来光
レオの両手から噴き出したタンポポの間欠泉。
それは瞬く間に辺りを黄色に塗り替える。
「なんたる尋常ならざる力だ!」
魔法使いたちは泡を食って後ずさる。
「ええい、たかがタンポポではないか、散らせ!」
なんの危険もない魔法であるため、魔法使いたちは調子が狂ったように冷静さを欠いていた。
そこへレオが右手を上げ、横に薙いだ。
指先から黄色い花が噴き出し、線上に花びらの波が踊る。
「ふおぉぉ!」
あまりに大量の花に足を取られ、一人が倒れる。
「攻撃したな!? もう容赦はせんぞ! ぅおおお!?」
レオが左手で薙いだ。さらに吐き出された大量の花が先の波間にぶつかり波紋となって広がる。
あまりに大量に噴き出したタンポポは、木々の狭間を天井まで見る間に埋め尽くしていき、絡みとるようにして魔法使いたちを流し始めた。
「れ、レオ!」
村長と相談役も巻き込まれ、共に流されていく。
レオは花の波上に立ち、全員を村へと連れ帰ることにした。
これにはレオ自身も困惑していた。
気配さえ捉えることのできない小さな守護精霊には、とても扱い切れない規模の魔法だ。
森全体に降りかかる問題だから、精霊たちが手を貸してくれているのだろうか。
ならばとレオは、力の限り想いを届けようと決意する。
陽射しに願いを乗せ、雲間に情けを請う。
そして言霊を、舌に乗せる。
「《《全ての精霊に願う》》。出来得る限り力を貸して欲しい。僕の気力が続く限り、魔法を形にしたい。この魔法を、この手から、国中に届けたいんだ!」
毟られるだけの雑草だけれど、無駄な命などない。
こんな草花にさえ、精霊は宿るのだ。
するとタンポポ吹雪の中に、忽然と木漏れ日が迸った。
はっとして見上げれば、木漏れ日と星屑の大精霊。
「どうして、あなたが、ここに」
どうして僕を拒絶したあなたが現れるんだ、とまでは言えなかった。
絞り出した声に、一際大きなさざ波が返す。くすくすと、まるで迷子になったあの時と同じく、いや、それ以上に陽気な笑いを振りまいていた。
――あなたは、全ての精霊に力を貸すよう言いましたよ? 我らのために願ってくれたのだから、応えなくてはね。
それで気付いた。
これまでレオは自分のことばかり願っていた。
良い魔法さえ得られれば、こんな貧しい場所から出られるというのは、苦労してレオのためにも頑張る両親やその精霊をも見捨てるようなことだった。
「ありがとう。これで状況が良くなるかなんて分からないけど、皆に精霊の存在を思い出してほしいんだ」
木漏れ日は笑うと、両腕を広げて輝きを増した。
完全に見捨てられたと思っていた存在が、力を貸してくれている。レオの視界が歪んで頬を流れ落ちた雫からも、精霊は力を集めてタンポポへと変えていく。
――やっと、笑ってくれましたね。
涙を拭ってくれた精霊たちに頷いてみせる。
「この世の全ての人が一緒に思い出してくれるなら、きっとすごい力になるよ」
レオは両腕を精一杯空へと伸ばした。
指先から力を感じ、光が零れる。
精霊の力と同化していく。
突然に押し寄せた黄色の壁に、村は騒然となった。
「なっんだありゃああ!」
あちこちで叫び声があがり、声を聞いた者も仕事を放りだして表へ出る。
誰もが立ち尽くした。
あまりに信じがたい。
嵐の夜に鳴る木々の悲鳴を思わせる轟きは、黄色い大津波によるものだ。
そして、その上には両腕を天に伸ばして立つ、少年の姿がある。
「ああっ、レオじゃない! 下りてきなさーい! きゃああ!?」
「レオだって!? あぶふぶ……ッ」
レオを見たと思ったときには、人々は飲み込まれていた。
すぐに小さな村は黄色に埋め尽くされ、波は動きを止める。
「ぷっは! 一体、なんのつもりだ!」
顔を真っ赤にした魔法使い代表が、タンポポの波間から頭を出して叫ぶ。
そして大精霊を見て口をあんぐりと開けたまま固まった。
変わらず木漏れ日の銀河は楽し気に渦巻いている。力を集めているのだ。しかし、その力を魔法にしているのは彼ではない。
試しにレオは、噴き出すタンポポとは別に、魔法を紡ぐ言葉を呟く。
「目の前に、花を」
ふわっと、黄色い輪が生まれた。
「さらに、増やせ」
生まれた輪が、二つ三つと増えた。
レオは、ぽかんと開いた口が塞がらない。
守護精霊が感じられないのではなく、レオの体が魔法を紡ぎ出している。
混乱した頭を、彗星の尾が横切る。どうしたのかと気になったように。それに問いかけていた。
「僕には、守護精霊がいないの?」
星屑が飛び上がった。光の瀑布が視界を埋める。大層な驚きようだ。
――なぜ、居ると思うのです?
「じゃあ、僕はどうやって魔法を紡いでるんだ。目の前に花を。百に分かれよ。輪を踊り冠となれ……ほら出来た。人の意志で、ここまで自在に魔法が紡げるはずはない」
出来立ての巨大な花冠を銀河に乗せると、彼はけらけらと笑ったようだった。
問いに返る言葉はなく、木漏れ日は上機嫌に花冠を載せて、くるくると踊る。光る砂粒の薄布を巻き上げながら、煌く一粒一粒を見せつけるように、すまし顔でレオの周囲を回り出した。
答えは、すでにあるのだろう。
レオは自分自身へと意識を向け直す。大精霊と同じことを試みると、力が、瞬く間に足元から体を伝って噴き出るようだった。とめどなく湧き出る力は、まるでレオ自身が源の泉のようだと思うと、遠い昔の言葉が口を衝く。
「フォン・エレメントゥム……」
木漏れ日が弾けた。いや全ての精霊が、レオに吸い込まれていく。どんどんと、まるで果てがないように。
体の範囲を無視して、レオの在る場所に精霊の世界が凝縮し生み出されていく。
「――そうか、僕が、そのものだったんだ」
レオが再び手のひらを差し出す。
一つ、生まれた小さな花が頭上に浮いた。
その一つは、二つ三つと分かれていく。どんどん速くなりレオの頭上で渦巻くように回転しながら、生まれた無数の花弁が大きな一つの花となった。
頭を覆い隠すほど巨大な花は、またもや二つ三つと増えた。
六つに増えた花が弧を描いて連なり、それが分かれて対照に並ぶと、その一端はレオの背に固定される。
まるで、花の翼だった。
実際に、それがばさりと一つ羽ばたくと、次には背がゆらめく。
突然の眩さに目を閉じた人々が、一瞬の後には目を見開いていた。
そこには、六対の翼が燦然と輝いているではないか。
羽毛のように舞い散る花びらの向こうを、人々は息をのんで見据える。魔法使いたちの顔色から、血の気が失せていた。
「あ、あ、あれは、そんな……」
乾いた唇を震わせ、誰かが呟く。
認めてはならないと思いつつ、代表さえ止めることができなかった。その存在を胸の内で呼んでしまっていたのだから。
力は衰えど、魔法使いが見間違うはずはない。
魔法使いたちが認め始めたことを感じたレオは、静かに両腕を高く掲げた。
かっと目を見開くと同時に、開いた手の平から瞬時に周囲を埋める黄金。
先ほどの比ではない。
それらは滝壺へ流れる如く怒涛の勢いで吐き出されていく。渦巻きながら空間全てを呑み込んでいく。タンポポの大洪水だった。
「まさか、嘘だ。これでは、まるで伝承の祖の力ではないか……!」
代表が堪らず叫ぶと動揺は広がる。
「バカな、バカな。こんな、ただの若造が」
その時、魔法使いの一人が悲鳴を上げた。青褪めて震える手でレオの頭上を指差す。
生まれ出でた花が大きな円を作り、レオの頭上に浮かんで輝いた。
「日輪の、輝き……」
ゆっくりと回転する花輪が、レオの優しげだった面立ちを、冷たい光で縁取る。
レオが神々しい鋭さを湛えた輝きを身にまとうのを見て、一同はただ見ていることしかできない。
先ほどまで見せていた、弱々しいまでのレオは、そこにはいない。
別の場所から、か細い声がレオに届く。
「レオ、あなたなの?」
訳の分からない状況ながら、母親は我が子が精霊に盗られてしまうのかと不安に駆られ声を掛けていた。
「どうか、どうか、レオを連れて行かないで」
縋ろうと腕を伸ばす母親を父親が抱き止める。母親を止めた父親だが、その目には息子を取り戻そうという意志が浮かんでいた。
レオは口元に小さな微笑みを浮かべた。
途端に冷たい輝きは、温かさを点す。
「安心して、僕はどこにも消えたりしない。けれど、今は人々と精霊の想いのために、力を貸したいんだ」
そう告げているのが、両親に伝わる。二人にだけではなく、村の皆に伝わっていた。
それだけで、なぜか心底安堵できたことが不思議だったようで、両親ともに困惑を見せる。それでもほっと息をつくと涙を零し母親は何度も頷きながら、しかし、もう黙って見守ることにした。
その傍らで、相談役も同じく安心を見せた。ずっと心配してくれていた彼にも、レオは笑みを送る。もう大丈夫だという気持ちを込めて。
一人の少年が、タンポポの海を泳いでレオに声を届けた。
「君はおかしくなったんじゃなかった。選ばれたんだね、レオ……今までごめん」
彼もレオを心配してくれていた一人だ。レオは一つ笑みで返すと、また冷たい輝きを増し、どこか遠くを見つめて両手を開いた。
「この魔法が、告げるんだ」
そうして空を黄色に塗り替えていく。
黄色い奔流は荒野を越えて都を襲った。
石造りの都は華やかだ。平和でもある。
しかし人の密度に対して活気があるようには見えない。
ここのところ王家の不穏な噂もあった。富が流失し足元が危ういのではといった憶測がまことしやかに流れており、住人の顔にも翳りが見える。
そんな俯き気味に道行く人の頬を、はらりと何かが掠めた。
「あら雨かしら……タンポポだこれええええぇぇ!」
誰のものとも知れない叫びが、空を見上げた者から次々とあがった。
都に届くと、レオはタンポポで幾つもの塊を作る。
大地を埋め尽くしていた花から人々を掘り起こして塊に乗せ、次に花で布を編み人々を覆った。
「お、おおぉ? な、なんと柔らかで極上の寝心地よ……」
――皆、眠れ。
レオの口から、人ならぬ声が発せられる。
過去に戻ることはできないが、我らが見ることを忘れてしまった、精霊と共にありし日の時代を夢の中で共有しよう。
人々はタンポポの寝床に包まれ眠りについた。
夥しい眩い黄色の帯が吹き上げ、藍色の空へと水に滲むように溶けていく。
タンポポが大地に川を作って押し流し、風は巻き上げた花で人々をふわりと包んだ。家々や城の上にも降りしきり、街を静かに覆い尽くしていく。
瞬く間に夜の帳が下り、その一点が、黄昏時のごとく黄金の光に染まる。
レオ自身も、祖の力による夢の中を共にまどろんだ。
かつて精霊の森から、人の国を作ろうと立ち上がり導いた者が居た。
それが初代の人の王である。
彼と手を取り合った精霊が国とする大地を定めたとき、そばに偉大な精霊が顕れ、治める地を祝福した。
それこそが祖であり、人の王としてふさわしい勇気を評して、黄冠を贈った――タンポポだ。
そんな遠い遠い過去のことが、まるで眼前に息づいているように、命に満ちていた。それでいて儚くも、綿毛のように飛び去って行く。
タンポポ吹雪の見せる、温かく優しい夢だった。
*
*
*
夜が明けて、目覚めた魔法使いたちは何が起きたか分からないようで、呆然と起き上がると辺りを探すように見回す。
魔法使いたちは互いの顔を見合って、顔に張り付いていた涙に気付いて拭い、異変に気付く。
彼らの影に、形を失いかけていた精霊が立ち、空を仰いでいた。
それは、どの場所でも同じだ。
都でも夢に呑まれた人々がタンポポ布団から起き上がると、見覚えのない、それでいて身近な姿がある。己の精霊なのだと感じられた。まだ人々が精霊だった頃の夢は、元始の記憶を呼び覚ましたのだろうか。レオを見る、暗い影の一部へと追いやられていた精霊が、人の目にも映るほどの力を取り戻していたのだ。
「なんと、これだけの精霊が、私たちの側に!?」
人々は仰天したが、喜びよりもその思慕を映した面に神妙な気持ちとなる。
傍らの精霊に促されるように、人々は空を見上げる。
そこに――六対の翼を持つ姿を認めた。
幾重もの花びらを重ねた巨大タンポポが連なり形作られた、眩い翼だ。背から生えた六対は円を描き、花開いたようだ。それが全天を支えるように広がって見えた。日差しを全て掻き集めかのごとき黄金の輝きで、辺りを染め抜いているのだ。
精霊たちの根源そのものといった祖の姿は、どんなに離れた場所に居ても、すぐ頭上で瞬くようであった。
「なんたる、力強さだ」
「然り、然り」
どんな精霊よりも眩く刺すようでありながら、全てを包み込む優しさに満ちている。どこまでもどこまでも揺蕩いながら、城をも包む。
「おお、この力。あの力強い輝きと翼、あのお姿は……間違いない、始原の祖!」
城から空を見上げた王は、血の気が失せた白い顔で叫ぶ。
「なんということだ。我ら王家は御名を忘れさり、伝えることを怠った……ああ、我が精霊よ、よくぞ見放さずに耐えてくれた。おかげで、真の名を思い出せる」
王は、本来の力を取り戻した精霊に願い、民へと真名を伝えた。
――ダンディライオン様――!
その声を大気の精霊が人の隅々にまで伝え、レオは応えるように頷いた。
満足気な笑みからは煌きの精霊が零れ落ち、辺りは雨上がりの晴れの日のように瞬く。
「まっ、眩しい!」
人々はあまりの輝きに手を翳す。それは事実目が痛いというだけではない。これまですっかり忘れ去っていた祖の慈悲を目にし居たたまれなくなったのだ。
人々は自ずと首を垂れる。
祖の力が行き渡ったことを告げる様に、すうっと大地を覆う花は消えた。
タンポポが消え去った地面に、魔法使いも次々と膝を折る。
「……祖を祀り、問い続けた我らにさえ、見せて下さらなかったではないか」
「ああ我らは、失意のうちに、堕ちてしまったというのに。信奉の心を失った今、なぜですか……」
魔法使いたちは悲痛な心の内をさらけ出す。
「……なぜ、なぜなのですか。今になって、なぜぇ!」
代表は地面を拳で叩く。それまでの苦悩の深さが表れていた。
項垂れ悲嘆に暮れる代表の頭に、レオは手を翳す。
そこには黄冠が乗っていた。
レオが心で幾千の手を翳すと、人々は頭にタンポポを戴く。
この時ばかりは老いも幼いも良きも悪き者も関係なく、祖の慈悲を受け取った。
なぜ魔法使いがタンポポを配るようになったのか。
祖の祝福の再現だ。
人々が独立の際に賜った祖の祝福を忘れんがため。
己の足で歩くことに決めたから振り返らないというならば、祖も寂しくはあれど見送っただろう。
けれど人々は故郷への思慕だけは携えて行ったのに、忘れてしまった。
言葉が失われたのは、忘れてしまっていたからだ。
遠い昔の絆を。
なぜ歩き始めたのかさえ見失い、いつか精霊たちが旅立ったようにすり替えてしまった。
求めつつ得られないと嘆き、間近な生活にのみ目を向け、世界から目を背けてしまっていながら。
祖は、憐れんでいたのだ。
ここから人は旅立ったのだということ思い出させるなら、伝えるのは始原村の者でなければならなかった。
レオを通じて、祖は今一度、黄金の標を翳したのだ。
レオは、大精霊が小さな精霊を介して伝えたことの意味を噛みしめていた。
僕の力は変わらない、変える必要がない。
当たり前だ。
世の源である祖の力を、変えられようはずがないではないか。
初めから精霊たちは、必死にそう伝えてくれていたのだ。
ただ深く沈んだレオの心には届かなかっただけで。
「長いあいだ、悪いことをしたね」
レオの言葉を受け精霊たちの落とした雫が、大地に歓喜を彩る。
精霊の全てを愛でる祖の深い愛情が、この地に甦ったことを喜んでいた。
魔法使いたちは、膝をついたまま茫然自失として眺める。レオと同じく彼らも、失われつつある精霊の力に失望していた。しかしそれは、人々が耳を塞ぎ、目を背けたためだということを知った。
流れる涙をそのままに、彼らは地に伏せる。その彼らの周りを、ぽっぽっと黄色の花が咲き縁取っていった。
「許された……」
魔法使いたちは滂沱の涙を、タンポポに落とす。それは悔恨であり、安堵でもある。
彼らは諦めていた。魔法の根拠である精霊が応えないことを。
すっかり忘れてしまったのは己を顧みるのが怖かったからであるというのに。
「我らをお許しになるというのか。なんと慈悲深い……祖の御心は、常に、我らの側にあったのだ。それに気付こうともしなかった我らをぉ……」
祖は、なんの力も与えはしない。ただ寄り添うだけだ。黄金の輝きと共に、数多の精霊と寄り添うために。袂を分かれたが、人も元は精霊であることを示すのみ。
レオは呟く。
「使えなくていいんだ。ただ、そこにありさえすれば」
人がどのような未来へ進もうとも、このタンポポは、祖が常に共に在るという証なのだから。