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天使の捨て子  作者: 立春
6/14

預けたからと安心せずに、会いに行けばよかったのだ。

或は、もっと下調べをして、準備を整えるべきだった。

それなのに、自分の苦痛から逃れられたことに感謝している間抜けでしか無かった。


 

 最初の内は職場に慣れる事に勤め、五月、六月は気候も相まって体調を崩しがちであったが、七月に入ると大方仕事にも慣れて、専門学校で学んだことを存分に生かせるようになっていた。当時は景気も好調で、まだ駆け出しの会社ではあったのだが、初任給は他の会社に引けを取らないほど良かった。経済的には、まだ少しの不安要素もあるにはあったが、この調子ならば問題なく、キサラを引き取ることは可能だった。けれど、自分の為にも、あと半年は様子を見たいと思っていた。

 子どもは夏休みに入る季節、私は新しい連絡先を近所に知らせるため、久しぶりに実家の方へと車を走らせた。周囲の風景はそれほどの変化も無く、向日葵が川辺を埋め尽くすように咲いていた。

 実家の近くに車を止め、何の気は無しに元我が家を眺めると、早いもので別の家族が暮らしているようで、軒先に並ぶ洗濯ものが目に入り、急激に旅愁の思いは遠のいた。何を期待していた訳でも無いと自分に言い聞かせ、変わらないチエの家に向かった。

 「お久しぶりです。」

 「あら、すっかり見違えたわね、光くん。お父さんとお母さんに見せたかったわ。」

 「・・・はい、」

 チエのおばさんと軽く談笑をしていると、部活に行っていたらしい制服姿のチエが帰ってきた。背も伸びて、思春期特有の少し凛とした雰囲気が濃くなっていたが、私に気づくと小学生の時と変わらない笑顔で近づいてきた。

 「みっちゃん、久しぶり!」

 「ああ。チエも元気そうだね。ずいぶん背も伸びて・・・、」

 素直に懐かしいと思ったが、それより時間の流れに圧倒された。

 「お前も、もう高校生か、」

 「今年からね。なのに、みんな『中学生か』なんて聞いてくるのよ。」

 私は大抵年相応に思われていたので、その不満はあまり分からなかったが、「そうか」と笑顔で同意を示した。

 そのとき、家の中で電話が鳴り、おばさんはリビングから出て行った。何となく耳を澄ませていると、おばさんが少し驚いた声で話しているのが聞こえてきた。すぐに電話は終わり、おばさんが「ごめんなさいね、少し出かけなきゃいけなくなったの。ゆっくりしていってね。」と笑顔を浮かべて家を出てゆき、私とチエの二人がリビングに残された。この年頃の子は、一体どんな話題を提供すればいいのか分からなかったが、チエの方は真面目な顔をして、私を改めて見つめてきた。

 「・・・どうした、」

 「あのね、違うかもしれないんだけど、」

 チエは言いにくそうに身体を小さくし、私は出来るだけ穏やかな顔を作って彼女の目線に合わせた。チエは何度も「勘違いかもしれない、」と繰り返していたが、ようやく意を決したのか、あの日のように一気に話し始めた。

 「キーちゃんの様子、夏休みに入ってから直ぐに見に行ったの。」

 「・・・」

 チエの口から出るには、予想外の名前だった。私は戸惑いから、視線を反らした。

 「それでね、なんか、様子が変だったから・・・、」

 伏せることの出来ない耳の奥が、忘れていた警告を伝えるように痺れた。

 「どう、変だった、」

 「目の下に隈があって、ちょっと痩せすぎかなって・・・。それから、私のこと、あんまり会わなかったから覚えてないんだろうけど、凄く、冷たい目で見てきたから、」

 嫌な予感がした。

 嫌な予感はしていた。

 確かに前から、あの家のことを少し聞いてはいた。「あそこの家は、ちょっと問題があって・・・、」何とはなく噂を聞いたことはあったけれど、本人たちを見て問題がないと私が判断した。だから、他人の噂などあてにならないと、キサラを預けることを決めたのだ。

 けれど、彼らと何ら繋がりが無く、貶める必要性も無い、また、大人のように狡いことをまだ考えていない高校生が、違う、何より、チエが言うことによって、予感が確実なものになる。

 「あと、おばさんがちょっと、ね。なんだか、疲れてるみたいで、」上手く伝えることが出来ないのか、チエは手を動かしながら、必死に伝えようとしていた。「人と会うのに、お化粧するでしょう。けど、そういうのを全くしてなくて、顔に少し、痣みたいなものあったの。」

 「そう、か。」

 頷いて、私はそのまま頭を抱えた。チエは悪いことを言ったと思ったのか、「ごめんね、勘違いかもしれないから、」と慌てて付け加えた。私はチエに気を遣わせたことを内心申し訳ないと思いながら、その気持ちを口に出さず、ゆっくりして行けと言ったおばさんの言葉を無下にするように、早々チエの家を後にした。

 チエの家を離れ、その足でマンションに戻ると、私はすぐさま従兄夫婦の家に電話をした。簡略的に挨拶を済ませ、唯一つ、用件だけを述べた。

 「明日、預けていた仏壇を引きとります。」

 キサラの様子を見るとは伝えなかった。けれど、伝えずとも、相手方も覚悟していたように思った。


 

無知と無関心は罪だ。

信頼と信用は無責任な押し付けだ。

すべてが罪人で、それに程度の差があるだけだ。

そうやって、私は自分の罪を見ないようにしていた。



 翌日、私は身なりを整え、車に乗って従兄夫婦の家に向かった。直接彼らの家を訪れず、まず、近くのスーパーに車を止めた。それは、チエの言うことを信じていないわけではなったが、もう少し、確信が欲しかったのだ。

 成る丈小奇麗で表情の明るい人、特に歩いて買い物に来ている人を捜し、こちらは衣服を整え挨拶と同時に声をかけた。

 「おはようございます。お聞きしたいのですが、オダさんはあの緑の門のお宅でしょうか?」

 「ええ、そうですけど・・・」

 近所らしい女性は、少し怪訝そうな顔を向けてきた。私が誰かを見極めようとしているのかもしれない。

 「私はオダさんの親戚です。今日は預けたものを引きとりに行く予定なのですが、」

 彼女は興味津々に、私の身体を上から下まで眺めた。そして、意味ありげな顔を浮かべたので、少し誘導的だが情報を聞き出すことにした。

 「何か、オダさんの家に問題でも、」

 「いえね・・・」歯切れの悪い返事をしながらも、女性は結局続けた。「あそこの旦那さん、お酒を飲むと暴れるらしくてね、奥さんにも暴力を振るうらしくって・・・」

 近隣の住人が言うのだから、噂は間違っていなかったのだろう。その情報だけでも十分だったが、女性はお節介にもまだ話を続けた。

「それからね、他に親戚の子を預かったとかでね。その子、ちょっと変わってるみたいでね、また大変らしいけど、」

 「そうですか、ありがとうございます。」

 言葉を遮り、従兄弟夫婦の家に目を向けた。女性は首を傾げつつ、そそくさとスーパーマーケットの中に姿を消した。

私は気を引き締め、今まで避けていた覚悟をしなければならない。現状を見て、もし任せられないと思ったのなら、今日明日にも引き受けよう。

 車に乗り込み、従兄夫婦の家を訪れた。私の実家に較べればやや見劣りするが、それでも周囲の家と較べると立派な部類に入るように思った。けれど、緑の門は年数がそれほど経っていない筈なのに錆びつき、庭に目を向けると雑草に埋め尽くされていた。草枯らしの薬品も販売されているのだから、少しでも綺麗にしようと思えば、草を抜かずともそれをただ撒けば良いだけなのに、それすらしないということが引っかかった。

 玄関のベルを鳴らし、しばらく待っていると、葬儀の時とは違い、噂通り化粧もせず服もしわの寄ったものを身にまとった女性が顔を出した。

 「突然の訪問、申し訳ありません。」

 「いいえ、良いんですよ。」

 取りあえず私を招き入れ、客間に案内された。すでにおじさんがソファーに座り、お茶を飲んでいた。軽く挨拶を済ませ、勧められた椅子に腰かけていると、当然部屋の隅に置かれた不自然に大きなダンボールが目に入った。おばさんは私の視線に気づくと、少し戸惑う様に顔を伏せた。

 「急だったんですけど、あれ、仏壇の方は片付けてあります。」

 ダンボールの中身は予想通り仏壇が入っているようだ。あのダンボールは預かってもらう時に片付けたもので、この家に運んでからそのまま置いているようだった。

 「これ、つまらない物ですが、」

 昨日買ったお菓子の詰め合わせを渡すと、一応チエの家と同じように好意的に受け取った。だが、おばさんの顔色は悪く、第一印象に感じた人のよさそうな雰囲気はあまり感じなかった。おじさんの方は相変わらず、人を信頼させるような笑みを浮かべていたが、目だけは焦点が定っていないようで、私は不信を募らせたが、表情には出さないように気をつけた。世間話は私の仕事の事などに向けられ、どうにもキサラの話題を避けているように思えた。

 「キサラは、どこに居るんです?」

 すっと目を細めて、二人を捕らえるように向けると、年の離れた従兄たちは私から自然と目を逸らした。

 「遊びに行ってますよ。」

 簡単な答えだったが、それで納得するつもりはなかった。すっと息を吸い、薄く笑みを作った。

 「彼の部屋に案内していただけますね」

 肯定しか求めない問いかけに、おじさんは黙り込み、おばさんだけが微かに声を震わせ、「でも、勝手に見せるのは、嫌がるんじゃないかしら、」至極もっともらしいことを言った。しかし、私は姉と同じ身勝手な強引さを前面に出し、「散らかって居ても怒るわけじゃないんです、案内して下さい」と強く言うと、渋々ながら「それじゃあ、」とおばさんは立ちあがった。

 案内されたのは二階の一室で、入ってすぐに湿った空気、カビの匂いがした。物が何一つ床に無く、本棚には埃の被った百科事典があるだけだった。ベッドからは何の匂いも漂わず、椅子は子供が座るには高く、机の上は埃がうっすら積っていた。

 「・・・キサラはどこです?」

 机の埃を拭いながら尋ねたが、おばさんは「遊びに行っていて、」と歯切れが悪い。最終勧告のように、今度はおばさんの正面に立って、その目を睨みつけた。

 「どこに居るんです。」

 罪悪感というものがあるのなら、こういう場合、狼狽するものだと知っていた。小学生のときから、私は罪悪感のある相手を責める方法を自然と学び取っていた。これは、ある意味で、小学生の私が生きるために必要な技術であったからだ。

 「キサラは、本当はいつもどこにいるんですか。」

 相手を逃さない声の圧力に、とうとうおばさんは負けを認めた。

 「・・・台所のそばの倉庫に、」

黙って部屋を出た。女は張った糸に捕らわれたまま、呆然と立ち尽くすだけだった。客間にいた男も慌てた足音に気付いたのだろう、部屋を出て私の傍に寄ろうとしたが、姉を思い浮かべながら冷たい目を向けると女と同じようにその場に動かなくなった。

 以前、仏壇を届けるときにこの家に来たことはあった。だから、どういう構造になっているのかも、大方は知っていた。階段の下、台所の横に増設されたコンクリートで塗り固められた部屋。薄暗い、確かに夏であれば、心地良い倉庫だ。

 そこに、布団に包まって、キサラは一寸も動かず、そこに横たわっていた。私が誰かも初めから知らないように、感情が消えた虚ろな目をこちらに向けただけだった。

 「キサ、ラ。」

 呼べばまだ自分の名を覚えていたのか、顔を上げた。だが、やはり焦点が合わない。姉と似た顔立ちで、姉とは違う思想のない虚ろ顔がある。

 目の下には、この年頃の子どもにしては珍しく、薄い隈が出来ていた。立たせるために脇を掴んで持ち上げると、背も伸びた筈なのに、体重が驚くほど軽かった。だが、やつれているとは言っても、動けないわけでは無いらしく、手を引くと私について自分の足で歩いた。

 廊下に出ると、従兄夫婦が複雑な顔を向けていた。思わず、その顔を傷つけてしまいたくなったが、その衝動も一時の気の迷いと深呼吸で抑え込んだ。それでも抑えきれない怒りは、睨むだけで治めた。

 「キサラを連れてかえ、・・・・行きます。」もう、私にもキサラにも、帰る場所は無い。「明日の夕方、仏壇と、それからキサラ荷物を取りに伺います。ご迷惑をお掛けし、申し訳ありません」

 ニヒルに笑うと、従兄は糸を解かれたように壁に縋りつき、それを尻目に私はキサラに靴を履かせると、荷物も持たせずにそのまま車に乗せた。

そのままマンションに連れて行こうと思っていたが、ちょうど昼時に重なっていたので、日ごろから利用する小さな食堂に車を止め、キサラを連れて行った。寝ぼけ眼で歩くキサラは、席についても車の中と同じようにここが何処であるのか分かっていないようだった。

 「好きなものを頼みなさい」

メニューを目の前に広げ、初めてキサラは「え・・・」と小さな声を漏らした。

 「いいから、食べたいものを頼めばいい」

 もう一度聞いたが、キサラは困惑した表情を浮かべ黙り込んだ。好きなものが浮かばないのか、食べたいものがメニューに無いのか分からない。これではらちがあかないとメニューを取り上げ、店員を呼んだ。

 「私が決めよう」

 キサラは黙ったまま、小さく頷いた。

店員に注文を済ませ、食事が来るのを待っていると、キサラはようやく焦点を私に合わせ、やっと気づいたように目を丸くした。

 「おじさん?」

 「ああ、私はお前の叔父だ」

 それ以上の会話は生まれなかったが、その間を消すようにすぐに食事が用意された。キサラは私が食べ始めると、自分もご飯に手をつけて、掻き込むように貪った。空腹だったのだろうが、一気に食べると胃にも負担があると思い、後で胃薬を買いに行かなければならないだろうと、その姿を眺めながら考えていた。

 食事の速度がようやく緩やかになった所で、私は手を止め、キサラを正面から見下ろした。

 「あの家が、好きか?」

 キサラはご飯を食べる手を止め、「わかんない」と小さく呟き、同じように私の目を見つめた。どんな罪人も聖人も、その存在を否定する虚ろな目に、耐えられなくなり、俯いて箸に目を落とした。

 「これから、私の家で暮らすか?」キサラの目が私を見ていることは分かるが、どうしてもその顔を見る事が出来ない。「部屋は狭く、私は子どもの扱いなどを知らないが、」

 拒絶されたら、施設でも何処にでも連れて行く。私に出来るのは、なるべくキサラが嫌な思いをしないだろう所に連れて行くことだけだった。

 「・・・うん」

 キサラは肯いた。何を考えているのか分からない顔で、一度、肯いた。

 突然のことだったので、仕様がない。落ち着いてから、その時にまた、キサラ自身に決めさせれば良い。



今も、昔も、キサラが居たかった場所を私は知らない。

これで良かったのか、それも分からない。

けれど、もう実家は無いのだ。

家を残していた所で、もう、帰りを待つ人間は誰もいない。

もしかしたら、キサラが素直に従ったのは、同じように諦めていたからなのだろう。 

 


 私の部屋のベッドで、死んだようにキサラは眠っていた。これからは、寝室をキサラの部屋にして、私は仕事部屋で眠るようにするべきだろうか。ベッドとソファーの二段活用可能なものを用い、私はそこで寝て、仕事に行けばいい。キサラが成長したら、この家では狭いかもしれないが、そのときは引っ越しでもして、もう少し広い所に住めば良いだけだ。

 人一人増えることはある程度覚悟していた事だが、どうすれば良いのかまるで分からない。これからは、計画的にやりくりして行かなければならないだろうが、諸経費がいくら必要なのか見当もつかない。取りあえず、学校は、ここから通えない距離でも無しに、そのままで問題無いだろう。 その方が、キサラも過ごしやすいだろうし、手続きも面倒ではないのではないか。荷物がどれ程あるものか分からないが、今後、子どもは成長するものなので、服や靴も必要になる。保険は、それから。

 チエには、キサラがここに来たことを知らせよう。身の回りのものに関しては、その時チエの母に相談して聞けばある程度何とかなるだろう。育ち盛りの子どもには、バランスの良い栄養のあるものを食べさせた方が良いのだから、添加物の多いインスタント食品や嗜好品は出来るだけ避けたほうが良いのだろうか。それから、子どもはおやつを食べるもので、だから、それは夜か朝にでも用意して。一度に考えつく物では無い、私には仕事もあるのだから、キサラにだけ神経を集中させる訳にはいかないのだ。兎に角、食べる物と寝る場所を用意しておけば、生きる事は出来る筈だ。

 私の心配は余所に、当のキサラは眠り続けていた。その寝顔は、入院していた少女に似て、顔色が悪く、呼吸が浅いのか、怖くなって手を口の上にかざしてようやく、生きていることが確認出来たほどだった。呼吸の確認はしたが、恐ろしくなって、今度は手首の脈を測ってみると、これも問題無く一定の脈を刻んでいた。

 「・・・すまないな、」

 鳥の巣の様な金色の髪を撫で、どうすればキサラの良いようになるのか、足りない頭を捻りつつ、リビングの椅子に腰掛け、同じように目を閉じた。



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