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天使の捨て子  作者: 立春
7/14

思えばキサラは、いつも何も言わなかった。

必要な事も、自分の感情も、口にしない。

私に気を使っているからか、それとも、自分が傷つかないためだったのか。

けれど、鈍感な人間であったので、誰かに言われなければ、察することが出来ない。



 夕方になって、突然学校から連絡が入った。休日だったので、学校から何の連絡なのか不審に思った。

 「今日、遠井くん、どこか具合でも悪かったんですか?」

 「え、いえ・・・。」

 「運動会だったんですけどね、」

 いつ、とは問わなかった。わざわざ休日に連絡してくるということは、今日が運動会だったに違いないからだ。しかし、私はキサラから何の話も聞いておらず、また、彼自身も学校に行くそぶりさえ見せていなかった。

 「申し訳ありません、身内の関係で少々ごたごたがありまして、すっかり忘れていたもので、私の不徳の致す所です。」

 嘘八百もいい所だが、ある程度こちらの事情を知っていたので、「・・・そうですか。明日は休みですから、明後日、月曜日の授業を行うとキサラくんに伝えて下さい。」と大方の事情を説明し、電話を切った。

 すぐにキサラの部屋に目を向け、普段なら勝手に開けない戸を開けた。中では、キサラが一人、窓の外を眺めながら膝を抱えていた。

 「キサラ、」

 呼びかけたが、キサラは顔をこちらに向けただけで近づこうとしない。仕方なく、私から中に入って彼の正面に座った。突然窓の外が見えなくなった所為か、少し淋しい顔を浮かべていた。

 「今日は運動会だったんだろう。どうして私に言わなかったんだ?」

 問いかけると、キサラは灰色の目を瞬かせた。その様子では、まるで運動会事態が分かっていないような惚けた具合だった。

 彼が運動会を知らない筈が無い。一応、保育園の頃から運動会と呼ばれるものはあったのだから、それに参加したことが無い筈も無い。私の方は、既に小学校に運動会と言うものがあるのかと言う事を忘れかけていた所で、勝手にキサラの通っている学校には無いものだと思い込んでいた。そう言えば、授業参観も聞いたことが無い。もしかしたらまだ無かったのかもしれないが、それにしても学校からの連絡が少ない。まだ二月ほどしか経っていないにしても、もう少し何か連絡がある物ではないだろうか。何より、運動会ならば、参加プログラム等が用意されている物だ。

 「運動会に出たくなかったのか?」

 「・・・・、」

 「どうして、私に学校からの連絡の紙を渡さなかったんだ?」

 キサラは目を伏せ、足の指に両手を当てて身体を揺らした。何か言いたくない事があるのか、けれど、口だけは何度も開閉し、話そうと努力していることだけは伝わった。

 「紙、無くしてしまったのか?」

 首を振り、黙り込んだまま、キサラは膝の間に顔を隠した。もしかしたら、私に怒られると思っていたのかもしれない。子どもは不可思議なもので、どの様に接すれば良いのか、やはり分からない。無愛想だが、私は滅多と怒る事は無い。それだけの労力を使う方が面倒だ。

 「私は、怒って無い。ただ、理由を知りたいんだ。私に悪い所があったなら、出来るだけ改善しようと思うから、聞いて居るんだよ。」

 僅かにキサラは顔を挙げ、私と目を合わせた。

 「私に気に食わない所があるなら、遠慮なく言いなさい。」

 顔を上げたキサラを対峙すると、灰色の目が揺れた。しばらく黙って待っていると、「違う。」と消え入りそうな声で答えた。

 一度声を出したと言う事は、話す気になったのだろう。私は深く息を吸い込み、キサラの髪に手を当て、何度か出来るだけ力を抜いて撫でた。

 「どうしてか、教えてくれるね?」

 キサラは顔を伏せたまま、小さく言った。

 「先生がね、言ったの。」

 あまりにも小さい声で、耳を澄まさなければ聞こえなかっただろう。どうしてそこまで言うのを躊躇うのか、人の感情に無頓着な私には中々理解出来ないものだ。

 「・・・渡しなさいって、先生が、お父さんとお母さんに渡しなさいって。」

 「うん、」

 キサラから手を離し、深く息を吐いた。

 「おじさんは、おじさんでしょう。」

 「ああ、そうだ。」

 不真面目だとか、そう言う類の物では無かったのだ。キサラには、まだよく分かって居ないのだ。だから、叱る云々の問題では無い。先生も便宜上、子ども達に言葉を砕いて話しただけなのだ。あまりにも素直で、愚鈍で、キサラは真剣に考えていると言うのに、思わず笑ってしまいそうだった。何とか笑みを隠し、肩の力を抜いてキサラの手を握った。

 「私はお前の叔父だから、叔父さんだ。だけど、そう言うものは、私に渡しても良いんだよ。普通の家には、両親が居るからそう言うだけで、学校側からしたら、子どもの授業料を払い、学校に行かせる大人になら、誰だって構わないんだよ。」

 私の言葉が分からないのだろう、キサラは目を丸くして首を傾げていた。

 「難しいかな。キサラには、皆と違って、母が側にいないだろう。おじいちゃんもおばあちゃんもいない。それで、残ったのは私だけだ。私は、お前の母の弟で、母の代理としてキサラと暮らしている。授業料やその他の手続き、まあ、学校に行かせるようにしているのは私だから、何が必要なことか、伝えようとしているんだよ。」

 どうすれば、子どもにも分かる様に伝えれば良いのか分からない。キサラは理解できていないようで、首を傾げたまま、眉を顰めていた。

 「・・・キサラ、本当は、そういう知らせは母や父に渡す物だけど、今、側にいないだろう。だから、代わりに私が受取るんだよ。あくまでも、代わり何だ。お前一人で、学校の全部が出来るわけじゃない、だから、代わりの私が一緒に手伝うから、」

 意志疎通が出来たのか、キサラは立ちあがって机に向かい、引き出しから紙を取り出すと、黙って私に渡した。それから、今度はベッドの上に座り込んで、また窓の外を眺めていた。窓の外にあるのは、沈みかけた夕陽の明かりだけで、面白いものは何も無い。それでも外を見るのは、キサラには何か見えている所為なのだろうか。思わず、背筋がぞくりと震えたが、気のせいだと頭を切り替え、何とか笑みを作り、「ありがとう。」と声をかけて部屋を出た。

 渡された連絡事項の紙には、運動会以外さほど重要用件が書かれていなかったので、取り敢えず胸を撫で下ろした。今後の行事予定表もあり、再来週に授業参観日があり、二ヶ月後には学習発表会が予定されていた。学習発表会に参加できるかどうか分からなかったが、授業参観は休日と重なっていたので、問題無かった。果たして、私が参加しても良いものだろうかと悩んだが、思えば子どもの頃、両親共働きだったらしい同級生の授業参観では祖父母や兄弟が代わりに来ていた事もあったので、特別なことではないことを思い出し、見学の為の諸注意を眺めつつ、カレンダーに予定を書き込んだ。



キサラに両親が居たのなら、あのような事にはならなかったのだろうか。

否、私の子供時代を振り返れば、そんなこと関係無いとは容易に分かる。

大人は気付かないものだ。

或は、私が気づかないふりをしていたのかもしれない。



 参観日の前日、キサラに「明日、授業参観に行くから、」と伝えると、いつも通り何を考えているのか分からない瞳を向け、「うん。」と小さな声で答えた。嫌がっている様子ではないが、好意的に思っている訳でも無さそうだった。子ども時代、私も同じような反応をしていた事を思い出し、そんなものだと肩を竦めた。

 朝、キサラを見送ってから、会社に行くわけでもないのにスーツを着て、開始時刻に間に合う様に車で小学校に向かった。既に他の保護者も来ていたようで、知り合い同士自分の子どもについて会話していた。割合としては女性が多く、中には私と殆ど変らない若い女性もいた。男性も数名いるには居たが、隅に黙って立っているばかりで声をかけに行く雰囲気では無い。居心地の悪い空間だったが、そこに私の父程の年齢の老婆が入り、「教室は何処でしょうか、」と一人で立っていた私に声を掛けてきたので、不思議と緊張は和らいだ。

 「何組でしょうか、」

 「ええと、一年一組の・・・」

 「それなら私と同じです。一緒に行きましょうか、」

 笑いかけると、老婆は少し驚いた顔を私に向けた。不思議に思っていると、老婆はまた皴の出来た顔で人のよさそうな笑みを浮かべた。

 「ごめんなさいね、先生かと思って。若いお父さんなんですね、」

 「いえ、私は・・・」嘘を言う必要も無いので、正直に答えた。「叔父なんですよ。」

 何か私の家庭に複雑な事情があると思ったのだろうか、けれど、老婆は変わらぬ顔で、「私は婆ちゃんなんですよ。」と同じように返した。

 老婆と共に、教室に向かうと、授業が始まっていたのか、既に何人かの保護者が後ろで子どもたちの様子を眺めていた。老婆を教室の中に案内し、壁際に置かれたパイプ椅子を出して彼女を座らせた。私はあまり目立ってはいけないと思い、彼女と別れて廊下の窓から教室の様子を眺める事にした。廊下から、続々と保護者が来ていたようで、私と似たような若さの人も居たので、私が混じった所で思ったより違和感が無かった。つまり、私ほどの年頃で、小学生ほどの子どもがいてもおかしくないと言う事だろうか。早くから親として自立して、立派な事だと感心した。

 授業の内容は、国語で、最初は教科書の朗読だった。生徒たちは保護者に良い所を見せようと積極的に手を上げて呼んでいたが、その中にいるキサラは頬杖をついたまま教科書に目を落としていた。自分を飾ろうとする気の無い、他人との壁を作るその姿は、彼の母である私の姉の本質に似たものを感じた。性格や特性は環境から作られるものだと思っていたが、遺伝が色濃く出る事もあるのかもしれない。

 手を上げていなかったが、キサラの番らしく、先生に指名されていた。彼は無表情で教科書を持って立ち上がり、指示された一文を一切の感情を省いた声で朗読した。読み終わり、小さな拍手の中で席に着くと、また教科書に目を落としていた。良く見れば眉を顰めており、どうやら朗読が不愉快だったようである。この時間が退屈であるから本に目を落としているのかと思っていたが、教科書を他の生徒より数ページ先を開けて眺めていたので、教科書に乗っている別の物語を読むことに集中しているようだった。その気持ちなら私も分かるので、思わず苦笑した。

 授業参観の後に、保護者と学校側の意見交換が行われ、家に帰るとキサラが一人で昼食を食べている所だった。前までは私が食べ始めてからようやく口にする具合だったのに、容易さえしていれば自分の身体に合わせて食事が出来るようになっている。少しはこの家に慣れ始めたと思っても良いのだろうか。

 「今日は、」

 何と声を掛けていいのか分からず、椅子に腰かけてキサラが食べる様子を眺めた。

 「がんばった、な。」

 選りによって、出た言葉が気の利かないもので、自分の語彙の少なさに飽き飽きした。キサラはただ頷いただけで、そうそうに食事を終えると食器を台所に置き、部屋に戻って行ってしまった。

 何の娯楽も無い部屋で、キサラは退屈しないものだろうか。彼の好きなものは良く分からないが、今日の授業を見る限り、本を読む事はそれほど嫌いでは無いように思った。



私の悪い所は、人に聞くことが出来ないことにある。

鈍感であるだけでなく、臆病でもあった。

百聞は一見にしかず、知って居てもそれを実行する度胸も無い。

愚鈍なのだから、分からなければ聞けばよかった、いつも、振り返れば後悔ばかりだ。



 何の本が好きか分からず、取り敢えず、昔話の全集を買って帰った。浦島太郎のようにありきたりなものだけでなく、今まで聞いた事の無いものもあって、私でも読み応えがありそうだった。キサラの部屋に棚を買って本を置いておくと、気になるのか引っ張り出して読んでいる姿を見るようになった。しかし、ある時、キサラが本を持ち出して、「これ、何て読むの。」と聞いて来た事があり、小学一年生には分かりにくいものだったことにようやく気付いた。子ども向けの本にあったが、子どもと言ってもまだ成長段階で幅があるのだ。

 キサラの年ではまだ難しい本であったが、読むことを止めなかった。頑固と言うのか、負けず嫌いと言うのか分からないが、そこまで読みたいのならと、新しい本を買うのでは無く、辞書、辞典を同じ本棚に置いた。必要なものさえ用意すれば、キサラは自分から利用法を考えて使う様になった。

 仕事も忙しくなり始め、それで十分こと足りるのだと思い、その学年にはおそらくいるだろうものを買い与えるだけで、私はキサラを育てられているのだと満足していた。


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