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天使の捨て子  作者: 立春
9/14

思えば、兆候が無いわけでは無かった。

私がもっと気に掛けて居れば、そう思う気持ちが先行した。

結局の所、知っていた所で何が出来ただろう。

事実は変わらない。

私に出来た事は結局、逃がしてやる事だけだったろう。 


 

 その日も平生通りだった。天気が良いので、洗濯物を外に干して会社に出かけ、雑務を片付けていた。景気があまり良くない事と、中堅の役職についた事で、残業の回数が多少なりとも増えていた。おそらく、今日もこのまま残業になるだろうと、書類を手元に置いて、腕時計を眺めていると、同僚が受話器を持って電話に出るように合図した。

 「誰からだ、」

 尋ねると、同僚は怪訝な顔で、受話器を渡した。

 「小学校の先生だって。弟でもいるのか?」

 受話器を受け取りながら、「甥だ。」と簡潔に答えた。

 「はい、代わりました。遠井です。」

 「あ・・・遠井、紀沙羅くんのおと、保護者の方ですかっ、」

 高揚しているようだった。何かキサラが問題を犯したのだろうか、一度大きく息を吸い込み、落ち着いてからまた受話器に耳を当てた。

 「キサラが、何かしましたか。」

 「あの、落ち着いて、聞いてくださいね・・・」

 その言葉は、むしろ電話をしてきているこの先生にこそ言いたいものだと少々呆れた。

 「紀沙羅くんが、落ちて・・・今、病院で、」

どうやら、他の生徒と喧嘩して暴力沙汰という線は無いようである。それにしても、キサラが落ちたとは、どういう事だろうか。

 「落ちたって、跳び箱からか、何かですか。」

 体育で落下したくらいなら、そう大したことはない。有り得ることとしては、捻挫か、運が悪くて骨にひびが入ったか、その程度だろうと考えていた。

 「違うんです、授業中に六年の教室から落ちて。」

 教室から落ちたとは、どういうことなのだろう。机から落ちたのか、いや、それではあっても打ち身くらいなものだろう。それなら、教室の窓から落ちたということであろうか。授業参観で覗きに行ったが、六年生の教室は校舎の三階にあった筈だ。教室から落ちたとは、廊下側では無く、まさか三階から落ちたとでも言うのだろうか。

 「教室から落ちたって、どうして・・・。」

 「詳しいことは、私の方もまだ把握していないんですが、病院で今手術をしている所で、」

 ぞっとした。

 血も凍る思いとは、この事を指すのだろうか。

 全身に針金が通ったように、身体が固まって身動きが取れない。電話の向こうの声が、遠く聞こえた。

 「もしもし、あの、」

 何度も耳に声が響いて、身体が動けないまま、私は口を動かした。

 「命は、心臓は、止まりませんか。」

 突然心臓が止まった父は、そのまま鼓動を動かせずに死んでいった。母は緩やかに心音が弱まり、最期には機械音だけが病室を囲んでいた。

 「今のところは、命に別状は無いそうです、けれども・・・」

 その言葉に、若干落ち着きを取り戻せた。固まった身体はようやく酸素を受けて静まり、心臓が再び脈打つ感触が自分でも感じられた。命に別条が無いとしても、手術を受けるなど並みの事態ではない。保険会社に連絡を入れて、いや、そのようなことは後で考えれば良い。

 「そうですか。では、すぐ病院へ向かいます。」

 電話を切ると、同僚がすぐに近寄ってきた。

 「どうした、何かあったか。」

 「いや、少々ごたごたがあって、」

 詳しい事情の説明も出来ないので、それ以上尋ねられる前に上司の所に向かった。

 上司に電話の経緯を伝え、早番を願い出たが、以前よりその顔は渋かった。会社に余裕は無く、仕事はまだ残っているのだから、渋られるのは仕方が無い。それに、命に別状が無く、何より直接的な家族ではない甥のことである。

 「・・・やれる範囲は向こうで済ませ、ファックスで送りますから、」

 ようやく上司は妥協し、重い息を吐いた。

 「そうか。まあ、事情が事情だから、そういうことなら今日はいいだろう。」

 「すみません」

 深々と頭を下げ、奥歯を噛みしめた。これがキサラの親兄弟であったなら、有無を言わさず駆け付けただろうが、私はあくまで叔父であり、一時的な保護者に過ぎない。姉が帰ってくれば、それで終わる。

 どうして、私の周りに不幸が起きるのだろうか。感情移入しない他人では無く、私の大切な者たちが居なくなる。呪われてでもいるのなら、厄払いでもしてもらおう。けれど、私自身に被害がないのに、私が厄払いすることに意味があるのだろうか。そもそも、そんなもの信じる気も無いというのに。思ったより、錯乱しているようだ。

 私が病院に到着した時には、もう手術は終了してキサラは病室で眠っていた。医師の話では、打ち身と骨折だけで、二、三週間で退院は可能と言われた。顔には擦り傷しかつかなかったが、背中には大きな痣が出来てしまったらしく、一生痕は消えないかもしれないと告げられた。しかし、男なのだから別に問題が無いだろうとの医師の言葉に、私も同感だったが、不思議と腹が立っていた。

 キサラの麻酔がそろそろ切れるだろうから、ベッドの側に椅子を置いて、目覚めるのを待つことにした。ただ待つだけでは時間の無駄なので、書類を取り出し、仕事の続きを始めた。ゼロとイチの組み合わせで作られるプログラムは、単純であるが故に難解でパターンも多く、それら一つ一つをチェックするだけでも骨が折れる。機械と向き合う仕事なので、書類だけで推論を立ててもしかたがない。とりあえず、チェックした分だけ病院のファックスを借りて送ることにした。

 三枚目の半分ほどに目を通した所で、キサラの目が微かに動き、うめき声が聞こえた。このままなら、すぐに目を覚ますだろう。どう、顔を合わせればいいのか、戸惑った。私はキサラと共に暮らしているだけで、それ以上でもそれ以下でもないのだと、思い知らされるようだった。

 居たたまれなくなり、病室を出て、まだ病院で待っていたキサラの担任を呼びに向かった。

 「キサラが、目を覚ましそうです。」

 「そうですか、それでは・・・私も入って、構わないでしょうか。」

 「ええ、お願いします。」

 キサラが病院に運ばれた経緯は聞いていた。だから、それについて、本人に聞く気はない。そうで無くとも、おそらく医者や先生に同じことを何度となく尋ねられるだろう。それに、当事者でない私が、過去に起きた出来事を聞いたところで、今の現状が変わるわけでもない。

 「キサラ、」

 担任とともに病室に戻ると、キサラが目を覚ました状態でこちらを見ていた。灰色の目が、ガラス玉のようにぐらりと横に流れ、こちらをじっと見つめた。恐ろしいほど、大きな目だった。

 「キサラ、ここは病院だ。」何も言わないので、そのまま続けた。「三週間ほど、ここで入院することが決まった。あとで着替えを持ってくるが、他にいるものはあるか?」

 ただ漠然とこちらを見るだけで、何も言おうとしない。仕方がないので、先生には帰ってもらい、二人きりになった所で、もう一度同じ質問を繰り返した。

 「何か、持ってきて欲しいものがあるか?」

 「・・・ここは、」

 「病院だ。お前は校舎から落ちて、入院することになった。三週間ほど、ここにいなければならない。すぐ歩けるようになるだろう。」

 「あの・・・、」

 キサラの目が、また向けられる。まるで、私の内面を見透かすような眼で、こちらを見てくる。一方私は、キサラが何を考えているのか見当もつかない。表情がほとんど同一で、何を愁い、何を恐れ、何に喜び、何に憤るのか、その些細なことでさえ察する事が出来ない。

 「ごめんなさい。」

 そう言って、またキサラは眠った。

 何に対しての「ごめんなさい。」なのだろうか、私にはやはり分からなかった。ただ、私に対して言った、その事実だけが頭に残った。

 寝息も立てず、死んだように眠るキサラに、私は思わず手をかざして呼吸を確かめた。そこで、確かに生きていると確信すると、そっと部屋から出て、その日は家に戻った。

 

 キサラが入院してから、毎日仕事終わりに様子を見に行った。見に行くだけで、会話も何も無いのだが、持っていた手帳にキサラの様子を書き込むことにした。私は鈍感だとチエにも言われていたので、キサラの些細な変化に気づくために日記のようなものを書くことにした。また、担任との話し合いで、カウンセリングを受けさせる方向で話がまとまったので、治療の役にも立つような気がしたのだ。それに、もし、姉が見つかった時、キサラの様子をもっと詳しく伝えられるようになると思ったのだ。

 それから、以前から考えていた引っ越しも決めた。あの学校は本年度で卒業なのだから、転校する必要はないかもしれないが、あの一帯の小学校は、ほとんど同じ中学校に通う事になっていた。もしまた同じ学校になれば、他の生徒も、またキサラ自身も気まずくなるように思った。

 それにしても、どうして校舎から落ちたのだろうか。話では、自ら落ちたのだと言っていた。自ら落ちるなど、常人の神経では考えにくい。家庭のほうで問題は無かったかと尋ねられたが、答えを返すこと等出来る筈が無い。そうすると、「やはり、本当の息子でもない甥を、その若さで育てることに無理があるでしょう。」と憐れみの目を向けられた。同じように、その言葉に対しても何一つ言い返す事が出来なかった。認めるというよりも、常日頃から感じていたことだ。だから、仕方がない。仕方がないことだと、何度も言い聞かせてきた。今更、気に病む必要は無い。

 「引っ越しをする予定なんだが、何か、どういう家が良いという希望はあるか?」

 そう尋ねると、いつものように「別に無い。」と答えると思ったが、それを言わずに、キサラは少し離れたところにある窓を見て、独り言のように呟いた。

 「空が、」

 鸚鵡返しに質問せず、その言葉の先を待っていた。部屋に置かれた時計が、無神経に心音に似た一定のリズムを刻み、時間の経過を伝えながら急かした。

 「空が見たい。」

 「・・・そうか、」

 私は手帳を閉じて、窓の方へ歩み寄った。

 今日は曇りで、キサラが青空を望んでいるのなら、期待はずれの色である。すっかり冬色で、寒さが窓に近づくだけで感じ取れた。

 振り返ってキサラのベッドを眺めると、もう窓の外を向いていなかった。先ほどのことは単なる気まぐれか、飽きてしまったのか。

 「空が、好きなのか?」

 ありきたりな日常会話のように尋ねると、キサラはこちらに目を向けただけで、中々口を開こうとしなかった。灰色のビー玉のような眼に、自分を映していると思うと気味が悪いような、落ち付かない。

 「・・・もう、今日は帰るから。要るものがあったら、言いなさい。」

 答えを聞く前に切り出し、言葉と同時にカーテンを閉めた。急に部屋が薄暗くなったようで、キサラの目までよく見えない。

 「無いです。」

 それがいつもの答えで、少し安堵した。

 「そうか。明日は、少し来るのが遅くなる。」

 「わかりました。」

 互いの淡々とした声に、うすら寒さを覚えた。

 「また、明日。」

 逃げるように、私は病室から出て行った。

 足を速めて、さっさと病院を出ようと階段に向かう途中で、一人の看護婦に話しかけられた。中年太りで、白い服のせいだろうか、より一層膨張して思えた。だが、人柄の良さそうな笑いじわが出来ているので、患者に好かれそうに思えた。

 「あの、もしかして、キサラくんのお兄さんですか?」

 「いえ。叔父です。」

 「そう、ですか。」

 何か言いたそうな顔をしていたので、早く帰りたかったが、仕方なくこちらから尋ねることにした。

 「キサラの様子はどうですか?」

 「あ、大人しいですよ。」

 「他には、」

 「えっと・・・」言いにくそうだったが、極力笑顔を浮かべていた。「すこし、変わっていると。」

 言いたい事は、そこにあるようである。私はなるべく真剣な表情を作り、彼女の笑い皴に目を向けた。

 「どのように、」

 「それがね、一日中何もしないんですよ。本を読むわけでも、テレビを見るわけでもなくて、一日中、眠ることなく、ぼんやりしているんです。」

 「そう・・・ですか、」

 キサラの様子は予想できたことだったので、大して驚きはしなかった。だが、何もせずにぼんやり過ごすことを考えると、うすら寒い。身体が動かなくとも、思考は働くのだ。眠りもせずに、ただぼんやり過ごす間に、キサラは一体全体何を思っているのか。ただでさえ表情が分かりにくいのに、ずっとそういう状態がずっと続いて居たら、他人なら一層気味が悪いだろう。

 「入院した原因に少々問題がありまして、思うところがあるのでしょう。しばらく、そっとして置いてやってください。」

 「そうですか。」

 私にも、その状態のキサラをどうすればいいのか分からないのだ。今のまま、キサラと同じ空間で過ごしていたら、私の方まで参ってしまっていたかもしれない。そう考えると、しばらく入院することは、手間も省けて都合が良かった。

 

 翌日、私は病院に最近就いたカウンセラーの女性と面接に向かった。カウンセリングというものを碌に聞いた事が無かったので半信半疑だったが、医師にも勧められたので、仕方なく彼女に、キサラの今の状態と生い立ちについて大まかに説明した。初めは幾分驚いていたようだが、次第に収まり、すっと私を見極めるように視線を投げかけてきた。

 「失礼ですが、いじめに、遭っていたんじゃないでしょうか。」

 「え、」

 予想しない言葉に、私はのどが詰まった。女性は取り繕う様に手を動かし、人を安心させる自信のある笑みを浮かべていた。

 「いえ、確証は無く、推測です。聞く限り、理由もなく校舎から飛び降りるとは思えないので。それから、容姿や家庭環境のことで、いじめに遭うということは多いので、もしかしたらと思いまして、」

 「どう、なんでしょうか。」声がどもり、うまく言葉が出てこない。「・・・わかりません。」

 いじめに遭っていたかもしれない、そう考えたことはなかった。いや、考えないようにしていただけなのか。少し思えば、予想を立てることは可能だ。

 キサラが友達と遊びに行く、子供なら当たり前にある行動を一度も耳にしていなかった。きっと、知らない間に遊びに行っているのだろうと思っていたし、そこまで興味を持っていなかったので、学校で何をしたか尋ねたことも無く、学校側からそれらしいことを言われたことも無かった。

 確かにキサラは協調性があるように思えず、近寄りがたい雰囲気がある。大人の私が感じるだけなのか、それとも、大人の私が感じるくらいなのだから、子供は一層それを感じ取っているだろうか。

 私はいじめられたことも、いじめに加担したことも、いじめを目撃したこともなかった。そういうものは、小説かテレビの中だけの出来事のように思っていたので、「いじめ」というものがよくわからない。そもそも、「いじめ」をする心根が理解できない。気に食わなければ、放っておけばよいだけではないか。いや、それより、過去にあったことはもう取り戻せないのだから、知ったところで意味はない。一方で、過去を知ることにより、失敗を防ぐことも可能ではある。

 

 あまり気が進まぬまま、休日にキサラの学校を訪れた。ごくありきたりな構造の学校であり、都会ではないので、校舎にグランド、プール、小さな畑と狭くない敷地である。学校行事で何度か訪れたので、別段、変わった様子はない。

 教室に案内されても、以前、授業の見学に来た教室とほとんど変わらない内装だった。一つ一つ、机が離れ並べられて、それから何とも圧迫感のある黒板が広々と前方に広がっている。

 「キサラの席は・・・、」

 「あ、こちらです。」

 若い先生なのか、化粧の匂いが鼻をかすめて、思わず目を細めた。先生がその様子に気づき、「どうかしましたか?」とおどおどした調子で尋ねてきたので、「眩しかったので、」と窓に視線を向けた。

 ガムテープの貼られた、窓だった。窓を開けることが出来ないように、ふちにガムテープが張られていた。いっそ、全部の窓に格子をするか、無くしてしまえば良いだろうに、中途半端な努力は私への気遣いだったのかもしれない。

 「キサラは、ここから落ちたんですね」

 私の言葉が責め立てる物では無く、淡泊であったことに落ち着いたのか、「ええ、そうです」教師の方も感情のない声で答えた。

 落ちた窓事態、どうでもいい。すぐに踵を返し、キサラの席へ向った。これもほかの机と何ら変わりない、ごく普通の机だった。傷が付いているわけでもなく、いじめのあったような痕跡は見つからない。

 「空が、よく見える席ですね。」

 「ええ・・・、」

 自分が出した言葉に、私は思わずぞっとした。いじめ、ではなく、キサラは本当に自分から、勝手に飛び降りたのではないだろうか。執着のないキサラが、「空が見たい」と言ったのだ。もっと空を見たくなり、もっと空に近づこうとして、そして、窓から。

 「いじめに遭っていた、訳ではありませんか。」

 「えっ、あの・・・キサラくんが、そのように言ったのでしょうか?」

 質問に質問で返すということは、その質問に答えることを迷っているからだ。いじめに遭っていたなら、「そうです」と答えればよい。いじめに遭っていなかったなら、「そうではありません」と言えばいい。それを、この先生は「キサラがそう言ったのか」と尋ねてきた。実際はキサラからそのようなことは言われたこと等無いのだから、私がこの質問を返す時は「いいえ」で済む。だが、それでは真実を聞くことが出来ない可能性がある。しかし、この先生が、「いじめ」を把握していないから、キサラが言ったのかと尋ねてきたことも有り得る。だとすると、この先生から事実を聞き出すことは不可能だ。

 「いじめに遭っていた(・・・・・)いたか、遭っていなかった(・・・・・・・・)かを尋ねているんです。」

 出来るだけ高圧的な言い方で再び尋ねると、若い教師はしどろもどろになりながら、自分の指を何度も絡めては放すことを繰り返した。

 「えっと、その、私どもとしては、把握しておりません。」

 マニュアル通りの答えと言う所だろうか。用意周到なことで、笑みがこぼれそうになった。

 「私ども(・・・)ではなく、あなた(・・・)に聞いているのです。担任の貴方が、キサラがいじめに遭っていた(・・・・・)か、遭っていなかった(・・・・・・・・)か、答えてください。」

 ふいっと先生は目をそらした。ここまで来ると、何かを隠しているとしか思えない。その若い先生が答えるまで、沈黙して待ち続けた。

 「・・・私は、気付いていませんでした。」

 「気付いて(・・・・)?」

 思わず私は薄く笑った。年齢はこの若い先生と変わらないだろうに、ひどく蔑みたい気持ちになる。これが、「いじめ」をする者たちの心境なのだろうか。教師に直接的な罪は無いのに、軽蔑が先にきてそれを抑えられない。

 「いじめが遭ったのですね。わかりました、その事実を知りたかっただけなので、学校側に、どうこうして貰おうとは思っていません。」

 隠蔽を促すような学校に、何かをして貰う方が気分が悪い。それに、これ以上ここにいると、この先生に怒りをぶつけてしまいそうで、冷静な大人として、すぐに去ってしまいたかった。

 「机、これは本当に、キサラの机ですか?」

 「・・・。」

 また、すぐに答えない。

 答えないと言うことは、違うと言っているようなものだ。

 「・・・もう、良いです。」

 私が歩き出すと、少し遅れて先生が付いてきた。びくびくしたような態度が、ひどく腹立たしい。担任でありながら、授業中に生徒が落ちるという事態が変だったのだ。その時点で疑っておけば、何、早い話であった。それなのに、私はそんな簡単なことでさえ、信用し見過ごしたのだ。

 「キサラが望まない限り、もう、この学校に通わせることはありません。」

 一応、本人次第だと、キサラが行きたいと望むなら、私は止めるつもりはない。けれど、行きたいと言わないのなら、ここに通わせるなどするものか。いや、キサラが行きたいと言っても、何かと理由をつけてでも行かせないようにしただろう。

 しばらく忘れていた怒りが、ふつふつと湧き起こって、表面上の冷静さを保てた自信もなく、車に乗り込むと思わずハンドルを叩いた。手が赤くなり、興奮を抑えるために何度も深呼吸を繰り返してようやく落ち着いた。

 自分のことでもないのに、これほど憤ったことはない。

 この怒りは、「いじめた」者へというよりも、「知らないふり」をしていた教師よりも、興味がないと何も見なかった自分に一番に向っていた。どこかで、兆候はあったのだ。けれど、干渉しないことが一番だと、干渉することが恐ろしいと逃げていた。

 私は、見捨てていたのだ。

 覚えている限り三度も、キサラを見捨てた。

 一度目は母が死んだときに、二度目は父が死んだときに、そして、三度目は私が引き取ったときから今もずっと。

 本音はキサラを避けて、顔を見たくないと思う。だが、無意味に避けていても仕様がない。今さら、明け透けと心に立ち入ることも出来ないし、したいと思わないが、ただ避けるということはいけない。私に出来ることは、そのまま、今まで道理の生活を務めることだ。それもキサラに極力気づかれずに、今まで道理の生活にしなければならない。

 キサラが退院して、カウンセラーが家に来るようになった。内容は私も聞かないし、向こうも話さない。キサラも別段、何も言わずにカウンセラーと会っているようだった。

 退院し、ギブスがそろそろ外れる頃、卒業式が近付いていた。小学校の卒業式など、一生に一度しかない行事だ。けれど、私はそれに参加をしろと強制も敬遠もさせず、キサラもその事実を聞いているだけで、行く意欲は見せなかった。

 引っ越しは卒業式から三日後に予定をしていた。キサラにも新しい家の候補を見せたが、どれも嫌だと言わず、ただ一つ、二階のベランダから外を見ると、電線もなにもさえぎるものの無い、小さな一戸建ての家にだけ興味を示していた。他は好きでも嫌いでもないようなので、私はその家に決めた。仕事場からはずいぶん離れたわけでは無かったが、以前よりも少し距離はあった。けれど、本社には前より近くなったので、報告から帰るときは前より早くなる利点もあった。

 それより、キサラの中学校がまだ決まっていない。公立の中学で決めてもいいだろうが、そこは少々遠かった。近くにあるのは私立の小・中・高、場合によっては大学まで一貫の学校だが、中学からいきなりその中へキサラを入れることには抵抗があった。本人は気に留めないかもしれないが、これ以上、キサラを傷つける可能性は避けたい。一応選択肢を増やすために、キサラを連れて私立の編入テストを受けに連れて行った。成績は悪くないので、編入試験に落ちることは無いだろうと思っていた。だが、素行で落とされる場合もある。それならもう他に選択の余地が無いので、すんなり公立に通わせれば良いだけの話だ。

 キサラが試験を受けている間、私は学校の案内されていた。私立といっても、普通の公立中学と格別変わったところはない。収益としては多いわけでは無いらしく、中・高は校舎を柵で分けてはいたが、同じ敷地内に会って、また、グランドとプールはどうやら兼用している状態だった。また、小学校も近くにあるらしく、もう小学校に用も無いと言うのに、時間もあるからと案内された。

 小学生がグランドで遊んでいる姿が目に入り、甲高い声が溢れて、少々耳ざわりだった。その中で、ふと小学一、二年くらいの少年が目にとまった。

 「あの子の髪・・・。」

 「え、ああ。」

 案内していた事務のおじさんも、私の示す子どもに優しい目を向けた。その様子から、本当に子どもが好きだと分かり、自分を振り返った時、はたして子どもが好きなのだろうかと考えてみたが、やはり、「そうではない。」という答えしか浮かばなかった。

 「あの子、灰色の髪何ですよ。生まれつきらしくてね、一番上のお兄さんとお姉さんの方は暗い茶色なのに、あの子と二番目のお兄さんだけは色素が薄くて、ああいう色らしいです。前はそれでも白髪交じり程度だったんですけど、今はもう全体があんな感じで、その内、全部真っ白になるんじゃないかな。」

 「そうです、か。」

 「君の甥っこも、地毛なんだってね。うちは、この辺りに住んでいる子だけが通うのでは無くて、少々、変わった子も集まるんですよ。転校生っていうのは、こういう学校ですけど、珍しいわけでは無いんですよ。」

 「そうですか。」

 学力レベルも公立に比べれば低くは無いが、進学校という程でもない。それでも敢えてこの学校に通う理由は、そういう事なのかもしれない。

 「あ、そうそう。あの子の二番目のお兄さん、今度中学に上がるんですよ。もし、甥っ子さんがここに入学されたら、同級生になりますね。」

 「その子も、あんな色の髪を?」

 私が尋ねると、おじさんはニコリと屈託のない笑顔を浮かべた。

 「もっと白髪に近い、綺麗な髪だよ。礼儀正しく、愛想のよい子でね。」

 「そう、ですか。」

 愛想が良いという言葉から、キサラがはみ出した原因に、髪の色は関係ないのだろうと漠然と思った。あの灰色髪の少年も、同じ学校の生徒と楽しそうに走り回っているではないか。人に心を開かない人間に、どうして他人が心を開くだろう。

 私の顔色が悪いことに気づいたのか、おじさんは声を出して笑った。

 「若いころは、多少、もまれた方がよく伸びますよ。」

 「そういうものですかね。」

 私は揉まれた経験が殆ど無く、疑心が占めた。だが、変わった子を受け入れる学校なら、キサラの金髪くらい気に掛けないのではないだろうか。同じような人間を作ろうとする公立より、幾分か良いのかもしれない。

 学校の方針だけでなく、施設も完備されているので、環境としては申し分ないだろう。キサラが何も言わないのなら、一応ここに在籍させるように手続きをすれば良い。けれど、あのキサラの様子では、学校に通うことは出来ないかもしれない。学校側から病気という扱いで、定期テストさえ受ければ何とか調整しようと協力の要請があった。授業を受けないのだから、学問の方に心配が残るが、九々も出来ない子でさえ公立では中学卒業出来るのだからと、深く考えることは止めた。

 引っ越しも終わり、キサラの学校も決まったが、相変わらずキサラは学校へ行く気配を見せない。また、家から進んで出る気配もないが、個人的に勉強はしているようなので、学力の問題は思ったほど無いかもしれない。本人が行く気を見せるまで、根気よく待つよう助言されていたので、しばらく今の状態のまま経過を見る事にした。



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