明星
もう何個目だろうか。等間隔に並んでいる街灯は私の横を相も変わらず通り過ぎ続けていく。あの彼も依然として私を追い続けていることに変わりはないのだが、何やら知らぬ間に余計なものまで引き連れて来てしまったらしい。黒い血だまりや冷遇された赤。黒に飲み込まれた白などが、どうやら私の周りを取り囲んでいるようだった。ー
果たされない願望や交わされない心。どこをどう曲がろうと無意味な世界。そしてその無意味さを、それでも目指すより他のない虚しさと、そこに至るまでの困難と理不尽。全てがもったいぶった出来レースで、その勝因・敗因には大した理由すらないのだ。ただなんとなく決定され、なんとなく葬り去られる。そして誰もが、そんな世界で生きているが故に、過剰でない自意識などあり得ないのだ。あらゆる自己主張が自分以外の人間を必要とした干渉の連鎖なら、憎しみは元より、愛すらもまた、ある意味では一つの病的なものであるのかもしれない。
私の疲労はもう、既に限界を迎えようとしていた。なるほど走ってはみたものの、どうやら状況は最初よりも一層、悲惨なものであるらしい。何かをやり抜いた事に対する対価が必ずしも成果であるとは限らない。何も残らないまま、ただ骨を折って、くたびれ儲けるなんてことはざらである。夜を越える為の私のこの走行に、果たして意味はあったのだろうか、今はもう、その答えを求める気にすらなれない。おそらくは根本的な考え方が間違っていたのだろう。例えば生まれてきた意味とか、死んで行く訳とか。そんな漠然としたものを、どうして私は今の今まで何の根拠も無く、ただ漠然と信じ続けていられたのだろう。きっとそんなもの始めからなかったんだ。私はただ生きているだけで、私が存在していることに明確な理由がある訳ではない。私はただ死んで行くだけで、そこに何か特別な意味がある訳ではない。それはきっと誰にしたって同じことだろう。数限りない生と、それと同じ分だけあるであろう死と。ただそれが、そこにあるだけ。意味も訳も理由もない。少なくともそれは、私には理解することが出来ないのだから。
死がどんなものか予期し得るなら、或いは今すぐにでも、それに向かって飛び込んで行けるのかもしれない。しかし、生きている限り、私には決して死が訪れることはない。バカげた響きに聞こえるかもしれないが、命ある者は皆平等に、死ぬまで一生死ねないのだ。
死んだらどうなるのだろう?生きている以上、どんなに闇にまとわりつかれようが、それでも、その先に手を伸ばし続けるより他に手段はないのか?生一本。生きている限り、ただ生きているという状態の他に、私には何一つあり得はしないのだろうか?嗚呼、なんということだろう!生きているとは死ぬ程恐るべきことだな!全くもって不愉快で不可解な話だ。一体、私は何処から来て、何のために生まれ、何処に向かっているのだろう?訳も告げられず、理由も意味も見出せず、それでも何かに急き立てられて、一体何から逃れようとしているのだろう?曖昧さこそが世界だろうか?無意味さこそが命だろうが、それでも私は感じ続けずにはいられない。喜びも悲しみも、苦悩も快楽も。今尚、私の目には美しいものが映り続ける。そして、それが私を常に駆り立てて止まぬ。また一方で、私の目には今尚、醜さが焼け付いて消えぬ。そして、それが絶えず私を急き立てて止まないのだ。生まれたからには生きなければならない。生きているからには、いつか死ななければならない。そんな二重の脅迫に、ずっと脅かされ続けている。そのくせ、誰だって生きることも、死ぬことも、選択するなどという主体的な試みは、半ば不可能ときている。死は元より、生きることにおいてすらも、本当のところそうなんだ。たった今、生きているからといって、必ずしもその当人が選んだり望んだりして、そうしているとは限らない。生きている状態とは常に、命あるものにとって、明確な強制力をもって迫り来る脅威でもあり得る。否応なく課せられる、従属的役割ですらあり得る。死を夢見ながら、それでも私は、突然、交差点で横合いから飛び出してきたトラックに恐れおののくより他はない。そして滑稽にも、その直後に、ほっと胸を撫で下ろせことだろう、「生きていて良かった」と。
死を夢見ながら、それでも私は、前途に確固として横たわる老いと、藪の中で常にその目を光らせている病とに、耐えざる不安を感じ続けずにはいられない。私は常に、生きることを強制され続けている。いっそ消えてしまいたいと願いながら、それでも尚、幾つもの昨日を越えてきた。切れば終わりだとわかりきった手首を、吊れば最後だとわかりきった首を、それでも大切に大切に守りながら、今日の今日まで無様に生き延びてきた。かといって、その日一日、一日を心から愛することなど、到底出来やしない…。どうしたって、どちらも選びようなど、ありはしないんだ。そのくせ、生きることも死ぬことも困難で…生きることも死ぬこともやっぱり、どちらも苦しくて…生に絶望しながら、それでも希望の灯はいつまでも消え去ってはくれない…死を夢見ながら、それでも、その苦しさや寂しさは、私を裏腹に、より強く生に張り付けにさせる…ところで、死とは一体なんなんだろう…それがわからないくせに、どうして死が願われようか。生きている状態とは具体的に、一体どういったものなのだろうか…今の今まで、ずっとそうしてきた筈なのに、それについて確信を持てたことが、今まで唯の一度でもあっただろうか…?そもそも私の悲願とは一体何なのであろうか…。それは死ではないのかしら…?或いは本当は生きたいのじゃないか…?そうであるならば、私の言った、「生きるという選択の不可能性」は矛盾にならないだろうか…?いや、だからそれが強制されているというのだ!兎にも角にも、この死んだような状態からは一刻も早く、何としても抜け出さなければならない。命ある状態に、いち早く復帰しなければならない。…いや、それじゃあ元の木網じゃないか…そうではなくて、もっと全然、別の状態の何か…それは、死ではないのだけれど、死のような静寂の…或いは歓喜のよいな生の…生の?…やっぱり私は生きたいのじゃないかしら?…そうだ、確かに生きたいに決まっている…そして、これこそが強制力だ!なるほど、私は確かに死に際して生きたいと、そう叫ぶことだろう…そして生きたいと、そう叫びながら、その願いすらも何者かに、確かに強要されながら、それでも、ただひたすら無様に生きたいと叫び続けることであろう…。即ち死にたくないという感情は、必ずしも生きたいという感情とイコールであるとは限らない。それはそうだ。そんなことな始めからわかっていたはずだろう!こんなことを、くどくどとしつこく巡らせていて本当に仕様がない。私は生きたいのか、それとも死にたいのか、そんなこと私にはわかりっこない…
しかし、それでも私の見る夢は、命あるものの夢だ…命あるが故の歓喜、命あるものからの愛情、命あるものの温もり、命との和解、命あるものとの共感、命あるものとの協力、命宿る美と力の創造…その喜び…
兎にも角にも、生きるとは苦しいことである。死ぬこともまた、同様に違いあるまい。命の常態とは、不安と苦悩と孤独に他ならない。少なくとも私の人生に於ける人間的な喜びの全ては、ただこの感覚から思い出すことの出来る点、即ち暗闇の中の僅かな光のような記憶の中に微かに残された点、決して継続されることのない故に、いつも実在として掴むことが出来ないままの、幻のような点…それ等に他ならない。
生きるとは、どれくらい悲しいかの日々の証明である。生きるとは、虚しさの耐えざる圧迫である。生きるとは、不条理と理不尽の不可避なる受難である。…生きるとは…生きるとは…生きるとは…さあ、ありとあらゆる言い訳を我に与え給え!
だからといって別に嘆いている訳ではない。悲しんでいる訳でもないんだよ。生きることが苦しくとも、それでも私達は、それにすがりつくより他はないのだ。命ある限り、生から逃れることなど出来はしないのだから。生まれて、生きて、死ぬだけだ。ただ単純に、それだけだ。不満をぶちまけたって何一つ変わりはしない。その日一日を、ただひたすら目一杯にやるだけだ。誰に頼まれた訳ではないが、それでも私は行かなければならぬ。訳もわからぬまま、それでも何処かへ向かわなければならぬ。そうだろう?
眠りから目が覚めないならば、それならそれで構わない。むしろ、その日一日が毎日、否応なしに始まっていくことの方が大それていやしないか?命における1日と、たった1回の死と、どちらが重いと誰が言い切れる?目が覚めないなら、それで結構。目覚めたならば、目覚めたなりにやるだけだ。もうね、選びようがないんだよ。命ある限り、走り続けるより他はないんだよ。死ねない限り、もう生きるしかないんだよ。死ぬしかないなら、死ねばいいだろう。本当に死ぬしかないのならば、その時は間違いなく死ぬことだろう。だが、今はまだそうではないんだ。せいぜい、安らかな死を夢見るくらいで、まだ、やれることも、やるべきことも、山程残されてしまっているんだよ。死に切るために必要なものとはなんだろう?それは、恐ろしいことかもしれない。これ程、恐ろしいことはないかもしれない。死に切るためには、その最期の瞬間まで、最大限に生きなければならないことだろう!最高に悩み、最高に悲しみ、最悪の不安と孤独を経て現れる最上の何かを掴み、そして、最高に生きなければならないことだろう!尚且つ、その最高は、必ずしも最良であるとは限らないことだろう!
安楽で幸福な瞬間ほど、死に近いと感じさせるものはない。少なくとも、死が何たるかを知らぬ、命の在る私達にとっては…。むしろ、悲しみ、痛み、嘆き、孤独で不安な瞬間、そんな病める瞬間にこそ、驚く程に強烈な生、すなわち生きてる、という恐るべき感覚がある。
選びようなど、ありはしないんだ…。だから、ただ目一杯にやるだけだ。生きる以上、儚くても希望を抱いて進むより他はない。それでも不条理は尽きぬことだろう。それでも理不尽は私の目の前に横たわることだろう。どんなに頑張ったところで必ず報われる保証があるわけではない、そんなことくらい私にだってちゃんとわかっているのだから。だいたいにして希望とは、絶望への架け橋に他ならない。どんなに余念の無い準備を重ねたところで人生自体がもう、ギャンブル性を孕んでいる。生きている者がこの必然性を回避することなど到底、出来はしないのだ。誠実に生きようが、傍若無人に振る舞おうが、善人でいようが、悪人でいようが、裁かれるときは裁かれる。だけど、それでも光明を…今日を生きるための希望を…どこかで必ず博打を打たなければならない。どこかで必ず腹を決めなければならない。色々なものを犠牲にして、時に大切なものを失ってまで、それでも馬鹿みたいに手を伸ばし続けなければ何かを掴むことなど出来はしないのだ。そんなことくらい、私にだってちゃんとわかっているのだよ。…とはいえ命をすり減らし、不安に焼かれ、孤独で孤独で孤独な、この人生と言うものは何と不条理なものだろう!生き過ぎた我々には、いつからか衰退しか残されてはいなかったのだ。きっと、あまりにも永くここに留まり続けてしまったのだろう。未練がましく居座り続けてしまったのだろう。おそらくはきっと、その引き際の悪さを罰せられていたのだ。そんなことだって本当はずっと前からわかっていたはずなのに…しかし、不思議と後悔はしていなかった。生き方があれば、死に方もある。何故だか、そんな事さえ言えてしまえる気分だった。
私は今、限界の疲労の中で死の足音を耳にしている。しかしながら、それはそれで愉快な事だった。だって命を使い切ったのだから。最後の最後まで振り絞ってやったのだから。この疲労感だけは私を肯定している。だって、それが生きてきた証だから。ここまで努めてきた証だから。この疲れこそが私の命の軌跡、そのものなのだから。走り抜けたからこそ私は今、疲れ切ることが出来たのだ。悩み抜いたからこそ私は今、疲れ果てているのだ。
この疲れこそが、私の命の炎そのものだ!
この苦しみこそが、私の命の輝きそのものだ!
月はいつの間にかどこかに消えていたが、そんな事はもうどうだっていい。私は限界までペダルを漕ぐことを決める。足が棒になり動かなくなっても、ペダルに手をかけてまで前に進んでやる。
後ろを振り向く。同時に「やはりな」と思った。私が最初に思った通り、彼等の様子に疲労の色は一切、浮かんでいなかった。私がこんなにも疲れ果てているのに彼等は少しも変わらず、少しも疲れず、少しも手を緩める様子を見せず、はじめと同じように私を一心不乱に追い続けていた。「やっぱり私が相手にしていたものは化物だったか」ふと、そんな思いが頭に過ぎり、自然と頬に笑みが浮かんだ。怒っている様な、非難する様な叫び声が後ろから聞こえてくるが、今はもうどうだってよかった。「さあ、私も覚悟を決めなくては」刻一刻と、その時が迫っていた。ー
等間隔で並らぶ街灯が私の横を相も変わらず通り過ぎ続けていく。その光が不意に弱々しく点滅したかと思うと、小さな音と共に一斉に消えた。目に残った光の残像が視界の中を移動していく。ハンドルを握る手が少し震えたが、スピードを落とす訳にはいかない。立ち止まってしまっては助かりようがない。私は恐怖した。私は恐怖した?ー今更何を言っているんだ。そんなことはもう、どうだっていいんだよ。そんなことはもう、何の意味もないんだ。何の価値もないんだ。無意味なものに、自分の感情をくれてやる必要は最早ないのだ。だから、ただひたすらに前へと進め。ペダルを漕ぎ続けろ。黙ってペダルを漕ぎ続けろよ。
目に残った残像が消えると、辺りは一瞬、真っ暗になったが、すぐさま遠くの空から柔らかなオレンジの線が延びてきた。私の目はその線を捉えてから、しばらくの間、それが何であるのかを判断することが出来なかった。伸びてくるものは、ゆっくりとその形を線から帯へ、帯から布へ、そこからもっと幅の広いものへと、少しずつ大きさを変えていった。次第にその暖かなものがはっきりし始めると、私の目にもそれが光であることが理解され始めた。私の身体をゆっくりと、その光は包み込んでいく。
「朝だ」
朝が来たのだ。ー
太陽が辺りの暗闇を照らす。明かりの消えた街灯、歪な草っ原と舗装された道を隔てる石の塀のシルエットなどが徐々に視界に浮かび上がってきた。突然、夢から覚めたような感覚におそわれて、不意に全てが嘘みたいに壮大で、バカげた茶番なのではないか?という考えが頭をよぎった。しかし、蓄積された疲労が今と、今までとの全てが確かに現実であったことを、唯一証明してくれているような気がしてならなかった。
私の走る舗装された道はオレンジの光に照らされ、さっきまでの道とは思えない程に鮮やかな輝きを放ちはじめた。地面を照り返してくる光の色は優しく、自然と目が奪われてしまう。私は、いつの間にかペダルを漕ぐスピードが遅くなっていることに気が付いた。はっとして急いで足に力を込めようとしたが、その前にふと耳を澄ましてみる。…あの不愉快な叫び声が消えていた。背中に絶えず感じていた気配も、もうなくなってしまったかのように無力だった。周りの風景は朝の光に照らされて、ただひたすらに鮮やかな輝きを放っている。地面を照り返してくる光の色は優しく、自然と目が奪われてしまう。私に怒り、非難していたかのような、あの声は一体どこへ?全くもって不可解で不愉快な話だ。怒りたいのは私の方なのに。非難したいのは私の方なのに。一体誰が頼んでこの世に生まれてきたというのだろう。一体誰が頼まれてここにいるというのだろう。そもそも私は、どこから来たのだろうか、そしてどこへ行くのだろうか、どうして何の説明もないのだろうか、そもそも私とは一体何者なのだろうか、そして、その私を絶えず追い回す、彼等は一体?その理由は何?全くもって不可解で不愉快な話だ。怒りたいのは私の方なのに。非難したいのは私の方なのに。どうして何の説明もないのだろう。どうして何の説明もないのだろう。ー
朝の光が、長く続く道を照らしている。辺りには二つの車輪の回る音だけが響いている。背中には今、何が在るのだろう?不安が消えたことによる不安が胸をきつく締め付けてくる。こうやってずっと不安が消えることはないのだろう。時にありもしない影に怯えながら。時にありもしない幻想を自分自身ででっち上げながら….。
等間隔で並ぶ街灯は灯りを失い、尚も私の横を通り過ぎ続ける。光の中に在る彼等の姿を少しも想像することが出来ない。…背中には今、何が在るのだろう?しかし、私は振り返らない。ー
朝の光に照らされて、周りの景色がはっきりと見え始める。どこまでも続いているかの様に思われた道は、尚更に自分の想像を超えて、遥か遠くまで続いている事がわかった。ペダルを漕ぐ足に力を込める。私の足の疲労も依然として消えることはなかった。
「綺麗だ」まだオレンジ色の太陽に目を焼かれるが、必死に道の先を見据えようとする。「さあ、私も覚悟を決めなくては」心には新しい感情が芽生えていた。
何重もの致死量の不安や孤独を超え、何度目かもわからない新しい朝が始まろうとしている。
「綺麗だ」そう思わずにはいられない太陽が、私の走る道を確かに照らしていた。
何か縛りがあった方が、着想を得やすかったり、書きやすかったりするのではないか、と思い、ざっくりとではありますが、黒をテーマとして、いくつか書いてみようと考えました。
しかしながら実際のところは、はっきりと黒が主題になっているというよりも、物語の中に黒が登場する、といった程度の具合になりました。
なので殆ど縛りはなかったと言っても過言ではありませんし、「全然、黒関係ないじゃん」と言われても仕方がないように思います。
明るいテーマではなかったので、あまり良くない気分になられた方もいらっしゃるかもしれません。
それでも最後まで読んでくださった方がもし、いましたら、非常にありがたく思います。
本来は10話完結を予定しておりましたが、途中で書いていた「濁流の川」という物語が突如消えてしまうというアクシデントに見舞われ、その修復が困難であるために、急遽5話完結の方針と致しました。
気取っているような感じになってしまい、非常に恐縮ですが、最後に読んでくれた方々に深い感謝を申し上げます。
また、2件ブックマークをくださった方。
非常に励みになりました。
そのことについてもここに、特別の深い感謝を申し上げます。