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眠り屋 〜夢の綴り帳〜   作者: 三千
私を思い出して −シロツメクサ
21/63

きっと叶う


「え、じゃあ、夢のじいちゃんはやっぱり俺が創り上げてる妄想ってことっすか?」


僕は、相変わらずひざにミケを乗せて、相変わらず喉をゴロゴロとやりながら、相変わらず花月くんが淹れてくれたコーヒーを啜っていた。


アケミマートの従業員の皆さんを早めに帰した日、朝から降り続いていた小雨ももうすっかり上がりきった、少し肌寒い夜。


僕は花月くんの夢へと入り、そして思案を重ねた上での結果を、花月くんに伝えていた。


「ええ、でも実は確証があっての判断ではありません。花月くんが夢を見ている間、その周辺をうろうろとしてみましたが、特にこれといって特筆すべきことはありませんでした。そう、いたって普通の夢だったのです。問題がありそうには見えなかった、ということです」


「じゃあどうして、聞いたことのない商品とか……、憶えてないだけかなあ」


「その可能性が大きいですね。昔、聞いたことがあるにもかかわらず、今までに忘れてしまっていた商品名が花月くんの奥底に散らばっていたとしましょう。おじいさんの夢を見ることで、それが一つ一つと掘り起こされている。そう考えて良さそうなんですけどね」


僕はミケの頭に手をやり、そしてスイスイっと撫でた。


「けれど、先ほども言いましたが、確証は全くありません。今のところ、その夢を見続けることで花月くんに直接の害はないと思いますが。それでも何か様子が変わったらまた教えてください。まあ取り敢えず、夢は夢であってもちろん先代の幽霊などではないと、申し上げておきましょう」


「……そっすか」


花月くんはまあ、納得し切れないという顔はしていたが、これでいい。


(さあ、先代。こんなところでしょうか?)


僕は花月くんに少し似たところのある面影に、心の中で話し掛けた。


夢の中で、久しぶりに先代に会うことができて、僕はかなりの嬉しさを抱えていた。気を張っていなければ、緩んだ口元を花月くんに見られてしまうと、顔じゅうの筋肉に力を入れて耐えていたほどだ。


おっと、先代。あと、あなたのことで、伝えなければならないことがありましたね。


「花月くん、一つ分かったことがあるのですが。どうやら先代が遺した幻の商品リストが現実に存在するようです。お忙しいとは思いますが、それを探して貰えませんか?」


「幻の商品リストっすか? なんだろう、それは。……まあ、親父に訊けば、分かるかなあ」


この事実。

声を大にして言うのも憚れるが、実は夢の中で直接、先代に聞いたものだった。


最初。眉根を寄せ、不安そうな表情を浮かべながら、先代は立っていた。

生前は柔和な表情を崩さなかった先代の、その表情に僕は、つい負けてしまったのだ。


「なにか、お困りごとがありますか?」


すると。


「わしの作った商品リストを探してはくれまいか」


そう、先代と交わした言葉の数はそれほど多くはなかった。


「わかりました」


けれど、夢の内容に直接、僕が関与してしまったこと。触れてしまったこと。


そういった場合があるということは、事前に行ったインフォームドコンセントで伝えてはあったとはいえ、今回の件は、僕の中に留めておいて内緒にしておかねばなるまいと思った。


それは、僕がわかりましたと言った時の、先代の安堵の表情。

心のどこかにあった引っかかりを解消すべく、僕に託してきたのではないかと、思えて仕方がなかったからだ。


果たして、花月くんは特に気にした様子もなく、父親に尋ねるために、ジーンズのポケットからスマホを取り出そうとした。


僕はそれをやんわりと制止し、


「リストはご自分で探さないと意味がないですよ。いいですか、先代の遺品の中から、花月くん自身が骨を折って探してください。その点に意味があるんですから。どうぞ、それだけは守ってくださいね」


いくら夢の中の先代本人にリストの存在を聞いたからと言って、結局のところ、花月くんの思い出の中の記憶でしかないのだから、僕のしようとしていることは、この時点で間違っているのかも知れない。


先代本人が本当に、リストを探して欲しいなどと、思っているかどうかなどは、もう知る由もないし、確認する術もない。


本人はもうすでに、この世の人ではない。


これは、依頼人である花月くんの記憶の中に深く埋もれた「何か」を掘り起こす作業に過ぎない。そしてそれが実際掘り起こして良いものなのかどうかは、結果が出るまで誰にも分からない。


(けれど、先代、どうか安心してください)


あなたが大切に育てた花月くんは、あなたの想いを、それがどのような真実だったとしても、きっと背負ってくれるはず。


アケミマートを辞す。


すっかり暗くなった道すがら、僕はぽつぽつと照らされる電灯の中、道端の片隅にひっそりと咲くシロツメクサの花を見つけ、嬉しくなった。


その中からこれという一つを拝借し、鼻に近づける。

ふわりと匂う野の香り。


昔、近所の女の子に混じって、この丸みのあるころころとした可愛らしい花を幾重にも編んで、花冠にしたっけ。

編んだ花冠を頭に乗せて、みんな顔をほころばせて幸せそうにしていたっけ。


シロツメクサには、幸運や幸福、という意味がある。

けれど、もう一つ。


「私を思い出して、ですね」


花月くんの夢で、先代が僕にリストの存在をこっそりと教えてくれた時。


「きっとあなたの役に立つよう努力します」


僕がそう言うと、先代は優しく微笑んだ。

先代と交流があったあの頃のことを思い出す。


どんな時も、いつの時も、柔らかく柔らかく、笑う人だった。


僕は手にしたシロツメクサの花の茎を親指と人指し指でくるくると回しながら、事務所への帰り道を歩いていった。


✳︎✳︎✳︎


「矢島さんは、知ってたんすか?」


チャイムが鳴り僕が事務所のドアを開けると、神妙な顔をした花月くんが立っていた。


事務所の二階。廊下側の小窓から射し込む夕陽。


花月くんの高い背をさらに高くしようとして作り出すその影が、長い足元から何ともみっともない形でぐにゃりと歪み、伸びている。


手には一枚の紙切れ。


その紙が、薄茶色のセピア色に染まっているのは、この夕焼けのせいではないようだ。


「……見つけたんですね」

「はい、見つけたっす」


僕の言葉をなぞらえるように、繰り返す。その顔つきはまだまだ神妙だ。

僕は薄っすらと笑い、彼を事務所の中へと招き入れた。


中へ入ると、花月くんは少しだけ、はあぁと意味深な溜め息を吐きながら、一人掛けのソファにどすっと勢いよく腰を下ろした。


僕がキッチンへ入ろうとするのを手でストップのジェスチャーを作る。


「あ、お構いなく。すぐ帰るっすから。店番、広瀬に頼んできたんで」


ジャニーズ顔の元気印が、レジカウンターの中で、ぷりぷり怒っている姿を想像して苦笑する。


花月くんは、手に持っていたセピア色の紙を、慇懃に机の上に広げた。


「これ、探してるあいだにっすね、なーーーんか、もやもやしててですね」


その紙に手のひらを何度も押しつけたり撫でつけたりして、折り目を正す。


「思い出せそうで、思い出せないっていう感じのもやもやで。んで、考えて考えて考えてたらですね。じいちゃんがよく座ってた小さな文机があったのを思い出したんすよ。んで、探してみたんっす。そしたら普段は使っていない倉庫から出てきて……」


紙を前にして、花月くんはふむ、と腕組みをした。

イケメンめ。

けれどよし、長い腕でも腕組みの仕方は、どうやら僕と同じだ。


「これだこれだって思って、その文机を一周ぐるっと見たんすよ……で。小さな引き出しがあってそれを開けたらですね。その瞬間に思い出したんすけどね」


少しの興奮の中、花月くんは進める。


「そう言えばじいちゃん、引き出しの底の裏側に何かを隠してたなって」

「え、引き出しの裏ですか?」


軽く頷く。


「俺が小さい頃、じいちゃんがこっそり隠しているの見ちゃってたんすよ。その時じいちゃん、しまった見つかったって顔して。いいか花月、これは秘密だぞって言って、ウィンクしながら……」


僕はその場面を思い浮かべて、ふふっと笑ってしまった。


僕がアケミマートに通い始めた当初、先代はもう人生で言う「晩年」に差し掛かっていた。


その柔らかい笑顔と物腰。


僕はその頃、最愛のリエコさんと七緒の二人を亡くしたばかりだった。自分では修復できないほどの大きな痛手を負って、自分が自分でなくなってしまっていた時期。


そんな僕をいたわり、励まそうとしてくれたのが、アケミマートの先代だった。

そっと、美味しいお茶とお菓子を出してくれ、僕が泣き終わるまで一緒にいてくれた。

そして、一緒に泣いてくれた。


「そんなじいちゃんがですね。なーーーんか、ちょーーーっとカッコよく見えたりしてたんっすけど、こういう理由があったんすね」


花月くんが差し出してくる。茶色に変色した紙。セピア色の。その中を覗き込む。

そこには、商品名の羅列。


手書きで、癖のある字。

いつも僕が買い物に行くと、「眠り屋」と書いた領収書を切ってくれた、右上がりの、癖のある字。


「あるねぇ、『ちょっと待ってケロ、鍵かけたケロ?』。あはは、本当にあるねぇ」


「そうなんすよね、俺が夢でじいちゃんに指示された商品で間違いないっす。俺、このリスト過去に見てたんすよ。じいちゃんがいない時、何を隠したのか、何の秘密だったのか、どうしても気になって。引き出しの裏からこうやって剥がしてですねえ……」


花月くんは、少し複雑に折ってあっただろう、そのリストを器用に折り畳み、元の形に戻してから、また改めて開けていく。


その手元を見ていて、僕は気が付いた。


「あっ、」


リストの裏に何か書いてある。


「複雑に折ってあるから、メモの殴り書きかと思ってたんすけど、……広げるとこれ、」


僕の方に向きを変えてから、渡してくるので、僕はそれを受け取った。


一読して、赤面する。

これはこれは。


「すごく情熱的ですね、ははは。これはまあ、言うのも憚れるほどの……ごにょごにょ……」


桔平きっぺいさん、あなたを愛してます。どうか私をお嫁さんにしてください。あなたとずっとずっと一緒にいたい」


僕が恥ずかしくて読み上げられなかった文章を、花月くんがなんのこともなく、さらりと読み上げる。


ぐぬう、これは若さゆえなのか、それとも⁉︎ イケメンという人種にとって、愛の言葉を吟ずることなどはヘデモナイ、ということなのか⁉︎


「これ読んだ時、一瞬じいちゃん、浮気してたのかよって思ったんすよー……」

「いやあ、あの堅物な先代が浮気だなんて、考えられませんけども」


僕も精一杯の援護射撃。


「そうなんす。で、俺。思い出したんすよ。俺が小さい頃、店によく遊びに来てた女の子がいて。俺と同い年くらいなんすけどね。俺、その子のことがちょっと好きだったんすけど、聞いて驚くなかれ。その子に、あなたのおじいちゃんのことが好きなのって言われてですねえ。ええええ‼︎ ってなってですねえ」


「そうなんですか……って、ええええ‼︎」


僕は思わず、叫んでしまった。


「……えええっ‼︎ だって、花月くんが小さい頃とはいえ、その頃、先代は……」


「まあ、うちのお袋も早くに俺を産んでるんで。でもじいちゃんその頃、六十くらいっすよ。で、そん時の俺、十歳そこそこ。五十も離れてるのにこれって、あり得なくないっすか。いや、歳が離れてるって以前に、十歳て‼︎ まだ俺、現実受け入れられないんすけど。ロリコンにもほどがあるでしょこれー。じいちゃんマジでか……くそっ」


花月くんは絶句し、僕が持つリストとも手紙とも言える紙をデコピンのようにぱちっと、中指で弾いた。


「うむむ、そういう話を聞いちゃった後なら、確かにこれは子どもが書いたような字に見えますけども。……ラブレターですか、おませな女の子ですねえ。でも先代がですよ、その子と真剣に交際してたっていう確証もないわけですしね。子供の戯言ざれごとと軽く流していたのかも知れませんよ。花月くん、その可能性の方が高くないですか?」


「まあ、そうっすけど。俺、この紙こっそり盗み見たって言いましたよね。その時、あ、これはその子がじいちゃんに書いたラブレターだって気づいたんすよ。でも俺、その子好きだったから、あーフラれたーってことしか考えられなくて。すげえショックで、早く忘れたかったんすかね。それから、その女の子、引っ越ししていっちゃったんっすよね。まあ、この子と仲良かったってんなら、じいちゃんも寂しかったのかなあ……俺、自分がフラれたことがショックで、全然気が回らなかったなあ。今さらっすけど」


花月くんは複雑な顔をしていた。


それもそうだろう。一気に色々な事情が分かってしまって、しかもそれはこんがらがってしまったヒモのように複雑な内容で。

それをほどいて過去のことと流して笑うには、もう少し時間が掛かるのかもしれない。


人にはその歳になって、初めて理解できる心情もある。


まだ若い花月くんも、小さな少女からの恋文を大切な宝物のようにして、文机の引き出しの底にそっと隠すという秘めた恋というものを、いつか理解できるようになる日が来るのかも知れない。


「あーーーじいちゃんにやられた感がハンパねえ。花月、秘密だぞって言ってウィンクした時、何つーか、ドヤ顔っつーか……俺がその子のこと好きだって知ってたんすよ、あれ絶対に‼︎ 花月、悪いな‼︎ この子、じいちゃんのことが好きなんだとよ、残念だったなあ‼ ︎みたいな感じっすかね。完全に思い出してみれば、……なんかムカつく顔してたわ」


「まあ、確かに先代も、花月くんに負けず劣らずのイケメンでしたからね。それは認めますよ。とても感じの良い、カッコいい好々こうこうやでした」


花月くんが、それはそれは悔しそうに言う。


「そうそう。俺、じいちゃんに負けてましたもん、バレンタインのチョコの数」


「あはは、そうですか。十歳の可憐な女子からラブレターを貰うくらいですからねえ、さすが先代です」


「でもまあ、思い出せて良かったっす。矢島さんのお陰ってことで。で、今日はお礼も持ってきたんすよ」


謝礼というか、依頼料は必要ないですよとあらかじめ断りを入れていたので、僕は再度その旨を伝えた。


いつも、花月くんにはお世話になっているし、先代にも助けてもらった過去がある。

僕は気持ちだけ頂いておきます、と言った。


のだが。


「でも、これレアものっすよ。絶対、矢島さん喜ぶと思って」


僕は花月くんが袋から出して手にしているものを見て、唸り声を上げた。


「むむむ、これは沢田さわだリコちゃんのサイン入りTシャツ」


「卒業コンサート向けに限定で書かれた生サインっすよ。手に入れるの、大変だったなあ。でもまあ矢島さんが要らないってんなら、うちで売っちゃいますけど」


「あああ、マジですか……なんだか花月くんが、鬼か悪魔に見えてきましたよ」


僕は、むむむなどと、意味のない抵抗を繰り返していたが、最後には負け(?)て、礼を言ってTシャツを受け取った。


「ああ、こんな幸せ、他にありませんよ。本当にありがとうございます」


幸せそうにサイン入りTシャツを抱き締める僕を、花月くんがしばらくの間じっと見てくる。


「矢島さん、リコちゃん相当好きっすよね。矢島さんのお陰で、じいちゃんのロリ、じゃなかった、じいちゃんの恋心がちょっと理解できたっす」


そう言うと、爽やかに笑って、事務所を去っていった。


手にはセピア色の恋文。


僕は、時代がこうして移り変わっていっても、決して色褪せることのない恋心を見せられて、複雑な気持ちでいる花月くんには悪いけれど、正直、嬉しくもあった。


夢は想いの結晶。


先代の強い想いが花月くんに伝播して、こうして未来へと紡がれていくことが奇跡のようにも思える。


それはもちろん姿形すがたかたちのないものだけれど、そこには確実に力強い存在があって、それはなかなか壊れず、揺るがず、ただただそこに在り続けるのだ。


僕が花月くんの夢で久しぶりに出逢った先代の柔和な顔。


『矢島くん、ありがとうね』


そう先代に言われた気がして僕は少し笑うと、手にしたTシャツを綺麗に畳んで引き出しの奥に仕舞い込んだ。

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