継ぐ
『私を思い出して』
「にゃあ〜」
「ちょっと矢島さん、ミケばっかかまってないで、仕事してくださいよ」
アケミマート閉店後。
外はすっかり暗闇に包まれているというのに、この店内ではまだ煌々と電気を灯し続けている。
棚卸し。早春の夜。
僕は所狭しと積み上げられた段ボール箱の迷路をかいくぐりながらようやく辿りついたカウチソファに、どしりと腰を下ろしていた。
レジ横にある、お客さん専用のソファだ。
「いやあ、花月くん、こんな可愛い子、どこを探したってなかなかお目にかかれませんよ……ああ羨ましい。嫉妬すら覚えますよ」
「にゃーん」
両脇に手を入れて持ち上げると、だらんとタテに伸びる愛嬌満点のこの姿。可愛い。可愛すぎる。
日にちは戻り、晴天の空が数日、麗しく続いていた先月の初め。
長い入院生活を送ることとなった近所の老齢の飼い主の代わりに、このアケミマートで美人の猫を預かっていると聞いた僕は、さっそくネコ缶を片手にやってきた。
そして、この少し硬めのカウチソファを、我が物顔で陣取っていたミケと出会い、一目惚れ。
「あああぁぁ、もう最高に可愛いっ」
結局のところ。駄菓子屋のおばあちゃんは、退院後もミケを世話することができないということから、花月くんに引き取って欲しいと言ってきたらしいのだ。
そんなわけで、正式にアケミマートに引き取られることとなったのである。
「ああぁ、可愛いですねえ、本当に可愛いですねえ。花月くんが心から羨ましいですよ、こんな愛らしい嫁ができて」
「ヨメ⁉︎ 今、嫁って言いました⁉︎」
花月くんが食ってかかってくるのを無視して、ミケを抱き上げた両手を横に揺らしてみる。
ぶらんぶらん。
身体をだらーっとタテに長く伸ばして、ぶらぶらと振り子のように揺れるさまは何度見ても愛くるしい。
「それにしてもミケだなんて、安直な名前が過ぎますよね。駄菓子屋のおばあちゃんのネーミングセンスを疑います。もっとこうオシャレな……キティとか、……き、キティ、」
花月くんが、さっきからダンボール箱になにやらを詰めていて、ガムテープでしっかりと梱包すると、キュキュキュと言わせて、油性マジックでなにやらと書いている。
「……矢島さーん。名前それ以上、思い浮かばないんでしょ。だったらもう、ミケのままでいいっすよ」
若干イライラとした素振りを見せながら、机にドンッと音をさせながら、花月くんはガムテープを乱暴に置いた。
「矢島さん‼︎ それよりですよ‼︎ 一体いつになったら、俺の話を聞いてくれるんっすか。ミケと遊んでばかりいないで、今日こそはちゃんと仕事してくださいよね。矢島さん、聞いてんっすか? まったくもうこの人はほんとに……」
「分かった、分かった。いいよ、聞いてるから話してごらんよ」
僕はミケを膝に乗せたまま、顔を花月くんに向ける。
おっと、花月くんのこの真剣な表情。
僕は背筋をぴっと伸ばして、襟を正す。
「はい、どうぞ」
「それ。何回目のどうぞっすかねえ。さっきからミケと遊んでばっかで、全然聞いてないじゃないっすか、もうっ」
「ごめんごめん、だって棚卸しが大変そうだし、邪魔しちゃ悪いかなって」
アケミマート。
この一風変わったスーパーに、僕はずいぶんとお世話になっている。
それは、もちろん食料品や生鮮食品、生活雑貨の品揃えは言わずもがなだが、こんなの買う人いるの? という商品まで取り揃えているという、スーパーなスーパーだからだ。
たとえばこれ。この、でかくて先の細いピンセット。なんに使うかといえば、ボトルシップを作るときに使うという。
「花月くん、このアケミマート周辺で、趣味はボトルシップ作りです‼︎ と豪語する人が、いったい何人いるのかってことですよ」
「けれどこれ、カメレオンの生き餌を摘むのにもってこいなんっすよ」
「へー、そうなんだ……じゃない。いやいやだから、カメレオン飼ってる人が、いったいこの界隈で何人いるのかって話ですよ」
無限ループの会話。
とにかく、そんなわけで不思議グッズを取り揃えるがために、地元の競合スーパーよりは、若干高めの値段設定となっている。
だが、これほどの種類の(珍)品揃えと、この若きイケメン店主である花月くん、そして「明るく元気」を絵に描いたようなジャニーズ顔の広瀬くんと、受注発注オールマイティに務める美人事務員の奥田さんが、この店の好感度をアップし、客を呼び込んでいる。
そしてさっき挙げた通りの、その道の玄人さんが喜びそうなレアグッズのあれこれ。
ここでしか手に入らないですよ、というプレミア感と同時に、これは売れないでしょう、という残念な雰囲気を同時に放っている、そんな異彩でスーパーなスーパーなのだ。
「それにしても、花月くんが頑張ってこのアケミマートを切り盛りする姿を見て、きっと先代も喜んでいらっしゃいますよ。亡くなる前から、商才のある花月くんに店を継いで欲しいって、口癖のように言っていましたからね」
「まあ、俺の親父はこの店には無関心、後を継ぐの嫌がって、さっさと公務員になっちゃいましたからね。でもまあ、小ちゃい頃から俺、この店うろうろしてたから、商品もだいたい頭に入ってたし、この店好きだったし。結果オーライっすよ。……でね、そのじいちゃんのことなんですけどっ‼︎」
ここで説明させていただくと。
僕は普段、このアケミマートでは、このカウチソファでミケとじゃれ合ったり、前述した美人事務員の奥田さんにお茶を淹れてもらって、世間話をしたりしているけれど、決してフラフラしている放浪人というわけではない。
ここからそう遠くない、オンボロビルの二階に「眠り屋」という事務所を構えている。
その仕事内容はといえば、夢で困っている、夢に困らされているなどの、夢に関する依頼を受け、僕みずからが依頼者の夢へと入り込み、原因を探って解決に導く、というものだ。
依頼は月に数件ほど。それをこなして依頼料をちょうだいしている。
「はいはい、わかってますよ? 先代が夢に出てくるっていう話、ですよね?」
花月くんは、一年くらい前から先代のおじいさんの夢を見るようになったという。
そろそろ僕にこねくり回されるのにも飽きてきたミケを、それでもしつこく離さない僕を横目に、花月くんは相変わらずダンボール箱になにかしらを詰め込みながら、話を進めていった。
「……矢島さんときたらまったくもう……。とにかく‼︎ その、じいちゃんの話なんですけど、俺の夢に最初出てきてた時は、無言だったんすよ。俺も初めは懐かしー、じいちゃーん、なんて軽く思ってて。でもそのうち、アケミマートの商品について話しかけてくるようになって。店の経営がなってないとか、そういうんじゃなくて、どこどこの何とかっていう商品を仕入れて欲しいっていうことを言ってくるんっす」
「へえ、それは例えばどんなものなんですか?」
「例えばっすね……ワダ商事の『ちょっと待ってケロ、カギかけたケロ?』っていう、カエルの形をしたフックのついた置物なんすけど、知ってます? それを入荷するようにって、指示してきたんす。まあ、俺も最近は人気が復活し始めてたの知ってたんで、二、三個試しに店に置いてみたんですけどね」
「あ、それって、カギを取るとフックが上がって、『カギ、カケタケロ?』って音声が出るやつですよね。僕、持ってますよ。しかも重宝してます。っていうか数ヶ月前、ここで買ったんですよ。あの商品って、花月くんの夢に現れた先代のアドバイスだったんですね」
「そうっす。で、物忘れが激しいお年寄りにはもってこいっていうことで。娘さんやお孫さんがおじいちゃんやおばあちゃんへのプレゼントにって、コンスタントに売れるんすよ。そんで、うちの定番商品になりつつあるってわけ」
「へえ、ではおじいさんのアドバイスが功を奏したということですね。で? それ以外にもいろんな商品をご所望なんですか?」
「そうそう、一ヶ月に二三のペースで、商品を仕入れるようにって、夢に出てくるんす」
そこで花月くんはカウンターから出てきて、近くに置いてあるコーヒーメーカーからポットを持って来て、温かいコーヒーを僕のマグと、彼のマグ両方に注いでから戻った。
「でもですねえ。それが、大当たりの商品と大ハズレの商品の落差がすごくって。一個も売れないやつもあるんすよ。でもまあ、今まで言われた商品は全部、俺も気になってたっていうか、入れようか迷ってたやつなんで、だから、まあいっかなっていうノリで、カタログから探してじいちゃんの言うこときいて、仕入れてたんすけど」
花月くんが、コーヒーを新たに注いだマグカップを持ち、首を傾げながら口につける。
むむむ。イケメンは背が高いに加え、首もすらりと細く長い。
天は、これという人物には二物も三物も四物も与えるものだ。世の中は不公平だらけ、一つくらい僕にくれたっていいのに、と心で文句を言いながら、メモを取る。
「俺、カタログ読破してっし、最初は俺の願望みたいなのが夢に表れてんのかなって、思ってて。あんま気にしないで続けて入荷してたんすけど。ほら、普段よく考えてることが夢に出るって、あるじゃないすか」
「それが妥当な解釈でしょうね。潜在意識が夢に表れるって、よく言いますし、事実そのパターンが多いのは認めます」
「でしょお⁉︎ でも、いつからだったか忘れちゃったんすけど、カタログに載ってない商品の名前が出るようになって。今までで……そうだな、五、六回くらいってとこかな。まったく俺の聞き覚えのない商品で。でね、その商品カタログに載ってないってことで問屋に問い合わせると、だいたいが廃番商品になってるってわけっすよ。昔の商品過ぎて、今はもう取り扱いがないっていうヤツです」
ふうん、僕は軽く返事をして先を促す。
「でも、俺が知らない商品ってことはですよ。それってじいちゃんしか知らない商品なんだから、そうなるとじいちゃん本人が夢に出てきてるってことになるんじゃなかろうかと。ちょっと考えたら、恐くなっちゃって。もしかしてじいちゃんが蘇って幽霊とか霊魂とかで、俺の夢に出てきて……って、マンガの読み過ぎっすかね」
花月くんの顔は、苦虫を噛み潰したようなテイストが少し混ざってはいるが、僕が今まで見たことのないと言っても過言ではない、真剣な眼差しをたたえている。
これはまた不思議な夢だ。
僕は、最後の一口となったコーヒーを一気に流し込むと、パタリと愛用の手帳を閉じた。
その拍子に、僕のひざの上でいつのまにか丸くなって眠っていたミケが、びくんと身体を跳ね上げる。シッポがニョロと動いた。
「夢の話は以上ですか? ふむ、わかりました。それでは、次回お会いした時に夢の中へ入って調査してみます。いつが都合が良いですか?」
僕は、僕の膝の上ですっかりくつろぎモードのミケの狭い額に手をやると、すいと軽く撫でてやった。
なーと喉を鳴らす猫なで声も、ああああ可愛らしい。
「では、明後日の夕方なら。早めに終われるんで」
花月くんがレジ横に掛けてあるカレンダーに目をやり、スタッフの出勤時間を確認する。
「分かりました、では明後日に」
僕はもう一度ミケの猫なで声を聞きたくなり、その狭い額に手を置いた。