伍
合格発表まで、あと三日。自惚れではないが、まず合格だけは堅く、問題はどれだけの好成績を収められるかにある。こればかりは、簡単に他人と比べられるものでは無く、たった一点でも大きく変わるので、ミスが無いという絶対的な自信は無い。
「大丈夫ですよ、ヒカリさんなら、」
一週間前、母はそう言って、私に笑いかけた。
そして、今日。
母は、不帰の客となろうとしていた。
家から駆けつけたときには、もう手の施しようが無いと医者は父と私に告げた。以前、呼吸器を取りつけて生かし続けるか、それとも、
母は決断していた。だから、呼吸器はつけなかった。
苦しそうに息を漏らし、父は母の棒切れのように細い手を握りって、自分の名前が呼ばれる度に声を出して頷いていた。キサラは黙って布団にしがみ付き、私は一歩下がって母と父を眺めていた。
「ヒカリ・・・ノ・・ゾミ・・・、」
母の最後に合わせようと姉を方々探してみたが、私の行動範囲などたかが知れている。それでも、試験会場に来た見知らぬ生徒たちにも姉の写真を見せ、知らないかと尋ねみたたが、結局誰も知らず進展はなかった。
「・・・私は、ここにいる。」
姉のかわりも含め、うわ言に答えてみたが、本人には聞こえていないだろう。父の握るその細い指に目を向けていると、息が途切れそうになる。胸が苦しく、今までどうして自然に呼吸が出来ていたのか分からない。意識をしなければ、呼吸を忘れてしまう。
「ノゾミ、ノゾ、ミ・・・、」
一番大切な娘の名前を呼び続け、いつの間にか、私の名前はもう呼ばれなくなっていた。記憶が後退しているのだろうか、それとも、大切な者の優先順位だろうか。悲しい筈なのに、そんなことを考えるのは残酷なのだろうか。
その内に、母は姉の名前さえも呼ばなくなり、ただ、父の名だけを口にした。けれど、声が掠れてほとんど聞き取ることも出来ず、呻き声に父は手を握り締めたまま頷き続けていた。
朝から何も食べていないというのに、その時は空腹を感じなかった。けれど、さすがに夕方にもなると、私は多少大丈夫であるが、キサラと父は体力面から、せめて何か口にするべきだと思い、壁に寄りかかりっていた重い身体を起こした。
それと同時に、電気の音が急に単一のまま、甲高い悲鳴を上げ続けた。先ほどまで呻いていた声は静まり、父の声が耳に響いた。医者が蘇生処置を繰り返していたが、私はそれがもう無駄な、形だけのものだと知っていた。
さまざまな音に溢れているというのに、私の中は驚くほど静かで、平安だった。
「午後5時25分・・・、」
医者の言葉に、父は泣き崩れた。
交流のある親戚は無かったので、死の現場にいるのは私たち家族だけだった。これから後、通夜と葬式をとり行わなければならない。葬儀屋に電話をして、それから、絶縁しているが、親族にも知らせるべきだろうか。とは言え、おそらく母方の親族は連絡しても来ないであろうし、父の親族も義理として仕方なしに訪れるだけだろう。姉には、どうやって知らせようか。向こうから来ない限り、母の死を伝えることも出来やしない。
頭の中はそう言ったことばかりに占められ、涙よりも今後の予定に頭が痛い。自分でも情けないほど、母の死に対して冷淡だった。
今、父に言っても何も出来ないだろうと、私は病室の中にあるイスに腰掛けて一息つこうと思い、ふと、病室のどこか違うことに気がついた。
「・・・キサラ、」
先ほどまで、ベッドにすがり付いていたキサラの姿が消えていた。本の数分前まで居たのだから、そう遠くへは行っていない筈である。いったい何故居なくなったのか、トイレにでも行ったのかと思ったが、まだ一人でトイレに行けなかった筈である。
病室を出て、待合室に向かったが、そこには知らない親子が本を読んでいるだけだった。
「すみませんが、ここに三歳くらいの金髪の子どもが来ませんでしたか、」
「いいえ、見ていませんよ。」
待合室は階段の隣にある。この親子が見ていないのであれば、まだ三階の何処かにいる筈だ。待合室と反対方向に目を向け、母の病室の先、窓の開いたベランダがあることに気づいた。
「キサラ・・・、」
病室を通り過ぎ、ベランダの側に立った。ガラス窓の隙間から、稲穂のような金髪が風に揺れて、そこにキサラがいることを教えた。声をかけて、病室に戻すことは容易かったが、私にはそれが出来なかった。
「・・・っく、」
大声で喚いていたのなら、そのほうが扱いやすい。だが、キサラは泣きながら、必死に泣くのを堪えようとしていた。
夕焼けに頬を赤く染め、冷たい風が何度もキサラを押さえつけていたのに、私は声をかけることも触れることも出来なかった。
私に、この涙のもう一つの意味を察することが出来るだけの冷徹さが欲しかった。
或いは、共に泣き叫ぶだけの情動が欲しかった。
そうすれば。
けれど、私は成熟した大人ではなく、子どもに戻ることも出来なかった。
その場に立ち尽くし、結局私は所在確認をするだけに済ませ、病室に引き返した。父はまだ母の手を握って泣き崩れたままで、医者は別の患者のところに向かったらしく、看護婦が母の周囲を片付けていた。その場の感情に合わせて、泣き崩れられたらどんなにか楽だろう。だが、自分よりも年上で、理想と目標にすべき人間が泣き崩れていると、結局感情のままであることも出来ずに、醒めてしまう。
「父さんは、ここで座っていてください。」
返事は無いが、私は父の鞄を持ってまた待合室に向かった。もし何かあったときに、連絡する予定のリストが手帳に記している。
待合室には公衆電話が設置されており、カードを入れ、父の鞄から手帳を取り出し、親族の欄から順に電話を掛け始めた。書かれているだけの親戚たちに電話をかけ、母の死を伝えたが、疎遠だった事もあり、「お悔やみ申し上げます、」など当たり障りのない言葉が返されるだけだった。
一通り、親族関係に連絡し終えたが、母方の親族には知らせるべきか、駆け落ちをして、勘当されてから一度も交流が無いので、神経を逆なでする事になりかねない。手帳には住所と電話番号が書いてあったので、家に戻ったときに連絡することにし、手帳を閉じた。病室に戻ると、父は泣くのを止め、医師と今後のことについて話をしていた。葬儀屋にすべて任せるということに決まりそうで、どちらにしても私の出る幕はなさそうだった
病室にはキサラの姿がないまま、窓の外の太陽がゆっくりと連なる山際へ沈み始めていた。
通夜が行われた後に葬式があり、母は結婚した後から親しくなった友人に囲まれて火葬された。その間、キサラは一度も涙を見せず、不思議そうに葬式を眺めていた。もしかしたら、「死」というものを本当は分かっていないのかもしれない。キサラは兎に角泣かずに、話しかけられても沈黙していた。
「お腹、空いたか、」
そう尋ねても、首を横に振るだけで、押し黙ったまま部屋の隅に蹲っていた。親類とは親しくなかったので、騒がない程度に彼らは隣の部屋で酒を飲み談笑していた。父もその中にいて、悲しみを隠し彼らの相手をしているのだろう。
静かなキサラといる私は、楽でよかった。悲しみも、それから合格した安堵感も、自分の中で整理することができたからだ。
家から少し離れた所にある学校だったので、専門学校は寮に入った。寮で暮らしていると、父とキサラがどういう状況になっているのか把握出来なかった。夏休みの内、お盆にだけ戻ると、あとは寮でバイトと技術習得に明け暮れていた。生真面目な学生、聞こえは良いが、辛気臭い家に帰りたくなかったのだけだった。
何度目か家に帰ったとき、父は驚くほど老いが身体に現れていた。反抗期であるはずなのに、キサラは口数すら少なく、父の言うことを何でも素直に聞いていた。反抗期がないことは、楽で良いのかもしれない。けれど、何かの講義で、幼少時の心理状態が今後の人格形成に影響を与えると聞いたことがあった。それを思うと、僅かに不安が頭を過った。このまま二人を放っておくのは、考えものではないかと。けれど、専門学校は三年だったので、たった三年ならば、父に任せても問題無いと思い直し、自分の発した警告さえ押し出した。
専門学校では、高校よりも外の世界へ繋がる機会が増えたので、他人を撥ねつけるのではなく、当たらず触らずという普通の付き合いというものを学ぶことが出来た。バイト先の女と付き合い、酒とタバコも経験したが、想像よりあまりにも一時的な快感に過ぎなかった。好きでもない女を抱いて、酔いもしない酒を飲み、苦味だけのタバコを口の中だけで吹かして、継続させるだけの気の使いようのほうが面倒だったので、それらに付き合うことも飽き始めた。
怠惰と倦怠感が生じ始めた時期だった。
今度は本当に突然、父の死を知らされた。
心臓麻痺で、治療の甲斐なく、とうとう息を吹き返さなかったのだとチエとおばさんが教えてくれた。父はキサラと庭で遊んでいたときに倒れて、キサラの悲鳴にチエが気づき、おばさんが救急車に連絡をして病院に運んだそうだ。しかし、そのときには、もう手遅れだったと電話越しに聞かされた。
祖母の死から、およそ二年後のことだった。私は成人して、キサラは五歳になっていた。
あと数ヶ月生きていてくれたなら、私は卒業し、一旦は家に戻っただろう。そうしなければならないと思い始めた、その矢先に亡くなってしまった。まだ専門学校に居なければならないし、就職活動も始まり、忙しくなったので、今現在、キサラと共に暮らすことは物理的にも精神的にも不可能だった。
葬儀を終えて、母が死んだときに買った小さな仏壇に父の写真を並べて飾った。問題は山積みとなったままだ。今後のキサラの処遇を思うと頭が痛い。来年は小学校に入る年齢になり、そのための諸費用・手続きはどうすれば良いのか。そんなことよりも私自身、この時期に学校をこれ以上休むわけにもいかないし、学校の推薦する会社を早く決めなければならない。お金のことは、運の良い事に遺産があるのだから、遺書の通り分配される私の予定金額だけで当面の問題はない。
けれど、お金はあったとしても、キサラをどうすれば良いのか。
子供であるキサラが、一人で生きてゆくことは出来ない。
どこかの施設に預けて。だが、それは、
仏前で悩んでいた時に、年の離れた従兄夫婦が助け舟を出した。親しくはなかったが、年賀状のやり取りをしていた数少ない親類だった。会うのは母の葬式以来だったが、妻の方が年の割に、少し痩せた様な気がしていたが、そのときは、そんな些細な事、気にも留めなかった。
「キサラくんを引き取ろうと思うんだが、」
突然の申し出に、困惑した。私はまだ、社会に出ていない半人前なのだ。成人したからと言って、すぐに大人と同じように行動を迫られてもまだ対処出来ない。
「僕らはなかなか、子どもに恵まれなくてな。光くんは、まだ学生だし、あの子がいると困るだろう。」
「引き取るって、養子にするという事ですか、」
数年ぶりに、忘れかけていた姉の顔が脳裏を掠めた。
姉は、キサラを捨てるとも、預けるとも言わなかった。もしかしたら、いつかはキサラを引き取りに来るかもしれない。可能性は低いが、それまでの間は養子だとか、そういう話は出来ない。
「いや、それはまだ決めかねているんだがね。けど、施設に預けるよりは、私たちの方が君も安心できるんじゃないかね、」
「そう、ですが・・・、」
親族、血の繋がり。
それに飢えていた私には、とても有り難い申し出だった。だが、キサラを手放す、今まで離れて暮らしていたと言うのに、素直に肯くことが出来ない。考えてみれば、近しい肉親はキサラしか残っていないのだ。父親は判らないとしても、キサラは私の姉の息子だ。一応、生まれてからしばらく、共に家族として生きてきた者だ。
「私が就職して、落ち着くまで預かってもらう、ということではダメでしょうか。キサラは姉の子ですし・・・もちろん、キサラが私よりも貴方たちと一緒に居ることを、貴方たちもそれを望むということでしたら、私は姉より、あなた方とキサラが暮らすことを希望します。ですから、それまでの間で、お願い出来ないでしょうか、」
身勝手な言い分だ。そう、わかっているのだが、すぐにキサラを手放すことが怖かった。
「わかった。そういうことで、家としても構わないよ。君も学校があるだろうから、すぐに、そうだな、明日から家でキサラを預かるようにしよう。」
一連の会話の内容は、まるで、キサラがモノのようだった。内心で冷笑し、表面では手をついて礼を述べ、キサラの預かり知らぬところで、あの子の処遇は決まった。
それから私は、必要なもの以外を処分し、悩んだが親族からの意見も受けて、家を売ることにした。しばらく誰も居ない状態で残しておく事は気が引け、また、この家を維持出来るのか判断出来なかった。姉の帰る家が無くなる。そうすると、もう二度と帰って来なくなる気もしたが、仕様がない。姉を見かけたら連絡をしてくれるようにと、チエの家を初めとする近所中に連絡先を渡して、私はまた学生生活へと戻った。従兄夫婦にも遺言の遺産の一部を渡したので、キサラは特別厄介をかける事無く暮らして行ける筈である。それに、もしかしたら、本当の親子のように、愛し愛されるような関係を構築するようになるかもしれない。
私は、深層では姉を恨んでいたのだろうか。
置き去りにされた原因を姉に転嫁し、もう帰って欲しくないとでも思っていたのかもしれない。
ただ、家族の集まる家を無くしたかった。
私は学校に戻るなり、頭を切り替えた。付き合っていた女と別れ、勉学と就職活動を以前よりも増やした。就職先も、出来るだけ従兄夫婦の住む町の近くを選び、万が一引き受ける時、せめて小学校が変わらないように、また、引き取らないとしてもその様子を確認出来るよう考えていた。
一度もキサラに会わないまま、私は卒業し、従兄夫婦の住む町よりやや離れた所に就職が決まり、マンションを借りた。正規雇用の間に自動車免許を取得し、中古車も購入した。今後の生活必需品も買い揃えて、あとは仕事を始めるだけだった。




