第9話【毒花の葬送、あるいは地獄の同僚】
「——はい、本日も定例ライブ、お疲れ様でしたー……とはいかないようですね」
トランポの後部座席で、美咲は重い溜息をついた。
手元のタブレットには、無機質な災害情報が並んでいる。
第九地区の山間部で観測された、局地的な『ヴォイドハウリング』。
その余波で大規模な土砂崩れ。集落が飲み込まれた。
せっかくの定例ライブは、開演30分で中断。
ファンたちの落胆した顔が、まだ目に焼き付いている。
「残念でしたね。 ファンの方、ガッカリしてましたよ」
「……客寄せパンダをやるくらいなら、まだ泥遊びの方がマシよ」
向かいの席で、湊がギターの弦を神経質そうに調整しながら吐き捨てる。
その言葉には、華やかなステージへの未練など微塵もない。
美咲はふと、防弾ガラス越しに流れる荒廃した景色に目をやった。
——彼女たちは、『動物園の猛獣』ね——
いや確かに同じくらい凶暴なんだけど、今回は比喩だよ。
大衆は安全な檻の外から「可愛い」「かっこいい」と歓声を上げる。
けれど、決して檻の中には入ろうとしない。
血を流し、心を削って戦う彼女達の心には、誰も近づこうとしない。
美咲は、タブレットを握る手に力を込めた。
——せめて私だけは、この檻の中の声を記録しよう——
その孤独を知った人間として。
「ライブは一期一会。 今日を楽しむだけ」
万里がドラムスティックを指先で回しながら、低く呟く。
相変わらず、達観しすぎた哲学。
実年齢何歳なのかしら? いや怖くて聞けないけど。
「さっすが万里ちゃん。 言うことがロックだねぇ! 痺れるぅ!」
助手席の響が、能天気に合いの手を入れる。
いつもの軽口。 いつものふざけた態度。
だが、バックミラー越しに見えた——
運転手の『ポルタ』隊員と視線を交わすその目は、笑っていなかった。
「……おいペダル、少し急いでくれ。マージン削っていいぞ」
「了解、コンダクター。 アレグロで行く。 舌を噛むなよ」
ペダルがギアを上げる。 装甲車が唸りを上げて加速した。
「美咲ちゃん、データ更新。 急いで」
響が美咲の方を振り向かずに指示を飛ばす。
「え?」
「この現場、波長が変だ……先客がいるかもしれん」
響の声色が、スッと温度を下げる。
美咲の背筋に、冷たいものが走った。
***
現場は、地獄の釜の蓋が開いたような有様だった。
ヴォイドハウリング特有の不快な低周波振動で、飴細工のように崩落した斜面と、半ば埋もれた家屋。
本来なら、そこかしこから救助を求める声や、苦痛に歪むノイズの断末魔が響き渡っているはずだ。
だが——聞こえない。
人の声も不協和音に軋む音も、プツリと途絶えている。
あるのは風が瓦礫を撫でる音と、乾いた土砂が崩れ落ちる音だけ。
「……静かすぎる」
車を降りた美咲が、思わず身震いをしたその時だった。
風が変わった。 フワリと。
「……音楽?」
圧倒的な死の静寂を切り裂くように、優雅で冷徹な旋律が流れてきた。
静かで美しいクラシック音楽。
それは、まるで死者への手向けのような——
美咲が顔を上げる。
瓦礫の山頂。 土砂崩れの爪痕が残る斜面の上。
そこに、黒いゴシック調の衣装を纏った二つの人影が立っていた。
1人は喪服のような黒いドレスを纏った女性。
その美貌は、棺に横たわる死者のように冷たい。
もう1人はチェロのような大型の楽器を構えた、線の細い少年。
その周囲だけ——不自然なほどに静寂が保たれている。
「あれって……まさか……!」
美咲の声が震える。 資料で見た。
シントニアが指名手配している、最悪のテロリスト集団——
「『ヘムロック』の実働部隊——」
美咲の声に続くように、湊が低く呟く。
「『ベラドンナ』……!」
第九メンバーが即座に楽器を構えた。
硬質な音が響く。
張り詰める空気。 まさに一触即発。
「——遅いよ、第九。 こっちのエリアはもう『終わった』わ」
黒髪の女性が、冷ややかに笑った。
その視線は、真っ直ぐに千紗を射抜いている。
黒衣の女の足元には、数体の遺体。
泥にまみれているが、表情に苦悶の色はない。
ゆりかごの中で眠る赤子のように、穏やかな顔で息絶えている。
その傍らには、一輪の花。
「苦しむことなく、静かに眠らせてあげた。
……あなたたちの到着を待っていたら、地獄の苦しみを味わうところだったもの」
その言葉に、棘が含まれる。
自分たちこそが正義であり、お前たちは遅すぎたのだと——
「……ッ」
湊がギターを握る手に力を込めた。
だが、響は動じない。
怒るでもなく、悲しむでもなく、やれやれといった様子で肩をすくめた。
「……仕事が早いねぇ。さすがプロだ」
「なっ……!?」
美咲は耳を疑った。 敵を褒めてどうするんですか!
「で、そっちのエリアは? まだ『客』は残ってる?」
響の問いかけに、少年が淡々と答える。
「奥の公民館に数名。まだ自我がある。Dランク相当。
……僕らがやるには、まだ『早すぎる』」
パン、と響が手を叩いた。
「オーケー。 なら、そこは俺たちのステージだ——邪魔すんなよ?」
「ええ。せいぜい延命させてあげなさい。
……それが彼らにとって幸福かは分からないけれど」
黒い女がフイと視線を逸らす。
響はニヤリと笑うと、部隊に向かって指を鳴らした。
「聞いたな! 公民館へ急行!
お掃除は終わってる。 俺たちはファンサに専念するぞ!
ゴーハモ!」
「「Break a leg!」」
第九メンバーがベラドンナに背を向け、一斉に走り出す。
美咲は呆然と立ち尽くした。
「え、えぇ……? 戦わないんですか……?」
あと掛け声を端折りすぎじゃないですかねぇ?
敵対しているはずの二つの組織。
片や生を掲げるアイドル。
片や死を与えるテロリスト。
水と油のはずなのに——
——なんで、こんなに連携が取れているの!?——
目を見張る程の阿吽の呼吸。
そこには、奇妙なほど強固な『プロ同士の信頼』があった。
***
「状況開始! 湊、カレン、前衛! リリィ、情報解析急げ!」
響の指示が飛ぶ。
第九部隊が公民館へ突入。 瓦礫の撤去と救助活動を開始する。
一方、ベラドンナの二人も撤収しなかった。
高台から動かず、静かな声と、チェロが重厚な低音を奏で続けている。
その音が周囲の空間に漂う破壊の残響を相殺。
新たな崩落や二次災害を防いでいる。
「ラッキー。 あいつらが周りのおかげで、救助に集中できる」
響が瓦礫をどかしながら、独り言のように呟く。
——この人、本当に肝が据わっているというか、図太いというか——
作業が一段落した合間。
真凜とリリィが、少年の方へ詰め寄っているのが見えた。
戦闘か!? と美咲が身構えたが——
「透くん、そのアンプの出力設定を伺っても?
低音のカット率が、レティエの純正より効率良さそうですが?」
真凜が真剣な顔で質問している。
少年——如月 透が少し驚いたように目を見開いた。
「……! 分かりますか?
独自に回路をバイパスして、可聴域ギリギリを削ってるんです」
「興味深いです。
図面を見せたらひなたが悔しがりそうだと、リリィは思います」
リリィがタブレットを構え、興味津々といった様子で機材を撮影し始めた。
「……等価交換なら」
透がボソリと呟く。
すると、真凜とリリィが同時に振り返った。
「「パパ〜」」
「へいへい。 自家製たんぽぽコーヒーと、万里特製サンドイッチでどう?
今度ピクニック行こうぜぇ」
いつの間にか響が現れ、バスケットを掲げるジェスチャー。
「……交渉成立だね」
透がコクリと頷く。
ヲタトーク! 圧倒的なヲタトーーーーーク!!
最初の一触即発の雰囲気は何だったんですかぁ!?
「敵ですよね!? なんで技術交流してるんですか!
ていうかピクニックって何!?」
美咲のツッコミが山間に虚しく響く。
緊張感どこ? 誰の隣で寝てるの?
やっぱり、ヤベェ奴同士は惹かれ合う運命にあるのだろうか?
一方、千紗は黒服の女性とすれ違いざま、小声で言葉を交わしていた。
「……顔色が悪いよ、玲ちゃん。 ちゃんと寝てる?
やっぱり義兄さんが言うよに、うちの基地に引っ越したら?」
「余計なお世話。 あと仕事中は『アトロポス』って呼びなさい。
……あんたこそ、喉の調子悪そう。 無茶なシャウトばっかり出すからよ 」
アトロポス——如月 玲がツンと顔を背ける。
言葉は刺々しい。 けれどその声色には——
歌い手として命を削る者同士にしか分からない、微かな労わりが滲んでいた。
「それに——」
玲が足を止め、背中越しの響へ視線を流す。
そこでは、響が透に詰め寄っている最中だった。
あの男、少年まで口説いてるのか? 私の新しい扉が開きそう。
「貴女のお義兄さん、相変わらずね。
軽薄で浮気性。 支援制度を盾に、弱者のノイズに手を出すクズ」
玲は一度言葉を区切り、ふっと息を吐く。
その表情は、背中越しの千紗からは見えない。 勿論美咲にも。
にしてもボロクソな評価ね。
「……そんな嘘、『感情が聞こえる』私たちには通じないのに」
響の軽薄な言葉の裏にある、重苦しいほどの焦燥と愛情。
それを隠すためのクズという演技。
ノイズである彼女たちには、その不協和音が痛いほど聞こえている。
「それが、義兄さんの良いところですから」
千紗の声が、鈴を転がすように響く。
その鈴の音が——氷のように凍てついた。
「ところで玲ちゃん。義兄さんの悪口は許しませんよ。
……死にたいんですか?」
ゴオッ、と千紗の周囲の大気が振動する。 本気の殺気。
呼吸がつまりそうなほどの濃密な気配。
見てるこっちが死にそうなんで、やめてほしいデス。
「……貴女も相変わらずね」
玲は肩をすくめると、ヒラリと手を振って歩き出した。
***
「ありがとう! ありがとう!」
救助された生存者たちが、涙ながらに第九メンバーの手を握る。
泥だらけになりながら、笑顔で応えるメンバーたち。
まさしく『希望の光景』。
それを遠くから見つめるベラドンナの二人。
彼らに感謝の声が向けられることはない。
彼らが救った人々は、もう感謝の言葉を口にできないから。
「……今回は譲ってあげる」
玲が、背を向けたまま呟いた。
「でも、もし彼らが『境界』を超えたら、次は私たちが迎えに行くわ」
「渡さないよ」
千紗が真っ直ぐに玲の背中を見つめて返す。
「絶対に、お婆ちゃんになるまで生かしてみせる」
「……ふふ、せいぜい抗いなさい」
玲が小さく笑う。
ベラドンナの姿は、傾き始めた太陽の陰へと消えていった。
***
帰りのトランポの中。
美咲は、玲の残した言葉を反芻していた。
——感情が聞こえる——
その意味を、美咲は恐る恐る口にした。
「あの〜……さっき玲さんが言ってたことなんですけどぉ……。
ノイズの方って〜……その〜……感情が音として聞こえるんですか?」
カレンが「あ?」と面倒くさそうに片目を開けた。
「何よ今更。
怒りは重低音、悲しみは中音域の濁り。
嘘ついてる時は割れが混ざる。
常識でしょ?」
カレンがあっけらかんと言う。
美咲の顔から、サーッと血の気が引いた。
なん……だと……!?
「じゃ、じゃあ私の……スパイ任務とか、本音とか……」
「バリバリ聞こえてたよ? 顔では笑って、心の中は雑音だらけだったね」
「ひっ……!」
美咲が悲鳴を上げる。
まさか最初から、全部バレていたなんて。
「へっへっへ、うまく取り入ったぜ」と思っていたのは自分だけ。
第九のメンバーからすれば、「なんか下手くそな演技をするピエロが囀ってるなぁ」程度にしか見えていなかった。
——教えとけよ! 恨むぞ三区ゥゥゥ!!——
美咲は心の中で絶叫した。
ノイズの特性として教本に載せるべき重要事項だ。
それを教えなかったということは、つまり——
「どうせ響が手を出して、なぁなぁになるとでも思ってたんじゃない?」
カレンが意地悪くニヤリと笑う。
所詮は美咲のような小娘一人。 スパイとしての機能に期待はしない。
ただ、響の女好きという弱点に漬け込んで籠絡されれば、それはそれで御の字。
本部はそう考えていたのだ。
「あの狸親父ども……!」
美咲がギリリと歯を噛み締めると、響が心外そうに声を上げた。
「失礼だよなぁ。 俺にも選ぶ権利はあるんだが?」
「あ? どういう意味だ。 56すぞ」
美咲の口から、第九地区スラングが自然と飛び出す。
ドスの効いたその声に、響が「おっ怖」と肩をすくめた。
「……ま、今は『本心』でここにいるってことは、みんな分かってるよ。
今の美咲ちゃんの音は、すごく綺麗だからな」
響が窓の外を見ながら、ポツリと言った。
その言葉に、美咲の怒りが少しだけ毒気を抜かれる。
「……ふん。 調子のいいことばっかり」
美咲は腕を組み、シートに深く体を沈めた。 その表情は満更でもない。
ふと、美咲は違和感を覚えた。
今の会話、何かがおかしかった——
だが結局、美咲はずっと胸に引っかかる、もう一つの疑問を優先することにした。
「……彼らは人殺しなんですよね?」
美咲の質問に、響は窓の外の闇を見つめたまま答える。
「法の理屈じゃな。 実際は『葬儀屋』みたいなもんだ」
響の目が、遠くを見るように細められる。
それは、あの痛ましい記憶を反芻している目だ。
「災害になる恐怖を抱えて生きるなら、人のまま死にたい。
そう願う奴らにとって、あいつらは間違いなく『救い』なんだよ」
美咲の背筋が寒くなる。
心を壊され、白い部屋で腐っていくのを待つ日々。
ファイルで見た、虚ろな目の人々。
『処理済』のスタンプ。
管理された死——緩慢な殺人。
ベラドンナの行為は、倫理的には悪だ。
でも、あのホスピスの管理よりは、慈悲があるのかもしれない。
その事実に、美咲は戦慄した。
「生きるか死ぬか。 それは本人の決めることだ。
でもノイズのみんなには、出来るだけ生きる方がマシだって思ってほしい」
響がポツリと呟く。
「……えっ、私たち一般人は?」
「知らん。 自分で生きる意味を探せ。 俺みたいに推しでも作ったら?」
——こいつ、つくづく推し以外に興味ない奴だな——
美咲は半眼になりながら、後部座席で千紗の頭を撫で回している響を睨む。
わざわざ後ろの席に移動してまでデレデレしすぎだ。
エコ贔屓してると他のメンバーが怒るぞ。 特にカレンとか。
あ、湊とリリィが脛を蹴り飛ばした。 言わんこっちゃない。 ザマァ。
「……以前おっしゃっていた、『ベラドンナが悪役っぽくて推し』って、こういうことだったんですね」
「そう言うこと。 俺はシャ◯ームーンやDr.キ◯コも好きになる人間なんでね。
信念のある悪役は、下手なヒーローより輝いてるもんだ」
「ちゃんと伏字使ってくださいね。 マジで」
呆れながらも、美咲は響の横顔を見つめた。
この男は、善悪の彼岸を超えた場所で、ただひたすら推しのために戦っている。
その歪な純粋さが、今は少しだけ頼もしく思えた。
「それにしても、どうやってテロリストと仲良くなったんですか?
さっきの阿吽の呼吸、初めて会った感じじゃありませんでしたよ」
美咲が何気なく尋ねると、車内の温度が一段下がった気がした。
響の目が、すっと細められる。
——また地雷踏んじゃった♩ マインスィーパーはやらない方が良いかも☆——
美咲が脳内で冷や汗をかいていると、響が静かに口を開いた。
「ヒントは、ちゃんミサキが第九に来た原因だよ」
「私が第九に来た原因……あっ!?」
美咲の脳裏に、任務のきっかけとなった報告書の内容が蘇る。
『Aランク制圧』の調査。
そして、報告書には書かれていなかった——
『Bランクへの異常な処置』の噂。
響がこの部隊に来てから続く、隠された事件の数々。
響がニッコリと笑う。
その笑顔は、いつもの軽薄なものではなく——
どこか、泣き出しそうなほどに優しかった。
「美咲ちゃん、次回も超弩級のシリアス回だからさ。
過去回想には絶対に介入しないでね。 絶対だよ?」
「フリですか!? 前回のシリアスから、まだ1話しか挟んでないんですけど!?」
美咲の絶叫を乗せて、ポルタ隊員の運転するトランポは闇夜を駆け抜けていく。
向かう先は、全ての始まりとなる——過去の記憶。




