琥珀の思い出
そして。アケミマートの若き店長の件は、これで解決となるはず……だった。
が、これで終わりではなかったのだ。
薫風かおる五月のこと。
事務所に飛び込んできた花月くんの慌てぶりを見て、僕までもなんだなんだと慌てふためいてしまった。
「ちょ、ちょ、矢島さん‼︎ 聞いてくださいよ‼︎ すごいんすよ、マジでちょう凄いっすよ‼︎」
「なになに、なんですか? いったい何があったんですか?」
興奮する花月くんをいつものソファに強引に座らせると、僕も向かいのソファに座った。
「うちに来たんすよ、じいちゃんの恋人だった女の子‼︎ ほら、この前の依頼の‼︎」
「……ん? ……んあえぇえ‼︎」
「マジっすよ、来ちゃったんすよ‼︎」
彼女は鈴木 志乃と名乗ったという。
落ち着きを取り戻した花月くんによると、志乃さんは清楚な京美人だった、ということ。そして、花月くんと同い歳というのは、実は花月くんの思い違いで、二つ歳上とのこと。
「そうそう、志乃ちゃん、そうだったそうだった、あの頃も可愛かったけど、めっちゃ美人になってたー」
「その方と話したんですね。ありゃりゃ、ミケという可愛い嫁がありながら、鼻の下、伸ばしちゃって……」
美人だと聞いて、なんかだかよくわからない殺意がわく。イケメンめ。
「っと、それより彼女はどうしてアケミマートに? 引越し先から戻ってきたんでしょうか」
まだ収まらない興奮を抑えることもせず、花月くんは早口で喋りまくる。
「それが、桔平さんいらっしゃいますか、桔平さんに会いに来ましたって言うんっすよ。ちなみに俺のことはあんま覚えてねえって、はっきり言われましたよ……マジ辛い」
無残にも玉砕して落ち込んでいる花月くんを見て、僕はよし、と、こぶしを握った。
「で、先代は亡くなられたと、お伝えしたのですか?」
「はい、まあ。数年前にって。そしたら、会いに来るのが遅かった、間に合わなかったって言って、そのままそこで泣いちゃって……大変でしたよ」
苦笑いの後、店に戻らなきゃいけないんでと、慌てて帰っていく花月くんを見送り、僕は花月くんが話してくれた内容を頭で反芻していた。
まるで琥珀の中に閉じ込められたような、美しい思い出。
「そうです私、桔平さんのことが大好きで大好きで。まだ幼い私でしたが、ずっとこのまま一緒にいたいと思っていました。お慕いしていたんです。本当に心から。特に笑った顔が優しくて、大好きで。桔平さんは、子どもの私が何を言ってもどんなことを言っても、笑って許してくれました。いつも無理を言って、桔平さんを困らせているのだと、自分でも分かっていたんです」
涙を甲で拭う。
「……それでもそばにいたくて」
そして、彼女が薄茶色のカバンから。
壊れ物を扱うような丁寧さで出した、一枚の紙。
文机の引き出しの底から見つけた恋文と同じような古めかしさの、薄茶色の紙。それはセピア。
見ると、先代の商品リストと同じ商品名がずらりと並んでいた。
その文字は老人が書いたそれではなく、幼い少女の辿辿しさで、けれど一つ一つの商品の名前を、丁寧に書き記したものであった。
それを見て、花月くんはピンと来たようだ。
「それ、じいちゃんと一緒に書いたんすね」
「はい、これは私が書き写したものなんです。引っ越しが決まって、でも私、桔平さんと離れたくなくって、こちらのお宅で大泣きしてしまって、桔平さんを困らせた日です。その時、私を慰めるために桔平さんが言ってくれました。このリストの商品を全部、お店に並べることができたら、きっと楽しいお店になるだろうから、そしたらまたおいでと。頑張って揃えておくからねと、優しく言ってくれて」
指先を濡らす、涙。
「このリスト、私が商品カタログから選んだ物も入ってるんですよ。私が選んだ商品を、桔平さんはこれは良い商品だ、ぜひ入荷しなければって、笑って書き足してくれて。私、それだけで嬉しくて幸せで。それで、あの日。桔平さんの目を盗んで、桔平さんのリストの裏に、こっそりラブレターを書いたんです、そしたら……私、引越し先に到着するまで気がつかなかったんですが、私の書き写したリストの裏に返事をくれていて……」
「そうだったんすか、じいちゃん後生大事に仕舞っていましたよ、そのリスト」
その言葉を聞いて、彼女は嬉しそうに笑ったという。
「私もです」
僕はそんな風に一生に一度の大恋愛が、ずっとずっとこの先も遺されていって、そしてこれからも大切に誰かの手によって守られていく、そんな風景を見せられて、言葉を失くしてしまうほどの感動で、身も心も震わせた。
先代の深い慈しみを感じ、志乃さんの深い愛情をも感じた今回の依頼。
花月くんが帰り際、晴れやかな笑顔で振り返って言った。
「志乃ちゃんが持ってたリストの裏、じいちゃんからの返事、何て書いてあったか気になります?」
僕は素直に、頷いた。
「僕も貴女を愛しています、っすよ。じいちゃんやっぱ、かっけーなって思って。俺、リストの商品、なるべく粘ってコンプリートしますよ。志乃ちゃんのメアドも、ゲットしたんで‼︎」
意気揚々と走っていく花月くんの背中。
何となくその時、先代はこうなる結末を予測してたんじゃないかなどと、僕は邪推して、笑った。
「まあ、それならそれで。ミケは僕が嫁に貰いますから、結果オーライってことで」
僕はそっと呟くと、キッチンの食料棚の引き出しから、ネコ缶を二つ取り出し、紙袋に入れた。
そして、玄関に向かう。
踊り出しそうな軽い足取りで。
そうだ、あの道端に咲く、幸せのシロツメクサをたくさん摘んで、両手に余るほどの大きな花冠を作ろう。そして、ネコ缶とともにミケにプレゼントしよう。
いや、ミケの狭い額にはちょっと大きいかな、などと思い巡らせながら、事務所のドアの鍵をゆっくりと回した。