とある公爵令嬢の恋の悩み
そこは美しい庭園だった。
色とりどりの花が絵を描くかのように配置され、一段高い場所にある東屋から最も美しく眺められるようになっていた。
けれど、その東屋に集った3人の男たちは、美しい花々やその麗しい景色を少しも愛でたりしていない。この場にひどく不似合いな、渋い顔つきでいる。
遠くから音楽と人々のざわめきが、背景画のように微かに漂う。
「全く! 言い訳ばかりでうんざりなんだけど」
「確かに。もう3日目になるというのに、初日から進展していないですね。オグリスさまもお気の毒に」
「・・・・・・俺は、もういいんじゃないかと思ってる」
「「!」」
「そうは思わないか?」
「賛成! 最初っからそうすりゃ良かったんだよ。変な温情をかけるから、自分たちが俺たちと対等だと勘違いしちまったんじゃないか?」
「・・・・・・まあ、我々がなめられてるのは事実ですよね。その程度の賠償では納得できないと初日に言ってるのに、言を左右して譲らない。制圧して属国化してしまうのが手っ取り早いでしょうね。優先すべきは技術者の確保、でしょうか?」
「決まり、だな。交渉決裂でもう帰ろうか」
その時、3人ともはっと固まった。
こちらに近づく人の気配を、敏く察したのだ。お互いの顔を見やると、無言で立ち上がり、東屋の背後に身を潜ませる。
別に彼ら3人が不法な侵入をしている訳ではない。彼らはハディタスの公式な滞在客であり、庭園内を好きなように散策してくれてかまわないとも言われている。
けれど、いまこの場に集う自分たちの姿を、この国の人に見つかりたくなかった。
*******
広大な庭園の一角で開かれているお茶会は、招いた劇団による寸劇の観覧が終わり、座がバラけ始めたところだった。
招待客である令嬢や令夫人は、決められた席を立ち、気の合う者同士集まり、庭園の散策に向かったり、劇団員の元に集ったり、新たに会話の花を咲かせたり、それぞれみなバラバラに行動していた。
今の季節は薔薇の盛りであり、散策に向かう者は誰もが美しく咲き誇る薔薇を堪能するべく薔薇園へと向かっている。
そんな中、アルゼラはひっそりとその場を離れ、薔薇園とは真逆の位置にある三日月の庭へと足を向けた。何か目的があった訳ではない。ただ、一人になりたくて、人気のない方へと向かったに過ぎない。
緑のアーチをくぐり、その庭に入ると、真っ直ぐ高い場所にある東屋を目指す。
東屋への階段を上る途中、風を感じて振り向いたのは偶然だった。目に飛び込んできた色彩の妙に、アルゼラの足は自然とその場に止まった。
この時期、薔薇園に霞んでしまい人気のないこの庭園の思いがけない美しさに、しばし魅入る。
花々のなんと美しいことか。
どうしてこれ程、美しく咲き誇ることができるのか。
けれど、花の命は儚いまでに短い。
だからよく初々しい乙女は花に喩えられる。
乙女が光輝く時間は短く、花が儚く散っていくように、あっという間にその光を色褪せさせる。
金の髪、冬の雪空のような鈍い灰色の瞳を持つアルゼラは、ふと先ほどの舞台で高らかに歌い上げられた台詞を思い出した。
短いながらも強烈な台詞。
命短し、恋せよ乙女。
寸劇は、ありふれた恋物語の一幕だった。
騎士と村娘の身分違いの恋の物語。村娘は身分の違いに恐れ怯み2人はすれ違う。けれど、その言葉に勇気を与えられた村娘は一歩を踏み出した。村娘の涙ながらに告げる恋情に打たれた騎士は、手に手を取って2人で困難な道を歩むことを決意する・・・ところで幕を閉じた。
演じる役者の巧みさと情熱的な展開に、多くの女性が頬を上気させ、うっとりと観覧していた。
冬の雪空のような瞳の色から、雪の天使と呼ばれるほど愛らしい顔が、心の痛みに微かに歪む。
そんなアルゼラを、後をつけるようについて来た少女がひどく痛ましげな表情で、じっと見つめていた。
何度か無音のままに口を開閉し、ようやく思い定めたように声を出した。
「――――アルゼラ」
その呼びかけに声のする方へと向けられた灰色の瞳が、自分よりも淡い金の髪と淡い紫の瞳を持つ少女を映し出す。
「・・・・・・エメリー」
「大丈夫?」
「えぇ、私は大丈夫よ。心配してついてきてくれたの?」
アルゼラがふわりと淡く微笑むと、エメリーは困ったように視線を揺らせた。
「ごめんなさい」
「どうしてエメリーが謝るの?」
「だって・・・・・・兄さまはひどい人だわ」
その言葉にアルゼラは一瞬泣きそうな表情になる。
「・・・・・・仕方のないことよ。だって政略結婚なんですもの。愛がなくても、仕方がないの」
自分に言いきかせるようなその言葉に、エメリーもまた泣きそうな表情になった。
先程の寸劇の内容は、兄と密かに身分違いの恋をしている騎士の娘を彷彿とさせる内容だった。その内容と展開もさることながら、舞台の上の身分違いの恋人達を応援するようなその場の雰囲気。
きっと私の大好きな友人は辛い思いをしている、とエメリーは案じていた。
どうして、と思う。
他に愛する女性がいるなんて、どうしてそんな残酷なことを兄は婚約者に告げるのだろう。
ずるい、とも思う。
それならそれで、どうしてその思いを自分一人で抱えておかないのだ。なぜ婚約者を巻き込み、苦しめるのだろう。
兄を詰りたい。
アルゼラもエメリーも、生まれた家は違えど公爵令嬢だ。
その立場を義務を責任を、お互いに忘れたことはない。
そんな2人は、互いの中に同質のものを見い出し、社交界デビュー後、急速に親しくなっていった。そして今では、互いの苦しい恋を打ちあけあう仲にまでなっていた。
「ふふふ、お互い馬鹿よね。エメリーや私にとって、政略結婚は義務。そうだというのに、恋なんかしてしまって・・・・・・」
「本当にね・・・・・・政略結婚しなくてはならないんですもの。恋なんて知らない方が幸せになれるのにね」
「えぇ。・・・・・・それなのにどうしてあの人たちは、あんなに無邪気に恋に憧れ、愛でられるのかしら?」
アルゼラが遠く茶会が開催されている方向へ視線を向ける。
音と人の気配を感じるだけで、ここからでは茶会の様子は見えなどしない。それなりに距離があるのだ。それでもその動作でアルゼラが言う“あの人たち”が誰を指すのか、エメリーには分かった。
茶会に招待された他の人々・・・・・・密やかに、けれど声高に酔うように語る己が恋。
花々の上を舞っていた白い蝶が、2人の間をひらひらと過ぎっていった。その蝶に目を留めながら、アルゼラは口を開いた。
「・・・・・・私ね、嬉しかったの。ジオンさまとのお話が決まった時、本当に嬉しかったのよ」
「・・・・・・」
「義務のはずの政略結婚で、まさか恋が叶うなんて思わなかったんですもの。誠心誠意、ジオンさまに尽くそうって思った。でもね、ジオンさまは私なんて、ほんの少しだって見ていなかったわ。ジオンさまの目が映すのはあの女性だけ・・・・・・皮肉なものよね。恋が叶ったと思った次の瞬間、粉々に砕け散るなんて」
「・・・・・・アルゼラ」
「いいの、大丈夫よ、エメリー。政略結婚に愛などないのは、当たり前のことですもの。ジオンさまのお心が他の女性にあるのは、誰が悪いわけでもない」
「・・・・・・どちらが辛いのかしらね」
「?」
「決して叶うことのない恋を心に抱く私と」
「恋する人と結婚できるけれど愛されない私と?」
互いを見やって、2人は苦く笑った。
ぽつりとエメリーが呟いた。
「私たちは愚かね」
「そうね・・・・・・いまだに恋を殺すことができずにいる。その方がラクになると分かってるのにね」
そうしてエメリーはふいとアルゼラから花へと視線を逸らした。その視線を追うようにアルゼラも花へと目をやる。
2人の少女の視線の先で、今が盛りと咲き誇る白い花が風に揺れていた。
「ねぇ、エメリー。いま交渉が上手く言ってないこと、知ってる?」
「えぇ」
「かの国は激怒してるらしいわね」
「当然でしょうね。かけられた温情に背き、信義を裏切ったのは私たちですもの」
「バルティス領の割譲と賠償金だけでは、あちらは全く納得していないそうよ。たぶん、欲しいのはうちが持つ技術・・・よね?」
「たぶんね。そもそも隣国が落ちた時、一緒に責め滅ぼされずに済んだ理由がそれだったじゃない? かの国にとってうちの価値は、製錬と鍛冶の技にしかないのよ。その技術さえ保持されるなら、この国を治めるのは今の王家や貴族である必要はないでしょうね」
「やっぱりそうよね。エメリーや私ですら分かるこんな簡単なことが、どうして分からない人がいるのかしら?」
「・・・煽る者がいるからでしょうね」
エメリーのその言葉に、アルゼラは眉を顰める。
「バルティス伯は誰かの手のひらの上で踊らされたということ?」
「・・・・・・アルゼラだって、見当がついてるんじゃない?」
2人の視線がじっと絡み合う。
2人の間の緊張が増したと思った次の瞬間、2人の唇が同じ形に動いた。
「「カディヨン」」
見つめあったまま、2人の口から溜息が零れ落ちた。
「アルゼラもそう思ってたのね」
「まあね。お父さまが明言されたことはないけど、やっかいよね・・・・・・ねぇ、戦争になると思う?」
「・・・・・・分からないわ」
エメリーは、再び溜息を吐いた。
「でも、戦争になったら負けるわ」
アルゼラはその言葉に静かに頷いた。
この国で、女性が政治の舞台に立つことはない。
けれど、公爵家の中心で生まれ育った2人は、息をするように自然に政治の世界に触れてきた。そこらの貴族よりもよほど深く正しく国情を理解していると言えた。
「私、破滅願望があるのかしら?」
アルゼラが独り言のように呟いた。
「えっ?」
「心のどこかでね、戦争になるなら、それならそれでいいって思ってるの」
「っ?!」
「この苦しい恋を強制的な死で終えることができるなら、それならそれでいいのかなって。ジオンさまと一緒に死ぬことができるなら、それはきっと幸せなことなんだわ・・・・・・」
「・・・・・・アルゼラったら・・・・・・でも、そうね、それは無理だと思うわ」
「まあ、意地悪言うのね?」
「だって、まだ式を挙げてないじゃないの? 夢見るのはいいけれど、いま戦争になったらその願いは叶わないわよ。お兄さまはティルダス公爵家の、アルゼラはタメルリック公爵家の人間として死ぬことになると思うわ」
「ふふふ、そうね、そうだったわ」
「破滅願望、ねぇ・・・・・・その気持ち、なんとなく分からないでもないわ」
「エメリー?」
エメリーはどこか困ったような表情を浮かべて、アルゼラを見た。
「私、遠くへ嫁ぐことになりそうなの。・・・もっとも、この危機を無事に乗り越えることができたら、だけどね」
アルゼラはエメリーの言葉を身の内で消化するようにしばし考え込む。
そうして唐突に思い出す。先の社交シーズンの終わりに流れた噂を。
「――――まさか」
アルゼラの驚きを受けとめるように、エメリーがふわりと笑んだ。
「そんな、どうして・・・・・・」
「一番高く、私を買ってくれるからじゃないかしら」
「エメリー!」
アルゼラの声に友を責めるような響きがこもる。
「ふふふ、言葉が悪かったわね。・・・そうね、ティルダスが得る対価が一番優れている、というべきからしら?」
「・・・・・・なんてことなの」
アルゼラのわななく唇を目にするのが辛いとでも言うように、エメリーはまたアルゼラから花へと視線を逸らした。
「王妃として迎えるなんて言ってても、あの国にはエメリーと数歳しか違わない王太子がもういるのよ? 他に側室だっているって聞いてるわ。歓迎されるはずないでしょう? どれだけ弱い立場に立たされるか分かってるの? それに年老いた王が亡くなれば、仮に子供を産んでいたってどうなることか」
「・・・・・・分かってる」
ぎゅうっとアルゼラがエメリーの両腕をつかんだ。そうして無理やりエメリーと視線を合わせる。
「――――殿下にもお会いできなくなるのよ?」
囁くようなアルゼラの問いに、エメリーの顔が歪んだ。沸騰するように一瞬で沸き起こった思いを必死に押し殺す。
「もとより、叶うはずのない恋なのよ」
現王とティルダス公は互いの妹を妻とした。だから、王太子ウルディスとエメリーは父方でも母方でも従兄妹となる。
母親同士が仲の良い友人ということもあり、王妹でもある母はエメリーを連れて頻繁に王妃の元を訪れていた。その度に年齢も血も近い子供たちは、庭園や王宮探検に出かけて遊んできた。
従兄妹にして、幼馴染の友人――――それがウルディスとエメリーだ。
ウルディスには、幼い頃に決められた婚約者がいた。
お相手は、もちろんエメリーではない。北の要衝を守る辺境伯令嬢だ。
この国ではあまりに近い血の婚姻は歓迎されない。この国の民は、従兄妹婚や叔姪婚を本能的な嫌悪に基づき、忌避する。
だから、エメリーが名門ティルダス公爵家の令嬢であっても、二重に従兄となる王太子とだけは決して結ばれることはない。
それでも、エメリーは恋をしてしまった。ウルディスに。
決して叶うことはないと知りながら、恋を胸に抱き続けている。魅かれる気持ちを殺すことができなかったのだ。
「ねぇ、アルゼラ。お願いだから嘆かないで。私ね、そんな強い人間じゃないわ。自分が弱い人間だって分かってる。だから・・・これでいいのよ」
「?」
「ウルディスさまを恋い慕う私の気持ちは変わらないわ。この思いが消えることなんて、未来永劫ない。でも、だからこそ恐いの。ウルディスさまの傍らに立つ女性を、私はきっと憎んでしまう。嫉妬せずにはいられないと思うの」
「・・・・・・」
エメリーの告白に、アルゼラの顔が歪む。
アルゼラとて、愛する男性は別の女性を愛しているのだ。エメリーの言うことが痛いほどよく分かった。それはまさに自分のことでもあったから。
「仲睦まじい2人を近くで見続けていたら、いつかきっと苦しい気持ちに負けてしまう。そうして・・・ひどく醜いことをしてしまうんだわ」
「・・・・・・エメリー」
「だから、いいのよ。そうなる前にこの国を離れられるというなら、それは多分・・・いいことなのよ」
寂しげにそう言うエメリーは、一際美しかった。触れたら壊れてしまう雪の結晶のように、儚げな美しさだった。
淡い金の髪、淡い紫の瞳。この国の国花であるライラックの花のようなその瞳の色から、エメリーは国の花とまで呼ばれていた。
この国一番の美姫は、叶わぬ恋の憂い故にその美しさに磨きがかかっていた。
アルゼラの胸がキリキリと痛んだ。
その痛みに突き動かされるようにして、友を抱きしめた。一瞬驚いたように怯んだエメリーも、すぐにアルゼラを抱きしめ返した。互いの腕の中の温もりに縋り、苦しい恋に悲鳴を上げる心を互いに慰める。
身分、権力、お金、容姿――――エメリーもアルゼラも全てを手にしているように見えながら、けれど唯一手に入れられないものに苦しんでいた。
自分たちは本当に愚かだ。
これ程苦しんでも、なお恋を殺せず、手放しもできずにいる。
決して叶うことのない恋を心に抱く友と恋する人と結婚できるけれど愛されない自分――――どちらも辛く苦しい恋だ。
それでも、生きていればいつかはこの痛みも薄れていくのだろうか?
それにはどれ程時間がかかるんだろうか?
命短し、恋せよ乙女。
恋の苦しみを知らぬ者が、声高に歌い上げ、今日もまた純真な乙女たちがその言葉に酔って舞い踊り恋をする。
――――それがもたらす痛みも知らずに。
*******
アルゼラとエメリーが立ち去ると、3人の男たちが東屋へと再び姿を現した。
そのうちの一人は、2人が去った方をじっと睨んでいる。
「驚いた。あんな甘ったれそうな嬢ちゃんたちが、ああも正確に情勢読んでるとはね」
「・・・・・・あぁ」
「それにしてもずいぶん興味深い話をしていましたね。カディヨン、ね」
「・・・・・・あぁ」
「それで、どうされますか?」
「・・・・・・」
「? どうって?」
「手っ取り早くこの国を責め滅ぼすのかどうかってことですよ」
「あー、さっきのね。っていうか、侵攻で確定だろ?」
「どうかな、先ほどとはどうも意見が違われるようだぞ?」
そうして2対の目が未だに庭園を睨んでいる一人の男に集中する。
黒い髪、黒い瞳の精悍な若い男。黒い鷹のような猛禽類の獰猛さを持つ男が、おもむろに口を開いた。
「――――あの女が欲しい」
その言葉に2対の目が見開かれる。
「驚いたな。まさかあなたの口からそういう台詞を聞く日が来るとは」
「ふふふ、これからおもしろくなりそうですね。陛下もさぞお慶びになるでしょう」
「・・・・・・うるさいな」
「いいじゃありませんか。オグリスさまも交渉のしがいがあるというものですよ」
ハディタスの花と呼ばれる美しい少女が、軍事大国グルフォンに嫁ぐのは、これよりもう少し未来のできごと。
<終>
他作で煮つまってまして、つい思いついたままに書いてしまいました。
他作があまりに健全すぎて、なんていうか苦しい恋に悩むお話が書きたくなって・・・・。
特に落ちなどなくてすみません。
お読みいただいてありがとうございました^^