祖先
「【運び手】さまの世界には、月はひとつしかないと聞いております」
月明かりを浴びながら少女が言う。
それはそうだ。いくらここが日本じゃなさそうだと言ったって、地球の周りを回っている月はひとつしかない。外国だから月がふたつあるとか、そんな馬鹿なことがあるわけはない。
「なんだ夢か…よかった」
陸はほっと胸をなでおろす。しかしやけにリアルな夢だ。ひと月ほど前に夢判断という本を読んだが、夢には無意識に自己の欲望が反映されると書かれていた。ということは、陸は異世界に召喚されるということを無意識のうちに望んでいたのだろうか?そうだったとしても不思議ではない。唐突に両親に死なれ、何もすることができず、己の無力とこの世の理不尽を嘆いていたばかりだったのだから。
「夢ではないのです。ですが、それを完全に証明することはまだできません。
ですからとりあえずは夢と思っていただいて構いませんので、話を聞いていただけないでしょうか」
ずいぶん聞き分けのいい登場人物だな…リアル過ぎて怖いくらいだと陸は思う。さっきから感じるぬるい夜風も、階段を登った脚の疲れも、これまで見た夢とは桁違いのリアルさだ。でも、異世界に召喚されるなんてことよりも、リアルすぎる夢の方がまだ現実味がある。
「わかりました。まあ目が覚めるまでですが、お付き合いしますよ」
逆に面白くなってきた陸は、少女の申し出を簡単に了承した。椅子を勧められ、丸テーブルを囲んで3人で腰掛ける。それで初めて男の顔を間近で見たが、やはり40代半ば頃に見える。少女よりも髪の色は薄く彫りも深い顔立ちで、立派な口ひげを蓄えている。鋭い目をしているが、暗くて色まではよくわからない。
「名乗りが遅くなりまして申し訳ございません。わたくしはミキ・タケノウチと申します。即位したばかりですが、この国を治める女王の地位に就いております。こちらは摂政のランダル・タチバナです。わたくしの叔父で王位継承順位第1位でもあります」
「ランダル・タチバナと申します。【運び手】様にお目にかかれて光栄に存じます」
「はあ…ありがとうございます」
もはや驚くこともなく、なんだかよくわからない返事をしてしまう陸。
「【運び手】様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「…伊藤です。伊藤陸です」
なんとなくためらったあと、別にいいかと思い答える。
「イトウリク様ですね…失礼ですが、イトウが姓で、リクが名ということでよろしいでしょうか」
「はい、そうですね。こちらの言い方だと逆なのかな」
「そうなります。不躾かと思いますが、リク様と呼ばせていただきます。
イトウ様とお呼びしないのには理由がありますが、それは後でご説明します」
「別に構いませんよ。好きなように呼んでください」
「ありがとうございます。それではまず…先ほどこの世界はリク様の世界とは違う世界だと申し上げましたが、おそらく、わたくしたちと、リク様たちの祖先は同じと考えております。数千年前、リク様の世界からなんらかの方法でやってきた祖先たちが、この世界で増え、国を造り、今のようになったということです。つまりリク様の世界は、わたくしたちのふるさとだろうということです。」
「僕のように召喚された人がたくさんいるってことですか?」
「ある意味でそうであるとも言え、そうでないとも言えます。
大昔に人々がやってきたときは、この世界に召喚を行う人間はいませんでしたから、召喚以外のなんらかの現象で来られたのだと考えております。それを神の御業であると言う者もおりますが。
そして、今回わたくしたちが行った召喚の秘術…これでこちらにおいでいただいた方は、リク様の前に3名だけです」
「3人…少ないですね」
「はい。召喚の秘術は、300年置きにしか行うことができないのです」
少女…ミキは、胸元に手を入れ、ネックレスにつながった小さな石を取り出した。