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天使の捨て子  作者: 立春
13/14

拾参


あの子の行動には、言葉以上の意味があった。

だからきっと、自分から決意した事には、他の意味も持っていたのだろうか。

やはり、そう簡単に信頼してもらえるほど甘くは無い。

会話をするというのは、簡単で、けれど難しい。



 紀沙羅の進路はなかなか決まらず、私は何度も学校に呼ばれ、三者面談を行った。このまま大学に進学するにしても、どういう方面へ向かうのか、せめてそれだけでも決めてもらわなければ困ると言われた。それで、紀沙羅にそれとなく話を聞いてみたが、歯切れのよい応えは帰らず、私の方もそこまで必死にさせるのはどうかと思い、得手不得手の関係から、一応理系で話を進めていた。いざとなれば、他学科へ編入すれば良いだけの話である。

 そうやって呑気に構えていた所で、突然、紀沙羅が名刺を机の上に置いて神妙な顔をしていたものだから、当然困惑した。

 「それは、」

 名刺を手にとって眺めると、知らない事務所の名前が書かれていた。紀沙羅は目を細め、嘆息した。

 「モデルのスカウトにあった。」

 「モデル?」

 その方面にはまるで関心が無かったので、新手の詐欺ではないかとまず警戒した。だが、その名刺をじっと眺めていた様子が、妙に引っかかった。

 「・・・紀沙羅、モデルになりたいのか?」

 今まで考えもしなかった進路に、私は自分の知識からその手の職業について考えたが、これがさっぱり頭に浮かばない。もし、紀沙羅がそれを一生の仕事にしたいというのなら、まるで知識の無い私には助けの仕様が無い。

 「わからない。けど、やってみたい。」

 珍しく積極的な様子で、私だけがついていけない。だが、やりたいものをわざわざ止める故もないのだから、一応、スカウトが本当の事なのか名刺の電話番号にかけて確認した。すると、詐欺でも何でもなく、本当に存在する事務所であった。私には美的感覚も無かったので分からないが、異国風の紀沙羅が目を惹いたのだろう。

 私が詳しく調べるまでも無く、紀沙羅は自分で調べ、条件付きで事務所と契約を決めた。私が行ったのは、書類に署名し印を押しただけだった。一応説明を聞いたが、あまりにも別世界の話で理解は出来無かった。

 こうして、とんとん拍子に物事は進んでしまった。卒業後、紀沙羅は大学には通わず、モデルの仕事をすることが決まった。別に、大学に通いながら出来ないものでもなさそうだが、彼が必要としていない以上、お金もかかるのだから敢えて勧めることも無いと決め、学校側の勧めを断わった。彼らが勧めるには、一応自分たちの学校の利益にも関わっているので、当然の事で判断材料には成りえない。だからと言って、私の主観が役に立つ訳でもないだろうが、駄目ならやり直せば良いだけだ。


 高校の卒業式、紀沙羅と月亮だけが目立つ髪の色をしていた。だが、他の保護者も一応事情を知っていたので、奇異の目を向けるようなことにはならなかった。国家の全体合唱の後に、賞状を受取り、在校生代表の祝辞に、卒業生代表の答辞、合間に歌が入って、全員が拍手の中で退場した。

 少しは涙が溢れると思ったが、どうにも感傷的にはなれない様である。卒業生は教室に集まって、互いの別れに涙を流していた。紀沙羅に視線を向けると、向こうもこちらを振り返り、少し困った様にはにかんだ笑顔を浮かべていた。どうやら、空気が読めないのは同じようだった。

 卒業証書が全員に渡り、担任の話が終わると自然解散になった。すぐに紀沙羅が帰るのだろうと思ったが、友人に囲まれており、私の時とは違って別れを惜しむことがあるようだった。それに水を差すのは野暮なので、他の保護者と同様に、先に学校を出た。

 あの子は、私とは違う。それは喜ばしい事であると同時に、少し淋しいものだ。姉にも、友人が居たのだろうか。年が近い訳では無かったので、彼女の情報は殆ど知らない。同じ学校に通っていたのだが、先生の話では姉と違って真面目だと言われた事は何度かあったが、比較以外で姉に関する話題を聞いた事は無い。家を出て、どこかを点々としていたのだから、友人関係というものがあったのかもしれないが、きっと両親にすら知られていない友人だったの筈だ。もしそうでなければ、すぐに母が呼びもどしていた筈だ。紀沙羅の交友関係も私は詳しく知っている訳ではないので、あの子がもし家を出たとして、一体何所に行ったのか捜すすべが無い。けれど、紀沙羅は私とも姉とも違う。

 家に帰って、昼食を用意して紀沙羅の帰りを待った。だが、昼の時間になっても戻らず、一時過ぎにようやく帰って来た時、僅かにその目が赤くなっており、埃の匂いがしていた。大学に進学しないのだから、友人と会う機会が減るので、別れに涙を流していたのかもしれない。誰かと別れを悲しみ合えると言うのは、羨ましい限りだろう。

 「おかえり。」

 声を掛けると、紀沙羅は一度咳払いをしてから、「ただいま。」と少し上ずった声で応えた。涙を流していた事を悟られないようにする態度に、思わず笑みが浮かんだ。少しずつ、感情が豊かになっている。私も同じように変わっていけているだろうか。

 他愛の無い話をした。他愛の無い、会話が出来る様になった。

 紀沙羅の友人の話になって、月亮ともう一人の友人がそのまま大学へ進学し、他に専門学校に通う子も居るのだと話していた。皆、目標があり、その為に先に進んでいる。私は、特にやりたいことも何も無かったので、ただ耐えられることを仕事にしていたので、その向上心には感服する。

 昼食を食べ終え、外に出かけた紀沙羅を見送って居から、渡された卒業証書を仏前に置き、両親と姉の写真を前に手を合わせた。信心深くも無ければ、天国も地獄も信じてはいなかったが、年をとるごとにこうやって亡き人を悼むことが支えになるような気がした。

 姉は結局、高校に通いながらも卒業する事は無かった。けれど、仏前の写真は高校に入学した時のものである。帰って来た時に、写真でも撮っておけばよかったと、紀沙羅よりも幼い顔を見ながら後悔した。

 私はきっと、姉よりも長く生きている。彼女が死んでしまった理由は分からないが、知らないままの方が、きっと、良いに違いない。私は死にたいと思う事が無いので、知った所で同情や共感を示す事は出来ないだろう。けれど、紀沙羅なら、或は理解してしまうのかもしれない。そうなった時、姉に引きずられてしまうのではないかと思うと、そちらの方が怖かった。



私は知らないままで良いと思っていた。

けれど、もしかしたら、紀沙羅は知ろうとしていたのだろうか。

私にとっては理解不能なだけの存在でも、紀沙羅にとっては、母親なのだ。



 紀沙羅の初めての仕事があった日、紀沙羅は日ごろ使わない筋肉を使ったようで、部屋の中が湿布の匂いに占領されていた。夕食を用意して紀沙羅を呼ぶと、顔に塗られた化粧が剥がれて、まるで妖怪の顔であり、思わず噴き出した。

 「叔父さん、」

 少し恨めしそうに眉を顰めたので、咳払いをして笑いを誤魔化した。

 「すまない。仕事はどうだった、」

 「最初はマネージャーさんと挨拶ばっかりで、いろんな服を着させられて、化粧を塗りたくられた。」

 「なるほど、男でもモデルは化粧するんだな。」

 さて、このメイクをどうやって落とさせたものだろう。果たしてこれは、石鹸で落ちるものなのだろうか。

 考えていると、紀沙羅がテーブルの上に置いてある袋を私に渡した。中にはシャンプーとリンス、それから、コンディショナーに、良く分からないビンが何本も入っていた。

 「肌も髪質も悪いから、これを使えって貰った。」

 「こんなに、必要なのか?」

 私から見て、紀沙羅の髪は綿毛の様に柔らかく、肌も見る限り荒れは無い。けれど、専門家がそう言うのだから、仕事である以上それくらいの努力は必要なのだろう。

 「それから、細すぎるから肉を食べなさいとか、身体をもう少しは鍛えるようにも言われた。」

 「・・・なるほど、それは大変だが、健康的で良いな。」

 確かに紀沙羅は、細いと居より華奢だった。不健康な身体なのだから、健康的に過ごさせる為に、モデルの仕事というものは都合が良いのかもしれない。

 「今日はハンバーグだから、たくさん食べなさい。」

 「・・・はい。」

 若い割に、食べる量が今まで少なかったのだ。しかし、両親も痩せ型で、その遺伝を組んでいるのだから、太りにくい体質なのかもしれない。

 紀沙羅は普段より多く食べていたが、食べ過ぎたのか、気持ちが悪そうにソファーに寝そべっていた。そんなにすぐに体質に変化が現れる筈は無いのだが、必死な様子だけは伝わった。ここまでやる気になっているのだから、モデルという仕事が存外気に入っているのかもしれない。

 仕事を始めてから、以前より表情が明るくなったように思えた。色々辛い面もあるのだろうが、それよりも出来る事を必死になってやっているようである。初仕事だと完成した雑誌を見せてもらったが、ページの端に小さく映っているだけだった。こんなものなのかと少し拍子抜けしたが、考えればこれが全国の書店に並ぶので、不思議なことだ。

 写真が好きだったのなら、アルバムでも作れるほど撮ってやれば良かった。紀沙羅の事について書いた物も、結局誰に渡せるわけでもなく、仏壇の奥にしまったままになっている。こういう事に無頓着だから、チエにも呆れられるのだろう。チエと言えば、待望の赤ん坊が生まれたと電話が一度掛かってきた。彼女の家に生まれた赤ん坊は、きっと愛されて真っ直ぐに育つのだろうと胸が少し熱くなった。

 最初の内はチラシや雑誌の隅に乗っている程度であったが、次第に目立つ位置で映っている姿をみるこが出来るようになった。紀沙羅は姉に良く似ていたのだから、姉にもこのように華やかな道の選択が出来たのかもしれない。雑誌の紀沙羅は、化粧をして、女の様な服を着て、彼女と同じ薄い笑みを浮かべていた。いや、似せようとしていたもかもしれない、時々、戸棚にしまった家族の写真を眺めている姿を見た事があった。それを見て、淋しいのかと思って声を掛けてみると、紀沙羅は曖昧に笑って、「美人だったんだね。」と応えるだけだった。

 仕事が増えたようで、何日か家を開ける事も増え、殆ど連日外に出る様になった。疲労で身体が壊れないものかと思っていたが、精神的苦痛を一切感じていないのか、夜は依然より長く深く眠っているようで、微塵の疲弊も感じられなかった。モデル業の一環として、収録雑誌に紀沙羅への取材が載っていたが、どう考えても事務所が用意した答えか、或は適当に応えた内容が載っているだけだった。それでも、この情報から人は紀沙羅がどういう人物なのか推測するのだから、不思議なものである。身長、体重、好きな食べ物、学童時代のことなどが書かれてあり、最後のメッセージだけが妙に浮いて思えた。

 「誰か、僕を知りませんか?」

 その言葉に対し、雑誌記者が誤魔化す様に「より一層の活躍が期待されます」と一文を添えていた。おそらく、紀沙羅が自分がまだ人に知られるほど活躍して居ないので、少しずつ知名度を上げようとしているのだと思ったのだろう。私も文字で書かれているのでその状況が分からず、杞憂だと思い、深く考える様な事はしなかった。

 不調も不快も態度や口に出すことなく、また数日の出張へ出かけて行った。今度は一体何の雑誌に載るのだろうか、そう言う物に疎い私には本屋の何処に行けば置いてあるのかも良く分からない。

 紀沙羅が出張に行ってから二日ほど経っただろうか、休日に一人家で寛ごうと新しい本を買って家に帰ると、電話が鳴った。何かセールス電話だと思い出てみると、まだ若い声で「あ、叔父さん、ですね。紀沙羅くん居ますか?」と明るく聞いて来た。

 「いや、二三日ほど仕事で帰らないようだけれど、」

 「そうっですか。あー、どうしましょうか・・・。」

 電話口で悩まれても困るので、「君は、」と名前の確認をした。

 「あ、オレ、コウって言います。えっと、紀沙羅君に伝えといてもらえませんか、月亮が留学するから、今度集まれるやつだけで送ろうって話なんですけど、」

 中高の同級生だったのだろう、卒業式の時に紀沙羅の周囲に居た友人の内の一人なのだろう。月亮の名前を知っていると言う事は、変な電話では無かったようで、内心安堵した。

 「分かった。仕事先に電話して伝えておくよ。」

 「お願いしまっす。」

 終始明るい声でコウは電話を切った。月亮は大人しい子だったが、この少年は二人とはどうやら正反対に明るいようである。必ずしも自分と似た人間と友人になる訳ではないことは、自分を振り返れば分かる事ではあったが、少し驚かされた。

 友人が留学する話なのだから、早く教えた方が良いだろうと思い、懐に入れていた手帳から、以前教えてもらっていたマネージャーの電話にさっそくかけた。しばらく通じなかったが、数十秒待ってからようやく電話が通じた。

 「紀沙羅の叔父何ですが、今、紀沙羅に伝えておいて欲しい事があるんですが、」

 そう切り出すと、マネージャーは「え、」と素っ頓狂な声を出したので、どうしたのだろうかと思わず首を傾げた。

 「紀沙羅君なら、先日契約が切れたと同時に辞めた筈ですけど、聞いていませんでしたか?」

 「・・・え、いえ。」

 これは一体全体どういう事なのか、状況が把握出来ない。紀沙羅は仕事に出かけた筈だが、これは、何故。

 「叔父さんからも言ってください、今から辞めるのは勿体ないですよ、ようやく顔と名前が売れて来た時期何ですよ?」

 「あ、いや。」

 本人が辞めると決めたのなら、わざわざ口出すつもりは無い。だが、それほどこの仕事を嫌っていなかったようだが、何故辞めてしまったのだろうか。何か、嫌がらせでも受けて耐えられなくなったのか、それにしては、家で様子の変化が微塵も無かった。

 「先月は契約更新にも乗り気だったのに、突然辞めてしまって・・・。何か、目標は達成したから働く意味が無くなったって。」

 「目標、ですか?」

 「先々週に手紙が来てからなんですよ、様子が変わったのって。」

 「手紙、」嫌がらせや誹謗中傷の類で、傷つき辞めてしまったのだろうか。「死ねとか、そういう類のものですか?」

 「たぶん違いますよ。」

 電話越しに、紙を捲る音が聞こえた。仕事の途中だろうに、私の話に親切に耳を傾けている。

 「几帳面に、来る手紙はすべて読んでましたから。誹謗中傷も中には在りましたけど、全部の手紙に目を通して、今まではすぐに捨てていました。熱烈な応援メッセージや贈り物もあったんですけど、そう言ったものも全部捨てるんですよ。」

 言われてみれば、紀沙羅がそう言った類の物を家に持って帰った事はなかった。すべての言葉に目を通す人の良さを思うべきか、気持ちを蔑ろにする行為だと思うべきか悩ましい所である。

 「それで、手紙の内容はどんなものだったんですか?」

 「中身は見せてもらえなかったんですが、文字を見る限り誹謗中傷の類では無かったと思いますよ。それに、その手紙だけは持って帰りましたから」

 いよいよ、奇異な話である。それではまるで、その手紙が来ることだけを待っていたようではないか。紀沙羅の様子を思い返そうと思ったが、やはり違いがあるようには到底思えなかった。一体どんな内容が書かれていたのだろうか、現物が無いので調べようがない。

 「内容は分からないんですけど、変に思ったので住所をメモしてちょっと調べてみたんですけど、ただの食堂で特別変な所も無かったんですよね。第一、田舎の辺鄙な所でしたし、ただのファンレターか何かだったと思うんですがね。」

 「あの、そのメモって今手元にありますか?」

 「え、はい、ありますよ。良ければ送りますから。」

 電話を切り、しばらくするとファックスから薄い鉛筆で書かれたらしい文字が送られて来た。その住所には全く見覚えが無く、おそらく家族で一度も言った事の無い県だった。

 メモを手に取り、確証もないのに悩んでいた。元々行動的な人間では無いので、可能性の低い行動をするのは単に労力の無駄になるだけだと分かっている。紀沙羅は二三日で帰ると言ってたが、本当に、帰ってくるのだろうか。もしや、姉の様にふいに消えてしまったとしたら、きっと私に見つけ出す事は出来ない。手掛かりはこれだけしかない、これだけしか無いが、信憑性も薄いものだ。

 だが、もう躊躇することは止めた。間違っていた時は、家に戻り帰りを待てば良いだけのことだ。何もしないで指を咥えているより、馬鹿だと笑われても構わないから、動かなければならない。どうして紀沙羅が嘘を吐いたのか、意味の無い嘘は吐かないので、私に知られたくない事情があったのかもしれない。けれど、知ってしまった以上、もう無かった事にはしたくなかった。


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