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青磁釉  作者: 長元 阿矢
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青磁釉

 七月の初旬、神崎佑司は地元の金沢美術工芸大学の研究室を訪れていた。

 大学は近年新しく建て替えされており、構内はガラス張りの開放的な作りになっていた。 そんな中、白を基調とした窓の大きな研究室の中で神崎は志方教授と大きな机を間にして向かい合って話をしていた。

 教授の年は五十代前半だろうか、短く切った髪にはところどころ白髪が混じっていたが、全体の雰囲気は若々しく、四十代と言っても違和感はなかった。

 話は少しさかのぼる。

 柏木画伯の件が一段落したところ、流行右司から地元の大学の教授に神崎の作品を見せたいので過去の作品をデーターとして持ってきてほしいと電話で連絡があった。

 神崎自身も就職してからも創作活動は続けるつもりでいたので、よきアドバイスがもらえればと思い、流行の提案に喜んで応じた。

 そしてその数日後、流行から電話があった。

「教授が直接会いたいそうです」

 当日は、ここ一年以内に創作した作品を二枚ほど持ってきてほしいとのことだった。

 大きさは持ち運びができる程度でいいとのことだ。

 そして当日、自家用車に十号ほどの大きさの人物画を二枚持ちこみ、教授の元へ向かったのである。

 教授が神崎が持ってきた作品を見終わった後、改めて彼に顔を向け話しかけた。

「北川先生とは面識はなかったのだけど、流行君の仲介で先日初めて連絡を取った」

 神崎にとっては北川教授に対して頭が下がる思いであった。

「向こうの大学で進学は考えなかったのかい?北川先生は君に進学を進めていたらしいけど」

「在学中、一度そんな話をいただきました。ですが・・・」

 神崎の言葉が消えていく。

「学費や生活費がありますので。これ以上両親には迷惑をかけたくなかったので」

「実家は?」

「広島です」

 神崎の話で志方教授は納得したようだった。

「流行君から今、君は中学校の非常勤講師をしていると聞いたが、将来は中学校の先生を目指しているのかな」

「はい、進学を断念したときから、そちらを中心に考えていました」

 その言葉に偽りはなかった。

 北川教授から進学の話が出たのは、採用が決まったあとからだった。

 神崎のその様子を見て志方教授は少し考えをめぐらしていたが、特段驚いた様子はなかった。しかし次に神崎にとって重大な言葉を教授は言った。

「君の学生時代の作品を見せてもらった、さらに受賞歴もあるようだ。どうだろう、来年こっちの大学で学んでみないか?」

 神崎は流行からこの話を受けたとき、当然可能性の一つとして出てくることだと思っていた。しかし、実際に今、目の前でそれが現実として突き付けられたとき、即答はできなかった。

「少し、考えさせていただけないでしょうか」

 それが精一杯の答えだった。

「そうだろうね」

 志方教授も十分神崎の現状を分かったうえでの返事だった。

「中学の非常勤講師、あと数年頑張れば、正規の先生になれる可能性は十分にある。確か任期は最長五年だったっけ」

「はい・・・・」

「君の人生だ、君自身が決めることだからね。もし、進学を考えるとしたら、秋から院生の合同演習がある。もし、時間があるなら参加してみないか。君の都合もあるからね。参加しなければ合格できないというわけではない。月一回火曜日の午後四時だ」

 そう言いながら志方教授は机の上にあるデーターの入ったメモリーと、今日持参した油絵を神崎の方に差し出した。

 火曜の午後四時。出席できない時間ではなかった。

「ご返事はいつまででいいでしょうか」

「そうだね、秋の話だからいつでもいいよ」

「ありがとうございます」

 そう言って神崎は席を立とうとしたとき、ふと流行のことを思い出した。

 帰りに報告しようと思ったからだろう。

「志方先生はいつから流行さんをご存知なんでしょうか?」

「一年程前かな、学生の個展の開催などでちょくちょくお世話になっている」

「あの大きな建物ですか」

 3階建てのかなり、りっぱな建物だった。

「多分あそこは賃貸だと思うよ。それ以前は会計事務所だったらしい」

「では彼は以前どこに住んでいたのでしょうか」

「画廊仲間の間では、以前はアメリカで仕事をしていたらしいと聞いている。詳しいことは直接本人に聞いたらどうかね」

「そうですね」

 至極もっともな回答だった。

「今日はありがとうございました」

 志方教授が軽く頭を下げ、神崎も席を立った。

 神崎は感謝と、別れの言葉と共に研究室を後にした。

 そしてその足で流行の画廊へと向かった。


 玉川町にある流行の画廊は現在陶芸の個展を開催していた。

 車を降りて改めてポスターを見ると、主催者は山東青雲という陶芸家であった。

 神崎は陶芸に関してはほぼ素人同然だったが、外のポスターを見ている間でも、ひっきりなしにお客が出入りしているので、その方面では人気がある陶芸家だと察しがついた。

 そんな状況から今日は会うのをやめようかと思い、ポケットから携帯電話を取り出し、流行に電話をかけようとした時だった。

「店先まで来て、電話ですか」

 背後から穏やかな流行の声がした。

 驚いて振り向くと、浅黒い顔が微笑んでいた。

「店の奥に部屋があるので、そこで話を聞きましょう」

 そういって玄関のドアの取手に流行が手をかける。

 神崎も玄関先で礼を言うのも失礼だと思い、車を車庫の中に入れ、待っていた流行と共に店の中に入った。

 中は以前入った時と少し雰囲気が違っていた。

 展示販売が陶芸のためか、それぞれの棚に茶器や花瓶を中心とした陶磁器が置かれていた。スポットライトの光が作品に当てられ、白い壁に陰影が映し出されていた。

 展示品の横には値札が置いてあった。価格は全体的に安くはないが、手が届く値段ではあった。個展というよりは即時販売の色合いが強いように感じ取れた。

 お客は年配の女性が多く、以前神崎が座っていたソファーには老年の和服を着た体格の良い男性が、一人の女性客と話をしていた。

 彼が山東青雲だとすぐに分かった。

 店の奥にある以前流行が座っていた机のあるスペースは白いパネルでふさがっている。可動式の扉のようだ。

 山東が流行に気づき、立ち上がろうとするのを流行が目で制し、そのまま奥の事務室へと神崎を伴って入っていく。

 部屋の中は普通に事務机が2つ置かれ机の上には卓上型のパソコンと電話が置いてあった。

「二階に部屋があるので」

 流行がそう言いながらそのわきにある狭い階段を上がっていく。

 後ろからついていくと、木製のドアに当たり、中に入ると、ベージュの絨毯を敷き詰めた応接室になっていた。ソファーは一階と同じものである。

「今、飲み物を持ってきますから」

 と言って、流行が下の階に降りて行った。

 部屋にはもう一つドアがあり、そこからは二階の展示室に出られるような作りになっていた。


「で、どうでしたか?」

 コーヒーのカップを神崎の前に置きながら流行がそう尋ねた。

 だが、それに対して神崎は、一瞬返事に戸惑った。

 何故なら、この男、流行というこの男はすべてを知っていると、前回の件で思い込んでいたのである。従って説明など不要だと無意識に思っていたのかも知れなかった。

 それが、開口一番「どうでしたか」である。

 だが、普通であれば当然の質問であった。

「先生に進学を勧められました」

「やはり、そうでしたか」

「最初からそうなると?」

 流行がトレーをテーブルの横に置き、神崎の向こうに座りながら話す。

「北川教授と連絡を取り、話を聞きました。あなたから預かった作品を見て、志方教授も進学を勧めるだろうと思いました」

 神崎の視線が下を向く。

 それを見て流行が当然のように言う。

「やはり、迷いますか」

「学費と生活費の問題があります。これ以上親に迷惑をかけたくありません」

 実家には高校二年になる弟がいた。彼も大学進学を希望していると聞いている。

「もし、金銭的な問題がクリアになったら、進学を決めますか?」

「いまさらでしょうか・・・・」

 大学の学生時代さんざん悩んできた結果が今だった。奨学金を借りるという選択肢もあったが、返済を考えると二の足を踏んだ。

 中学校の非常勤講師という立場は彼が決めことはできない。だがこの非常勤講師という立場が、母校の北川教授が進学を勧めた理由の一つだとも予測できた。

 その時はすでに就職先は決まっていた。金沢で大学院生になるなど考えてもいなかった。

 教授の誘いは当然そのまま大学で学生を続けることを意味していた。

「先生にはどう返事を?」

「秋に、院生の演習の参加を勧められました。返事はそれまで待つとことです」

 流行が無言でうなずいた。

「話を聞いたついでに、私のお願いも一つ聞いていただけませんか」

「何でしょうか?」

 話題が変わり、神崎もほっとした。

「今、下で個展を開いていますが、今度の日曜日少しお茶出しなどを手伝ってはいただけないでしょうか」

「お茶ですか?」

「はい、今アルバイトの女性にお願いしているのですが、どうも今度の日曜日には都合がつかないようでして、私も一日出かけますので」

 先日訪れたときの中年の夫人だった。

「ああ、それは構いませんが、私のような男性でもよいのですか?」

「彼女がいない時は私が出していますので、その辺は大丈夫ですよ」

 とのことで、急きょ日曜日一日神崎が店の店員になることとなった。

「ちゃんと日当はお払いいたしますので」と、流行のにこやかな笑顔が返ってきた。

 神崎がコーヒーを飲み終えると、流行が店の中を案内すると言い、神崎はその言葉に従った。

 階段を下りるとすぐ右側に給湯室がある。木製の棚の中には食器が並んでいた。

「コーヒーなどの飲み物はこの棚の中にあります。が、山東先生は麦茶を出してほしいとおっしゃっています」

 すでに七月だった。今年の金沢は暑さが早かった。

 流行が奥の冷蔵庫を開き、麦茶の入ったポットを見せる。

 神崎がうなずくと流行は事務室に向かう。

「店内には監視カメラが何台か置いてありますので、事務室にいるときは、これを見てお茶を出してください」

 流行の視線をたどると、上の方にモニターが一台置かれ、画廊の中をいくつかに区切られて写っていた。

 右端の画面が一階の部屋を映し出していた。

 まだ山東は先ほどの客と話し込んでいる。

「あの方は有名な方なのですか?」

「そうですね、パンフレットがありますので、ちょっと待ってください」

 そう言って流行は事務室の奥のファイルの棚の所に行き、細長いパンフレットを神崎に渡した。

 表紙には山東青雲の上半身の写真と背後に茶器が映っている。

 中を開くと、山東の経歴が左側に、右に主な作品が写真で紹介されていた。

 裏のページは画廊の場所の略図である。

 山東青雲。

 五十代半ばの、名古屋在住の陶芸家であった。

 美大を卒業し、ある工房に弟子入りをし、そこで学び今は名古屋を中心して活動をしている。地元の美大の講師も行っていた。

「陶芸一本で生活していられるのですか?すごいですね」

「非常にまめな方で、地方にもたびたび個展を開いています。常連のお客様が全国におられ創作活動には不自由はしてないようです」

 神崎がもう一度上にあるモニターを見上げると、山東はまだ同じ客と親しげに話をしていた。

「先生に紹介をしますので」

 流行の言葉にうなずいて二人は店に入っていった。

 流行が山東に声をかける。

「お話し中申し訳ございません。今度の日曜日彼がお手伝いに来ますのでよろしくお願いします」

 客と楽しげに話していた山東は流行の言葉で視線を神崎に向ける。

「ああ・・・・・アルバイトの子だね。よろしく頼むよ」

 店内に響くほどの快活な話し方で、山東はさっと席を立ち、右手を差し出した。

「神崎と言います。こちらこそ、よろしくお願いします」

 差し出された手を握り返す。

「もしよかったら、作品を見て行ってくれたまえ」

「ありがとうございます」

 神崎はお礼を言って、すぐに作品が展示してある方へ体を向ける。

 入口の方からゆっくりと作品を見ていった。

 青磁を中心とした作品が多かった。

 名前にも青がついている。

 青磁器が得意とする作家なのだとすぐ気が付いた。

 進んでいくうちにふと、作者名が入ったプレートが所々にあることに気づいた。

 作品も実用的な花器や茶器ではなく、どちらかといえば造形に近いものがほとんどだった。

 どうも非売品のようである。

 その中の一点に神崎の足が止まった。

 青磁の像であった。

 薄青い、というよりはオリーブ色に近い長い髪の女性がたたずんでいる像である。

 彩色はなかった。大きくなびいたスカートの形が非常にかわいらしく、すぐにでも売れそうな作品であった。

 その横には女性の名前が書いてある。

 作者 津田 恵美

「気に入ったかね」

 作品の置いてある場所の後ろがソファーのため、すぐに山東が神崎の動きに気づき、声をかけてきた。

「いい作品だろう」

「非売品ですか」

「ああ、卒業生の作品だ」

「今も制作をしているんですか?」

「いや・・・」

 そう言って山東が言葉を濁した。

「今はこの金沢で違う仕事をしているとメールで返信があった」

「理由は?」

 何気なく、神崎が聞いてしまった。答えは分かり切っていたのだが。

 才能がなかったのだろうと察しが付く。

「釉薬の問題でつまずいたようだ。大学院まで出て、うちの工房で引き続き釉薬の研究をしながら、独立の道を探っていたんだが・・・この作品がたまたま良い出来でね。私が買ったんだ」

「本人は展示されていることには?」

「金沢で個展を開くことを伝えたとき、作品を展示することは書いた。メールで感謝の返事が来たよ」

「それは良かったです。が、金沢での展示は初めてなんですか?」

「ああ、今回が初めてだ」

「どのような経緯で?」

「名古屋で個展を開いていた時に流行君が飛び込みで入ってきてね。その縁だ」

「それで決めたのですか?」

 あまりにも単純すぎた。

「ああ、彼ハンサムだろ。金沢のお客にも一度会って見たかったのでね」

 非常に軽い回答であった。

 その後神崎は山東の作品を一通り見終わり、流行から午前十時少し前に来てほしいとの旨を聞き、下宿先へと帰った。


 そして、日曜日の朝――

 画廊はすでに開店しており、神崎が表の玄関から店の中に入ると、山東が相変わらずの大きな声で神崎を出迎えた。

「今日は一日よろしく頼むよ。あと、実は今日のお昼、地元のテレビ局が取材にくるんだ。少々騒がしくなるがきにせんでくれ」

「テレビ局ですか。それは楽しみですね」

「ま、目的はわしではないかもしれんがね」

 と少々照れた様子で白髪交じりの頭髪を掻いている。

「といいますと?」

「あれだよ、青磁の人形」

 そう言って先日話していた津田恵美の作品を視線で指し示す。

「スタッフが下見であの人形を見てね。製作者が地元出身ということでどうも企画を立てたらしい。青磁の釉薬を中心とした企画だそうだ」

 神崎はいやな予感がした。

「製作者・・・津田さんの許可はもらえたのですか?」

「ああ、そこは大丈夫だ。彼女とは連絡が取れて、今日取材を見に来るらしい」

「一緒に出演を?」

「いや、見学だけにしてほしいとの希望は受けている。映るのはわしだけだよ」

「では、私も一緒に見学させてもらってもよろしいでしょうか」

「ああ、かまわんよ。打ち合わせがそれより早くあるから、その時はよろしく頼むよ」

 明らかに取材を楽しんでいる様子だった。

 だが、スタッフが画廊を訪れるその前に、もう一つ事件が起きた。


 事件というほどではなかったが、午前中、昼近くだろうか一人の中年の男性が画廊の中に入ってきた。

 明るいグレーのスーツを着ており、明らかにサラリーマン風の男性である。片手には少し大きな段ボール箱らしきものを風呂敷に包んで持っていた。

 神崎はこの男性の訪問を事務室のモニターで見ていた。

 男性は店内に入るとソファーに座っている山東を見つけるなり、すぐに彼に近づく。

 山東の表情は分からなかったが、彼もすぐに立ち上がった。

 男は山東の前に立つと、深々と頭を下げ、何か話をし、名刺を取り出して山東に渡していた。

 それを見た山東が男をソファーに腰掛けるように促す姿が映し出された。

 神崎はこのタイミングで、お茶を出すために給湯室に向かう。

 冷たく冷えた麦茶をトレーに置き、店の中に入る。

 山東の大きな声が耳に入った。

「・・・・色彩は九谷の技法ですか・・・・面白いですね・・」

 その言葉を聞きながら神崎は二人の前にお茶を差し出した。

 テーブルの中央には磁器でできた作品が一つ置いてあった。

 長方形の箱がいくつも繋がったような花器で、色彩は深緑を中心とした松の模様が抽象的に描かれていた。

「神崎君、君はどう思うかね?」

 いきなり山東が、お茶を置き終えた神崎に話しかけた。

「えっ・・・・先生」

 驚いたのはお客の男性の方だった。

「大垣さん、彼は中学校で美術の先生をしているのだ。多くの専門家の意見も聞いた方がいいよ」

 明るく言う山東に対して神崎は慌てて否定する。

「美術の先生といっても、私の専攻は油絵ですので、陶芸は専門外です」

 二人の会話を聞いて、大垣というその男性は目を輝かせた。

「是非とも意見を聞かせてください」

 神崎は改めて机に置かれた花器を見直した。

 大きさは高さが30センチほどだろうか、全面に濃淡のある深緑が塗られ黒い枝が幾何学的に描かれリズムを作り出していた。実用的な花器ではない。

「どこかの展覧会に出品されたのですか?」

「現代美術工芸展に出品しました」

 大垣という男性は少しほほを染めてそういった。

 現代美術工芸展。素人の神崎でも名前は聞いたことはあった。

「結果は?」

「残念ながら・・・落選しました」

 神崎はもう一度花器を眺めた。観光客向けの九谷の彩色ではなかった。

 一般的な九谷焼の絵柄は、緑・黄・紫・紺青・赤の5色を使ったものをいう。古九谷と言われるものはこれら5色を皿一面に施しているが、近年は絵柄も小さく、ポイントとして使われる物が多かった。

「センスはあると思います。ただ。これ一点だけを見てどうの、こうのを言うのは難しいと思います。将来は作家志望ですか?」

 作品は明らかに商業的ではなかった。公募用に作られたものであることは明白だった。

「ええ、できれば」

 神崎は下手な返事はできないと感じた。

 それを感じ取ったのか山東が話をつなぐ。

「やっぱり、大垣さん、一点だけでは判断のしようがありません」

「では、最近作った作品を見ていただけますか」

 大垣がのどから手が出るほどの勢いで山東に問いかける。

「ええ、写真でもいいですし、来週までここにいますので持ってきたらいいですよ」

「あ、ありがとうございます!」

 驚いたのは大垣だけではなかった。神崎も内心息をのむほどびっくりした。

 明らかに飛び込みである。

 全く素性の分からぬ人間のたった一点の作品だけで、次の機会を与えたのだ。

 その次に断った時の絶望の大きさを考えると、気の毒としか言いようがなかった。

 神崎は山東に軽く会釈をしてそのまま事務室に戻った。

 事務室のモニターの中では、大垣が携帯を取り出してなにやら打ち込みをしていた。

 山東の姿は後ろしか見えない。

 そのうち、大垣が立ち上がり、何度も礼をして店を出て行った。

 山東が空になったグラスをもって事務室へと入ってくる。

「もうしばらくしたらTVの人が来るから、机の上をふいといてくれないかね」

「はい、分かりました」

 山東は先ほどの客についてさほどなんとも思わないようで、気持ちはすでに次の取材に向いているようだった。そして彼はそのまま事務机に向かっていった。机の上には朝から木箱が置いてあり、それを山東は紐を外しふたを開け始める。

 神崎も気になっていたものだった。

 山東が大事そうに大きめの花瓶を取りだす。

「これは、市販の酸化青磁釉で作った花器だよ。青磁の青を作るのはとても難しいんだが、今は市販の釉薬で簡単に青い磁器を作り出すことができる」

 神崎が山東の手元にある青い花器をしげしげとみる。

 店の中にある展示品とほぼ見分けがつかなかった。

 山東が話を続ける。

「青磁の青は釉薬を厚く塗らないと青が出てこないんだ。なので。細かい作品はなかなか作ることができない」

「では、あの青磁の人形は・・・」

「そうなんだ、釉薬の厚みを計算してあそこまで表現を出した。本当に奇跡に近い作品なんだよ」

「もったいないですね」

「ま、本人次第だからね」

 そう言いながら花瓶を店に出そうとしていたので慌てて神崎も店内に入り、布巾で机を拭いた。

 待ちかねたように山東が先の花瓶をテーブルの真ん中に置いた。

「企画の話では一度店内をざっと映してから青磁の説明をしてほしいとの話なんだ」

「わざわざ、名古屋からもってこられたんですか?」

「まあね、どうせ帰るときは他のと一緒になるからね」

 そう言いながら腕時計をチラチラ見ている。

「では、私はこれで」

 そう言って、神崎は事務室に戻ってモニターを見つめた。

 それからほどなくすると、入り口からいきなり一塊の集団が店の中に入ってきた。

 テレビ局の取材クルーだった。

 若い男性が山東に挨拶する姿がモニターに映し出された。

 後ろにはカメラマンを中心とした数人の男性スタッフと、若い女性リポーターがいた。

 女性の姿は夕方の地方の情報番組で見慣れた顔だった。

 カメラが二階から撮影をはじめると、山東が事務室に入ってきて神崎を呼んだ。

「撮影が終わったら、入口付近の作品をどかして、店のいくつかの作品を並べたいんだ。手伝ってくれないか」

「はい」

 そう言って神崎は雑巾を片手に店内に入る。

 中では山東がスタッフと話をしている。

 そのうちカメラが下に降りて店内を映し終えると、山東が中心となって作品の移動が始まった。

 カメラマンが個々の作品のアップを取り始めたときだった。

 一人の女性が店に入ってきた。

 紺色のスーツを着た、年は三十代後半だろうか、髪を短く切り大きな瞳が印象的だった。

 女性は山東に近寄ると、深々と頭を下げた。

「先生、お久しぶりで、篠田恵美です」

「おお、篠田君、君随分印象がかわったねぇ」

 懐かしそうに山東が篠田に声をかける。

 篠田?

 神崎のいぶかしげな表情を見て山東が説明をした。

「津田は旧姓だよ。彼女は今結婚をして篠田にかわったんだ」

 神崎は改めて篠田という女性を見た。

 アイシャドウをくっきりとさせた濃い目の化粧が印象的だった。紺色のスーツのせいだろうか、全体的にシャープな印象を受けた。

 その時篠田はおもむろにスーツの内ポケットから名刺を取り出し、神崎に差し出す。

「篠田恵美と申します。よろしくお願いします」

「僕、今日名刺持ってないんですけど」

 思わず口調が学生時代に戻ってしまった。

 そう言って名刺を見る。


 石川銀行 野々市支店

 支店長代理 篠田 恵美


 銀行員であった。

 美大の陶芸家から銀行員。随分畑違いの転職だった。


 撮影はつつがなく行われた。

 山東が青磁器の特徴の色の違いを一点ずつ指し示し、分かりやすく解説する。

 青磁は鉄分を含む粘土を使用する。そして釉薬と焼成方法で発色が変わる。つまり、竈の中で酸素の供給を極端に制限し、窯内を不完全燃焼の状態にすると青色が発色するのだ。この鉄分の含有量が多すぎても少なすぎても美しい青にはならず、絶妙な配合が求められる。釉薬の厚みや成分の組み合わせによって色の濃淡や透明感が変化し、厚い釉薬では澄んだ濃い青色、薄い釉薬では淡くくすんだ色になる。

 その流れで問題の人形に話が進んだ。

「・・・それでしたらこの青磁器の人形を作るのはとても難しいのですね」

「卒業生がたまたま偶然で出来上がった作品です。とても貴重なものですよ」

「全体的にとてもかわいらしく、素敵な作品ですねぇ~」

 そして、現在釉薬の開発によってそれほど難しくなく青の磁器を作れることに話が進んだ。

 だが、神崎はそんな撮影をしている山東を見ている篠田という女性の横顔を見たとき、違和感を覚えた。

 彼女は笑っていなかったのだ。

 もちろん、歯を見せて笑うということではなく、どちらかというと、ただ無表情で山東と女性レポーターをずっと見続けていたのだ。

 しかしその表情は明らかに緊張していた。

 その不信感が違和感となっていた。

 すべての撮影が終わり、スタッフが帰った後、山東と篠田の二人だけが店内に残った。神崎がいったん事務室へ戻ると、二人は椅子に腰かけて話している。神崎は麦茶をもって二人のテーブルへ近づいた。

 その時、篠田が山東に向かって話しかけていた。

「ずいぶん慣れていらっしゃいますが、TVの取材の経験はおありになるのですか?」

「ま、2,3度青磁のコメントで地元で取材を受けたことがあるんだ」

「ああ・・・」」

 篠田が納得してうなずく。そして少し決まりが悪そうに彼女は言葉を続けた。

「で、先生。突然で申し訳ないのですが、あの人形、返していただけないでしょうか。もちろん先生に買っていただいたのですから、ちゃんとお支払いします」

 その突然の願いに、山東の視線は篠田の顔をまじまじと見つめる。

 そして少しの間の後、

「そうか、私としては残念だが、もともと君の作品だからな。買った時の値段でいいよ・・・ま、せめてここにいる間は展示はさせてくれないか」

「それは構いません。振込先を教えていただけないでしょうか」

「ああ・・・・それじゃ」

 そう言って山東が懐から手帳を取り出している所で神崎は事務室へと向かった。

 篠田に対する違和感は依然残ったままだった。

 あまりにも性急すぎる要求だった。

 事務机に置いたままのさっき篠田からもらった名刺が目に入った。

「銀行員か・・・・・」

 神崎にはまったく理解できない世界だった。


 その日の夕方、神崎の就業時間になると、山東が茶色の封筒を着物の懐の中から取り出してそれを神崎に渡した。

「流行君は今日遅くなるそうだ。今回のアルバイトということで、君に渡してほしいと預かった」

「ありがとうございます」

 心にわだかまりが残る中、その日神崎は夕方岐路についた。


 月曜日。

 神崎は仕事が終わり下宿に帰ると、一階の廊下で家主の奥さんに声をかけられた。

 実はこの下宿先、少々厄介な決まりごとが非常に多かったのだ。

 金沢に赴任が決まり、インターネットの不動産屋のホームページからいくつかめぼしい物件を選び、電話をかけた。

 条件としては、油絵の制作を行うためのスペースが欲しかったことだ。

 車は持っていたので、特に町中に住むことは考えていなかったのだが、職業を中学校の美術の先生と告げると、おもむろに不動産の若い社員が、一冊のファイルを取り出した。

「こちらはいかがでしょうか」

 ファイルの中には一軒の町家が写っていた。

 場所は兼六元町。駐車場有、部屋は二階にあり、六畳と十四畳の畳の和室と、小さな廊下を挟んでキッチンがあった。

 トイレと風呂、そして洗濯機は一階にある。家賃は相場の三分の一以下だった。

 水回りは新しく改装したようでキッチンはシステムキッチン、ユニットバス、洗濯機の上には乾燥機もついていた。

 ただ問題は――社員が説明をした。

「こちらの物件、もともと友禅作家さんのお弟子さんの作業場だったんですよ。近年先生が年を取って、もう弟子は取らないと決めて、部屋が空いたから貸そうということでこっちに持ってきたんです」

「二階に台所ですか?」

「ま、息子さんが一人いて、彼のために改装したらしいのですが、当の本人が県外に出てしまったというのもありますけどね。問題はそこじゃないんです。一階でまだ先生が仕事をしてるんですよ」

「はぁ?」

 慌てて職員が話を続ける。

「大丈夫ですよ。先生と奥さんは二軒先の所に自宅があって、仕事だけをここで行っているんです。朝の十時から夕方の五時まで。土日祝日はお休みです」

「一階の水回りはどうするんですか」

「そこは大雑把で、一階の水道光熱費は先生が持つそうです」

 悪くなかった。というより破格の値段だった。すぐに借り手が見つかりそうな値段だ。

 神崎が疑問をぶつける。

「なんで、今でも空いてるんですか?」

「問題が後、二つほどありまして・・・・・」

 職員が困ったように言う。

「先生が非常に礼儀に厳しく、その日一度だけでいいんです。先生の作業する部屋の所の前で正座をして挨拶をしなくてはならないのですよ。例えば朝だったら、おはようございます。夕方だったらお疲れ様です、とか」

「で、もう一つは?」

「これが問題なんですが・・・・・先生が気に入らなければ無理なんですよ」

 長い沈黙が二人の間に流れた。

「どうでしょうかぁ・・・」

 覗き込むように社員が神崎にたずねる。

「確か、近くに美大があったと思うのですが、今まで全員、全滅だったのですか?」

「美大の学生はだめですよ。学校は車通学を禁止していますから」

 愚門であった。

 神崎の母校も車通学は禁止であった。が、神崎自身はアルバイトをして、しばらくしてから自力で軽自動車を買っていた。日々の生活やアルバイトに非常に便利だった。

 もう一度部屋の間取りと写真を見る。

 十四畳の和室は両側に窓が大きく開いており、非常に風通しがいいのが分かる。風通しがいいことは油絵の制作には必須であった。

 畳と土壁は保護シートを引けば作業には支障がない。

 社員がか細い声で神崎に話す。

「多分、先生は美大の生徒に使ってもらいたいんだと思うんですよ・・・」

「一度先生にお会いしてみます」

「あ、ありがとうございます!今、連絡してみます」

 そう言って店の固定電話をかけ始めた。

 ほどなくすると、相手が出たのか神崎の話が出てくる。

「ええ、今年美大を卒業した男性です。四月から中学校の美術の先生をするそうです・・・・・専攻は油絵科だったそうです・・・・あっそうですか・・・・」

 話が終わり社員が受話器を置くと、神崎の方を向いた。

「今から来てもいいとのことです。行かれますか?」

 神崎が軽くうなずいた。

 そして二人は不動産会社の車に乗って目的の家へと向かったのである。

 駐車場は数軒先の空き地にあった。社員の話だと、敷地も家主の物で、業者の人が停車するために買ったのだという。

 家は金沢の町家らしい作りだった。

 玄関の格子戸はすりガラスがはめられており、側面は金沢町家の特徴の格子戸が張られていた。

 お邪魔しますと社員が声をかけながら中に入ると、玄関の先に廊下があり、右に二階に上がる階段、左が居間と仕事場になっていた。手前の格子戸の裏が台所になっており、その奥が居間となっていた。手前には今はもう懐かしい茶色のちゃぶ台が置いてあり、側面にはテレビがある。多分、お昼には夫婦でここで食事をするのだろうと察しが付く。そしてさらに奥には仕事場があった。仕事場の左側には庭があり、栗の木が一本大きく茂っていた。

 その仕事場の一番奥に白髪の老人が友禅の白い反物に彩色を施していた。

 社員が部屋の前で膝をつき、一礼をする。

「先生、先ほど紹介した男性です」

「うむ」

 その言葉で、社員が神崎を部屋の奥に通した。

 友禅の彩色は木製の机の真ん中に穴が開いており、その下に電熱を置き、その上に反物をかざし、熱で色付けした部分を乾かしながら作業を進めるものであった。

 机の右側には白い小鉢の中に何色もの染料と、筆がおかれている。

 社員がそれぞれ二人を紹介する。

「こちらが、友禅作家の直井先生です、そしてことらが、神崎佑司さんです」

 老いた作家はちらりと神崎を見、すぐに作業に戻った。

「部屋を見ていくがいい」

 その言葉に、社員がありがとうございますと言って、すぐに立ち上がった。

 促されるように神崎も職員の後に続く。

 階段を上るすぐにドアがある。ここからが住居になるようだった。

 部屋に入ると、写真で見た通りの部屋があった。

「神崎さん、合格ですよ」

 社員がさして驚きもせずそう神崎に声をかけた。

「あれで、ですか?」

「今までだったら、あの段階で先生ははっきりと断ります。」

「そうなんですか」

 それから社員に部屋の説明を聞く。

「下の水回りの掃除はどうするんですか」

「あなたの都合の良い時にしてくださいということです。先生の奥さんも気が向いた時に掃除をしているようですし」

 非常におおっざぱな、言い方を変えればおおらかな条件だった。

 部屋は神崎が思った通り非常に風通しがよくエアコンは六畳の部屋、十四畳の部屋それぞれについており一人で生活する分には十分すぎる広さだった。

 七月中旬。中庭の栗の木が青く生い茂っており、程よく直射日光を遮っていた。

「よろしくお願いします」

 即決だった。


 そんなこんなで、神崎は主に、仕事から帰ると、まず先生の仕事場に顔を出し正座をし「只今帰りました」と一言挨拶をすることが日課となったのである。

 今日も、先生に挨拶をした時だった。

 仕事部屋には先生のほかにスーツを着た男性が座っていた。傍らには黒く染めた反物がいくつか並んでいる。

 問屋の社員であった。

 二人は出来上がった反物の柄の確認をしているようであった。

 着物の制作工程は白無地の生地を一度着物の形に縫い上げて、そこに青花から採った染料で下絵を描く。それを再びばらして反物にし、縁をノリで囲み、そして彩をつけていく。そして出来上がった反物を再び着物の形に縫い直すのだ。非常に手間のかかる工程であった。

 神崎が立ち上がろうとしたとき、手前の奥の台所にいた奥さんが声をかけた。

「今日、和菓子を買ってきたんで、少し食べてみまっし」

 金沢弁であった。

「ありがとうございます」

 神崎が答えると、奥さんが視線で仕事部屋に進むように促した。

 神崎自身も、友禅には興味があり、折に触れて作業の様子を見せてもらっていた。

 黒く染めた反物には友禅の柄が施してあった。結婚式などに着る黒留めそでであった。

「新作ですか」

 神崎が聞き、

「いや、昔の柄だ」

 先生が答える。

「人気がありますので」

 業者の男性が言葉を追加した。

 その時、ふと神崎は昨日の九谷の客を思い出した。

「現代美術工芸展って、素人でも応募できるのですか?」

 直井が染め上がった反物から顔を上げた。

「いきなりどうして、また・・・・?」

「今、流行画廊で陶芸の個展を開いているのですが、昨日飛び込みのお客が来て、個展を開催している先生に指導をお願いしていました」

「素人の人なのかね」

「多分そうだと思います。五十過ぎの中年の男性で、九谷焼きの彩色をした陶器を持ってきていました」

「九谷・・・・・」

 隣に座っている職員がいぶかしげにつぶやく。そして神崎に話しかけた。

「名前は?」

「確か、大垣とか言っていました」

 その瞬間、男性が大きくうなずいた。

「ああ、あの大垣さんね」

「ご存じなんですか?」

「五十過ぎの小太りの男性でしょう。頭が少々はげかかっている」

「ま・・・確かに」

 思い起こせば頭の頂上が楕円形に地肌が見えていた。

 男性は、ぽんと膝を叩いて言った。

「大垣さんですよ。県庁の職員ですよ」

「有名な方なんですか?」

「美川に住んでいて趣味で陶芸をやってるんですよ。趣味と言っても、自宅に窯を作っていてね。九谷の先生に自分の作品を見てもらって指導をお願いしまくっている」

「しまっくている?」

「そう、多分、九谷にいる作家先生はすべてあたっているじゃないかな。で、多分、すべて断られていると聞いている」

「聞いている?」

 男性は友禅の問屋の社員だった。

 神崎のいぶかしげな問いに、男性は教えるように言った。

「ああ、お父さんが九谷の作家さんで、娘さんが友禅の作家さん。この地域じゃよくある話ですよ」

 直井も当然のようにうなずいた。

 神崎はそんな二人に何気なく尋ね。

「そんなに難しいことなんですか、アドバイスをもらうことが」

 そこに奇妙な沈黙が生まれた。

 そしてしばらくして男性が話だした。

「友禅は道具が特殊で、趣味として始めるにはハードルが高いのですが、陶芸は日曜陶芸から始めることができます。実際大垣さんもそこからはじめたようです」

「で・・・?」

「やはり、作家を目指すなら基礎が必要になってくるんじゃないかと・・・仕事を辞めて研修所に入りたいというなら話は別かもしれませんが・・・」

 直井が会話に加わった。

「その年で研修所への入学はむりだろう」

 神崎もさっきの沈黙の意味が分かりかけてくる。

「端的に言えば、そもそも仕事を続けて作家になることが難しいということですか」

「そういうことです。それを大垣さんは九谷の先生にお願いしてるので・・・」

 直井が神崎に尋ねる。

「その、大垣とかいう人の作品は、神崎君も見たのかね」

「はい、一点だけでしたが」

「どうだかね」

「今どきの作風だと思います。松の枝を抽象的に幾何学模様として描いていました」

「確かに、今どきだね」

 直井が納得するようにうなずいた。

「先生は、展示会に出品されたことは?」

「わしはそんなのには興味ないからね。仕事の参考としては見に行くが」

「やはり、難しいのでしょうか?」

「確かにあそこは建前は一般人も出せるようだが・・・・多分わしが出すとしたら一般枠になるだろう」

 プロの友禅作家であった。

 ということはプロの陶芸作家がライバルである。

 独学で陶芸を始めた人間が太刀打ちできるはずがなかった。

「作家さんねぇ・・」

 直井がつぶやく。

「先生も作家ですよ」

 業者の男性がそのつぶやきに答えた。

 やはり、奇妙な沈黙は続いている。

 その空気を変えたのが、居間から茶菓子を持ってきた奥さんだった。

「どうぞ食べてくださいね。先生が甘いものが食べたいというんで、季節の物を買ってきたんですよ」

 そう言って出されたのは、二切れの変わった形の羊羹だった。

 半透明の白く濁った羊羹の上に黒い薄い層が一枚重なっていた。まるで皮付きの豚の角煮のようであった。

「鯨餅っていうんですよ」

 奥さんがそれを三人の前に出しながら説明する。

「この辺りでは昔土用の丑の日には鯨の皮とゆずの皮の味噌汁を食べるんですよ。でも今はなかなか鯨の皮が手に入りにくくなって、代わりにこれを食べるんです」

 神崎は奥さんの話を聞きながら、一切れを黒文字で切り、口に運んだ。

 良く冷えて香ばしい素朴な味がした。


 それから一週間たった時だった。

 日曜の夕方、神崎が部屋でくつろいでいた時、流行から電話がかかってきた。

「神崎君、少々厄介な仕事がありまして、手伝っていただけないでしょうか」

「厄介なって?」

「山東画伯の所有していたあの青磁の人形が壊されました」

 思わず神崎はもたれかかっていた座椅子から身を起こした。

「えつ?誰に?」

「篠田さんです」

「どうして?」

「詳しい話は後ほどします。明日、日中空いている時間はありませんか?すみませんが、一緒に彼女の職場に行ってもらえないでしょうか。多分時間はそんなにかからないと思います」

 神崎は明日の授業の時間を頭の中で確認する。

「お昼過ぎなら」

「なら、お手数ですが、店の前まで来てくれませんか」

「了解」

 確かあの収録の放送は次の日の夕方だった。

 神崎も自室で見ていたが、特におかしなところはなく、彼女の作品と明確に分かるようには撮影されていなかったはずだった。

 ともかく、詳しい話は明日になればわかることだった。


 神崎は月曜日授業が終わり、そのまま流行の店の前に行くと、すでに流行は店の前に立っていた。

 流行はそのまま車に乗りこむと、すぐに神崎は彼に尋ねた。

「行先は野々市支店でいいのか?」

「お願いします」

「で、どうしてそうなったんだ?」

「月曜日の放送後、火曜日の午前中壊されました」

「火曜日?」

「その時も私は店にいなく。たまたま山東先生が二階に上がっていた時、篠崎さんが店に入って、そのまま人形をたたき割り、そして店を出て行きました。あまりにも堂々とした行為だったので、他の客も、うちの店員もあっけにとられて何もできなかったようです」

「今日は月曜日だぜ。遅くないか?」

 すでに一週間近くたっていた。

「山東先生の希望です」

「どういうことだ?」

「今から彼女に人形の代金をお返ししに行きます。山東先生が受け取れないとおっしゃいましたので」

「先生は?」

「すでに名古屋に帰っています」

「俺に連絡をいれたのは・・・」

「篠田さんは私の顔を知りません」

 なるほどだった。


 車は国道を走り野々市市へと向かう。

 職場は野々市市役所の近くだった。

 支店は思いのほか小さく、駐車場が広く感じられた。

 神崎はいきなり訪れて彼女がいなかったらどうするのかとふと思ったが、流行に関してはこの疑問は不要かもしれないと自分を納得させた。

 そして二人は店の中に入っていく。

 店内にはお客は一人もいなかった。

 中には四人の行員がいた。

 二人の女性がカウンターの席に座り後ろにもう一人、その奥に男性の行員の姿がちらりと見えた。

 その後ろの女性が篠田だった。

 彼女は神崎を見ると一瞬顔をこわばらせたが、すぐに元の表情に戻った。

 流行が一人のカウンターの女性の所に進み、内ポケットから名刺を取り出す様子が後ろ姿から見えた。

 女性行員がすぐに篠田に名刺を渡す。

 そして篠田は端の通路から流行に近づき、一礼をした。

 そして個室に行くように案内した。

「神崎君」

 流行に促されて店の奥へと二人は進んだ。


 通されたのは来客用の応接室だった。

 黒のソファーに木製のローテーブルが置かれ、流行が窓側にその隣に神崎が座った。

 その向かい側で篠田が緊張した面持ちで流行を見つめていた。

 静かに流行が話を始めた。

「先週の火曜日の件ですが、お心当たりはあると思います。今日はその件でお伺いしました」

 篠田は黙ったままである。

 その様子を見て流行が黒いビジネスバックから茶色の封筒を取り出し机の上に置く。

「山東先生から預かってまいりました。あなたが壊した陶器の人形の代金です。先生は受け取れないとおっしゃっています」

 篠田の眉がピクリと動いた。

「ですが、それはすでに決まっていたことではないでしょうか。あの人形は私の物です」

「私は法律の専門家ではないので、詳しいことは分かりませんが、先生のご意思を預かってきました」

 重い沈黙が流れた。

 たまらず、神崎が横から口をはさんだ。

「なぜ、壊したんですか?」

 その瞬間、篠田の顔が下を向く。

「原因はあの放送でしょうか?」

 返事はなかった」

「私も放送を見ましたが、特に変わったところはないと思いましたが」

 篠田はどこから話せばよいのか迷っているようだった。

 そしてやっと重い口を開いた。

「社員の誰かが、ギャラリーに行って、あの人形を見たようです。放送後、古参の上司からもう一度やり直したらどうかと勧められました」

 今度は神崎の眉がピクリと動いた。

「それは・・・退職勧奨でしょうか」

「いえ、多分本人は冗談で言ったのだというと思います。ただ、その言葉に悪意があるかどうかは・・・私は悪意だと取りました」

「それは・・・何故と聞いてもよろしいのでしょうか?」

「社内の問題になりますので」

 そして沈黙が始まった。

 流行が切り口を変えた。

「美大から行員への転職となると、中途採用になるのでしょうか」

「はい」

「よく、採用されましたね」

「保険の勧誘の求人でした。そこから始まって、今は主に個人営業を中心に仕事をしています」

「ご年齢からみると三十代後半に見受けられますが、こちらに就職して十年ほどでしょうか」

「ええ、今年で十年になります」

「お早い出世ですね」

「ありがとうございます」

「山東先生にはどう説明をしたらよろしいでしょうか」

 ハッとして。篠田が顔を上げた。

 そしてまた沈黙。

 らちが明かないと思ったのか、やっと篠田が理由を話し出した。

「入行当時から、あまりいい顔をされませんでした。今もですが、当時は大学院卒というだけでやっかむ男性職員が大勢いました。役職についても、それは変わってはいません。どんなに努力しても新卒と中途の差が埋まることはありません。あの人形は辞めてもらいたいという口実の一つにしかなりません」

「趣味で続けてもよかったのではないのですか」

 思わず神崎がそういった。

 それに対して篠田が吐き捨てるように答える。

「昔どこかの都銀の社員が歌手と両立していましたけど、そんなこと、大手だからできること」

 そして言葉がいったん消えた。

 神崎は次第に状況が分かってきた。

「やはり、あの放送ですか。もしかして、あれがなければ壊すこともなかったと?」

 篠田がこくりとうなずいた。

 それを見て神崎が流行を見る。

 静かに話を聞いていた流行が、言葉を発した。

「山東先生には今の話をお伝えします。それですが、私から一つ提案があるのですがよろしいでしょうか」

 篠田が流行の顔を見る。

 それを無視するように流行が言葉を続けた。

「あの人形は私が山東先生から譲り受けて、それを私からあなたに売ったということです」

 篠田の顔が一気に安どの表情に変わった。

「お願いします」

「では」

 そう言って流行はバックから領収書をとりだし、内ポケットからボールペンを抜き取った。

 木製の机の上で、さらさらとボールペンが動く。

 金額以外はすでに準備されていた。

 丁寧に領収書をちぎり、流行はそれを篠田の前に置いた。

「ありがとうございます」

 震える声で篠田が答えた。

「それでは私たちは失礼します」

 そう言って、流行はお金の入った茶封筒を鞄に入れた。

 その時篠田が何気なく尋ねた。

「こちらの方は従業員の方ですか?」

 神崎のことだった。

 流行が説明した。

「いえ、彼は私の知り合いです。たまたまあの日は一日だけアルバイトに来てもらっていました。本業は中学校の美術講師です」

 その瞬間篠田の顔が、聞かなければよかったという表情がありありと浮かんだ。

「それはよかったですね」

 言葉は、誉め言葉だった。

 神崎は、軽く会釈をする。

 それを見て流行もお辞儀をし、そして二人は席を立った。


 帰りの車中で、神崎が流行に詰め寄った。

「あの話本当なんだろうか?」

「どうしてそう思いますか?」

「君の話だと火曜日の放送の後次の朝に人形は壊されたんだろ?出社して上司に嫌味を言われてその足で店に行くのか?あまりにも端的すぎるような気がする」

「言われた事実は本当ですよ。ただ、壊した後に言われたようです」

「相変わらずだな」

 何も知らなければ、流行の言葉は随分と知ったかぶりの台詞になる。

 ―見てもいないくせに

 皆がそう思うだろう。

 流行はそんな神崎の言葉を無視する。

「少しプレッシャーをかけましたからね。それにあの話は半分だけでしたし」

「プレッシャー?半分だけ?」

 信号が赤で車は止まっていた。

「会社の内情を聞く前に、領収書を渡すこともできました。それをしなかったのは、先ほどの話を聞きたかったからです。下手な作り話をすれば・・・・する必要もないと思うのですが、こちらも弁護士に相談することになります。それに、先に領収書を渡した後の話を私は聞きたくなかったので」

「どんなことを言ったんだ?」

「ブランクが十年あります。今更また初めてどうするのですか、私には家族があり、子供もいます」

「正当な理由じゃないか、それをどうして?・・・」

「成功しますよ、彼女」

「えっ」

 信号が青に変わった。

「今、再び山東先生の所に弟子入りすれば、人形作家として人生を終えることはできます。ただし青磁器ではなく白磁の人形作家として、です」

 神崎は黙って前の車の向こうの道路の流れを見ていた。車の列は永遠と続いて流れている。

「ただし、今のご主人とは別れることになります、お子さんの親権は父親に渡ります。ま、その後再婚はしますが」

「じゃあ、いまのままだったら?」

「行員として定年まで働くことになります。老後は今のご主人と一生金沢で過ごすことになります。人生にはいくつもの分岐点があります。今のこの話が一年後も同じだとは限りません」

 神崎ののどがごくりと動いた。

 流行が静かに言った。

「戻りますか?」

「いや」

 即座に神崎は否定した。

 それを彼女に言ってどうなるのだろうか。

 なんの保障もない。それはただの市井の占い師の言葉と同じレベルだ。

 それが正しいかどうかは実際にその時が来なければ分からないのだ。

 だが・・・それが本当だと分かった時はすでにもう、遅いのだ。もう一つの人生もその時終わっているのだ。

 そんな神崎の思惑に対して流行が話を続ける。

「人生とは、行ったことに対して結果が生じる。このことの連続ですから。今の話は、神崎君が関わらない彼女の人生において、もし、彼女がその道を今、選択したらという話です。今のところそれはありえませんが」

「俺が話したら、彼女の人生は変わるのか?」

「当然でしょう」

「じゃあ、結論は最初っから出ているじゃないか」

 神崎には流行の微笑む姿が見えるようだった。

「それともう一つ大垣さんの件ですが、山東先生お引き受けになりました」

「えっ・・・あの先生名古屋だろ?」

「大垣さん、そこそこ才能はお有りのようでした」

「大垣さんに会ったのか?」

「いえ、山東先生がそんな話をしてくれました」

 神崎も分かっていた。一つの作品だけを見て判断できないと言ったのは嘘であった。

 一つの作品だけで充分であった。残りの作品を見るのはあとどのくらい伸びるのか、伸びしろを見るためであることは十分理解していた。

「彼は成功するのか?」

「成功とは何を成功というのか、私にはよくわかりませんが、先生の指導があれば今の段階では少なくとも地方の公募では入選はするでしょう。先生もそのことは大垣さんに伝えています」

 神崎の中に黒い塊が触りと動いた。

 ―もしかしたら

「君は、俺の人生も当然分かっているのか?」

「当然です」

 神崎ののどがなる。

 が、それを流行は否定した。

「私がそれを話した瞬間に君の運命は変わります」

「結局、同じじゃないか」

「そういうことです」

 欲望が一瞬で砕け散った。

 だが・・・

「じゃあ、志方先生の件は?」

「生前柏木画伯から委託されていました。私は仲介役を承っただけです」

 ―やっぱりそう言うよな。

 流行の心が見えなかった。

 車は六枚町の道路を走っていた。もう少しで流行の画廊に到着する。

「山東先生は分かっていました」

 流行が思い出すように言う。

「篠田さんには才能がある、と。先生は時代と才能がかみ合う時を掴むことができる陶芸家です。それは芸術家とは少し違うかもしれませんが」

 車は画廊の前に止まった。

「今日はありがとうございました」

 そう言って流行は画廊の中に消えた。


 その日の夜、神崎は久しぶりに父親に電話をかけた。

 短いコール音の後、聞きなれた声が耳に届く。

「どうした」

 出だしはいつも同じだった。

「こっちで絵の勉強をする先生に、進学を勧められた」

 重い神崎の話の内容に、落ち着いた父親の返事が返ってきた。

「やっと話してくれたな」

 そういえば、卒業後の進路について一度も両親に話をしなかった。就職が決まってからやっと実家に帰っていた。

 父親が何事もないように言葉を続ける。

「もうすぐお盆だ。今年は帰ってこい」

「うん」

 電話は向こうから切っていた。

 去年は卒業制作を理由に夏休み一度も実家には帰らなかった。

 父親に相談すれば、必ず進学を勧めることは分かっていた。

 分かっていながら今回神崎が父親に連絡を入れたのは、やはり篠田に対する流行の言葉だったのかしれなかった。

 ―もし、今陶芸の道を選べば、陶芸作家として人生を終えます。

 その台詞に何の保証もない。

 彼女の人生である。

 そして最後に見た篠田のあの表情。

 このままいけば、正式に中学校の先生になれることに対する羨望のまなざしであった。

 それは、自ら選択した人生に後悔した結果であった。

 その時あのくすんだ緑色の陶器の人形を思い出す。

 本当に彼女の陶芸家を志したことは無駄だったのだろうかと思った。

 神崎は後悔する人生を選びたくなかった。

 まだ彼は二十三歳である。

 若かった。


 それから数日後、神崎が下宿へ戻り、いつものように一階で先生に挨拶をした時だった。

「ちょっと」

 直井が神崎を呼び留め、奥へと招き入れた。

 神崎は少々いぶかしんだが、立ち上がり先生の前で正座をする。

 直井は染めの作業をしたまま、顔をあげなかった。

「先日の大垣さんの件だが」

 大垣さん?―ああ、あの大垣さん。

 神崎の中ではすっかり忘れていた人間だった。

「すまなかった」

 いきなり直井が謝罪の言葉を発した。

「何を、ですか?」

 業者と直井の間ではそんな悪口を言っていた記憶はなかった。

 そんな神崎の気持ちを察しているのかどうか分からないが、直井は話を続ける。

「友禅の世界は見ての通り毎日同じことの繰り返しだ。同じ柄に同じ色を塗る。それを何十回、何百回と繰り返す。わしらにとって大切なことは、その色を毎回同じに作り出し、同じように染めることなんじゃ・・・ま、少しずつは変えてはいるがな」

 神崎は直井が何を言いたいのか分からない。

 直井が話を続ける。

「確かに、効率だけを考えたら、色見本を作ったら、機械で調合をすればいいかもしれん。デザイン画を作ったらあとはすべて機械がプリントすれば出来上がる時代だ。だがな。この毎回同じことを繰り返し、同じものを作り出す中でわしらは新しいものを生み出しとる。わしは、作家である前に、職人だと思っとる」

 ―それは九谷の世界でも同じだ。

 直井が言葉にしない台詞が神崎の耳に聞こえた。

「作家さんか」

 あの時、直井がぽつりとつぶやいた言葉が蘇った。

 大垣にも陶芸としての才能があることは九谷の作家たちも当然分かっていたことだろう。

 分かっていながら、すべての作家が指導を断ったのは、彼が、大垣が職人ではなく、作家を目指していたことに対する、嫉妬であり、羨望であったかもしれないのだ。

「許してもらえないだろうか」

 直井が筆を止め、顔を上げる。

「許すも何も、僕は大垣さんとは何も関りはないので・・・・」

 だが、この状況では自室に戻れる雰囲気ではなかった。

「そうだな・・・・」

 神崎の体が後ろへのぞける姿を見て直井は横の庭に視線を移した。

 七月の中旬。

 中学校では夏休みが近づいていた。


  完






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