんなよな。一目惚れだと⁉︎ 笑わせるな‼︎

しかもガチの帰宅部だぞ、こいつ。


僕は湧き上がってくる怒りに任せて勢いよく立ち上がると、スタスタと歩き出す。


「あ、先生っ、ちょっと待ってよ‼︎」


背中にかけられる声を振り切って、図書室のドアを乱暴に開けた。


✳︎✳︎✳︎


夢の話をしよう。


気づいたのは、二ヶ月前。それ以前から、見ていたのかもしれないし、見ていなかったのかもしれない。


「覚えていた」のは、長く降り続いた梅雨のような雨が、ようやくひと段落した頃。それは空気にじっとりと湿気を含んだ夜だった。


僕は、夢から覚めて、ひどく驚いた。


それは、自分が受け持つクラスの生徒でもなく、人材不足で仕方なく顧問を引き受けているオセロ部の生徒でもない、ただ見たことがあるだけくらいの、柏木はるひが、僕の夢に出てきたからだった。


確かに、僕は化学の教科担任だから授業では会うし、だからはるひが高1の段階から化学を捨てていることも定期テストの結果で知っていたし、そんな程度の顔見知りではあるけれど。


確かに、実験やら実習やらで、実験係のはるひにいろいろ器具の設置とかを頼んではいて、しかもそれを受ける時、非常に嫌そうな顔で「うえ」を連呼することも知っているけれど。


けれど、一つだけ。

心当たりがあった。


それは入学式の日のことだった。


はるひが花の高校生活を送るべく、この高校を選んで入ってきた日。

僕は、大遅刻してきた彼女に会った。


その日、僕は入学式の案内係を仰せつかり、折りたたみ机を出して、門の前を陣どっていた。が、受付も終わり、入学式がもうすぐ始まろうという時間となったため、体育館に戻ろうと準備をしていると、そこへ走り込んできた女子生徒がいた。


僕は、パイプ椅子を折り畳もうとしていた手を止めた。


「おい、遅いぞ」


叱責の声をあげた僕を見るや否や頭を下げて、「チコクしましたあ」。


大きな声と大きな口で「寝坊ですー‼︎ スンマセンっ‼︎」

深々とお辞儀をして、ばっと頭を上げる。


ぼさぼさな髪。はあはあと、あがった息。


マジか、おまえ。くつ下の長さ、左右で違うぞ。


僕は、呆気にとられてしまった。


はるひが、顔を上げる。

にひっと笑う、その笑顔。それがキュートな笑顔なのか、それとも野性味溢れる笑顔なのかは、判断つかなかった。それぐらい動揺している僕がいた。


結局その日は終日、「かわいい」なのか「ブサかわ」なのかは、判断はつかなかったけれど、そのはるひの笑顔は、僕の胸に深く刻まれたというわけだ。


「あーーこれですこれこれっ」


彼女が指す、名簿の上段、1年3組。出席番号5番。


柏木はるひ。


それ以来、僕の奥底に刻みつけられた、はるひの名前。


だから、夢に出てきたって、おかしくないんだよ。


けれど、夢の話はこれでお終い。

これ以上でも、これ以下でもない。


✳︎✳︎✳︎


その日、私は忍び足で、その標的へ、そろそろと近づいていった。


敵は、この温い空気感と、マンガの新刊のような本の香りただよう中、ぐうぐうと惰眠をむさぼっている。


音を立てないように十分に気をつけながらイスを引き、敵の向かい側に座る。


彼は机の上に重ねた両腕の上に頭を預けて、ぐっすりと眠っていた。

時々、その長い指が。

それが条件反射であるように、ピクッと小刻みに動く。


私はそっと、その指に触れた。


指先は、その体温を確かに感じ取り、そして。


先生の体温が伝い伝わってきて、このまま溶けて一つになれたらな、なんて乙女に思う。


そして、指でそっと触れながら。

私も眠るのだ。


眠り姫のように。

あはは、お姫さまだなんて自分で言うのもおこがましいけれど‼︎

目の前にいる男性は間違いなく、私の王子さまなのだ。


「センセイ、かのうセンセイ、」


起こさないように小さく小さく、その名を呼ぶ。途端に満たされる。


好きなんです、先生のことが。


私は眠りについてからも、そうやって伝え続けるんだ。

先生に、伝わりますようにって。


先生が私を、好きになりますようにって。


✳︎✳︎✳︎


「こらっ、はるひさん‼︎ あなたは全然、人の言うことを聞かないんだから。まったくもう‼︎」


珍しいと言える、『眠り屋』矢島さんの、怒り口調。


私は反省してまーすという表情を作って、なんとかこの場をやり過ごそうとした。


「ごめんごめん。お許しくださーい」


ペロリと舌を出すと、矢島さんはもっと大きな声をあげて言った。


「そんな顔してもだめですよっ。どうせ反省もなにもしてないんでしょ。けれど、本当に許されないことですよ‼︎ もう、二度としないと約束してください」


そうなのだ。私は今、私が人知れず試している『あること』について、本当は全然反省していなくて、しかも矢島さんにはそれを見抜かれているのだ。


「でもだって、別に悪いことをしているわけじゃない……」


そう言葉を続けると、それを遮るようにして、矢島さんが声を荒げる。


「人の夢に無断で入り込むだなんて、いけないことですよ」


ピシャリと言われる。


「矢島さんだって、同じことしてるじゃん」


私が少しだけムカついて放った言葉を、矢島さんは容赦なく跳ね返す。


「違います。僕は、依頼者に依頼されて夢に入るのです。自分の利益だけのために他人の夢に入ったことはありません」

「……でも、ただの夢なんだからいいじゃん。どんな内容の夢を見たって、たいして……」

「だめです‼︎」


バチンと高い音がなった。

矢島さんが、自分の太ももを平手で叩いた音。


「夢を侮ってはいけませんよ」


痛そうと思う間もなく、矢島さんはまくし立てた。


「夢ってのは、夢を見ている本人の現実にも、良い意味でも悪い意味でも、ダイレクトに影響を及ぼすんです。あなたに、他の誰かの……」


ここで、矢島さんが言葉を言い淀んだ。

言いたいことは分かる。


他の誰かの人生について、自分が責任を持つことができるのか、ということでしょう。


普段、温和な矢島さんにここまで言わせている、そう思うと胸が少しだけ痛んだ。

けれど、私にも言い分がある。


この稀有けうな力。

使わずにどうする。

使わないなら、それこそ宝の持ち腐れ。


そんな気持ちが透けて見えたのか、矢島さんは呆れて言った。


「はるひさん、君はちっとも反省していないですね」



✳︎✳︎✳︎


「……うわ」


思わず、上げた声がうわずっていた。半目に飛び込んできた視界がぐるっと回った気がした。


やばい。

これは、やばい。


勢いよく頭を上げるとふらと脳が揺れて、一瞬、自分がどこにいるのか混濁した。

ばくばくと打つ心臓を落ちつけようと、胸ポケットら辺のワイシャツを掴む。


僕はゆっくりと辺りを見回した。見慣れた風景。

場所を理解すると、本の香りがどっと鼻腔に流れ入ってきて、正気になれとビンタでもしてくるような感覚だ。


目が覚めて、頭も覚めて、それから僕は唸った。


「ああ、これはまずいぞ。マジでやばい」


いつも通り、図書室の一角で、眠り込んでしまった。

けれど、それがやばいのではない。


夢に。


はるひが。


……キスを、


してしまった。


これは、僕の願望か?

女子高生にキスはまずいぞ、それがたとえ夢の中だろうと。


好きなのか?

好きなんだろう、それはわかってる。


僕は、天井を見ながら、大きくため息をついた。


そうだよ、それがまずいんだ。


隠さなければいけない。

この気持ちと、彼女とを。


それなのに。


僕は観念して、目を閉じた。掴んだ胸ポケットは、手の中でまだドキドキと脈打っている。


この図書室へ来ると、会える。

会えるのだ。

いつもそれは夢の中。

もちろん、会えない時もある。


けれど、それでも。

夢でも良いから、はるひ、君に会いたくて。


願望がエスカレートしていて、夢もそれを表すかのようにどんどんとエスカレートする。


家ではほとんど、はるひの夢を見たことはない。けれど、この図書室に来ると、はるひは現れる。


なぜなのだろうか。

この膨大な量の書物が、なにかに作用しているのだろうか?


キスなんて、するべきじゃない。相手は女子高生。そして僕は教師だ。


けれど、もう、限界だろう。

これ以上は。


はるひを好きな気持ちだけが日々募っていき、ついには欲しくて欲しくて仕方がなくなり、そして。


引き返せなくなる。


「はあ、不毛だな」


重苦しい気持ちは、なにをやっても晴れることはない。これが許されないものであるなら、僕は僕であることを放棄しなければならない。


僕は、その日から。

図書室に通うことをやめた。

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