第27話【契約、あるいは亡霊の処方箋】
会議室の空気は、張り詰めていた。
深海の中のような息苦しさに、美咲の喉が鳴る。
二つの勢力は、長机を挟んで向かい合っていた。
片方には、響を筆頭にした第九の面々。 因みに、カレンは健診中です。
もう片方には、錬達率いる七区の代表団。
たった数メートルの距離。 だが、両区の間には断崖のような隔たりがある。
美咲は、響の斜め後ろに立っていた。
パシリ兼書記兼オブザーバー。 あまりに謎すぎるポジション。
正直、自分がここにいる意味が分からない。
だが、響に「お前の感想が欲しい」と言われては、断る事もできない。
「それじゃ、改めて条件を確認しよっか」
響が口を開いた。 普段の通り軽薄な口調。 だが、その声は冷静で、冷徹。
美咲は、思わずその横顔に見入っていた。
いつもの女好きでちゃらんぽらんな男ではない。 第九部隊を率いる指揮官の顔。
——いつもこの調子なら、私も——
美咲は緊張から、つい関係ない方向へ思考が引っ張られてしまう。
いかん、敵の高度な情報戦だ。 こんな明からさまなギャップには屈しない!
「七区が求めているのは、土壌改良技術の供与と、変換炉の製造ライセンス。
間違いないかな?」
「ああ。 そいで、そっちの条件は?」
錬達が腕を組みながら、強く頷く。 その目は変わらず、鋭い光を帯びている。
その力強い眼光に、美咲がビビる中、響は平然と人差し指を立てた。
「七区の物流ルートの使用権と、情報の相互共有。
中央を介さない、辺境間のネットワーク構築が俺たちの目的だ」
響の言に、錬達は眉をピクリと動かし、顎に手を当てた。
「……随分と大きく出たもんじゃな。 辺境同盟でも作るつもりか?」
「同盟なんて大層なもんじゃない。 ただ、商売相手がほしいだけさ」
響が肩をすくめた。
煙に巻いてはいるが、その目は一欠片も笑っていない。
七区のメンバーの中に、ノイズ介在の有無はは判別不能だ。
全員が一般人かもしれないし、全員がノイズかもしれない。
心の音を聞かれているかもしれない。
その状況が、異様な緊張感を生んでいる。
美咲の背中に、冷たい汗が流れ落ちた。
補佐から耳打ちを受けた錬達が、テーブルに手をつく。
「わしらは、対等な立場での取引を望む。
技術供与の条件として、制御権を渡せ」
「制御権? いったい何のことだ?」
「とぼけるなや、リュカオン」
眉を上げて恍ける響に、錬達の双眼が、鋭く突き刺さる。 めっちゃこえぇ。
「三区に売った技術にも、お前ら何か仕込んどるじゃろ。 遠隔で止められるキルスイッチか、それに類するもんが。
七区にも同じことをするつもりじゃろうが」
美咲は、錬達の言葉に思わず息を呑んだ。
七区は、三区への技術売却の裏事情を知っている。
そして、響が何か保険を仕込んでいることも見抜いていた。
なぜ? どうやって? まさか弥生さんが?
チラリと、美咲は弥生へ目を向けた。
響の隣に座る彼女は、静かに前を見つめている。
美咲からは彼女のつむじしか見えないので、その表情は伺えない。
うをぉ、うなじが色っぽぉい。
九区メンバーの瞳が、美咲を射抜いた。
——家族を疑う奴がどうなるか……分かってんだろうな?——
明らかに、八つの目はそう語っていた。
ん? 目が一組分足りないって? 千紗は違うこと考えてるからね。
——義兄さんの邪魔をするなら、殺す——
千紗の瞳はそう語っていた。 限界まで見開かれた瞳には光がない。
ははっ、目で殺すってこういう事なんだろうね。 心臓が止まりそうデス。
「……なるほど。 よくお調べのようで」
「三区の連中が、ウチに泣きついてきたからのぉ。
『第九の技術を買ったら、首輪をつけられていた』とな」
鼻を鳴らす錬達に呼応するように、七区の面々が身を乗り出した。
ギラギラした、ナイフのような目が九区のメンバーへ突き立てられる。
その目は、当然ながら美咲にも向けられてる。 美咲は響に隠れた。
「俺たちは、お前らの飼い犬にはならん。 対等な取引がしたいんじゃ」
「対等? 技術を持ってるのはこっちだ。 交渉権があると思ってんの?」
響の声が、嘲りを帯びる。 お願いだから挑発しないで。
抗争でもおっ始めたいんですか?
「嫌なら一生ブロック齧って、セメントでも舐めてろ」
錬達は一度目を閉じ——ゆっくりと立ち上がった。
続くように、他のメンバーや護衛の大男も腰を浮かせる。
「貴様……足元見ようってのか」
同時に、第九側でも万里が立ち上がった。 その対面には、護衛の男。
時空が歪んでるのかな?という寸尺の二人が、無言で睨み合う。
机の上には、万里が用意した軽食が並んでいたが、今はそれを味わう余裕もない。
「これは保険だ。 まさか昨日今日知り合って、笑顔で信用してもらえるとでも?」
「ほぅ……じゃあ、こっちも本音で話そう」
一歩も引かない響に対し、錬達の目が細くなる。
そして、鋭かった声に冷たさが強く宿り始めた。
マジでドンパチが始まりそうで怖いんですけどぉ。
「お前さんとこの『ターミナル』、まだ万全には回復しとらんじゃろ?」
響の肩が、わずかに動いた。 美咲は、その変化を見逃さなかった。
錬達の唇が、獰猛な笑みを形作る。 心底悪そうな顔だ。 夢に出そう。
「ディストル積載定期便の突貫——海路はしばらく使いもんにならんじゃろ」
錬達が、テーブルに手をつきながら身を乗り出した。
獲物をいたぶる蛇のような気配が、彼の身から匂い立つ。
「となると、残された補給路——七区を経由せん陸路は、存在せんのぉ」
九区は、本州の南西側に位置し、海峡に隔てられている。 一区とは真逆だ。
北への陸路は、すべて七区の勢力圏を通過しなければならない。
海路が使えない今、七区との関係悪化は——文字通り、第九の孤立を意味する。
「ウチを敵に回したら、お前さんとこは干上がるぞ。
食料は自給できても、他の物資はどうする?
医療品、燃料、機械部品——全部、北から運ばにゃならんじゃろ」
錬達が、響を真っ直ぐに見据えた。
「……なるほどね。 喉笛に噛みついてきたな、多々良」
響が、ゆっくりと口を開いた。
纏う空気は、相変わらずだが、美咲には分かった。
錬達の指摘は、間違いなく九区の泣き所を突いている。
「商売人じゃからのぉ。 弱みを見せたら、そこを突くのは当然じゃ」
錬達が、ますます不敵に笑う。
「じゃが、勘違いするなよ。
敵対したいわけじゃない。対等な取引がしたいだけじゃ」
「つまり、お互いに首輪をつけ合え——そういうことか」
響が、椅子の背にもたれる。
さり気なく胸に触れようとしてきた気配を察し、美咲はその頭を叩き飛ばした。
「お前さんが制御権を握るなら、ウチにも相応の担保が要る。
物流ルートの独占使用権じゃ足りん。もっと——」
「金か?」
「いいや、技術者の派遣じゃ。 ウチの人間を、お前さんとこに常駐させる。
技術の習得と、監視を兼ねてな」
それは事実上、第九基地内にスパイを置くことを意味する。
響や静香やひなた、弥生、そしてもうこの世にいない前任のカナリア——
みんなが必死で作り上げた技術を、七区へ開示するという事だ。
「断る。 ウチの技術を丸裸にされてたまるか」
響の声は、冷たかった。 当然だろう。
『推し』の献身を踏みつける。 それは、響の最も嫌う行為だ。
「残念じゃのぅ。 じゃあ、交渉は決裂じゃな。
身内もいる事だし、陸路の封鎖はウチも本意じゃないが——」
錬達が、出口へと向かう。 七区のメンバーもそれに付き従った。
「待て……少し考える時間をくれ」
出口で振り返った錬達へ、響が手を上げ制止した。
「ほぅ。野犬のボスが、尻尾を巻くとは珍しいのぉ」
錬達の目が、わずかに細くなる。
自分たちの勝利を確信したような、そんな色が伺えた。
「巻いてねぇよ」
響が低く唸り、椅子を蹴飛ばすように立ち上がった。
その足が、錬達や七区の面々の元へと向かう。
美咲は、さり気なく自分の胸に伸びてきた手を抓った。
しつこい。 シリアスな雰囲気の時は、ちゃんとシリアスに徹しろ。
「即答できる条件じゃないってだけだ」
響は、抓られた手をさすりながら錬達と対峙する。
二人は、しばし静かに睨み合っていた。
空気が張り詰め、ピンと張った弦のような緊張が会議室を包んだ。
「……ええじゃろ。一週間待つ。それまでに答えを出せ」
錬達が、ため息をついた。 七区のメンバーたちも、苦々しい表情を浮かべる。
彼らの脳裏に浮かんでいるのは、昨夜と今朝の万里の料理だろう。
あの飯の暴力を思い出し、完全に敵対することを躊躇っているのだ。
目の前の軽食すら、容赦なく彼らの胃袋をぶん殴り続けている。
飯による懐柔は、卑怯なほどに効果抜群だった。
「弥生。 お前からも言ってくれ。 多々良のために」
錬達はため息を一つ溢すと、弥生へ視線を移した。
弥生は、沈黙したまま錬達を真っ直ぐに見つめている。
「俺たちは、血を分けた家族じゃろう。
七区のために——多々良のために、口添えしてくれんか?」
錬達の声には、かすかな懇願が滲んでいた。
彼女の心中は、察するに余りある。
血を分けた家族と、新しく見つけた居場所。
その狭間で、どれほど苦しんでいることか。
「……錬兄さん、覚えてる? 私が七区を出る時のことを」
弥生の静かな言葉に、錬達の表情がわずかに曇った。
「あの時、一族の誰も——私を止めなかった」
弥生の声は、淡々としていたが、その奥に——古い傷が膿み痛んでいる。
錬達は、答えなかった。 その沈黙が、すべてを物語っていた。
「それに、私は死んだの。 『多々良 弥生』として、一度死んで——」
席から立ち上がると、弥生が錬達へ、ツカツカと歩み寄る。
その背中は、響の隣に並んでいた。
「『篠崎 弥生』として、生まれ変わった。
私を生かしてくれたのは、響さんよ」
「……」
弥生の声は、静かだが——揺るぎない。
静謐な瞳が、錬達を見つめ続けていた。
「多々良の技術者として育ててもらった恩は、忘れていない。
でも、私が守りたいのは——今、この場所にいる『家族』なの」
錬達が怖気付いたように身じろぎし、その表情が歪んだ。
「ごめんなさい、錬兄さん。 これが、私の答えよ」
錬達は、しばらく弥生を見つめていた。
その目には、怒りと——どこか、諦めのような色が浮かんでいる。
「……まったく、ほんに強情な女じゃな。 昔から、一度決めたら絶対曲げん」
錬達が、これ見よがしにため息をつく。 鋭さが息と共に抜けていく。
代わりに——どこか懐かしむような、寂しげな色に入れ替わった。
「おいコラ。 親戚だからって、俺の女に色目使ってんじゃねぇぞ。 このタコ野郎」
「響さん……」
響が、錬達を睨んだ。
弥生が、熱っぽい目で響を見つめる。 その頬が、ほんのりと赤く染まっていた。
「T.P.O! T.P.O!」
美咲は手を叩きながら絶叫した。
交渉中なんですけど? 時と場所を弁えて!
カレンがいないからって、堂々とイチャイチャすんなや!
「お前さん……相当に苦労しとるのぅ……」
錬達が、美咲に同情的な視線を向けた。
その後ろで、七区のメンバーたちも深く頷いている。
——同情してくれるのが敵だけ……私って一体——
美咲は、がっくりと肩を落とした。
***
結局、交渉は後日に延期となった。
互いに譲れない部分が多すぎる。 だが、完全に決裂したわけでもない。
七区の面々は、複雑な表情で会議室を後にしていった。
「ふぅ……疲れたぁ。 交渉ってさぁ、戦闘より消耗するよねぇ」
緊張が解けたのか、響の表情がいつもの軽薄なものに戻っていく。
九区メンバーや弥生も、すでにそれぞれの作業のために退出している。
あれ、またこの男と二人きり? 私ってば、危機管理が杜撰では?
「お疲れ様です、響さん」
穏やかな声と共に、会議室のドアが開いた。
入ってきたのは、柔らかな印象の女性。清潔感のある容姿に、穏やかな目元。
手には、湯気を立てるティーセットを載せたトレイがあった。
水無瀬さよ——響の妻の一人にして、元『ホスピス』の看護師長。
「根詰めすぎですよ。 はい、お茶」
さよは、にこやかに響の前にカップを置いた。
「サンキュー、さよ……癒されるわぁ」
響が、茶を啜りながら目を細める。
先ほどまでの冷徹な表情が、一瞬で溶けていった。
「ふふっ、今夜も添い寝いたしますね」
さよが、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
その手がするすると響の肩へと伸び、優しく揉みほぐし始めた。
「死にてぇ。 次の合コンいつよ。 あぁ?」
響と嫁のイチャイチャ波状攻撃に、美咲の精神がゴリゴリと削られていく。
彼女の幸せはどこにあるのか? ここには無い。 無常。
「そういえば、響さん。 フェルマータから、定期報告の連絡が来てますよ」
「分かった、繋いでくれ」
さよがタブレット端末を操作すると、画面に映像が表示された。
白衣を着た、男性の姿——いや、正確には『男性だったもの』だ。
その姿はホログラムのように半透明で、どこか現実離れしている。
『やぁ、お忙しいところすみませんね』
フェルマータが、にこやかに笑う。 機械的だが、どこか温かみがある声だ。
『皆さんの健康診断の結果が出たので、ご報告を』
「おう、どうだった?」
『カレンさんや、さよさん達の数値は、順調に改善していますね』
フェルマータが、彼の手元に浮かぶデータを読み上げる。
高速に流れていく文字列。 まさに『人間離れ』の処理速度だ。
『千紗さんや湊さんも改善傾向にあります。
侵食の進行が抑えられているのは、非常に良い兆候ですね』
「そりゃ良かった。 ちょうど嫌な気分だったんで、スカッとできたよ」
『ですが——』
フェルマータの目が、鋭く光った。 物理的に。
『リリィさんや真凜さん、万里さんの数値改善が鈍い。
他のメンバーと比較して、明らかに差が出ている。
——何か『特別なこと』をしていない心当たりは?』
「……し、知らないなぁ。 ま、まったく身に覚えがないぞぉ?」
響の顔が、引きつった。 ヘッタクソな口笛まで吹いている。
露骨にタブレットから目を逸らし、顔中冷や汗をかいていた。
「絶対心当たりある顔じゃん! 何なの!? 夜の営み効果ってこと!?」
美咲は思わず叫んだ。
改善メンバーから察するに、それ以外の答えが導き出せないんですけど!?
「ちょっ、ちゃんミサキ——!」
『ほぅ。 興味深いですね』
フェルマータが、学者のような目で響を見つめた。 モルモットを眺めるって意味ね。
『性的接触による侵食抑制効果……理論上は考えられなくもありません。
オキシトシンの分泌が、ノイズ因子の活性化を抑える可能性がある。
サンプル数を増やして検証したいところですが——』
「ちょっと待てフェルマータ、その話は——」
『私が身体を失っていなければ、検証できたんですけどねぇ』
フェルマータが、残念そうに肩をすくめた。
『脳みそが残っていれば、クローンも作れたんですけど。 はっはっは』
その笑い声は明るかったが、美咲は寒気を覚えた。
——医者のジョークって、ブラックすぎるんだよなぁ——
フェルマータは、かつてのディストル襲撃の際、動けない患者を守るため——
自ら盾となって殉職した。
今は生前の人格をコピーしたAIとして、医療システムの中で稼働している。
つまり、目の前の彼は『亡霊』なのだ。
肉体を失い、データとしてのみ存在する——かつての人間の残滓。
それでも、こうして第九の医療を支え続けている。
「そもそも、お前は男だったろ。ナニをどう検証するつもりなんだよ」
ジトッとした半眼で、響がフェルマータを睨みつける。
やだ、薔薇の香りって事? 私の新しい扉が半開きなんですけど。
「なるほど、つまりもっと響さんとイチャイチャしろってことですか」
さよが、にっこりと微笑んだ。
「把握しました」
「やめろぉ……やめてくれぇ……」
美咲は、頭を抱えた。
これ以上は、他人のイチャイチャの過剰摂取で脳が耐えれない。
「なんでちゃんミサキがダメージ受けてんのよ……」
***
その夜。
通信室で、リリィが響に報告していた。
「闇市場で、出所不明の音響兵器部品が出回っています」
リリィの声は、淡々としていた。だが、その目は鋭い。
「解析したところ、ウチの技術に酷似していました。というより——ほぼ同一」
響の表情が、険しくなった。
考えられる出所はただ一つ——ディストル襲撃の際に持ち出された音響兵器だ。
「流出元は?」
「不明です。 ただ——」
リリィが、画面を操作した。 モニターに、複数のデータが表示される。
「部品の特徴から推測するに、変態パパの予想通りだと、リリィも思います」
「……やっぱりか」
響が、眉をひそめた。
襲撃と後片付けの混乱で、追跡する余裕もなかった。
それが——今になって、それが闇市場に流れている。
「誰の仕込みだ? それに、何のために?」
響の手が、リリィの座る座椅子の背もたれを強く握った。
リリィは、沈黙した。 その問いに答えられる者は、まだいない。
「……ひなたや静香、そして『あの二人』にも協力してもらうか」
響が、呟いた。
闇の中で、何かが蠢いている。
七区との交渉、闇市場への技術流出——
すべてが、どこかで繋がっている予感があった。
嵐の予感が、少しずつその姿を現し始めている。
「また、パシリ1号さんがキャンキャン言ってきそうだと、リリィは思います」
リリィが、毒を吐く声には——どこか、寂しさが滲んでいた。
響は、ふとリリィの顔を見た。
先ほどのフェルマータの言葉を思い出す。 リリィの数値改善が鈍い、と。
彼女もまた、侵食と闘っている。
この小さな体で、データと向き合い、闇の中を探り続けている。
響は、何も言わずにリリィの頭に手を置いた。
リリィは抗議の言葉もなく、ただ目を細め、されるがままになっている。
その表情は——どこか、安らいでいるように見えた。




