九
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真っ白な部屋で目を覚ます。その光景は、ログインする前と何ら変化はない。敷いて言うなれば、突っ伏していた為に額だけ赤くなっているくらいだ。釘城が起きるとほぼ同時に、そのすぐ隣では佐藤が体をおこしていた。
「監督……」
彼女の言いたいことが彼には理解できていた。視線の先、ちょうど机を挟んだ反対側に、まだ眠りこけている小野田の姿があった。
「相当な負荷が脳にかかっていたみたいだ」
触れなくともわかる。脳に大量の血液が上がっている感覚。それは頭の中に心臓があるのかのようであった。
「とりあえず、甘い物でもとっておいた方がいい。脳に栄養を与えないと。作戦会議はそのあとだ」
そう言って飴を二つ手に取り、片方を佐藤へと投げてよこした。釘城は残された飴を口に放り込みながら、首元のフィジカルアダプタのマジックテープを引きはがす。長時間、アダプタに覆われていた首元は、ひんやりとした外気に触れ、いくぶんの心地よさを感じさせていた。
「ありがとうございます」
「とりあえず、だ。元凶はあのライゼルだと思うのだけれども、その前にこちらでプレイヤーの強制ログアウトを行う。同時に、これ以上ログイン数を増やさないようにする必要もある」
小野田の体をそっと起こし、並べた椅子へと横にさせる。彼の力ない片腕が、だらりと垂れた。
「それにしても、何とか現実に戻ってこられましたね。体力が無くなった際の強制ログアウトだけは生きていて助かりました」
「そう、だね」
二人は部屋を後にし、廊下を小走りで駆け抜ける。そして、何人ものスタッフが忙しそうに動き回っている部屋へと飛び込んだ。
「今すぐ全プレイヤーを強制ログアウト。並びにこれ以上ログインできないように、ロックするんだ。急げ」
釘城はその場にいたすべてのスタッフに大きな声で告げる。しかし、その言葉に答える者は誰一人としておらず、ただ、呆然と立ち尽くすだけだった。
「どうした、聞こえなかったのか。早く強制ログアウトを実行するんだ」
改めて命令する釘城に、一人のスタッフが手を挙げた。
「監督、一体何があったのですか。現在、モニタリングしているどの値も正常値を示していますが……」
「なんだって」
座っていたスタッフを押しのけて、近くのコンピュータを急いで覗き込む。そこにはいくつものグラフがリアルタイムで表示されていたが、確かに、ほとんどの値が正常値を示していた。
「脳への負荷がやや高くなっておりますが、これでも許容範囲内です。その他の値も全く異常は見当たりません」
「いや、そんなはずは……」
少しの間、頭の中を整理しているのだろうか、画面の数値を目で追い続ける。だが、特に異常は無く、かえって不気味な静けさを醸し出していた。
「何か異常があるのであれば警察に連絡を――」
「あぁいや、大丈夫だよ。そんな事よりさ」
スタッフが手にしていた電話機の子機を取り上げ、集まってきたスタッフ全員の顔を見渡しニッと笑いかけた。
「これから第一弾、アップデート記念に打ち上げでもしようか。店は僕の方で抑えてあるから、このお金で好きなだけ食べてくるといい」
そう言って釘城は財布から五万円を取り出し、目の前のスタッフに押し付けた。
「店の名前はゴッズバー。迷いやすいから気をつけて」
驚愕からか、なかなか受け取ろうとしないスタッフのポケットに無理やり金をねじ込むと、彼は出口に向かって背中を押す。
「何をしているんだい。今日の運営は僕と佐藤さんとで受け持つから、行くといい。さぁ、早く!」
先ほどまでの慌てたような態度から一転。何か、心に決めたような彼の態度に気おされて、渋々その場にいたスタッフの全員がその場を後にした。
「監督わざわざ追い出さなくても……」
「今この状況で、あいつらが役に立つと思うのかい?」
数字だけをグラフだけを見て、安心しきっていた者たち。確かに彼の言う通り、何の役にも立たなかったのかもしれない。そう考えると、佐藤は釘城に目を合わせられないでいた。
「警察なんて呼ばれては、僕らは間違いなく捕まるだろうね。僕らでもどうしようもないようなこの状況で、警察なんかに、残されたプレイヤーをどうにかする事なんてできやしないだろうね」
うつむく彼女の肩に、釘城はそっと手おいた。
「その点君は状況も知っているし、僕は誰よりも君の事を信頼、信用している。頼む、その力、僕に貸してくれ」
久々に見た。今の釘城のその眼差しを、佐藤は知っている。追いつめられてはいるが、反撃の希望を持っている。そんな眼。彼女はその眼差しに心打たれてか、無言で頷いた。
「ありがとう」
「礼なら全て終わるまで取っておいてください。さぁ、監督。指示を」
佐藤の言葉に軽く微笑む。釘城は近く椅子に腰かけて、携帯を手に口を開いた。
「じゃ、キャラクター名アッシュで検索。あの子のメールアドレスを割り出すんだ。メール本文は、僕が直接入力しよう。こっちでメンテナンスモードに切り替えておくから検索は任せた。あとは、さっきの店に予約の電話をしないとね」
釘城は目の前のコンピュータを操作し、七文字のパスワードを素早く入力する。するとコンピュータの画面は、メンテナンスモードへと切り替わった。同時に、全プレイヤーの強制ログアウトも選択するが、ログイン数に変化は現れなかった。
「佐藤さん、こちらでの強制ログアウトは死んでいた。取りあえず、これ以上の被害者を増やさないようにメンテナンスモードにはしたけども、根本的な解決にはならないね」
ログイン数は現在、約一万二千。その数字はそれから増えることも減ることも無く、示す線グラフも綺麗な水平を保っていた。
「そうでしたか。こちらも急ぎアッシュの割り出しをしておきます」
通話し始める釘城を横目に、佐藤も別のコンピュータの前に座る。起動されたままの状態であるそれを操作し、プレイヤーの個人情報を集めたファイルを開いた。
アッシュの顔を思い出しながら彼女はキーボードをたたく。一致しなかった名前は全て一覧から消え去るが、それでもまだ多くの名前が残されていた。文字列だけの情報では、あのアッシュを見つけ出すのは難しいだろう。
頬杖を突きながら、ここからどうした物かと悩んでいた時。ふと、アッシュがあまり多くは無いアナライザーであったことを思い出した。
佐藤がこれでいけると、アナライザーでフィルター検索をかけた時。その画面は誰一人として名前を残さなかった。