導く竜2
重たそうな厚い雲が空を覆い、舗装された道を歩く紫苑が、嫌そうに天を睨んだ。
「降りそうだね」
濡れるのは嫌だな、また風邪を引いたりして心配させたくない。
「体が冷えると動きがどうしても鈍くなる。何かあっても対処できないかもしれない」
「あ、そっか。竜族だものね」
気温の変化に弱い彼の、緩慢になった様子を見てみたいと思ったのは黙っておこう。
ここはアースレンの中でも有数の商業都市ゴーラだ。アースレンは白銀国と並ぶ巨大国家だが、周りには人間の治める数十の小国があり、各国からの物流の大半がゴーラを通り、首都ソリュシアへ向けて運ばれる。
たくさんの店が並び、珍しい他国の品々が店頭に並んでいて見ているだけで楽しい。雨に備えて、屋根の無い店はパラソルを代わりに広げたりしている。
人通りも多くて、見慣れない顔立ちや民族衣装を着た人もいる。
「どこかでご飯にしようか?」
繋がれた手を逆に引っ張って、『多国籍レストラン・ドラゴンブルー』と書かれた看板のあるブルーで統一された建物に入ってみた。
店内は、ベタな名前の割にはシックでお洒落な雰囲気の内装で、私達は隅の窓際の席に座った。
メニュー表には、『美食家の竜も唸る』との謳い文句と共に長い料理名が並んでいる。
「…………………よくわからないな」
「…………人気メニュー『黄金色の雫~希少茸マニアッソンのエキスは美容にいい、そのパスタと前菜三種とデザート付き、お好みでパン付けます~』を2つお願いします」
選ぶことを放棄した王子様に代わり、注文を頼んだ。分からないときは、人気メニューを選べばハズレはない。
メニューを見て楽しんでいたら、紫苑が私をじっと見ていることにふと気付いた。
「紫苑?」
「………ゴーラの町は楽しいか?」
「うん。私自分の住んでいた町以外、殆ど出掛けたことがなかったから、凄く新鮮で面白いわ」
「そうか」
窓からは、ひしめき合う店や賑やかに人々が行き交う光景が見える。こんなに人がいたら、私達二人なんか紛れても分からないんだろうな。
ほんの10年前に戦争をしていたとは思えないぐらい都市部では開発が進み、戦の傷跡は表面上は目につかない。まだ遠い地方では荒れている部分はあるが、それでもめざましい復興は、実は白銀国の手厚い資金援助のお陰らしい。
「ここを通って北へ進めばサンザル山脈に出る。目立たない所で竜になって、山脈を越えてずっと遠くの小さな国にでも……」
そう言う彼の表情に、微かな不安が覗いている。
「誰も知らない所で、山奥の洞穴でもいいからお前を完全に隠してしまって、それから」
「どうしたの?」
向かい側からテーブルに置かれた彼の手を握ると、降り始めた水滴が硝子を伝う影が、彼の横顔に掛かった。
「…………きっとこの天気のせいだな」
私の手を両手に包み、紫苑は目を伏せた。
「お前の家の周りにいた見張りは、全て人間だった」
「え、黒苑様の手の者ではないの?」
「………もしかすると」
「お待たせ致しました。人気メニュー『黄金色の雫~希少茸マニアッソンのエキスは美容にいい、そのパスタと前菜三種とデザート付き、お好みでパン付けます~』です」
紫苑が言いかけた時、注文の料理が目の前に運ばれてきた。きっちりメニュー名を省略せずに言い、店員さんが皿を置いた。
湯気の立つ黄金色のスープにからめられたパスタは、とても食欲をそそる。
「何?何か言いかけたよね?」
「いや、憶測だからいい。それより食べるか」
私の手を離し、紫苑はまずパンを手にした。
「………また今度、私ご飯作るね」
「ああ、あの食堂の料理はどれも旨かったな。ローゼも厨房で修行がてら作っていたな」
「うん。色々料理を教わったんだ」
「いつも仕事に真剣に取り組んでいたな。客には誰にでも笑顔を絶やさなかったし……そこのところは俺は気に食わなかったが。ち、男共の緩んだ顔といったら、そいつらは皆俺が灸をすえてやったがな」
笑顔なんて自覚してなかったな。
「………営業妨害してたのね」
以前働いていた食堂に私を見に通っていた紫苑を思い出すと、笑いが零れる。あの頃、彼がどんな気持ちで見守っていたか私は全く知らなくて、紫苑はヤキモキしていたんだろうな。
「お前の手料理、楽しみにしておく」
「うん」
でも何十年も何百年も洞穴に隠されて手料理作っていたら、きっと飽きるだろうな。
窓に打ち付ける水滴の音を聴いていたら少し寒さを感じたので、熱々のパスタを口に運んだ。
モチモチした麺とスープの旨味に、頬が落ちそう。
紫苑と出逢わなければ、こんな美味しいパスタを食べることもなかっただろう。そう考えると不思議だ。
一人だったら、私はあの町から出ずに一生を送っていたかもしれない。でも今の私には、以前のように一人で生きていく強さは無い。
だって、紫苑が傍にいるから。
「寒くない?」
「いや、暖かい」
また私を見ていた彼は、問いを緩く否定した。
「一人じゃないから」




