第4話【ステージ、あるいは推し活の現場】
「——では、お疲れ様でした」
美咲は持っていたマグカップをテーブルへ戻す。
そしてにっこり微笑み、立ち上がった。
「おいおい、せっかくリクエストに応えたのに冷たくない?」
「……壮大な妄想話なんて頼んでませんけど?」
呆れつつも、再度ソファに腰掛ける美咲。
推しの歌声で前世の記憶が蘇り、あまりの尊さに白目を剥いてカニになった男の話。
これを「感動秘話ですね!」と信じるほど、脳内お花畑ではない。 そもそもカニて。
しかし響は、ニヤリと人を食ったような笑みを浮かべて即答した。
「のんのん、全部マジだよ。俺が美女に嘘つくと思う?」
——いや、普通に息をするように嘘つきそうだけど——
美咲はジト目で睨むが、響はどこ吹く風だ。
「信じるか信じないかはあなた次第」と肩をすくめるその態度は軽薄そのもの。
でも、その瞳の奥。
ふとした瞬間に覗く色が、ここではないどこか遠く——
あるいは未来を見据えているようで、美咲は完全には否定しきれずにいた。
『——————!!』
基地内に、耳をつんざくような不協和音のサイレンが鳴り響いた。
空気がビリビリと振動し、不快な重低音が腹の底に響く。
ヴォイドハウリングの予兆警報だ。
『——W2発生予兆確認。地点、第九地区居住区Dブロック』
天井のスピーカーから冷静な、しかし神経質そうな声が流れる。
その声音だけで、美咲の身体にゾクリと力が入った。
部屋の空気が——凍りついた。
「仕事か」
響の声から、軽薄な色が完全に消え失せる。
そこにあるのは、的確かつ冷徹な、コンダクター。
スイッチの切り替えが早すぎて、まったくついていけないんですが。
「真凜、状況を報告」
「すでに『ポルタ』にはトランポを手配済みです。
30分ほどで到着予定なので、パケの準備を進めています」
え、いつ現れたの?
美咲は驚愕に目を見開いた。
さっきまで確実に、この部屋には響と二人っきりだったはずだ。
いつの間にか背後に立っていた真凜は、涼しい顔でタブレットを操作している。
あれ、冷静に考えたらこんな変態と二人きりって、だいぶやばかったな。
そんな美咲の危機感などお構いなしに、2人の会話は続く。
「リハは終わりだ。 セトリは2日目。 客席へのおさわりは御法度だ」
響がクルリとカーテンコールを回し、ホルスターに収めた。
そして、軽く首を鳴らすと——悪戯小僧のような笑みを浮かべる。
「それじゃ、ショータイムといこうか」
それに合わせて、真凜も毒蛇のような笑みを浮かべた。
いや、こいつら人相悪いなぁ。
***
トランポに揺られ、現場へと急行する車内は静寂に包まれていた——
わけがなかった。
「まったく。 今から万里のコンポートを肴に、湊のコーヒーをひっかけようとしてたってのに」
「お茶請けのこと肴っていうのやめません?」
「湊、カレンさんはコーヒーにお酒を入れているので、そんなに齟齬はないですよ」
「酒にタバコにギャンブルにセッ。 カレンさんはロックの体現者だと、リリィは思います」
「ふっ、そんなに褒めるなよ」
「誰も褒めてはないな」
きゃっきゃ、きゃっきゃ。
これから災害現場に向かうとは思えない、女子校の部室のような空気。
そんな中に美咲も「記録係」として無理やり押し込められた。
慣れない雰囲気に、胃の中身が逆流しそうなほどの緊張感。
生きた心地がしなかった。
「あの〜、私がついていく意味ってあります?」
「……あんた、自分が広報って建前で来てること忘れてない?」
カレンの呆れ声が、美咲の胸を貫く。 正論。 圧倒的正論。
しかも「建前」とか言われている。
つまりこの野犬(一部狂犬)たちに、自分がスパイだとバレているということだ。
——もしや私、ついでに被災現場に遺棄されるのでは?——
『器物』として『損壊』した自分が、混乱のドサクサに紛れて『遺棄』される。
そんなシャレにならない未来予想図を想像し、美咲の顔がサァーッと青ざめていく。
隣に座る狂犬——もとい千紗が、まだ祈るように目を閉じているのが、唯一の救いに思えた。
カタン、と車体が大きく揺れる。
運転席から、若い男の声が飛んできた。
「コンダクター、メトロは予定通り。 箱揺れはまだ弱いようだ」
「サンキュー轟。 さすがプリモのペダル。 グンバツのハンドリングだったぜ」
響が親指を立てて応える。 いや誰? まずは紹介が欲しいんですが。
美咲には誰で何を言っているのかさっぱりだったが、車内の空気がわずかに緩んだ気がした。
「さて——現着だ。 総員、ファンサの時間だぞ」
響の号令と共に、ハッチが開く。
***
到着した現場は、地獄の一歩手前だった。 もう少しで自分に直撃だが。 ツライ。
ヴォイドハウリングの余波でひしゃげたビル群。 崩落した高架橋。
空間そのものが軋むような不快な振動音。
瓦礫の下から微かに聞こえる呻き声と、助けを求める悲鳴。
「これが、災害……」
資料映像でしか見たことのない惨状。
美咲が恐怖に足をすくませる、その横で。
「いやぁ見事な曇天で絶好のライブ日和。 まさに死ぬには良い日だ!」
鉛色の空を見上げ、響は芝居がかった仕草で両手を広げた。
あまりに場違いで軽薄な態度。
「どこがよ。 目が腐ってんの?」
隣でギター型のチューニングをしていた湊が吐き捨てる。
「私は息子が大人になるまで生きるつもりだけど?
死ぬなら一人で死んでね」
タバコを踏み消すカレンが、紫煙を吐き出しながら返す。
リリィは無言で響のすねを蹴飛ばしていた。
「みんな辛辣ぅ」
響はケラケラと笑いながら手を振る。
その軽口とは裏腹に、瞳の色は鋭く、現場の状況を一瞬で見切っていた。
「予定通りセトリは2日目。
アンコールなしで頼むよ。 残業したくないし」
「それは箱揺れ次第ですね」
「きっちりパフォーマンスして、さっさとバラせばいいだけ」
不敵に笑う真凜と万里が、周囲の酸素が薄くなったような圧迫感を放っている。
響もニヤリと口角を上げ、手にした『カーテンコール』を指揮棒のように鋭く振るった。
「違いない——それじゃ、開演といこうか」
カチリ。中折れ式の銃身を開く音が、被災地の空気に鋭く響く。
響は懐から一発の『コーダ弾』を取り出して装填すると、パチンと銃を戻した。
その銃口を天へと向けて目を瞑り、冷たい銃身に静かに額を押し付ける。
「————」
まるで神に祈るような姿。
周囲の不協和音さえ消え失せたかのような静謐さに、美咲は思わず息を呑んだ。
さっきまでのチャラついた男と、同一人物とはとても思えない。
暫しの静寂。
再び両目を開けた響の顔には、普段の軽薄さが想像できないほどの、冷徹な鋭利さが宿っていた。
「明日に笑うため、存分に今日を謳歌しようか。
——Get Ready, set, all session.」
響の低い号令がインカムに響く。
瞬間、第九部隊の全員がプロフェッショナルの目をして咆哮した。
「「Loud and Clear, Conductor!!」」
「Go Harmonic!」
「「Yeah! Break a leg!!」」
轟音と共に、彼女たちが瓦礫の山——ステージへと飛び出す。
湊のギターが唸りを上げ、道を塞ぐ鉄骨を豆腐のように切り裂く。
万里のドラムが衝撃波を放ち、崩れかけた壁を吹き飛ばして退路を拓く。
カレンのベースが重低音の防壁を展開し、再崩落から要救助者を守り抜く。
その姿は、鳥肌が立つほどにカッコよくて——
***
「はいというわけで、お疲れ様でしたぁ♪」
「……は?」
美咲の口から、間の抜けた声が漏れる。
え、嘘でしょ?
あの最高にカッコいい号令は?
魂を震わせるような決死の救助劇は?
まさか、全カット!?
美咲は瓦礫の隅にへたり込んだ。
耳の奥ではまだ削岩音のようなノイズが鳴り響き、足の震えが止まらない。
W2級災害。小規模とはいえ、空間そのものが軋むようなハウリングは、一般人である美咲の体力を容赦なく削り取っていった。
(死ぬ……絶対寿命縮んだ……)
対して、第九部隊の面々は軽いジョギングでも終えたかのような涼しい顔。
泥だらけの機材を片付けながら、「帰ったらシャワー順どうする?」「私先がいい」などと、女子高生のような会話を繰り広げている。
「あー今日もハウらなくて助かったぁ」
「客席も無事だったし、いいパフォーマンスができて良かった」
「リリィのサポートが完璧だったからな。ナイスプレイだ」
「リリィは最低限の仕事をしただけです」
悪くない、という空気。
それが美咲には信じられなかった。
「おーい、生きてるかぁ?」
頭上から降ってきた軽薄な声。
顔を上げると、響がニヤニヤしながらスポーツドリンクを差し出していた。
「……篠崎、コンダクター……みなさん、なんでそんな平気なんですか……」
「ん? ああ、今日は比較的ピースフルだったからな」
響は肩をすくめ、ヘロヘロの美咲を見下ろして笑った。
「おいおいちゃんミサキ、今日は観客もあんまハウってないし、だいぶ楽な方だぜ?
こんなんでへばってちゃ、現場じゃやってけないぞ〜?」
「は、ハウってない……? これで、楽……?」
美咲の抗議の視線などどこ吹く風。
「いやぁにしてもみんな、今日もいいバイブスだった!
特にラストのサビ、湊のギターソロが最高にエモかった!!」
そう言って笑う響の顔は、先ほどまでの指揮官の顔ではない。
どこにでもいる青年のそれだった。
だからこそ、美咲は理解させられてしまった。
この「楽な現場」が、一般人にとっては地獄。
そして彼女たちがその地獄を「日常」として生きていることを。
——なのに、全カットなんだよなぁ——
万里が肩を回しながら、ひしゃげた鉄塊のようなドラムスティックを背中のホルダーに収める。
リリィは涼しい顔でキーボードのログを保存し、パタンとPCを閉じた。
カレンに至っては、すでに新しいタバコに火をつけて紫煙をくゆらせている。
粉塵舞う瓦礫の山に立つ彼女たちの姿は、雲間から差し込む夕陽の逆光を浴びて、キラキラと神々しく輝いていた。
泥と汗に塗れた直後だというのに、その姿はまるで——
——ライブ終わりの、アイドルじゃん。キラキラしててドキドキするぅ——
汗を拭う仕草さえ絵になる。 やってたことはユンボなのに。
達成感に満ちた横顔が、憎らしいほど美しい。
救助作業の過程も、その後の悲しい『処置』も——
そこには確かに「希望」があった。
「さて、記者さん。
これにて本日の公演は終了。 予定通りアンコールは無しだ」
響がクルクルとカーテンコールを指先で回す。
そして呆然と立ち尽くす美咲に向かって、悪戯小僧のようにウィンクしてみせた。
「どう? うちの推したち、最高に輝いていただろ?」
その顔。 さっきの冷徹な指揮官の顔じゃない。
尊いものを見て語彙力を失った「限界オタク」の、とろけそうな満面の笑み。
いやそれはそうだけど、肝心なところ全カットなんですけど!?
美咲の心の中の絶叫は、誰に届くこともなく、夕焼けの空へと虚しく消えていった。
そんな時だった。
「あ、あの……」
瓦礫の影から、一人の少女がおずおずと出てきた。
助け出された住民の一人だろう。 その手には、泥で汚れた花が一輪握られている。
きっと、命を救ってくれた「アイドル」たちへのお礼に違いない。
美咲は心が温かくなるのを感じた。
——ああ、やっぱり彼女たちは希望なのだと。
「こら! 離れなさい!」
血相を変えた母親らしき女性が飛び出してきて、少女の手を乱暴に引いた。
そして、まるで汚いものを見るような目で第九部隊のメンバーを一瞥。
逃げるように背を向けた。
「すみません、すみません……! 行くわよ、あんな人たちに近づいちゃダメ!」
「でも、お姉ちゃんたちが……」
「シッ! 見ちゃダメ!」
遠ざかる親子。
少女が落とした花が、泥水の中にぽつりと残された。
「…………」
第九部隊の誰も、何も言わなかった。
傷ついた様子もない。 怒る様子もない。
ただ、「いつものことだ」とでも言うように、淡々と撤収作業を続けている。
美咲だけが、胸をえぐられるような違和感に立ち尽くしていた。
命がけで助け出したのに。
あんなに神々しかったのに。
「……なんで」
漏れた言葉を拾う者は、誰もいない。 ただ一人、響を除いて。
彼は泥にまみれた花を拾い上げると、土を払って胸ポケットに差した。
「観客がパフォーマンスにシビアなのは、いつものことさ」
響は寂しそうに、けれどどこか愛おしそうに笑った。
「——でもさ、美咲ちゃん」
響は夕陽を背に、小さく肩をすくめる。
「『ありがとう』が聞きたくて、俺たちはステージに立ってるわけじゃない。
ただ、明日もあの子たちが笑っていてくれれば——それで十分なんだよ」
その背中が、先ほどのオタク全開の姿とは違って、ひどく大きく、そして孤独に見えた。
「はいそれじゃ撤収撤収〜。帰るまでがライブですよ〜。
居残り、迷子、落としものは『ポルタ』に任せて、我々は打ち上げで〜す」
響が手を叩いて場を切り替える。
第九のメンバーたちが、「了解〜」と軽い声で応える。
その何気ない日常が——
美咲には、どこまでも眩しく、そして切なく映った。




