誰の手も触れない
霧雨が激しくなって、山小屋は外界から隔絶されたようになった。右手に座す老人は背もたれに体をのけぞらせながら、外の様子をうかがっている。中に招いてくれた時の笑顔や、小走りで茶の支度を調える所作といい、どこか子供っぽい。その手で触れられそうな違和感に、私の人見知りアンテナは調子が狂いっぱなしだった。
老人は話を始めていた。突然に早口になったり、言葉を忘れてしまったりが多かったが、芯を伝えようとする心意気は伝わってくる話し方だった。
生まれて初めての記憶は、姉の腕に抱かれているときでございます。そんな小さい頃のことを覚えているはずがないと、私も思うのですが、尾根伝いの道のような、長くて白い腕が伸びてまいりまして、私を抱えこんで上っていくときの、内臓がきゅんと縮む感覚は、そう色あせるもんじゃありません。
姉は大きい女でした。私が生まれた折に母が亡くなり、親の生命を吸った子なんて口さがない縁者もありました。まだ悪口ともわからない弟にかわって、より直接的で激しい悪口でやっつけてくれたのが、この姉でございます。母の代理になろうとしていたのでしょう。食わせて、寝かせて、風呂に入れ、あげくに出ない乳まで含ませて、私を育ててくれました。
学校に入る時分になりますと、ふたりの体格差はさらに開きました。クラスでも小さい方じゃなかった私が、姉の前では首を伸ばして天を仰いでやっと顔も拝めるといった塩梅。これじゃあ赤ん坊の頃とあまり変わり映えはしませんな。
姉のしつけは潮のように満ち引きがあって、手を上げられたことは一度もありません。私の話を聞き、外に原因があれば出向いて片をつけ、私に罪があれば落ち着いて言い含める。ああしろこうしろというでなしに、なんでもない話の積み重ねで、どうして私の非道が改まったのか。いまでも手品のように思います。
そんな生活ですから、姉への不平不満が育ちません。
姉の全容がわからなくなったのは、中学生のころくらいでしたか。亀裂のようなへそのくぼみに気を払いすぎると、踏ん張りのきかない足下をさらわれてしまいます。とはいえ転んでも怪我はしません。弾むような表面に整う肌理の細やかさを、かすかな産毛の波が教えてくれます。立ち上がるのも惜しい気がしつつ、這うように進みますと、行く手に一本の道が現れます。姉は大乳房でありまして、彼女が仰向けになるとそれが体の左右に開きます。すると、さながら丘の切り開いて通した道ができあがります。かすかに汗ばみ、安心を誘うにおいがこもる切り通しに入りますと、もう幼い昔に含ませてもらった乳頭は崖の上の向こうでございます。とうとう登らずじまいになってしまったその壁面で一休みしていると、すぐにまどろみがやってまいります。それを捕まえて、私は姉との対話に入るのです。もちろん、すでに姉の声は、人が聞こえる音の幅を外れておりましたが、それは決してモノローグではなく、たしかに存在する相手との交感だったと、はっきりと申しあげられます。けれども、なにについて話していたのか。思い出すのはその周りに漂っていた甘い空気の色だけになってしまいました。色を構成するものは、おもに信頼でした。無尽蔵の慈しみを与えてくれる姉の信頼に、どう応えればよいのか。いろいろ検討を重ねて出た結論とは、姉が世話したくなる弟であり続けることでございました。すなわち、かつて姉が長大なる腕で包んでいた、はかなげな赤ん坊としての私であり続けようと心に決めたのです。声が低くなって肩筋張った醜い姿は、なるだけ隠さなければなりません。
そうして私は、姉の上で五体を投げ出します。あなたに反抗いたしません。好きなようになさってくださいと、全身で服従をするのです。姉の体はどこも柔らかく暖かいので、服など着けてはいられません。直接に肌を合わせて、顔を姉でいっぱいに埋めてしまうと、そのまま肌と肌との境界が消えて、そのまま姉の透き通るような皮膚の裏側へ没入できないものかと考えるようになりました。馬鹿馬鹿しいとお思いでしょうが、たとえばカマキリがございます。ご存じの通り、雌が大きく雄が小さい典型で、交尾の際には餌と間違って食われてしまうことも珍しくありません。逆に交尾後も雌の鎌から脱しえた個体は、運のいい雄だといわれます。生き残れば、それだけほかの雌と交尾を重ねて自分の子を残せる機会が多くなるわけで、たしかに一回で食われる雄より運はいいかもしれません。けれども、この評価は反対ではありますまいか。元来、雄は巨大な雌に食われたいのです。その一部となりたいのです。頭と胴の接続点に立つ雌の牙は福音です。咀嚼と嚥下は契約です。運のいい雄とは、自分の意思で生き残ったのではなく、雌に放逐されたにすぎないのです。もちろん雌はわざわざ宣告などいたしません。ただ忘却するのみです。契約を結べなかった哀れな雄は、目の前まで迫った楽園をあきらめて、別の雌を新たに見つけねばならないのです。三角頭に大きな瞳は涙を流しませんが、表情がないだけ、よけいに悲しさを訴えかけてまいります。
今後の進路を思案する年頃は、同時に色恋に目覚める時期でもございます。同輩の中でも早稲と奥手がありまして、熱をいれて議論にふけるのは、たいてい奥手の連中ばかり。私もそちらのお仲間でありました。
とはいえ、姉という別格の前に、ほかの女など目に入るものではございません。甘い饅頭を食べた後で、どれだけおいしい蜜柑が出てこようと、酸っぱさしかわからないのと似ております。
議論の席で発言が回ってきましても、本音を申すわけにもいきません。ない知恵を絞って「大きい女」と言い換えましても反応はよろしくない。どうやらもっと同じ世代で小柄な者から選ぶ決まりがあったらしく、それがわからずじまいだった私は「変なやつ」の称号をいただきました。
帰宅して姉に登攀し、例の麓で大の字になって同輩らの言葉を反芻しておりますと、彼らの言にもうなづけぬところがないでもない、という思いが起こりました。そもそも自分は田舎者である。姉をより理解するためにも、外へ出て見聞を広めるべきではないか。
若人の健全な好奇心をたきつける程度には、議論は役だったようですな。あるいは、その頃には対話もできなくなっていた姉への思慕が薄れていたせいかもしれません。親離れならぬ、姉離れでございます。
学校の先生とも相談しまして、上京して進学することに決めました。姉に嫌われまいと、必死になってしてきたことが実を結んだ。その最初で最後の実でございました。
住む人のものの考え方、話し方などはまるで違うのには面食らいました。けれども都会はやはり違います。隣人が自分に無関心だけをとっても、夢のような話です。さらに上の学校へ進む頃にはすっかり垢抜けて、もう生まれも育ちも都会気取り。中でも、大学で上京してきた人を案内するのは楽しいものです。なにせ相手が喜びそうな場所や遊びが手に取るようにわかる。そんな自分がまた誇らしい気がして、自信を深める一助となりました。
年若く、身につけるものも瀟洒で、言動が野暮ったくないとくれば、次に待っているのは女。自然のことわりでございます。奥手な性格は変わりませんが、そんな私にも連れ添う人が現れました。
大学で同じゼミの方でした。化粧も装飾も決して今風ではなく、あえておさえて素を生かす小技に目がくらんで、私から声をかけたことを覚えております。話してみますと文学や芸術などに造詣が深く、映画より展覧会の券を好みました。郊外の小さい美術館の喫茶室で、たったいま目の当たりにした作品がいかにすばらしいかを早口で語る仕草は、それまでの印象とずいぶん違います。より魅力的に映りました。
しかし、いざことに及んでみますと、まず私よりずっと小さいのに腹が立ちました。骨と皮ばかりの体は不気味で、なにを抱いているのかわかったものではございません。不首尾に終わったのは酔いのせいにして、ベッドの縁で喫茶室の続きを語らせようとしましたが、その口からついて飛び出したのは、かつて彼女を喜ばしえた上級者たちはどのような人間だったかの一覧表でした。いいえ、披瀝してはばからなかったその本性に幻滅したわけではありません。驚いたのは、指折り数えていく男のだれもが、ひとつとしていいところがないことでした。それほど嫌な相手とならはじめから寝なければよかったのに、子供がサンタさんからプレゼントをもらったような顔で、彼女は思い出を語るのです。この点だけはいまだによくわかりません。世間にはいろいろな女があるものですな。
それから二回ほど会って、私は手を切りました。決して悪い人ではありませんでしたが、本来の理想があの姉でございます。許容の権化、抱擁の化身である姉のしもべに、これ以上の我慢は効かなかったのです。
さて、女に絶望した私は――たった一度で絶望するあたり、まだひよこなのですが――姉への思慕が日増しに強まり、大学生活最後の夏に帰郷をいたしました。
およそ五年ぶりの里帰りでございました。戻ってまいりますと、すでに駅から姉が始まっております。五年も離れますと、勝手知ったる道とはいえ歩き方も忘れてしまいます。勾配はこんなに険しかったのか。ごろ場の石はもっと小さかったはず。たしかに道を阻む箇所は相応にショックがあるのですが、私には差す日の色合いや、沢の水面のきらめきなどがなんとも他人行儀で、胸の奥を絞られるような寂しさを感じました。あの、身内なのに敬語で話されている距離感は、なんと言い表したものでしょうか。
一日がかりで姉の尾根に出ますと、その光景は想像していたものとはまるで違っておりました。柔らかくて白い懐に抱かれて甘い夢にまどろんでいた。その場所がいまでは、険峻で風強く、逆巻く灰の雲が全身をなめていく。その切れ間を名も知らぬ黒い鳥が二羽、踊るように風の中を飛んでいるを目にしたとき、かつての私が、姉とかえがたい豊かな時間を過ごしていたことをまざまざと思い知りました。なくして初めて気がついたなど、町にいたころなら鼻にも引っかけなかった陳腐な言い回しに、まんまと足をすくわれたのです。それを認めざるをえない立場に追い込まれた私の顔といったら、それはそれは愉快な造作でありましたろう。
若いうちこそ世に出て見聞を広めんと、安い文句に誘われて、そのかけがえなき身の幸せ――誰の手も触れない私一人だけの輝かしい栄光――を打ち捨ててしまった自分を呪いました。家を出るべきではなかった。世間を知ってなんになるのか。私の中にすべてがあり、すべてが私を包んでくれていたというのに。
どれだけ後悔し、懺悔をしても、山脈たる姉はなんのしるしも示してはくれません。もはや特別な弟ではなく、顔も名前もない男に成りさがっていたのです。
忘却。私は姉に忘却されたのです。
行くあてもなく、何年も山中をさまよっておりますと、ほかの登山者と巡りあうことも少なくありません。小屋掛けなどいたしまして「どうぞ一休みして、ここにくるまでの話などお聞かせねがいませんか」と誘うと、話してくださるどなたさまもそれはそれは見事な覚悟でございます。かつての私のように迷っているものは一人もありません。いまだ衣服に傷ひとつない方も、すり切れて全裸に近い方も、なかば朽ちていよいよ溶けあっていく最後の方も、みながみな、それぞれの姉を愛した果てにこの仙境へ至り、姉の姉たる姉の表面から中へ招かれる目標に、なんの疑問もためらいもございません。
ただただ私だけが、その覚悟のなさ、意気地のなさを思い知らされました。そうして求道者たちの真剣な背中を、むなしく拝してまいったのでございます。
「いいや、それも正確ではございませんな」
老人はわずかにおとがいをあげて、私の頭の後ろよりも。はるか遠くを仰ぎみているようだった。
「もし、はじめからなにひとつあやまらず、ずっと姉の元へいて、その栄光に浴していたとしても、それはそれで後悔しておりましたろう」
「そんな馬鹿な話もありません」口にした後で、安っぽい慰めに聞こえたかと、あわてて言葉を継いだ。すでに人見知りアンテナは片付けてあった。目の前の人は敵ではない。
「仮定に仮定を重ねては、どんな可能性だってありえてしまいます。なんの意味もありません」
「いいえ、私はこう考えるのです。先に、姉の言葉はすでに人の可聴域を外れてしまったと申しました。それを不幸だという感じを出して話したのですが、逆ではなかったのかと思うのです」
「ちょっと、なにを言ってるのかわかりませんね」
「よいですか。言葉が届かないということは、自分勝手な愛の形を相手に押しつけられるということです。姉は動かぬ山脈でございます。裏切られる心配もありません」
「それは愛なんですか、まるで……」
「その通りです。私の姉に対する気持ちは、ただの独りよがりにすぎなかったのです。もとから愛でもなんでもなかったのです」
「待ってください。まだ断定するには早くはありませんか」私は泡を食っていた。もしそれを認めてしまったら、私の秘めたる思いさえ愛だとはいえなくなってしまう。なら、当たって砕ければいいのか。待て、相手は肉親なのだ。そのダメージはほかの女の比ではない。この紙一重の危機感が私をもてあそんでいる。
いいや、やはりこれは愛なのだ。ちがうという者は、世間に流通する粗悪な模造品しか知らない連中だ。親兄弟と結ばれたい願望は幼い少年少女だけの特権なのだ。大きくなって知恵がついても恥ずかしいとは思わない。誰の手も触れない私一人だけの輝かしい栄光をまとって進む者に私はなりたい。だが、それをどう老人に話せばいいのか。
「さきほどから愛という言葉を多用されていますね」くちびるが勝手に言葉がつむいでいた。「けれども、恋ではいけないのでしょうか。恋ならば片思いができます」
そこに私の意思はなかった。私はストローのような丸い導管となって、どこからか台詞を通したに過ぎない。なのに、いま、私が最もほしい言葉だった。
話している間の老人は空気が抜けたように小さく見えていたが、あの上機嫌であどけない少年のような感じが戻ってきた。
いつしか雨はやんでいた。あたりは汗ばんだ姉のにおいがいっそう強くなっていた。
(了)