第二話:目覚め
日が昇り、オレンジ色の光が街を包んでゆく。
空はどこまでも高く、雲がゆったりと流れていき、鳥達が飛んでいく──
◇
「ん……」
チュンチュンと雀が鳴く声で目が覚めた。
久しぶりにグッスリ眠れた気がする。
今までは朝方までアニメを見ながら酒を飲み、その後寝ていても考え事や悩み事が急に浮かんできて、熟睡なんてロクにできなかったからな。
俺が寝ているベッドの布団は、フカフカでとても軽い。
枕もこのまま沈んで行っちゃうじゃうんじゃないのと思う程に柔らかく、かつしっかりと支えてくれている。
とにかく凄く心地いい。
しかしこれはどこのお宅の天井だろう、何処なのここは。
横を向くとテレビと机が見えた。ゲーム機もある。足元には俺の好きな漫画やCD、DVD等が収められた本棚。
ベッドから起きてカーテンを開け窓の外を見る。
四階位の高さから見える外の景色は、うちの近所と変わらないような町並みだ。
ねぇほんとに何処なのここ、日本じゃないの?
「もしかして全部夢だった?」
「そんな訳ないじゃないですか」
「おわっ!?」
いきなり背後から話しかけられたので全身がビクッとした。
振り返ると学ランを着た笑顔のエリエルがいた。
……なぜか学ラン姿。
「いきなり背後から話しかけないでよ、死ぬかと思ったじゃないか」
「いや、もう死にませんよ。ここは天国ですから」
エリエルは笑いながらそう言った。
「やっぱり夢じゃなかったのか、全部事実なんだな」
「そうですよ。さて、そろそろ出かける準備をしてくださいね」
「行くって何処に?」
「学校ですよ。ほらそこに学生服と教科書の入ったカバンを用意してありますから」
「冗談じゃないよ。三十八のオッサンが学ラン着て学校に行くなんてコントじゃないんだからさ」
「いえいえ、今のあなたは高校生なんですよ。ほら見てください。」
そう言ってエリエルは俺を姿見の前に連れて行った。
……誰かな、鏡に見た事のない人が映っているんだよね。
割と整った顔立ちで小顔、黒いストレートの短髪。
程よく腕の筋肉がついており、身長は百七十cm位で言ってしまえば異世界に行ってしまうような主人公みたいな見た目だ。
そして何より若い。
やっぱりどちら様だろうと首を傾げて考えていると、エリエルがこう言った。
「それがあなたなんですよ、伊佐也さん。あなたが望んだあなたなんです」
えぇーこれが俺か!
改めて全身をくまなく見ると、確かにコンプレックスに感じていた所が修正されている。
そうなんだよ、こういう顔に生まれたかったんだよ。
濃い目の顔立ちで強面だったのが、異世界ものの主人公のようなアッサリした顔になっている。
普通サイズの帽子が被れない位に頭がデカかったのが、小顔になっている。
くせっ毛で硬いから、伸ばすのが大変だった髪の毛もサラサラ。
それに若干鼻が上向……、もう止めておこう。
とにかく神様ありがとう!!
「そして私も、今日から伊佐也さんと一緒に学校へ通う事となりました」
「何でエリエルも一緒なの?」
「神様から伊佐也さんのサポート役を仰せつかったのです。さぁさぁ早く着替えて、朝ごはんを食べましょう。もう準備してくれてますよ」
朝ごはんか、エリエルが用意してくれたのかな。
そう思いながら着替えをして、リビングにへ向かうと──
「おっはようございまーす!!」
元気いっぱいの声が俺に掛けられた。
声の主を見ると茶髪をポニーテールにし、スラリとしたスタイルで、弾けるような笑顔をした、翼を生やしたセーラー服の美少女だった。
天使だ。
いや当たり前なんだけどさ、可愛い子の事を天使って言ったりするじゃない?そんな子とは比べ物にならないよ。なんたって本物の美少女天使なんだから。
そんな子が、三十八年間非リア充として生きてきた俺に、笑顔で手を振ってくれている。
「ご紹介します、この子は私の妹のプリエルです。この子も今日から一緒に学校へ通うんですよ」
「えぇっ、そそそうなの? よ、よろしくね」
美少女天使に話しかけられ、ドキドキしながら返事をしてしまった。
あれ……、一緒にって言った?
何なのこのラノベかギャルゲーみたいな展開は。
もしかして実は俺はラノベとかの主人公になっているのかという、訳の分からない推察が頭に浮かんできた。
「はいっ、私も伊佐也さんのサポートを一生懸命しますので、よろしくお願いしまーす」
プリエルはペコリとお辞儀をした。明るくて裏表というのが全く無さそうな子だ。
「さぁさぁ皆さん、挨拶が済んだ所で朝食を食べましょう」
エリエルに促され、皆でいただきますをして食事を始める。
ご飯に目玉焼き、焼き鮭、納豆。完璧な朝ごはんだ。
生前は適当にカップ麺で済ませていたのが長かったので、すっかり忘れていたが、そうだよこれが朝ごはんなんだ。
おなかいっぱいになり、三人で学園に向かう事にした。
エレベーターに乗り外に出た後、振り返るとごく普通のマンションが建っていた。
だが何かが違う、一見鉄筋コンクリート製に見えるんだが柔らかいようにも見える。
近づいてよく見ると、ガラスのような透き通った質感のものに色がつけられているみたいだ。
周りの建物も、同じもので作られているのかな。
支離滅裂に聞こえるかもしれないが、こう言う他に例えようがない。こんなの初めて見るんだから。
材質は違っても、こういう地上と変わらない街並みが作られているのは、こっちでも安心して暮らせるようにとの神様の心配りなんだろう。
――優しく吹く風に、桜の花びらが舞う並木道を学校へと歩く。
ロマンティストではないが、まるで"ようこそ"と俺達を祝福してくれているようだ。
それを見ながら歩いていると自然と笑顔になってくる。
これからの学校生活が、きっと良いものになるに違いない。そんな気持ちにさせてくれた。
◇
「さぁここが私達の通う学校、その名も【神立】神の国学園です」
エリエルが校門の左側で両手を広げて言うと、右側でプリエルがそれに合わせる。
息ぴったりですねこの兄妹。
それにしても、とんでもなくデカイ学校だ。
聞けば初等部、中等部、高等部、おまけに大学に幼年部もあるんだって。
この学園には、在学中に亡くなった人、経済的理由で通えなかった人、もう一度学び直したい人、残念な学生生活だったのでやり直したい人(俺である)、様々な理由の人達が通っているそうで、年齢もかなりというか相当な幅があるんだそうだ。
「ところで二人は何年生まれなの?」
「私達は、二百九十年生まれですよ」
「二人も元は人間だったわけだよね?どうやって天使になったの?」
「そう願ったんですよ。簡単でしょ?」
プリエルが右手の人差し指を立て、左手を腰に当てて言った。
いちいち可愛いな、この子。
そういや聖書に、"天使のようになるのだ"と、そう書いてあったのを思い出した。
そっか、願えばそういう姿になる事も可能なのか。
俺のクラスはエリエルと同じく一年一組、プリエルは隣の二組だ。
ちなみにエリエルとプリエルは、生まれたのが十カ月しか違わないそうだ。
授業開始の鐘が鳴り先生がやって来て、教壇の前に立った。
赤いジャージを着た先生は少年漫画に出てくるようなツンツンの髪型でへの字口、眉毛がデ○ーク西郷みたいで、見るからに熱そうな人だ。周りの温度を二~三℃上げそう。
黒板にチョークでカツカツと書いた名前は【パウロ】
熱血教師確定じゃねーか!!
パウロとは元々キリストの信者を手当たり次第に捕まえては処刑をしていたが、ある時死んだはずのキリストが現れて奇跡を目の当たりにした後に改心し、キリストの教えを広めるために各地を渡り歩いたという人だ。
「今日からこのクラスを担当する事になったパウロだ。この私が担任になったからには、校則を破ることは絶対に許さない。もし破った場合は、容赦しないから覚悟するんだぞ。それを肝に命じた上で、素晴らしい学園生活を送るように!!」
パウロ先生はハリのある声で自己紹介をした。スゴいのが担任になっちゃったよ。
でも聖書に収められているパウロの手紙を読めば分かるが、ただ厳しいだけじゃなく、一生懸命な人には凄く優しい一面もあるんだよな。
よし、真面目に学園生活を送ろう。俺は心に固く誓った。
怒られたくないしね……。
◇
パウロ先生の自己紹介の後、次は俺達生徒が一人ずつ自己紹介をした。
その時にそれぞれの生い立ち等を聞いたが、本当に色んな人が集まっている事がよく分かった。
自己紹介が終わりパウロ先生から今後一年間の予定を聞いた後、休み時間になった。
「いやー、こんなサプライズがあるなんて思わなかったよ。まさかあのパウロが現れるなんてね」
「伊佐也さん、かなりビックリされてましたよね。思わず笑ってしまいそうになりました」
「おいおい笑わないでくれよ、ホントにビックリしたんだから。でも天国ではこういう事がいっぱいあるんだろうな」
「えぇこれからもいっぱいあると思います、どうぞお楽しみに」
そのニコニコ顔、俺のリアクションを楽しみにしてるんじゃないのか?
「お兄ちゃーん!! 伊佐也さーん!!」
隣のクラスのプリエルがやってきた、相変わらず元気いっぱいだ。間違いなくアイドル的存在になるだろうと俺は予想した。
「そっちのクラスはどう?」
「はいっ、色んな方がいて楽しいです」
「担任は誰なんだい?」
「マグダラのマリア先生です」
…そうか、そう来たか。
「どんな感じの先生なの?」
「マリア先生はウェーブのかかったロングヘアーがすっごく艶々して綺麗だし、目鼻立ちがクッキリしてるし、長身でスタイルも良いし、それにすっごく優しいの。まさに大人の女性って感じなんですよー」
……クラス替えはいつやる予定ですか?
「そうだ聞いてください。私のクラスに伊佐也さんのお知り合いの方がいたんです」
興奮した口調でプリエルが言う。
「俺の知り合い?」
え誰だろう。俺の知り合いって言ったよな?
色々考えを巡らしてみたが、俺が所属していた教会で召された人はもかなりいるし見当がつかない。
「分かりませんか?」
「ごめん全然分かんないや、誰なんだい?」
「それでは正解をお教えしまーす、お知り合いとはこの方でーす!! おーい出てきていいよー」
そう呼ばれてチラッと教室内を覗くように顔を出したのは、黒髪のおかっぱ頭の女の子。
背はプリエルより少し小さく、テッテッテッと小走りでやって来た。
……見覚えはないなぁ。
しかしおかっぱ頭の子は、俺の目をじっと見つめながらこう言った。
「あら、本当に伊佐也だわ」
「君、俺の事知ってるの?」
「当たり前じゃない、何言ってんのよ。あんたの事を忘れるわけないじゃない」
確実に俺を知ってる。
でも誰だ?
全然見当がつかない。
「あんたのお陰で、あたしは今ここにいるのよ。あんたが祈ってくれてなかったら、あたしはここにはいないわ」
おかっぱ頭の子の笑顔がはじけた──
六年前の夏、俺は母を亡くした。
十年前のある日、家でバッタリ倒れてそのまま入院。
そして一度も家に帰る事が出来ないまま、死んでしまった。
俺の家は親戚も含めてみんな仏教徒。
だから葬式は仏教式。
でも俺はキリスト教を知りたい気持ちが強くなり、母さんが亡くなった年の初めに教会に通いだして、求道者になっていた。
葬儀の間、俺はずっと神様に祈っていた。
でもキリスト教をろくに知らない頃だったので、今思えばメチャクチャな祈りだったと思う。
でもひたすら祈っていた。
「どうか俺の母さんを貴方の元に導いてやって下さい」
ひたすらこう祈っていた。
葬式の二日間は酷く暑かったらしいが、全く気にならない程に夢中で祈っていた。
──この子は俺の母さんだ。
「…もしかしなくても、母さんなのか」
「はいその通りー、大正解!!」
母さんがパチパチと拍手をすると、エリエルとプリエルもそれに続いた。
ちくしょう、目がウルウルしてきた。
ちゃんと祈りが届いていたんだ、ちゃんと聞いてくれたんだ。
「そっか、母さん。良かった。ホントに良かった。ありがとう。ありがとう。」
「あらあら、伊佐也が泣いちゃったわ」
よしよしと俺の頭を撫でる。
「ちょっやめろって、みんな見てるだろうが」
嬉しさのあまり涙が止まらない。
俺の気持ちが落ち着くまで、この後しばらくかかった。
その間、母さんはずっと俺の横で頭を撫でてくれていた。
小さい頃の様に。
ついでに言うと、プリエルも撫で撫でしてくれていた。
後から思い返すと、泣きじゃくっている弟をあやす様な扱いをされていた気もしないでもない。
でもありがとうな。
「死んだ後にね、極楽に向かおうとしていたら誰かに声をかけられたのよ。それでどちら様ですかと聞いたら『私はイエス、あなたの息子さんの祈りを聞いて、やって来ました』って言うのよ」
うわ、マジで主が陰府に下って教えを説いてくれたんだ!!
━━イエスは十字架につけられ死んだ後、陰府に下り、三日後に甦った。
その三日間に一体何をしていたかというと、死んだ者達に教えを説いていたとされる。
つまりそれを俺の母さんにしてくださったわけだ。
「その後イエス様から、伊佐也があたしの為にどう祈ってくれていたかとか色々な教えを聞かせてもらってね、もうすっごく嬉しくなっちゃったわよ。それで、どうかそちらに行かせて下さいませんかってお願いしてみたの」
何だかちょっと照れくさくなってきた。
「そしたらイエス様が『私はその為に、ここに来たんですよ』と言ってくれてね、あたしをここに連れてきてくれたのよ」
ありがとう、主よ本当にありがとう。
「しかしイケメンだったわ」
「は?」
「イエス様よ。ほんっとイケメンで好青年なのよ」
「神の子に対して何言っとるか」
「あーそっか。そういやそうよね」
母さんがテヘペロをした。
こんな姿をいつか見る日が来ようとは思ってもみなかった。というか出来れば見たくなかった。
「イエス様はこの学園の学長を務めていらっしゃいます」
「そして神様が理事長さんなんですよー」
エリエルとプリエルがそう教えてくれた。
なんたって神立の学園だもんな。神様がわざわざ設立してくれたんだから、そりゃそうだわな。
「そうだ伊佐也、今日からあたしの事は晶子ちゃんと呼んでね」
「え、何でさ?」
「だってあたしと伊佐也は同級生なのよ。それなのに母さんはないでしょ。ていうかないわー」
母親を名前で呼ぶなんて、そんな恥ずかしい事出来るわけないだろ。
「ゴメン、それはムリ。ていうかないわ」
俺は両手でバツの字を作り、真顔で言った。
「えー何でよー。あ、そっか恥ずかしがってるのね、カワイイわねー。よしよし」
「コラーよしよしはやめぃ!! それだったら母さんこそ子供扱いはやめたらどうなんだ」
「伊佐也が名前で呼んでくれるっていうなら止めるわよ。ほーらよしよし」
「出来るかそんな事!!」
こんなやり取りを見て、エリエルとプリエルは可笑しそうに笑っている。
そんなドタバタをしている内に、あっという間に今日の授業が終わった。
色々あったけど学園生活はとても楽しい。そして驚きの出会いもあった。
明日は何があるんだろうと思うとワクワクしてくる。
そんな事を考えながら、俺達四人は夕焼けに染まった桜並木の道を歩き、家へと足を進める。
そして共にマンションの入口へと──
「四人ともこのマンションなのかよ」