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眠り屋 〜夢の綴り帳〜   作者: 三千
遠恋 −ハルジオン
23/63

嫌いになるばかりで




『遠恋』




遠恋。


皆んながこぞって、

「大変だねえ」

「それ続くの?」

「側に居ないのって、意味なくない?」

そんなこと、一度として思ったことないのだけれど。


新幹線に乗って会いに行くと言うと、

「お金、大変じゃない?」

「時間もお金もなんかさあ、もったいね」

だからこそ、バイトを幾つも掛け持ちして、そのためだけにお金を貯めているのだけれど。


「月に二回しか会えないの? そんな無理して付き合ってても、絶対ダメになるって。続かないって、ムリムリムリ、私なら絶対に無理だわ」


絶対に無理。

一番堪える言葉。


親友かもと思っていた紗江子さえこにまでそう言われて、私は途端に孤独に陥った。

ただでさえ、あの人は遠い。


「でも私はさあ、この空があの人に繋がっているって思うだけで、それだけで嬉しいっていうか、生きていけるっていうか」

そう自信を持って言っていたのに。


けれど、何度目かに同じことを言ったら、

「バッカじゃないの、そんなの思ってるのはあんただけだよ。あんたは学生で、向こうは社会人なんでしょ? それなのに交通費も出さないなんて、絶対におかしいから。そういう男はさあ、あんたに来させておいて自分は向こうで浮気してんだよ。絶対にそう」

そんな風に返されて、傷ついた。


悲しい、と思う。


そんなことは絶対にないと言い切れない自分と、私みたいに誰かを真剣に好きになったことがないから羨ましいんでしょ、と彼女に対して毒づく自分。その両方がせめぎ合う。


—元気にしてる?こっちはもう桜が咲き始めてるよ。そっちはどう?

—仕事が忙しくて、桜なんて構ってらんねえよ。

—そっか、仕事がんばってね。身体に気をつけて、無理しないで。


「そんなことでいちいち連絡してくるなよ」


どうしてこんな時期に、桜は咲くのだろうと、いつも思う。人が一年のうち一番忙しなく動き回る、こんな時期に。

社会人は配置換えや転勤で、慣れない職場に振り回される、最も疲労困憊する時期なのに。学生だって、新しい学校、新しい教室、新しい友達関係に大忙しだ。


こんなにも儚く美しい花が、この世界に存在するというのに。


綺麗だね、などと嘆息しながら、足を止めて見上げる余裕もない。


そして。

たったこれだけの彼とのメールのやり取りで。

私は桜を好きではなくなった。


桜の花の美しさを、今の今までこれっぽっちも疑わず、ずっとずっと愛でてきたというのに。この桜の季節は、もしかして神さまが創り上げた奇跡かもしれないと思うほど、敬愛してやまない季節だったというのに。

そう、自分が大好きだった桜が、こんな軽い日常会話で、いとも簡単に嫌いになってしまったことに、やっぱり傷つくのだ。


もう直ぐ満開。

下から見上げてみる。

桜の花びらが、真っ青な空にぽかりと浮かんでいる雲の白さに映えて、揺れる。


その青と白と桜色が織りなす色彩模様が、瞬きをするその刹那に、私の目蓋の裏にまで焼きついて離れない。


「好きだったのにな……」


長袖のカーディガンの少し長めの裾が、風に乗ってひらひらと揺れた。


私の首元にもその風がすいっと触れていき、少しひやりとした感触を伴って、くすぐっていく。カーディガンの胸の部分をぐいっと片手で引き寄せて、首元を隠した。


まだ少し肌寒いこの風で、季節外れの風邪なんてひかないように気をつけなきゃ。

どうかあなたも、気をつけてね。


「そんなことくらいで連絡してくるなよ」


二度、そう言われて傷つくのが怖くて、仕方なしに私はこの青い空へと、言葉を放つ。


空は繋がってはいる。けれど、きっとあなたはこの空を見てはいないのだろう。

見てはいないのだろうな。



✳︎✳︎✳︎



向かったビルの二階に、その事務所は本当にあった。

住所は聞いてきたので、まああるだろうとは思っていたけれど。


『眠り屋 どのような夢でもご相談ください 矢島』


私は一旦、その玄関の前で息を整えた。

そして、ここへ来る前のやり取りを頭の中で反芻してみる。


それは私が仕事に使う付箋とメモ帳を、アケミマートというスーパーの店内を、ぶらぶらし探し歩いていた時のことだ。


「お前は夢とか見ねえの?」


イケメンな店長(名札に花月とある)に問われて、愛嬌のある若い店員(名札に広瀬とある)が、ダンボール箱からおまけ付きのお菓子を取り出しては、棚に手際良く並べていた手を止めた。


「見ないっすねえ。いや、見てるんだろうけども、……うーん、見ないっすねえ」

「はは、本当に見てないのかどうか、矢島やじまさんに確認してもらったら?」

「そんなの確認してどうすんですかあ」


パタンと音がした。どうやら商品を一つ床に落としたらしい。


「見てるかどうか、気にならねえの?」

「全っっ然、気にならないっす」


1ミリも興味を持っていないという、素っ気ない返事。

けれど店長は、「ふうん、あっそう」と言ったっきり、それを特に気にしている様子もない。

それより何より、部外者の私がその話に興味をそそられた。


(夢を見ているかどうかを確認する、ってなんなの?)


そして、私は少しの勇気をもってして、その店長に話し掛けたのだ。


「あの、さっきの夢がどうとかって話、詳しく聞かせてくれませんか?」


店長と店員は動かしていた手を止め、顔を見合わせた。

けれど、その経緯を話してくれたのだ。


(夢の中に入るだなんて、変な話……)


けれど話をしているうちに、この店長がイケメンにもかかわらず、さっぱりとして清々しく、気持ちが良い人とわかり。

その途端に思ったことと言えば。


あ~ぁ、この人を好きになったら良かった。


「うまくいかないもんだなあ」


呟きと自分のままならない心を持ったまま、買い物袋を持ち直してドアを開ける。そして、アケミマートを後にした。


✳︎✳︎✳︎


『眠り屋』の事務所のインターホンを押す。


ピンポンという音が鳴ったのを指で確認してから、私はその主が出てくるのを待った。すると、思いのほか短時間で、その人は直ぐにドアを開けて出てきた。


「はい、こんにちは」


こんなにも完璧な丸眼鏡を見るのは久しぶりだなと思う。私は、こんにちはと挨拶を返した。


「どのようなご用件ですか?」


私がその場で簡単にアケミマートの店長の紹介の旨を話すと、それはそれは人懐っこい笑顔で、中へと招き入れてくれた。


アケミマートの店長によると、ここは夢に関する相談を請け負ってくれる、夢の探偵(?)のような仕事をしているという。「眠り屋」の矢島さんは人柄と仕事ぶりは間違いないっすよと、イケメン店長とジャニーズ顔負けの店員の二人が、同時に太鼓判をぽんっと押した。


その太鼓判の理由が少し分かるような気になる、この風貌と雰囲気。イケメン店長とはまた種類の違う、その童顔に親近感のようなものを感じた。


(よかった、この人なら大丈夫そう……)


彼は私を大きなソファへと座らせると、少しの時間を掛けてコーヒーと薄皮饅頭を手にし、のれんの向こう側から戻ってきた。


「組み合わせが、何かすみません。あんこには日本茶が合うんでしょうけど、今お茶っ葉を切らしていて。さっきもお話に出てましたけど、アケミマートで買ってこなくちゃって、ずっと思ってはいるんですけどね。これがなかなか」

「気にしないでください。あんこもコーヒーも好きですから」


コーヒーを口にした。ふわっと香ばしい香りが鼻に届く。


彼は私が手を付けずにいたミルクと砂糖に目を遣ってから、

梶田かじたさんはブラック派、ですか」と、言う。


「はい、矢島さんは?」

「僕は甘党なんで、ミルクも砂糖もたくさん入れますよ。でもこのお饅頭が……」

薄皮饅頭を手に取ると、ビニールの包装紙を破り始める。


「とてつもなく甘そうなので、砂糖は少し控えましょう」

パクッとほうばると、うん美味い、甘い、などと言って堪能し始める。


「梶田さんも、どうぞ」

そして、私にも勧めてから、ニコッと笑った。


この分かりやすい笑顔。これは笑顔ですという見本のような微笑み。


私はまた、あ~ぁ、この人を好きになれば良かったのにな、と思った。


けれど、それでも。

今は遠い遠い場所にいる、彼の面影が脳裏に浮かんでくるのだ。


自分のことがどうしようもなく呆れた気持ちになり、私は饅頭をとって包装紙を指でめくった。


✳︎✳︎✳︎


「遠距離恋愛ですか、それはまた難儀ですね。彼氏さんのところへは車で?」


(難儀、)


あまり言われることのない言葉すぎて、私は一瞬、視線を迷わせた。


「眠り屋」の事務所の一室。

黒電話。アンティークなチェストに、古めかしい戸棚。白いコーヒーカップが三揃え、そしてティーポット。木板の床。少し、ギシギシと音を立てる。


「し、新幹線です」

「新幹線⁉︎ 新幹線ですかあ。乗ったことないなあ。それで、どれ位かかるんですか?」

「二時間、くらいかな」

「うわあ、ここから二時間で着いちゃうわけですか。新幹線、速い~」

「はあ、」

「毎週末?」

「週に二回、行ってます」

「おおぉ」


先ほどからメモをしたり驚いたりを繰り返しながら、矢島さんはしきりに感嘆の言葉を挟んでいる。けれど、彼の方はこっちに来ないの?とは、聞かれなかった。


「で、その間に夢を見る、と?」

「はい、」


私は返事をして、彷徨っていた視線を矢島さんの丸い眼鏡に定めてから頷いた。


「駅を出発すると直ぐに眠たくなっちゃうんです。後は向こうの駅に到着する直前までは、ぐっすりと寝てしまっています」

「乗り過ごしちゃわないですか?」

「終点ですから大丈夫です。それに、スマホのアラームをかけてますから。側に置いておけば、大体起きられますよ」

「そうですか。スマホって、目覚まし機能もついてるんですか。便利なんですねえ」


そこで、矢島さんは一息つくように、コーヒーに口をつけて、ゴクリと飲んだ。私も同じようにして、一口飲む。


「……それで、梶田さんは、……困って、いる?」


その矢島さんの探るような一言で、そうか困っていないといけないのか、そう察知すると、私は少し考えてから言った。


「困っている、っていうか……いつも同じ夢ばかり見るんです。もう飽きちゃって。たまには他の夢も見たいなあって」


それを聞いて、矢島さんはキョトンという顔をした。


「普段は? 普段も同じ夢を?」


私は、「はい、まあそうですね」と曖昧に返す。


実は、夢を見るのは新幹線の中だけだと白状してしまうと、週二のことだし、どうってことないじゃんと言われて断られそうな気がして、普段から同じ夢を見ると嘘をついてしまった。


「そうですか。それにしても他の夢も見てみたいとは、今までにない依頼ですねえ。分かりました。引き受けますが、ちょっと難しい案件ですので、作戦を練らせてください。で、その夢の詳細は?」


私は、淡々と話し続けた。

彼に会いに行く新幹線で、いつも見る夢について。

彼が出てくる、唯一の私の夢を。そして、大切で大切で、愛しくて苦しくてどうしようもない、私の夢を。


それを終わらせるために。

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