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眠り屋 〜夢の綴り帳〜   作者: 三千
真白(ましろ) −宿根カスミソウ
13/63

花屋


「その花屋はねえ、やってないよ。待ってても、たぶん無理だと思うよ」


そう言った、誰かの言葉。そこにいくつの、真実があるのだろうか?


……白い指は、もうとっくに、『花』を放棄したのだろうか?





真白ましろ





馴染みのベーカリーへと向かう道の途中に、一軒の花屋がある。


築年数がかなり経っているのか、建て構えはレトロだが味があり、そこも良い。とにかく、僕はその花屋が醸し出している雰囲気が、とても好きだった。


けれど、実は。

オープンしているのを、このかた見たことがない。


僕は、いつもこの花屋の側を通る度に、店内の様子が気になって仕方がなかった。


それは、


一、僕が構えている事務所の周辺に、その店以外の花屋が見当たらない。


二、僕が生計を立てている『眠り屋』の仕事で、季節の花々を仕事道具として使っている。


以上の二点から、僕は気軽に寄ることのできる花屋というものを、常日頃から欲していたからだ。


依頼者を眠りへと誘う花のほとんどは、それまでどうってことのない道端や、どうってことのない空き地から、調達していた。


けれど、まあ事務所の近くに花屋があれば、それはそれで助かるだろうと、ここ最近はずっとそう思っているのだ。


事務所に置いてある古い電話帳によると、事務所から一番近い花屋は、ここを除くと、一つ隣の町にしかない。

隣町までは歩いて行けなくはないので、どんなものだと一度足を運んだことがあった。


けれど、その花屋の無駄に広くて、煌びやかなことと言ったらない。


「げ、なんなんですか、ここはあ……」


ここは桃源郷か天国かとツッコミたくなるほど、色とりどりの花が所狭しとどっさり並べられている。


水を張ったバケツには、一ミリの隙間もないほど、花束がぎゅんぎゅんに詰め込まれていて、 花用の大きなショーケースには、高価極まりない花の代表格であるバラなどがずらりと揃えられている。


その様。色合いなどはまるで無視‼︎ ……の、色狂いの様相を呈していた。


それはもう、辟易するほどの美しさだった。


僕は落胆して、しょんぼりしたまま帰った、というわけだ。


そんな全国展開しているチェーン店との経緯もあって、僕は心の底から質素な……もう一度言うが、『質素な』花屋を欲していたのだ。


いつも決まった曜日に予約を入れているワチパンベーカリーのバゲットを手にした帰り道、そのこぢんまりとした花屋を覗いてみる。


ああ今日も開いていないぞ。


普通はカーテンかブラインドなどで店内は見えなくしたりするものであるが、この店は一切、そういった装飾の類を嫌っているようにも思える。


と言うよりは、店主や住人を失った寂しい花屋というような佇まいが、僕の興味を誘って止まないのだ。


こんなにも空は晴れて、気持ちの良い昼下がりなのに。

覗き込んだ店内は、その外の健全さと裏腹に、薄暗く陰鬱であった。


僕は不審者候で店内を覗き込むのを止めると、くるっと足先を事務所へと向けた。


「このお店の本来の姿を見てみたいものです」


呟くと、手には余りある長さのバゲットを持ち直し、ようやく歩き出した。


✳︎✳︎✳︎


毎年、この頃になると一度や二度、必ず激しい雨が降る。そんな激しい雨が原因で、桜の花びらが完全に散らされたりして、ちょっと嫌な気分になってしまう、そんな季節。


桜が葉桜へと姿を変えて、初夏の香りが少しだけ風にのって、鼻をくすぐっていく頃。


僕はいつものようにバゲットを買ってから、知り合いの画家が画を出品している画廊へと足を運んでいた。


僕の仕事『眠り屋』の元依頼者であり、今ではすっかりお茶友達である瑠璃さんの、幻想的な画を堪能した後、満たされた気持ちでほくほくとしながら、くだんの花屋の横を通る。


今日もやっていないだろうと半分諦めの視線でふと、店を見る。

すると。なんと、店の明かりが灯されているではないか。


僕は驚きながらも、近づいていき、中を窺い見た。


さらに驚くことに、可愛らしく優美な花たちが、肩を寄せ合いながら盛られて並んでいる。


カーネーション、デイジー、ガーベラ、チューリップ、ストック、かすみ草


照明の柔らかな光に照らされて、アンティークなバケツの中で謙虚に息をしているそれらの花々の姿を見て、僕は心底、美しいと思った。


店主を失って冷え冷えとして薄暗かった店内の、現在の何と暖かで華やかな姿だろう。


けれどそれは決して行き過ぎた華美ではなく、控え目で気持ちの良い華やぎであった。


シンプルな店の外装に合わせてあるのだろうか、内装もレトロな棚やバケツ、ジョウロなどで飾られてはいる。けれど、不必要な物は殆どと言っていいほど、なにも置かれていない。


その清々しい割り切り方に、僕は気持ち良さを感じる位であった。


嬉しさから小躍りしたいような気持ちでドアに手を掛ける。

自動ではなく、手動の横滑りのシンプルな硝子戸。

カラカラと軽快な音をさせて開く……はずだった。


けれど、硝子戸はびくともしない。

鍵が掛かっている。


「あれ、開いてないですね」


何度手に力を込めて、横に滑らせようとしても、その度にカギがガチャリと音をさせるだけで、決してドアは動かない。


硝子戸の内側に掛けてある小さな焼杉で作られた看板には、確かにまあ、「closed」とあるのだが。


店の中やその辺りを見渡してみたが、店員らしき姿もない。


「いったいいつになったら、オープンするのでしょうか」


呟くように言ったその時、がっかりと落胆した僕の背中を哀れと思ったのか、声を掛けてきた人がいた。


「その花屋はねえ、やってないよ」


その声の方へと顔を向けた。


近所の人だろうか、上下ジャージの中年男性が腕を後ろに組んで立っている。


「いつ開店するのでしょうか。お店の準備をしているようですが」

「いや、多分ね、当分やらないよ」

「やらないって、オープンはしないって事ですか?」

「そうそう、多分ね」


僕は再度、店の中を覗いてみた。

店内の装いは、後はオープンを待つだけ、のように見えるのだが。


「でも、お花が準備されていますよ。ここまでやって、オープンしないってどういうことでしょうか」


中年男性が顔をしかめる。


「言っても良いのかなあ、あのね、ここの人ね、」


ちらっと店内に目を遣る。

話すのを躊躇している様子を見せたが、実際はそうでもないようだ。

するすると言葉が出てくる。


「病気なんだよね、心の病ってやつ。だから、ここんとこ、花は用意して準備するみたいだけど、開いたことないんだよねえ。毎年、夏の初めくらいから開けるんだけど、結局は途中でダメになっちゃうみたいだよ」

「駄目に、」

「そうそう、花屋って客商売じゃない。だからさあ、接客っていうの? 人と話すのが、ちょっと難しいんだろうな。調子の良い時と悪い時の差が激しいみたいだよ。ま、これはうちのカミさんの話だけどね」

「そうですか」


僕はとても、残念に思った。


ずっと心待ちにしていたのに、そういう事情を知って、いつかはオープンするだろうという薄っすらとした希望も砕かれてしまった。


「だからねえ、待ってても、たぶん無理だと思うよ」


話好きの男性はそのまま、何事も無かったように去っていった。

ウォーキングだったのだろうか、腕を勢い良く振っていくその後ろ姿。


けれど、僕はそんな話を聞いても尚、その場から離れ難かった。


こんなにも花々が純粋に美しいのに。

この店内の雰囲気も、僕にとってはとても落ち着く、そんな柔らかい場所なのに。


「このお店の店主はどのような人だろうかと、楽しみにしていたのに」


硝子戸に手を当てたまま、少しの間その場に佇んでいた。


✳︎✳︎✳︎


「このお店は、まだ開店しませんよ」


ある日、僕の背中に声が掛かった。


次にも、うわさ話の好きな、近所のおばちゃんであろうか、そう思って振り返ると、薄っすらと口元に微笑をたたえた女性が立っていた。


切れ長の、薄茶色の瞳が印象的な、美しい人だった。

買い物袋を肩から提げ、その重みで体が少し傾いている。

栗色の髪が肩の線で整えられ、歳は幾つくらいだろう、と思ったところで、


「すみません、このお店は夏までは開けないのです」


その一言で、僕は知った。

この人が、この花屋の店主である、と。


僕は相手のことを考える前に、鬱積うっせきしていた自分の気持ちが、口から溢れ出てしまうのを、抑えることができなかった。


なんと、初めて会った人だというのに、不服申し立てをしてしまったのだ。


「突然で申し訳ないのですが、僕はこの花屋さんのオープンを、長い間待っていました。このお店はとても素敵な花屋さんです。花もとても美しいです。それなのになぜ、オープンしないのですか?」


こんなことは、自分で言うのもなんだが、珍しいことだった。これほどまでに早口で不満を吐露するなど、今までに決してなかった、ような気がする。


「無茶を言うようですが、僕のためだけでも、開店して貰えませんか?」


あ、と思った。何という暴挙に出てしまったのか。


言ってから、僕は僕の我儘わがままが、相手に無理難題を押しつけていることを悟り、深く深く後悔した。

しかも、何度も言うが、今日初めて会った相手に対して、なのだ。


僕は、慌てて詫びを言った。


「すみません、僕、初対面の方に。自分本位で大変失礼なことを言いました。お詫びします」


女性は最初、驚きの顔を見せていた。そりゃあ当たり前だろう。面と向かって店が開いていないと文句を言ってくるヤツが、この世にいるなんて思いもよらなかっただろうから。


女性は首をかしげると、ふっと吹き出して言った。


「そんなにお待ちいただいていたんですね」


何とも、その笑顔からは小花でもぽぽんと飛び出してきそうな、そんな可憐な笑顔。

その返事に、慌てて返す。


「は、はい。心待ちにしていました」


彼女は口元に手を遣って、もう一度笑った。


「ふふ、よくお店の前でうろうろされてましたもんね」


あれ、バレていましたか、頭を掻きながら頷く。


「すみませんが、今日は包装紙などなんの準備もしていないので、明日でもいいでしょうか? 明日でよければ、どうぞいらっしゃってください。十二時にお店を開けますから」


僕はそれだけでもう嬉しくなって、はいっ、と弾むように返事をした。


そして、彼女は軽く会釈をすると、硝子戸の鍵を開けて、中へと入っていった。

店内の優しい光の中へと溶けていくように。そう、花たちに迎え入れられ、包み込まれるようにして。


店主を迎えたこの花屋は、前と違ってとても生き生きとして見える。ドアが閉まると、ふわり、ふわりと花々の香りが漂ってきた。


僕は鼻の奥へと届いた幸せに、満足した気持ちを抱えて帰途についた。

何という奇跡だ、店主に会えるとは。


今日は良いことがあったぞと、帰り道の足取りも軽かった。

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