第18話【混乱、あるいは飼い犬の牙】
シントニア本部。
その中枢にある緊急対策室は、この世の終わりのような修羅場と化していた。
耳をつんざくような無機質なアラート音が、部屋中を乱れ飛ぶ。
壁一面に設置された巨大なモニター群は、かつてない異常事態を告げる深紅の警告色に染まり、明滅を繰り返していた。
「なぜダンパーが起動しない! 再起動はどうなってる!?」
嶋崎が、唾を飛ばしながら叫ぶ。
その顔は脂汗にまみれ、目は血走っている。
普段の冷静沈着なエリートの仮面は、見る影もなく剥がれ落ちていた。
「すでに4回試行しましたが、システム応答なし!」
「予備電源への切り替えても、変換炉が作動しません!」
オペレーターたちの、悲鳴のような報告が飛び交う。
画面には無慈悲な『ERROR』の文字が、滝のように流れては消えていく。
「三区ファクトリー製の最新鋭防壁装置だぞ! 不具合などあるはずがない!」
上層部の男がデスクを叩いた。 その手は震えている。
「分かりません! 物理的な損傷は皆無です!」
技師が青ざめた顔で、震える指でキーボードを叩きながら報告する。
「装置自体は正常に稼働しています。回路、冷却システム、オールグリーン。
しかし、エネルギー変換効率ゼロ——いえ、マイナス数値を記録!」
「マイナスだと!?」
「まるでシステムが『呼吸の仕方』を忘れてしまったかのようです!
このままでは——」
その時、モニターの一つがブラックアウトした。
続いて、別区画の表示も消える。
「Dブロックの第3ダンパー、臨界点突破! 緊急停止!」
「間に合いません! 熱暴走、始まっています!」
遠くから、腹の底に響くような重低音が聞こえた。
建物全体が微かに揺れる。
「第3ダンパー、爆発! 周辺施設に延焼中!」
上層部たちの顔から、完全に血の気が引いていく。
ダンパーは、三区の生命線だ。
常に発生しているノイズを吸収し、人々の精神を守る絶対的な盾。
そして吸収したノイズを利用し、発電を行う都市の心臓。
それが機能しなければ、この過密都市はただの『ノイズの檻』と化す。
安全神話の上に胡座をかいていた彼らにとって、それは想像すらしたくない悪夢の顕現だった。
「ほ、他はどうなっている! 被害状況を報告しろ!」
黒岩が縋るように叫ぶ。
しかし、返ってきたのはさらなる絶望だった。
「農場の管理システムから緊急アラート!
実験農場の作物が、全滅したとの報告が入っています!」
「全滅!? 馬鹿な、昨日は順調に生育していたはずだ!
水も肥料も、空調管理も完璧なのに、なぜ枯れる!?」
「原因不明です! 土壌の成分分析にも異常なし。
なのに、植物たちが一斉に『眠った』ように活動を停止しました!」
「眠っただと? 植物が眠って死ぬか!」
「我々の生物学的な知識では、説明がつきません。
まるで、生きるための『合図』を失ったかのようで——」
対策室は、完全にパニックの渦に飲み込まれていた。
被害は三区だけに留まらない。
ネットワークを通じて管理されていた他の地区からも、続々と悲鳴のような報告が上がってくる。
信号機の停止による交通麻痺。
浄水システムの作動不良。
エレベーターの緊急停止による閉じ込め。
ダンパーの機能停止。
農場の壊滅。
インフラの崩壊。
まるで——見えない巨人が積み木を崩すかのように。
あるいはドミノ倒しのように。
彼らが築き上げてきたシントニアの基盤が、音を立てて崩れ始めていた。
***
その喧騒と混乱から隔絶された、本部最上階。
分厚い防音ガラスと完璧な空調に守られた執務室。
そこは、不気味なほどの静寂に包まれていた。
兵藤一成は、革張りの椅子に深く腰掛け、デスク上のモニターを静かに眺めていた。
映し出されているのは、混乱を極める緊急対策室の映像と、街のあちこちで上がり始めた黒煙。
その様子に兵藤は——口元に微かな笑みが浮かべた。
それは愉悦のようでもあり、同時に何かを慈しむような、複雑な色を帯びていた。
「飼い犬が、飼い主の手を噛んできたか」
兵藤の目が、鋭く光る。
そこには、予想外の成長を見せた実験動物を評価するような、冷徹で知的な興味があった。
「面白い。 実に面白いぞ、篠崎 響」
兵藤はゆっくりと立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。
丹精込めて育てているクリスマスローズが、可憐な白い花を咲かせている。
彼はその花弁を、愛おしそうに指先で撫でた。
「あの若造……まさか、これほどの『牙』を隠し持っていたとはな」
兵藤は窓の外、眼下に広がる三区の街並みを見下ろした。
かつて彼が、絶望の淵から作り上げた仮初の楽園。
それが今、揺らいでいる。
兵藤の目が、遠く、第九地区のある西の空を見つめる。
「見事だ。 実に見事な戦略だ。
力で劣る者が強者を挫くには、その土台を腐らせるに限る」
その時、重厚なドアが荒々しくノックされた。
返事を待たずに、インターホンが鳴る。
「総裁。 上層部の方々がお見えです。 緊急の報告があるとのことです」
秘書の声も、どこか怯えていた。
「通せ」
兵藤が短く告げると同時に、ドアが開き、数人の男たちが転がり込んできた。
いずれもシントニアの中枢を担う幹部たちだ。
だが今の彼らに、威厳の欠片もない。
顔面は蒼白で、髪は乱れ、高級スーツは汗で張り付いている。
「総裁! 第九部隊の反乱です!
あの蛮族どもが、何らかのサイバー攻撃を仕掛けてきたのです!」
「すぐに鎮圧部隊を派遣すべきです!
反逆者どもを一人残らず処刑し、システムを奪還せねば!」
口々に喚き散らす男たち。
自分たちの無能さを棚に上げ、責任を他者になすりつけようとする醜悪な姿。
兵藤は、彼らを冷ややかな目で見下ろしたまま、沈黙を守っていた。
その無言の圧力が、部屋の温度を下げていく。
「そ、総裁……?」
異様な空気にようやく気付き始めた男たちの声が、次第に小さくなる。
「一つ、聞きたいことがある」
その瞳は、絶対零度の氷河のように冷たい。
鋭い眼光に、男たちは蛇に睨まれた蛙のように縮み上がった。
「私の孫娘——兵藤ナギが出向いている第九地区に対して——」
兵藤の声は、決して大きくはない。
だがその一語一語が、鉛のように重く響く。
「——貴様らはどういった了見で、あのような仕打ちを行ったのだ?」
沈黙が、部屋を支配した。
「そ、それは……第九部隊の度重なる規律違反に対する、正当な処罰として……」
「そうです! 彼らの増長を許せば、示しがつきませんから!」
言い訳を並べる幹部たち。
兵藤は、侮蔑の色を隠そうともせずに鼻を鳴らした。
「私は、許可した覚えがないが?」
兵藤が一歩、彼らに近づく。
男たちが、たじろいで後ずさる。
兵藤の目が、細められる。
そこにあるのは、底知れぬ怒りだ。
「私の血縁を——可愛いナギを、貴様らのくだらないメンツのための生贄に捧げようとしたのか!」
「ひっ……!」
「も、申し訳ございません……! ぞ、存じ上げませんでした……!」
「し、知っていたら、そのような真似は決して……!」
幹部たちが、一斉にその場に平伏する。
床に額を擦り付け、必死に許しを請う。
その姿は、あまりにも滑稽で、哀れだった。
兵藤は彼らを見下ろしながら、吐き捨てるように告げた。
「この件については、後でたっぷりと話を聞こう。
今はシステムの復旧が先だ。 下がれ」
「は、はいぃぃ……!」
幹部たちが、這うようにして退室していく。
その背中は、恐怖で小さく震えていた。
再び静寂が戻った執務室。
兵藤は、窓の外の景色——黒煙を上げる街を見つめた。
「篠崎 響……」
その名を、舌の上で転がすように呟く。
「お前は、どこまで見えている? ……いや、どこまで見せるつもりだ?」
兵藤の手の中で、クリスマスローズの花弁が揺れた。
風もないのに、何かに共鳴するように。
***
「——という感じで、今頃三区は真っ赤っかだろうな。
ケケケ。 ウチの可愛いリリィを泣かせた罰だ」
第九部隊基地、作戦室。
響がニヤリと笑い、自家製たんぽぽコーヒーを啜る。
昨夜の修羅場など無かったかのような、いつも通りの軽薄な態度だった。
「でも、篠崎さん……」
美咲が、不安そうに眉を寄せて口を開いた。
彼女の手元のタブレットにも、三区の混乱を伝えるニュースが次々と流れてきている。
「これって……いったいどうやって? ハッキングでもしたんですか?」
響が肩をすくめる。
「じゃあ、種明かしをしようか」
響がモニターを操作し、複雑な図表を表示させた。
そこには、ダンパーの構造図や、バクテリアの培養データなどが映し出されている。
「まず、ダンパーの話からだ」
響がモニターを操作し、複雑な図表を表示させた。
「三区の連中は、あれを『ノイズを吸収する装置』だと思ってる。
ハードウェアさえ完璧なら、誰が動かしても同じだと」
響が肩をすくめた。
「だが実際は、ノイズの波長は生き物みたいに変化し続ける。
それに同調するには、0.1秒ごとの『最適化パッチ』が必要なんだ。
心臓の鼓動みたいに、常にリアルタイムで」
美咲の目が大きくなる。
「その『最適化パッチ』を生成しているのは——」
「第九地区にある、静香の『観測データ』と、ひなたの『演算アルゴリズム』だ」
響が勝ち誇ったように笑った。
「ネットワーク遮断は、パッチ更新の停止。
ダンパーは『次の正解』が分からずパニックを起こす。
自分で血管を縛って、酸欠になったようなもんだ」
美咲は言葉を失った。
三区は、第九を切り捨てたつもりだった。
「お前らなんかいなくても、我々は痛くも痒くもない」と。
だが実際は——第九が、三区の心臓を握っていたのだ。
彼らの傲慢さが、この事実を見落とさせていた。
「農場も同じ原理だ」
響が続ける。
「あの土壌改良技術は、『音波で作物を育てる魔法の装置』じゃない。
『特定の周波数でのみ活性化する土壌バクテリア』を使ったバイオ農法なんだ」
「バクテリア……?」
「俺の知識を元に開発した人工微生物は、土壌を改良し、作物の成長を促進する。
だが、毎日特定の『起床アラーム』を聴かせないと、活動を停止しちまうんだ」
響が肩をすくめた。
「じゃあ、その『今日のアラーム音』を決めて、配信しているのも——」
「第九のサーバー。
ネットワークが切れた翌日から、三区のバクテリアは冬眠中ってわけ」
「そんな……」
絶句する美咲。
その顔を眺め、響は悪童のような笑みを浮かべた。
「これが俺の、『未来の知識』さ。
そして三区へ譲る代わりに、『妊娠退役制度』の予算を毟り取った。
——ブラックボックスを残したままね」
美咲は呆然とした。
響は——いや、第九部隊は、最初からこれを見越していたのだ。
いずれ訪れる三区の裏切り。 その時のための『保険』——
いや、『報復』の準備を整えていたのだ。
「俺たちを攻める余裕なんて、もう三区にはないよ。
暴動を起こす市民の鎮圧と、システムの復旧で手一杯だろうな」
響が窓の外を見つめる。
そこには、自分たちの力で立ち上がろうとする、第九地区の人々の姿がある。
「今のうちに、体制を固める。 第九は第九で、生き延びる道を作る。 それだけだ」
そう言って、響は再びたんぽぽコーヒーを啜った。
「ということは、私が最初に食べたトマトも? 毒味って言ってましたけど」
「あぁ。 あれは全然違う新しい農法。
そういや死んでないね。 良かったよ」
——こいつ! マジで推し以外容赦ないな!——
美咲は、改めて響のヤバさを痛感した。
***
基地の食堂。
霧島 静香は、信じられないような顔をしていた。
「……頭痛が、ない」
彼女は自分のこめかみに手を当て、何度も確認するように押さえた。
「静かです。 ……こんなに、静かなの、いつ以来だろう」
静香の周囲には、いつもノイズのデータが渦巻いていた。
全国から送られてくる観測情報を処理・分析し、解析データを送り続ける。
その負荷が、彼女の頭を常に締め付けていた。
だが今——その重荷が、消えていた。
ネットワークが遮断されたことで、第九地区の分だけを処理すればいい。
それは、これまでより遥かに軽い負荷だった。
「万里さんのご飯も、いつもより美味しく感じる……」
静香が、目の前の料理を見つめる。
万里特製の野菜炒め。 いつもと同じメニューのはずだ。
なのに——味が、全然違う。
「ひょっとして——私、死ぬの?」
静香が真顔で呟いた。
「生きろ。 もっと食え」
万里が、無表情のまま静香の皿に追加の野菜を盛った。
「……ありがとう、ございます」
静香は小さく頭を下げ、黙々と食べ始めた。
その頬が、僅かに緩んでいる。
美咲はその光景を見て、複雑な気持ちになった。
「篠崎さん」
美咲は、食堂の入り口に立つ響に近づいた。
声を潜め、他の隊員たちに聞こえないように話しかける。
「……少し、お話いいですか?」
***
基地の屋上。
夜風が、二人の髪を揺らしていた。
眼下には、電力を取り戻した第九地区の街灯がポツポツと灯り始めている。
「で、何? 改まって。 告白? ごめん、さすがに七人は無理」
響がフェンスに背を預け、たんぽぽコーヒーの入ったマグを揺らす。
美咲は、しばらく言葉を探していた。
どう切り出せばいいのか、分からなかった。
ん? 七人? 五股じゃ? なんか滅茶苦茶気になる疑問が。
とりあえず、美咲は新しい疑問を端に置いた。
「……ひなたちゃんと静香さんのこと、です」
ようやく絞り出した言葉。
響の表情は変わらない。
美咲は唇を噛んだ。
「さっきの種明かし——ダンパーの最適化パッチも、農場のバクテリア制御も、全部あの二人が担ってたって」
響は無言のまま、コーヒーを啜った。
「それって……ずっと、あの二人に負担をかけ続けてたってことじゃないですか」
美咲の声が、少し震えた。
彼女の言葉に、響は何も答えなかった。
「あの二人を……使い捨てにするつもりなんですか?」
風だけが、二人の間を吹き抜けていく。
1時間。 30分。 もしかしたら数秒かもしれない。
幾ばくかの沈黙が、二人の間に横たわる。
「……その通りだ」
美咲は息を呑んだ。
否定すると思っていた。
言い訳を並べると思っていた。
「俺は自分の推し活のために、二人の女の子の人生を天秤にかけたクズだ。
それは、否定しない」
響の声は、いつもの軽薄さが消えていた。 代わりに、静けさだけが重く宿る。
響が、空を見上げた。 その目が、星を映す。
「でもな」
響の目が、真っ直ぐに美咲を射抜いた。
「そんな俺でも、矜持はある。
俺のために身を削ってくれてる二人を踏みにじる奴には——
それ相応の報いがあるべきだろ?」
三区への報復。 それは、ただの意趣返しじゃなかった。
献身を、『当然のこと』として搾取し続けた三区への——
響なりの、怒りの表明だったのだ。
美咲は、複雑な表情で響を見つめた。
「篠崎さんのやり方が正しいとは、思えません」
「ああ。 正しくはないだろうな。
この作戦も、成功する保証なんてなかった。
三区が本気で向かってくれば、間違いなく詰んでた」
マグカップを持つ響の指先が、僅かに震えているのを美咲は見逃さなかった。
——ああ。 クズで傲慢に見える、この男も……——
本当は怖かったんだ。
みんなの命を背負って、たった一つの細い糸の上を歩いていたんだ。
響は再びコーヒーを啜った。 その震えを隠すように、両手でカップを包み込んで。
美咲の中で何かがカチリと嵌った。
三区の『正しい』冷徹さよりも、この男の『正しくない』人間臭さの方が——
どうしようもなく、愛おしいと思ってしまった。
美咲は、小さく息を吐いた。
「篠崎さんが『正しくない』って自覚してるなら——
私は、それを見届ける義務があると思います」
響が、僅かに目を見開く。
美咲は、そんな彼を真っ直ぐに見た。
「それに……私だって、もう戻れませんから」
「あ?」
「三区への報告書。 私、嘘を書きました。
『篠崎 響は無能な女好きで、脅威ではない』って」
美咲は自嘲気味に笑った。
「だから、私だって立派な『同罪』です」
記者の誇りを捨ててでも、美咲は『家族』を守ることを選んだ。
その罪悪感と、それ以上の誇らしさが、美咲の胸を満たす。
響は、しばらく美咲を見つめていた。
それから——小さく、けれど楽しげに笑った。
「言うねぇ、共犯者さん」
美咲も、つられて口元が緩んだ。
——貴方の弱音を知っているのは、私だけ——
なら、支えてあげるしかないじゃないですか。
そんな決意が、美咲の胸に灯る。
「篠崎——響さんが道を踏み外しそうな時は、私が胸倉掴んででも引き戻します。
共犯者として、最後まで付き合ってあげますから」
「へいへい。 肝に銘じとくよ」
完全に納得したわけじゃない。
信頼しきれているわけでもない。
でも——この『分からなさ』も含めて、泥船に乗ってやろうと思った。
記者として。 共犯者として——
誰よりも彼の『弱さ』を知る、一人の人間として。
夜風が、二人の間を吹き抜けていく。
眼下では、第九地区の灯りが、少しずつ増えていた。
***
同時刻。
基地の薄暗い一角で、高宮セイジは頭を抱えて蹲っていた。
「こ、こんなはずでは……」
彼の手にある最新鋭の通信端末は、完全に沈黙していた。
何度リダイアルしても、三区との通信は繋がらない。
画面には『圏外』の文字が無情に表示されている。
「なぜ、こんなことに……! 私は監査官だぞ! 選ばれたレゾナントだぞ!」
高宮は、完全に孤立していた。
三区から派遣された、泣く子も黙る監査官。
その権威は、背後にある三区の強大な力があってこそのものだった。
だが今、彼を守ってくれる後ろ盾は存在しない。
『ロジック・アンプ』も、データ通信がなければただのオモチャだ。
通信は途絶え、増援も来ない。 食糧の補給さえない。
彼は今——見下していた『敵地』の真ん中で、たった独りなのだ。
お腹が、グゥと情けない音を立てた。
「高宮 監査官」
背後から冷たい声がかかる。
ビクリと肩を震わせて振り返ると、そこには真凜が立っていた。
無表情で、冷徹な目が、ゴミを見るように彼を見下ろしている。
「夕食の時間です。 来てください」
「わ、私は……! 貴様らの施しなど……!」
「拒否権はありません」
真凜の目が、ギラリと光る。
彼女の手が、高宮の襟首を無造作に掴んだ。
「コンダクター命令です。 『敵だろうが味方だろうが、メシは食わせる』と。
餓死されても、死体処理の手間が増えるだけなので」
「ひっ……!」
「それとも、無理やり流動食を流し込みましょうか?」
高宮は何も言い返せず、引きずられるように食堂へと連行されていく。
彼は今、完全に——この『蛮族』たちの支配下にあった。
***
第九地区から遠く離れた、とある山間部。
月明かりの下、二つの人影が佇んでいた。
「ふふ。またあのコンダクターが、面白いことをしているわね」
長い黒髪を夜風に揺らしながら、玲が妖艶に微笑む。
その手には、旧式の、しかし独自の回線を持つ通信端末が握られていた。
そこから流れるノイズ混じりの音声が、第九地区の『独立宣言』を伝えている。
「三区との全面対決……ですか。随分と派手にやりますね」
傍らに立つ透が、巨大なチェロケースに寄りかかり、微笑を浮かべて応じる。
その視線は、遠く第九基地の方角へ向けられていた。
「でも、嫌いじゃないわ。あの男のやり方」
玲が空を見上げた。 満天の星が、静かに瞬いている。
人工の光が消えたせいで、今夜の星空は皮肉なほどに美しかった。
「あの男のところに、行くつもりですか?」
透が静かに口を開いた。
風が吹き、玲の髪が大きく揺れる。
彼女は目を細め、楽しげに呟いた。
「『この世は舞台。男も女もみな役者に過ぎぬ』。
なら、より面白い舞台を作る演出家の側にいるべきでしょ?」
玲は踵を返した。
その足取りは新たな死に場所——あるいは、生きる場所を見つけたかのように、軽やかだった。
山間部の夜は、静かに更けていく。
彼らの奏でる鎮魂歌が、再び響き渡る時を待ちながら。




