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導く竜

 

「いいか、俺が合図するまでは、ここで隠れてろ」

「うん」


 私を民家の壁の隅に押し止めた紫苑は、そう言うや耳飾りを外して握ると長槍を出現させ、闇の中を駆けて行った。


 深夜で周りの民家の灯りも消えた暗闇に、しばらくすると微かに呻き声や打撃音が聴こえた。

 誰かが物音で目を覚まさないかと窺うが、特に変化は見られず安心していたら、暗がりに細く指笛が響いた。


 足音を立てないように表へ出て手探りで先へ進もうとしたら、いきなり抱き上げられた。


「紫苑?」

「ああ」


 暗くてよく見えないが、首に手を回して頭を凭れさせたら胸がドキドキしている振動が感じられたので、多分彼で間違いないだろう。


 直ぐに一軒の家の前まで来ると、私から鍵を受け取っていた紫苑が玄関を開けた。


「………中にはいないな」


 私を降ろすと、素早く玄関を閉めて施錠した彼が部屋の中を見回っている間に、私は玄関先の定位置にいつも置いている一つだけのランプにマッチで灯を点した。


 リビング兼キッチンの小さな部屋が淡い光の中に浮かび上がり、長いこと離れていたわけではないのに懐かしい気持ちが湧く。


 椅子に座って木のテーブルに顔をペタッとくっ付けると、馴染んだひんやりとした冷たさを感じた。


「長居はできないぞ、ローゼ」

「うん」

「どうした?」


 確認を終えて戻って来た紫苑が、ぼんやりしている私の髪を軽く撫でた。


「なんだか懐かしいなって」

「………そうか、来て良かったな」

「うん、ありがとう紫苑」


 涙ぐんで微笑むと、顔にかかる髪を掻き上げられる。


 小さくて古い家だけど、生まれた時から住んでいたここに、私は紫苑の導きで帰って来ていた。

 当たり前だが、私の家は見張られていたので、事前に見張りの配置と人数を把握してから、暗さで辺りが見えにくくなる深夜になるのを待っていたのだ。


 私が家に戻りたいと言ったわけではない。「家に帰ってみるか?」と問うたのは彼からだ。

 迷う私に、「お前に猶予も与えず呼び寄せたから、家に心残りがあるだろう?」と言ってくれた。


「私、もうここには戻って来れないと思ってた」


 台所で愛用のマグカップを見つけて袋に詰める。私が去った時のまま時は止まっていたようだった。

 見たところ、誰かが侵入して盗まれたり荒らされた気配は無くて、物の配置に変わりない。


「使者が来て、心の準備ができないまま直ぐに家を出たから、何も持ち出せなくて……」

「そうだったか」


 箪笥の引き出しを開けて、お気に入りの服を出している私を見ながらも、紫苑は油断無く外の気配を窺っている。


「18になったら直ぐに迎えを寄越そうと思っていた。ずっとその日を待っていて……お前からしたら急なことで戸惑っただろうが、俺はそこまで考える余裕が…無くて」


「ううん、一時的でも帰って来れたし、もういいの」


 余裕が無かったなんて言われて、恥ずかしくて嬉しい。


 服に少しの食器、母の形見の木櫛に、細々とした生活用品を袋に詰め込んで立ち上がる。


 家の中を、ぐるりと見渡してから紫苑に頷いた。


「行こうか」

「もういいのか?」

「うん」


 誰もいない家。10年前に火災は免れたとはいえ、母は玄関を出た所で死に、壁は焦げたのを直している。

 懐かしい両親の想い出と共に、悲しみが染み付いた家だった。


 よく一人で暮らしたものだと思う。以前の私には、この家が全てだったから。


「………これからどこへ行くの?」

「どこへ行きたい?ローゼが行きたい所へ連れて行ってやる」

「紫苑」

「暖かい場所がいいな。ああ、寒い所なら籠れる家が欲しい。お前と静かに番って暮らしたい」


 ランプの薄明かりに、穏やかに微笑む紫苑を見ても、私はそれが幸福だとは思えない。

 このヒトは、白銀国の竜族の王子。こんな所にいるべきヒトじゃないのに。


「そんな顔をするな」


 見上げる私の頬に手を添え、彼は困ったように眉を下げた。


「言っておくが、自分のせいだとか気に病んだりして、俺からまた離れようとか思うなよ。そんなことをしてもどこまでも追い掛けるからな」

「脅迫するの?」

「遠慮する必要がなくなったからな」

「……………」


 私が告白してから、紫苑の押しが「強」に切り替わったらしい。


 仕方なく荷物を片手に抱えると、彼が灯りを吹き消した。

 暗がりに手を伸ばしたら、すぐに握られて引かれた。


「掴まってろ」

「わ!?」


 玄関の鍵を開けた音と共に、ふわりと体が浮いて驚いた。どうやら肩に担がれているらしい。少し不安定で、片手で彼の背中の服を握って掴まった。


 やっぱり柑橘系の匂いがした。最初は香水かと思ったけれど、竜の紫苑からは更に強く薫ったから、もしかしたらこれは彼の体の匂いなのかもしれない。


「紫苑は、良い匂いがするのね」

「…………本当か?!」


 戸を開けて、素早く辺りを見回していた彼は、私の言葉に大変嬉しそうで、思わずといった感じで声を上げた。


「う、うん。そうだよ」

「そうか!」


 片手に長槍を出現させて外へと走り出した彼は、場違いなほどご機嫌な様子で、見張りのことを忘れたように喋り出した。


「竜族は、番の匂いが一番良い匂いだと感じる。それはもうクラクラするほど蠱惑的な香りだ。だが人間同士でも、好きな相手の匂いは、とても良い匂いに感じるそうだぞ」

「…………え」


 それを聞いた時、私は頭の中で、紫苑が今まで私の匂いを嗅いだ回数を数えていた。


 幸い倒れた見張り以外は誰もいなかったようで、彼は闇の中を私を抱えたまま通りを抜けて、家からどんどん遠ざかって行った。


「なあローゼ、いつから?いつから良い匂いだと感じた?どんな匂いだ?クラクラするか?」

「も………やだ、忘れてえ」


 彼の肩に顔を隠したら、ますます薫った。


「照れてる、ローゼが……照れて……はああ……」


 しつこく尋問していたと思ったら、今度は身悶えしだして、私の横腹に頬を擦り付けてきた。


 番を見つけた竜は、皆こんな風になるのだろうか。

 だとしたら、大変なんだろうな……













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