表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天使の捨て子  作者: 立春
2/14

その赤ん坊の名前は、キサラと名付けられた。

それは、姉が予め決めていた事だった。

どの様な意図かは知らないが、両親がそれに漢字を当てた。

名前の由来くらいは、聞いておけば良かったと、今も後悔している。


 

 突然出来た甥のキサラに対しても、出て行った姉に対しても、私はいかほどの感情も裂かず、受験勉強に没頭し、無事高校に合格すると四月から隣町の高校へ通うことになった。

 学校に行き始めて、小学校のころに仲の好かったタクと再び高校が同じになり、更に偶然同じクラスになった。特定の友人というものを作らなかった私にとって、唯一友人と呼べる存在だった。

 さっそく、キサラのことをタクに話すと、彼はふーんと鼻を鳴らして、しばらく感慨深げに顎を手に乗せていたが、いつものように気軽な笑みを浮かべて私に尋ねた。

 「お前、なんて呼ばれるつもりなんだ、」

 「・・・叔父、さん。」

 タクはあきれたとばかりに肩を竦め、私が不思議に思っていると声を立てて笑い始めた。

 「何がおかしい、」

 「だってよ、その年で・・・。ま、お前らしいけどな。」

 そう言って、タクはポンと私の頭を叩いた。彼のスキンシップは毎回攻撃的で、自分でもどうして友になったのかよくわからない。いや、何も考えなくとも、相手が私と付き合ってくれるから、友となれたのかもしれない。私は必要以上に思考を働かせてしまうので、友人として好意を示す人間は、どこか打算的があるのでは無いかと疑うってしまう。タクは何も考えていなさそうで、また、自分勝手なところもあったので、気を使わず身勝手な自分を振舞えた。

 「それより、お前も剣道やらないか、」

 タクは小学校の頃と同じように私を誘った。だが、何度言われても私の答えは「否。」なので、軽い挨拶的な役割になってきている。そして毎回、タクは少しワザとらしく、肩を落とすのだ。

 「まだ剣道をやるのか、」

 「まあね。明日、防具をもってく。」

 「だけど、お前は同じ自転車通学だろう、」

 「電車で行くんだよ。」

 それは、自転車で運ぶよりも本人としては楽かもしれない。だが、周りには悪臭で迷惑ではないかと疑問に思った。だが、私はそれを彼に告げるのはやめて、通学路の交差点で別れた。

 春も過ぎ去り、若葉が鼻孔をくすぐり、私は高校生活も悪くないと思っていた。

 

 家に帰ると、産まれたときよりも丸々と太ったキサラが、ゆりかごの中から不思議そうにこちらを見ていた。いや、正確に言えば私が彼を覗き込んだのだが、どうにもキサラの灰色の目を見ていると、こちらを見てきているように思えて仕方がない。

 「あら、帰ってたんですね。」

 ソファーに崩れるように座っていた母が、ようやく私の存在に気がついた。キサラは必要な時くらいにしか泣かない子なので、手に掛かりそうに思えないのだが、母はいつもより疲れた雰囲気だった。父と同じ年まで老け込んでしまったような、そんな印象を受ける。

 私の父と母は確か、十五歳ほど歳が離れている。今の両親を見ているととても信じられないが、母が二十歳のときに異国で駆け落ちし、父の故国である日本に来たらしい。もしかしたら、姉はそういう母の遺伝を受け継いだのだろうか。母は勘当されたが、二人は結婚出来た。その為、私は一度も母方の親族に会ったことはないし、写真を見たことも無い。駆け落ちということもあって、父方とは縁を切られないまでも疎遠となり、正月やお盆等の形式的な行事でも親族に会った事は無い。葬式で顔を見るくらいで、私は両親の祖父母も知らない。二人が結婚してすぐに姉が生まれたのであれば、話は簡単だが、その後子どもに恵まれず、十年経ってようやく姉が生まれた。そのために、両親が特別に姉を可愛がっているという事実は、私はもちろん、きっと姉自身も分かっていたことだろう。

 それにしたって、姉自身は子を望んでいたというのに、その子供を置き去りにするというのは、どういう了見なのだろう。姉は感情で動く人だったが、私は感情で動くということが分からないので、その意図を推測することは出来そうにない。

 「キサラ、本当に目に異常はないんですか、」

 「ええ。白内障かと思ったんだけど、先生に診ていたけれど、問題はないそうですよ。」

 母が大人しいキサラを抱き上げ、私にも「抱いてみる、」と聞いてきたが、もちろん首を横に振った。子供に対して愛着を未だに感じていない上に、何故か私が触れてしまだけでキサラは泣くという、抱いたこともないのに自信があった。自分でも変な自信だと思い、そのことをチエに話したとき「変、」と憤慨された。

 この空間から離れたくなり、私は自室に籠もった。別段、勉強をしたいという気分でもなければ、気を紛らわすような娯楽があるわけでもない。私が遊ぶときと言えば、最近ではチエに無理矢理誘われる時しかないと思い出し、自嘲がこみ上げた。

 しばらくすると、父が帰ってきた。それならば、夕食だろうと判断して一階に降りる途中、玄関に居た父と目が合った。

 父も私や姉の所為でずいぶん苦労をしている。もう年金を貰って隠居生活でも送っている筈の年齢であるというのに、私のためにまだ語学学校で講義をしているのだ。もともと、若い父を知らない私でも、父が老けていく姿は目に見えてわかった。その父を見るたびに、私は年老いることによる死を感じていた。最近では七十になっても元気な老人もいるのだが、いくら元気だとしてもその皴から感じ取れる時の長さは、父の寿命を奪ってきた。

 「おかえりなさい。」

 淡々と言うと、父も「ただいま。」といつもと同じ調子で返してきた。

 リビングに入ると、まだ母はぐったりしており、一応料理を作り終えていたが食欲もないようだった。キサラはと言うと、相変わらず我知らぬと言う感じで、泣きもせずにゆりかごの中で大人しくしている。母はキサラの世話で疲れたというより、精神的なものが大きいのかもしれない。

 挨拶と同じく、食事も淡々と進み、私はテレビのバラエティーに興味もないので、あまりリビングに居候することはない。姉がいた頃、彼女はよく人気のお笑い番組を見ては、嘲笑うように声を立てて、その声が家中に聞こえてきたのに、最近は湿っぽく以前より居心地が悪い。静かな方が好きな私が、湿っぽいと感じているのだから、普通の感覚を持っている両親には、尚更重く感じていたのかもしれない。


私が高校に行き始めた、この頃からだったろう。

赤ん坊の孫を育てつつ、家事を普段道理にこなす母は、次第にやつれていった。

そうは言っても、この頃は病院に行くほどのことはない、単なる心労としか思えず、私と父も母にそれほど心を割いていなかった。

私にもう少し、他人に対して気遣えるだけの鋭さがあればよかった。

そうすれば、この時にも察する事が出来たのかもしれない。

ともあれ、口惜しいことに、私に虫の知らせはありえなかった。



 次の日、私は相変わらず夢を見ることなく目を覚ました。目覚まし時計を一応セットしていたが、それに起こされた経験はほとんどない。すでに身体が私の生活リズムを認知したようで、どんな天候だろうとも必ず6時半までには目を覚ますようになっていた。

 普段の通り、まだ両親は眠っているので、私は一人朝食を摂り終えると昨夜のうちに揃えておいた鞄を握り、皺がほとんどない学生服を身に纏って外へと出て行った。今日は少し曇り気味で、風がわりと強く、梅雨独特のいやな匂いがアスファルトから立ち込めて、思わず眉を顰めた。嫌な匂いとは思うけれど、それとは関係なく学校へは行かなければならない。錆付いた自転車を押して、私は学校へと向かった。

 学校に着くと、普段とは違い人の数はまばらだった。下駄箱を眺め、電車で来るといっていたタクも自転車の私より遅かったことから、電車が遅れているからだろうと推測し、がらんとした教室の自分の席について、先日借りた本を眺めていた。

 教室は人が少ない所為でいやに静まり返り、腕時計の針の音さえ耳に障る。外に目を向けると、校門では自転車や徒歩の生徒が登校してきており、数は少ないがそれ以外は平常となんら変わりなかった。

 そんな中、何人かがどたどたと廊下を走ってくる音が響いきた。よく先生が怒らないものだと呆れていると、教室のドアが突然大きな音を立てて開いた。

 「大変だ!」ふいっと視線を向けると、噎せている蒼ざめた顔の男子生徒がいた。「・・・電車事故だ!!」

 そのとき私は、「それで遅れたのか、」としか思わなかった。周りの人たちも一応に驚いてはいたが、それがどういう意味であるのかなど知りもしない。

 その後すぐにやってきた先生が休校を告げたので、私は寄るべき所もないので、自転車で下校した。先生の話は「大きな事故が起きた。」と言っていたが、実感が湧かなかった。

 「ただいま。」

 家の中では珍しくキサラの泣き声が響いていたが、母の声はしていなかった。一体何があったのだろうかとリビングを覗き込むと、母がソファーで寝ていることに気付き、私は囲いの中で泣き喚くキサラを冷めた目で見下ろした。

 母を起こしても良かったが、たまには眠らせるべきだろうと考え、私は嫌々ながらキサラを抱き上げた。柔らかく温もりも重みもあるキサラは、本当に生きた赤ん坊なのだとそのときやっと分かったが、それ程好きになれそうもなかった。泣いているときに抱いたからなのかもしれないが、私に父性本能などと言うものは、おそらく一生出来ないのだろうと確信した。

 「お腹空いたのか、」

 赤ん坊に尋ねても答えるはずがない。オシメが濡れているわけでもなかったので、おそらく腹が空いていると推測しただけだ。

 キサラを下ろし台所へ入り、蓋が開いたままになっている粉ミルクの缶から哺乳瓶に粉を入れると、ポットのお湯を中に注いだ。説明書通りに人肌ほどに冷まし、未だに泣き続けるキサラを抱き上げソファーに座り、哺乳瓶を口の前に持ってきて与えてみた。すると先ほどまでの泣き声が嘘のように、キサラはすぐに泣き止んで、一心不乱にミルクを飲み始めた。本来なら母乳が望ましいのだろうが、姉が行方不明なので仕方がない。

 そういえば、電車事故とは一体どんなものなのだろう。たまたま側にあったリモコンを押し、キサラにミルクを与えながらテレビを見た。

 「本日、午前7時18分発の、」

 アナウンサーの背後を見て、さすがの私も気分が悪くなった。彼女の後ろには煙が昇り、微かに人の叫び声が響いてきている。キサラはそんなこと解るはずがなく、ミルクを必死に飲んでいた。画面が切り替わり、ヘリコプターからの映像に切り替わると事故の悲惨さが一層際立って見えた。電車の三両目まではほぼ大破し、四両目や五両目も裏返って、線路からずいぶん離れてしまっている。いったい何人死んでいるのか、とても推測できない。

 映像を食い入るように眺めながら、私は自然にタクのことを思い出していた。彼は今日、電車に乗っている筈なのだ。この電車かどうかは知らないが、確かに電車に乗ると言っていた。けれど、そんな偶然が私の身近で起こることがあるものか、と。あれは、テレビの先の出来事なのだと思う気持ちが不安を抑え込んだ。

 私が哺乳瓶を落としたために、キサラが大声で泣き始めた。まだ飲みかけだったのだから、確かに不快であろう。だが、私は彼をあやすことなどせずに、そのまま泣かせ続けた。耳障りであっても、他に気を使う余裕が無かった。

 そのうちに母が目を覚まし、「あらあら、」と言いながら、キサラと哺乳瓶を私から取り上げ、すぐに泣き止ませた。何か特別な方法でもあるのだろうか、ミルクを与えた訳でもないのに泣き止むキサラを、冷めた目で見上げていると、母が不思議そうに私の顔を眺めていた。

 「もう夕方になってしまったの、」

 「いいえ、今日は電車事故があって、早く終わったんです。」

 言いながらテレビに視線を戻すと、母も同じようにテレビをみて「ひどい事故ね」と他人事のように呟いた。そこで、私もこれは他人事なのだと納得しようとしたのだが、タクの顔がどうしても頭から離れなかった。

 タクの家に電話をしようと考えたのは、昼食を食べ終えた後のことだった。もしもあの電車に乗っていないのであれば、幾らなんでももう家に帰っているだろうと思ったからだ。

 電話帳を眺めながら彼の家のダイヤルを押し、ルゥルゥと流れる電話の呼び出し音を頭に響かせていると、繋がった電話は留守番メッセージを流した。

 これは、嘘だ、

 口が渇き、頭に電子音のピーっという音がやけに響いていている。そこで、何も返事を残さないのは失礼だと気づき、ワンテンポ遅れて声を吹き込んだ。

 「・・・遠井です。タク君が帰ったら、電話するように伝えてください。」

 声は多分、上ずっていたのだと思う。

 受話器から手を離し、落とすように置いた。こういうときは、口の中が乾いてしまうのだと現状を把握し、冷静になろうとするが、冷静であることなど出来たのだろうか。

 母はまだ皿を洗っており、ゆりかごのキサラは満足げに、天井に吊るされたクルクル周る不気味なピエロを楽しそうに眺めている。先ほどとなんら変わりない光景に、私は自分を納得させた。

 これが、壊れるはずが無い。

 明日になれば、また何かがわかるだろうと部屋に戻った。

 その夜、教師から「明日、明後日は休校とする。」との連絡が入り、結局三日後になってようやく、学校に通えた。その間、タクからも彼の家族からも電話がかかってくることはなく、私も部屋とスーパーを行き来するくらいで、テレビ以外の情報を得ることは無かった。

 教室には担任が既に居て、部屋の真ん中で女子生徒たちのすすり泣く声が聞こえた。男子の中にも泣いている者がいた。多くの者たちが個々に悲しみを抱いており、カーテンを閉めていないのに部屋は異様に暗かった。自然に、喉が唾液を欲し、私はそれを飲み込んだ。

 何脚かのテーブルの上に、花束が置いてあった。どれも色素の抜けた白い花ばかりで、リボンも何の包装もされていない花だった。花瓶に入れていないのは、その数が足りなかったからだろう。

 「・・・、」

 誰かに尋ねるほど、私はこの中に仲の良い人間は居ない。そして何より、この空気からは、尋ねるまでも無く、察することは容易に出来た。

 「死んだ、のか、」

 自分の机へ向かう途中、私はその机を見て足を止めた。同じように白い花が置いてあり、落書きで傷ついた机を僅かに隠していた。

 「タク・・・、」

 私の呟く声が聞こえたのか、女子生徒の一人がわんわんと泣き出し、慰める者も同様に泣き出した。その中で、私はぼんやりとその机を眺めていた。

 ああ・・・死んだのか。

 白い花が机に項垂れて、こっちを見ようともしない。

 

  どうした、どうした。

 

 よく判らない自分の中で、誰かが、何かが、尋ねてくる。

 

  どうした、どうした、

 

 そんなこと、私に判るわけ無いだろう。

 

 ・・・止めてくれ、止めてくれ。

 

 目眩がするほどの長い間、私の中に私がいなかった。私が私に返ったのは、人の発する音だった。

 「今日、欠席連絡のあったものを除いて、全員揃ったな。」

 朝のホームルームの時間まで十分な余裕があったが、担任が耐えられなくなったのか口火を切った。

 「とにかく、席についてくれ。」

 どこか掠れた声に、先生も疲労をしているのだとわかった。その後の話は、詳しく覚えていない。いつの間にか自分の席に座って居て、先生の話すなにやら長い前置きを聞いていた。

 解ったことは、やはり、あの電車事故でタクが死んだことだった。

 このクラスからは「アサキヒロ」「ホンダタクマ」「ワカモトダイキ」の三名の死者が、学年全体としては三十名の命が消えた。他にもまだ入院中のものも含め、死者がさらに増える可能性があった。このクラスでは、「サクライトモミ」が意識不明の重体なので、他県で集中治療を受けている。

 葬儀、告別式は学校全体で、今週の土曜日に行うことが決まり、一週間学校は休校になった。

 私はその日、家に帰って母に先生が話したことを伝えると、そのまま部屋に倒れこんだ。

 涙が出るのかもしれない。けれど、今のところ出る気配はない。

 自分でもなんとも薄情だと思うのだが、驚きのほうが増して、疲れているのに目が冴えていた。

 ・・・止めれば、良かった。

 だが、止めたからといって、電車事故が食い止められた訳じゃない。死者が出ることに、代わり無いのだ。

 こんな身近で死を感じたのは、それが初めてだった。だから、驚きは一入で、若い私の頭は混乱していた。

 翌日、私は珍しく八時過ぎまで眠っていた。今まで極端な例を除き、どんなに遅くまで起きていようと、定時刻には目を覚ましていたが、目覚まし時計の音でも目を覚まさなかった。

 母はキサラを連れて散歩に出かけたらしく、私はテーブルの上に残されていたサンドイッチに手をつけた。朝食ぐらい自分でも作れるが、その手間が省ける分、こちらのほうが確かに良い。

 今日をどう過ごすか、昨日の夜のうちに決めていた。

 私服ではなく学生服を身に纏い、サイフをポケットに入れて家を出た。そして、まず家から近い生花店へ入った。

 「いらっしゃいませ!」

 朝からせわしなく店員達が働いていた。一体何故なのだろうかと眺めていると、店員の一人が視線に気付き、持っていたバケツを置いて、私に顔を向けた。こちらが見ていたのに、向こうから視線を投げかけられると何か尋ねなければダメだろうと思い、どうして忙しくしているのかという疑問をそのまま言った。

 「ああ、これ全部弔花・・・葬式用の花です。」

 その言葉だけで、何を意味しているのか私にもわかった。

 「そうですか。」

 店員は私が学生服だということに気付き、申し訳なさそうに顔を俯かせた。

 「お兄さんも、ですか。」

 「・・・はい。」

 小さく返答し、私は店員から視線を逸らした。それから、一体どういった花を買えば良いのか分からず、とりあえず店内を歩き回った。

 五月の花のコーナーには、釣鐘の花をつける鈴蘭、薄い青みを帯び紙で作った星のようなハナニラ、赤いと白い花びらの牡丹、ピンクの芍薬、淡い青紫のツルニチソウ、それから、クレマチスやオオデマリ、コデマリ、シラン、ゼラニウム・、薔薇など様々な種類の花があった。葬式や弔いを兼ねた花の知識は当然無い。ただ、あまり色がついて無いほうがいいのではないか、とのイメージだけはあった。以前テレビで見た葬儀では、百合の花が多く使われていたが、この店では品切れになっているようだった。そこで、視界に入ったのは、鈴蘭と牡丹の白い花だった。どちらかと言えば、菊に似た牡丹のほうがいいような気がしたが、あまり大輪は好きでなかったので、私は鈴蘭を選んだ。

 店員は忙しそうにしていたが、鈴蘭を丁重に包んだ。焦っていてもこういうことが上手く出来るのだから、さすがであると何と無く感心した。

 人通りが多い道は好まなかったので、裏道を通ってタクの家を訪れることに決めていた。そこは道路があまり綺麗ではなかったので、自転車だと転倒する可能性があり、徒歩でなければ進めなかった。学校以外の場所に出かけることが殆ど無かったので、こうして街を散策するのは小学生以来だった。

 表通りとは違い、裏通りは昔と変わらないので私は少し安心した。小学生の頃、タクと一緒によく探検したもので、この街の裏道なら知り尽くしている。

 けれど、もうあいつはいない、

 実際に事故現場を目撃したわけでも、タクの死体を見たわけでも無いので、実感が湧かなかった。そして、死んだのがタクでなければ、私はこんな事故をすぐに記憶から消し去っていたことだろう。

 静まり返った街を昔の記憶を頼りに進み、白い壁に赤い瓦の昔と変わらないタクの家にたどり着いた。玄関のベルを鳴らし、一分ほど待っていると目の落ち窪んだ女性が顔を出した。私の記憶が確かなら、この女性はタクの母親だった。三年ほどしか経っていないのに、肌はくすみ、髪はちらほらと白髪が目立った。

 「どちら様ですか、」

 「・・・私は、遠井と言います。」

 「あら、光くんね。」

 タクの母親は、ほんの少し表情を和らげて私を家に招き入れた。私は彼女に鈴蘭の花を渡し、薄暗い廊下を進んで畳の部屋へ通された。畳の部屋には白い布に包まれた箱が一つだけで、タクの遺体はそこになかった。

 私の視線に気づいたのか、タクの母が隣にきて、囁いた。

 「身体がね、バラバラだったの。」

 震えた声で告げられたことに、私は何も言えなかった。黙って彼女に頭を下げ、その箱に手を合わせた。

 この中には、タクの骨が入っているのだろう。

 血も肉もない、雪のように白い、粉のような骨が。

 「・・・失礼、いたします。」

 あまり長居するのは良くない。

 そして、私自身がここに居たくなかった。

 私は簡単に挨拶を済ませると、逃げるようにタクの家から離れた。

 自宅の前まで戻ってきたが、私は家に帰る気がおきなかった。リビングの窓に人の影が見えたので、母が帰ってきたのだというのはわかった。

 家以外、私が長居する場所は皆無だ。強いてあげるなら、公共の図書館か、本屋くらいである。

 何処へ行こうかと玄関から踵を返すと、前の家から出てくるチエと目が合った。チエはいつもと変わらない笑顔で、「みっちゃん!」と私の名を呼びながら近づいてきた。

 「チエ、学校は、」

 「一週間はお休みなの。みっちゃんもでしょう。」

 「ああ。チエはどこかに出かけるのか、」

 「お昼のうどんを買いに行くの。みっちゃんは、」

 チエの学校の生徒は、電車に乗ることがないので、彼女自身はそれほどショックが無かったのだろう。普段と変わらない明るさで、小さな手を声と一緒に動かしながら、私を見上げている。

 「ただ外に出てみただけだよ。」

 「ふーん。なら、いっしょに買いものにいこ!」

 私が肯否する前に、チエは私の手を引っ張って歩き始めた。別に行けない理由も無かったので、素直に手を握られたまま歩き始めた。

 買い物は表通りに出なければならない。表通りは人が多いのであまり好まなかったが、今回ばかりは我慢しようと自分勝手に考えていた。ずっと握り締めるチエの手は、子どもの体温らしく暖かい。反対に、私の手は氷のように冷たいと思われているのだろう。

 「みっちゃんの手、気持ちいいね。」

 私の気持ちを察したのか、チエが手を強く握ってきた。

 「どうして、」

 「だって、すずしいもの。」

 「そういう時は、冷たい。」

 そうなのかとチエは照れたように頭をかいた。私は、冷たいと言われるより、涼しいといわれたことに、そのとき不思議と安堵していた。

 スーパーは夕方よりも人が少なかった。私はチエの代わりにカゴを持ち、うどんを三玉入れて一緒にレジに向かった。レジの店員が素早くバーコードを読み取り、私の隣でチエは肩から提げた鞄から財布を出し会計していた。私も何か買おうかと思ったが、格別欲しいものもなかったのでやはり止めにした。

 「終わったよ、みっちゃん。」

 「ああ、うん。」

 いつの間にか入り口まで行っていたチエに、走るわけでもなくゆっくり近づき、また手を繋いでスーパーから出て行った。あとは帰るだけなので、予想よりも時間潰しにならなかったと少々落胆した。

 「みっちゃん、」

 手を繋いだまま、チエが私を見上げてきた。

 「どうした、」

 チエの黒々とした丸い目に、私の影は欠片すら映っていない。

 「みっちゃん、元気ないね。」

 あまり表情に出るほうではなかったので、チエに言われ驚いた。

 「ああ、元気ない。」

 「あのね、かなしいときは、泣くないとだめなんだよ。」

 心臓が小さな悲鳴を上げた。指先が痺れ、思わずチエから手を離した。

 「・・・どうして、」

 「テレビで言ってたの。ナミダは、気もちをらくにしてくれるって。」

 私の胸と同じくらいしか背が無いのに、チエは必死に手を伸ばして額を撫でるように叩いた。屈めばいいのだろうが、敢えてそうするつもりはない。

 「ありがとう、チエ。」

 礼を述べると、チエは微笑み、額から手を離した。

 家に帰るまでに、気を入れ替えなければならない。けれど、今ならすぐにでも泣けるような気がした。

 「みっちゃん、はやく元気になってね!」

 「ああ、」

 つないだ手が、今度は日の光と同じ暖かさがあった。




その週の土曜に、学校で合同葬儀が行われた。

生徒、保護者、マスコミを含め、体育館に入りきらない人が集まっていた。

ただ、私がそのことを覚えているのは、テレビで中継していたからである。

私はその葬儀に参加していなかった。

今もあの時も、参加しなかったことに後悔はない。

あんなものは、体面を取り繕うだけの意味の無いものだからだ。

ただ、私が悔やむのは、あの時、チエの言うように泣けなかったことだけだ。

もし泣いて、悲しんでいたなら、私はすぐに前へ進めていたかも知れない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ