四
四
レクタードが負けた。その事実を淡々を告げるだけの通知に、残された二人は腑に落ちないでいた。
輝く木漏れ日の中、風は吹き、木々をざわめかせる。巨盾に身を潜めたままで、アッシュはメニューを開いた。
「あと一人だけみたい」
レクタードは、確かに誰かを仕留めたのだろう。その証拠に、銃弾は一発たりとも飛んでは来ない。木々の間や藪の中で揺れる影、それら全てが敵に見える。切らしてはならない集中力が、大幅にライゼル達を疲れさせていた。
「アッシュ、敵がどこにいるのか分かる?」
「ちょっとまってて」
アッシュがそっと目を閉じると、左目の瞼の前に小さな赤い光が集まり始める。それはゆっくりと渦を巻き始め、輝く環へと姿を変えていた。
「見つけた」
青い瞳はゆっくりと開かれる。輝く赤い環は澄んだ瞳へと吸い込まれ、青かったそれは、片目だけ赤いそれへと変化していた。
「大体の場所は分かったよ。でも、遠いのかな。こっからじゃ見えそうにないね」
正面を示しながら、アッシュは答える。少しだけ盾の陰から覗いてみるが、確かに、見えるのは大樹ばかりだった。
「マーキングを撃ちこみたいところだけど、近づかないとつけられないから無理だね。代わりにあなたには、短時間だけど情報共有スキルを使ってあげる」
アッシュはライゼルの手をそっと握る。するとその甲には輝く紋章が浮かび上がり、同時に、ライゼルの甲にも同じ紋章が映し出されていた。
「矢印の示す先に敵はいるの。大体の目安にはなるでしょう?」
赤い矢印が表示され、それは確かに盾の向こう側を示している。アッシュは立ち上がると、ライゼルに手を差し伸べ立ち上がらせた。
「ライゼル、わたしから離れてて」
「そんな、俺も行くよ!」
早足で歩きだしていたアッシュに追いつくと、うつむいたままの彼女の顔を覗き込む。一緒に戦うものだとばかり考えていた為か、来るなと言う彼女の真意が見えないでいた。
「見たでしょう、あの爆発を」
「それがなんだよ。今の俺たちにかかれば余裕だろ?」
軽率な発言だった。アッシュの脳内で、何かのスイッチが入ったような音が響く。
「あのね。あんたがチートを使ったって事がばれたら、二度とこのゲームができない。それどころか、警察に捕まってしまうの。そこんところ解っているの?」
静かに怒るアッシュの言葉が、ライゼルの心に深くつき刺さる。これまで自分自身の野望の為にしか、ライゼルに興味が無い物だと思っていた。
「だから、ここは私に任せて、ね」
アッシュは彼女の肩を軽く叩くと、指し示された方向へと歩いて行く。ライゼルはただ、彼女に対して感謝の気持ちを持つことしかできなかった。
「やぁ、話は終わったかな?」
苔生した岩に腰掛けて、緑の髪の少年は本を読んでいた。薄暗い森の中であるのだが、そこだけは明るい木漏れ日が差し込んでいる。
「なかなか余裕なのね。どこまでわたしたちの話を聞いていたのかな?」
本から目を離そうとしない彼に向かって、アッシュは言い放つ。手にしていた盾を地面に突き刺すように置き、静かに睨みつけていた。
「いいや、まったく」
音を立てて本を閉じると、少年は片膝を付いて飛び降りる。ゆっくりと立ち上がり、彼はアッシュへと片手を差し出した。
「僕の名前はミサエル。アッシュ、僕たちと一緒に来ないかい?」
「やだね」
アッシュは即答すると、盾を持ち上げ戦闘態勢に入る。盾の先端についた土が、パラパラと零れ落ちた。
「あぁ、断られちゃったよ。折角の盾だってのに」
ミサエルは片手で本の背表紙を持ったまま、重力に任せてそれを開く。そしてアッシュを見つめたまま、手にしたそれを白く輝かせていた。
「まぁ、いいか」
彼はハナから興味なんて無かったとばかりに呟く。だが、その言葉がアッシュに届くよりも早く、突然の爆発音によってかき消された。
「どうだい、僕の魔法は」
黒煙を引きながら、アッシュは大きく吹き飛ばされる。地面に強く盾を押し付け、空中でどうにか体勢を立て直した。
座標系爆発魔法。
威力は高くなく、一撃でやられるような心配もいらない。だが反面、高い命中精度と吹き飛ばし効果がある。また座標で発生場所を指定するため、直線的な弾丸や刃物とは違い、盾によるガードがほとんどできない。
「しっぶい、ね」
ふらつく身体に鞭を打ち、奥歯を強く噛みしめて彼女は立ち上がる。影になった顔からは、刃物よりも鋭い眼光だけを輝かせていた。
「諦めなよ、近接二人じゃアルケミストの僕には勝てない」
挑発気味の少年の言葉に、アッシュのスイッチが入った。
深く濃い茶色の少年の瞳、しっかりとそれを見据え、彼女は一気に走り出す。木の根を飛び越え、枝をくぐりさらに加速する。輝き始めるミサエルの持つ本、爆発が起こることを感じ取ったアッシュは、咄嗟に横へと飛び退いた。
人は基本的に、一つの物しか見られないと言われている。たとえ沢山の物が視界に入ろうとも、それだけしか意識して見ることができないのだ。またミサエルが使っている魔法も同じく、発動場所、発動タイミングも人の意識により行われる。
すなわち、視線とは銃口である。
「こいつ」
ミサエルの表情が鋭くなった。視線と本の輝きを見極めて、アッシュは全力で彼に接近していく。そして走りながら盾を構えると、岩に向かって彼を押しつけた。アッシュは抵抗する少年の力を、ありったけの力を込めて押しとどめる。
「僕の魔法を全てかわしきったのは褒めてあげよう。でもアナライザーの盾が、一体ここから何ができるというんだい?」
岩と盾に挟まれて、ミサエルはアッシュに問いかけた。確かに攻撃は出来ない、だが彼の言葉に耳を貸してはいけないと、そう自分に言い聞かせアッシュは押し込み続ける。
「盾は人を傷つける武器ではない。攻撃反射スキルこそある物の、こちらから攻撃をしなければダメージを受ける事はない」
アッシュの足が、ゆっくりと後ろへ滑り始める。彼女は盾から片手を離すと、彼の首筋を掴みあげた。
「何をしているんだ」
ゲームにおいて首を絞める、という行為は何も意味を持たない。それどころか、無駄に力を分散させてしまう結果へとつながってしまう。
「まぁ、僕の魔法は確実に当たる、か」
彼がそう呟いた瞬間だった。アッシュの掴むその手が、明るく輝きだす。
「何を、しているんだ……」
少年は、突然首筋に針のような物が刺さった感覚に襲われた。それはほんの一瞬であり、それによる体力の減少はない。気のせいなのだろう、そう思い込み始めた時、突然アッシュはある者の名前を叫んだ。
「ライゼル!」
声は木々に反射して、森の中をどこまでも響いてゆく。
「なんだ、何も起きないじゃないか」
大きくため息をつくと、少年は彼女を嘲る。反撃だ、とばかりに彼がアッシュへと意識を向けた瞬間だった。盾の向こう側、彼女の更に後ろから、輝く、月のような何かが迫ってきている事に気が付いた。
――それは極めて高速で、それは極めて凶暴で。
遮る物を全て切り伏せながら、岩ごと彼の首を切り落とした。