第12話【別れ、あるいは新たな始まり】
季節が一つ巡った頃。
三区での報告義務を終え、佐倉美咲は再び九区の地を踏んだ。
鉛色の空と、錆びついた鉄の匂い。
どこか懐かしさすら覚える荒廃した景色。
その中で、美咲を乗せたトランポが基地のゲートをくぐる。
「……3ヶ月、か」
美咲は窓の外を眺めながら、小さく独り言ちた。
本来なら、九区へは1ヶ月程度で戻れるはずだった。
だが、あの三区の上層部——『狸親父ども』への根回し。
そして、響に関する嘘の報告書の辻褄合わせ。
それらに、予想以上の時間を食ってしまったのだ。
「みんな、元気にしてるかなぁ」
美咲の脳裏に、騒がしくも愛おしい『猛獣』たちの顔が浮かぶ。
いつも気だるげなカレン。
不機嫌そうな湊。
毒舌ロリなリリィ。
規律にうるさい真凜。
作る音も壊す音もでかい万里。
美しさと恐ろしい牙を秘めた千紗。
そして何より、あの掴みどころのないクズ指揮官——篠崎 響。
久しぶりの帰還に、美咲の胸は高鳴っていた。
またあの常識外れで、騒がしくて、でも温かい『家族』の輪に戻れるのだと——
そう、思っていたのに。
***
「……ただいま戻りました」
執務室の重厚な扉を開けた瞬間、美咲の表情が凍りついた。
部屋の空気が、重い。
物理的な質量を感じるほどに、どんよりと澱んでいる。
誰かしらが入り浸り、嬌声と罵声と爆音が飛び交っているはずの空間。
それが、墓場のように静まり返っていた。
そして、書類の雪崩に埋もれるようにして、一人の男——
篠崎 響がデスクに突っ伏していた。
相変わらずきったねぇデスクだな。
「……どうしたんですか? まるで世の終わりみたいな顔して」
恐る恐る声をかける美咲。
響が、ギギギ……と錆びついた蝶番のような動きで顔を上げる。
その顔には、生気がなかった。
目の下には濃い隈が刻まれ、頬はこけ、瞳は深淵のような虚無を映している。
いつもの軽薄な笑みも、人を食ったような態度も、見る影もない。
「……おう、おかえり。 早かったな」
声もまた、死人のように掠れていた。
「い、いえ、予定よりだいぶ遅れちゃいましたけど……」
美咲は部屋の中を見渡す。
——誰もいない。
いつも響の周りで世話を焼いている真凜も。
お菓子をたかっているリリィも。
そして——
真っ先に「おかえり、お土産は?」と絡んできそうなカレンがいない。
その事実が、美咲の胸に小さな棘のように刺さる。
「あの……いつもの軽口がないですけど、体調でも悪いんですか?
それに、カレンさんはどうしたんです? 任務ですか?」
何気なく発したその問いかけに。
響の肩が、ビクリと震えた。
彼はゆっくりと視線を窓の外へと移し——深く、重い溜息をついた。
「カレンか……」
響が言葉を区切る。
その僅かな間が、美咲の心臓を鷲掴みにする。
「あいつは——ここにはいない」
「え……」
思考が——停止した。
ここには、いない?
「ど、どういう事ですか……?
戦死!? それともまさか、処理を……!?」
美咲の声が裏返る。
脳裏に蘇るのは、かつて見た『退役者リスト』のファイル。
虚ろな目をした写真と、『処理済』の赤いスタンプ。
そして、かつて響が語った、Aランク災害の惨劇。
『私は息子が大人になる前に死ぬ気はない』
あの強くて、優しくて、頼りになるカレンが?
「嘘、ですよね……? だって、あんなに元気だったじゃないですか!
残された子供のことは、どうするんですか!? まだ小さいのに……!」
美咲が響のデスクに詰め寄る。
最悪の想像が頭を駆け巡り、涙が溢れそうになる。
嫌だ。あんなに幸せそうに笑っていたのに。
やっと掴んだ『人間らしい幸せ』だったのに。
響は、悲痛な面持ちで美咲を見上げ——
重々しく告げた。
「ああ。 子供のためにも……これからは俺が倍働いて稼がなきゃならん」
「そんな……!」
「これからさらに金がかかるからな——
2人目が生まれるし」
「……はい?」
美咲の涙が、目の縁で止まった。
今、コイツなんて言った?
「だから、カレンは妊娠したんだよ。 2人目だ」
響が、死にそうな顔のまま言った。
美咲は数秒間、パクパクと口を開閉させ——
やがて、その情報を脳が処理し終えると同時に、盛大な脱力感に襲われた。
「は、はぁ……」
膝から崩れ落ちそうになるのを、なんとか堪える。
死んでない。生きている。
それどころか——
——あの人……もう2人目なのか……——
現実が、独り身である美咲の身に重くのしかかる。
美咲はジト目で響を睨みつけた。
この3ヶ月の間、この男は何をしていたのか。
いや、ナニをしていたのは明白だが。この種馬め。
「……元気すぎません? 篠崎さん」
「馬鹿野郎! むしろ健全だろ!!
推しとファンがひとつ屋根の下にいて、何も起こらぬはずがないだろが!」
響がバンッ、とデスクを叩く。 書類の山が崩れた。
「いい加減前線から引かせたかったんだよ! カレンも2人目を欲しがってたし」
その言葉に、美咲は『パウーザ』での会話を思い出した。
12年。 カレンの現役期間だ。
本来10年で限界の時間を彼女は更新し続けている。
でもだからと言って、いつまでも現役でいられるわけではない。
響は、誰よりも彼女の身を案じていたのだろう。
——思想だけは評価できるんだけどなぁ……いや、そうでもないな——
「だがな、計算外だったんだよ……つわりが重い!」
響が頭を抱える。
「前回はケロッとしてたのに、今回は酷いんだ。 タバコも酒も完全NG。
匂いにも敏感で、俺の体臭ですら『臭い、4ね』って言われる始末……!
『響の匂いは落ち着く』って言ってたのに! ホルモンバランス、恐るべし!」
「……自業自得では? それに本当に臭くなってるんじゃないですか?」
「俺は推しのDNAを後世に残すという崇高な使命を果たしただけだ!
それに臭くないやい! 千紗だって大丈夫って言ってるんだぞ!」
響はバシバシと机を叩き、書類を撒き散らした。
あの狂犬は響の全肯定BOTなので、信用ならないんだけどなぁ。
話によれば、カレンは妊娠が発覚した直後から前線を離脱。
現在はつわりの影響で、パウーザで静養中とのことだ。
出産後はそのまま段階的に、引退準備に入ることが決定しているらしい。
そして今後は、後続への指導に当たっていく方針のようだ。
「カレンが抜けるのは、戦力的にも精神的にも痛手だ。
あいつは第九の精神的支柱だったからな」
響が真面目なトーンに戻る。
確かに、カレンの存在は大きかった。
彼女がいるだけで、場の空気が緩み、殺伐とした戦場でも日常が保たれていた。
ツッコミ役とガス抜き担当の離脱は、想像以上に響くだろう。
その彼女がいなくなる。
それは第九部隊にとって、一つの時代の終わりを意味していた。
『カレンには本命の男を見つけて欲しい』
かつて響が告げた言葉。 あの言葉に嘘はなかったんだろう。
でも、それだけじゃなかった。
カレンの不在を嘆く響の落ち込む様を見て、美咲はそう確信した。
「……で、問題はその後釜だ」
響が半壊した書類の山から、ぐしゃぐしゃになった一枚の紙を引っ張り出す。
三区からの通達書だ。 もっと大事にした方が良いのでは?
「カレンの離脱に伴い、欠員補充を行う必要がある。
だが、このタイミングで送られてくる新人なんざ……」
「……十中八九、三区の息のかかったスパイでしょうね」
美咲が言葉を継ぐと、響は苦々しげに頷いた。
「ああ。 ちゃんミサキみたいな『チョロい』スパイなら歓迎なんだがな」
「誰がチョロいですか、誰が。 ぶちのめしますよ」
「怖いなぁ」とぼやきながら、響はヒラヒラとの通知書を手放す。
乱雑に積まれた書類の上に、パサりと落ちた音だけが響いた。
「今回来るのは、間違いなく『ガチ』の監査官か——俺たちを内部から瓦解させるための工作員だ。
狸親父どもめ、俺たちが大人しくしてるのをいいことに、また余計なマネを……」
響の目が、剣呑な光を帯びる。
その瞳の奥で、何かが危うい火花を散らした。
また碌でもないこと考えてるんだろうなぁ。
「……いっそ、沈めるか?」
「はい?」
響がボソリと呟いた言葉に、美咲は耳を疑った。
「新人が乗ってくる定期便。
事故に見せかけ、轟に沈めさせるか——真凜!」
「御意」
音もなく、背後から真凜が現れる。手にはすでに端末が握られていた。
何やら画面には『爆破シークエンス』のような文字が躍っている。
「ちょ、ちょっと待ってください!?」
美咲が慌てて割って入る。
だがそんなことでは響も真凜も止まらない。
「定期便のルート上の機雷敷設、および『うっかりヤっちゃった』演出プラン。
すでに3パターン作成済みです、コンダクター」
「仕事が早いな、真凜。 さすが我が優秀有能なる秘書。 推せる」
「お褒めに預かり光栄です。 害虫駆除は、家主の義務ですからね」
「やめろーーーー!! じょ、じょじょじょ、冗談ですよね!?」
美咲の絶叫が執務室に響き渡る。
お願いだから冗談だと言ってくれ。
が、真凜の目は冷徹に光り、響もクズの輝きを宿している。
——マジだ! この人たちなら間違いなくヤる!——
「そんなことしたらどうなると思うんですか!?
私が帰ってきて早々やめてください!」
やはりこいつらはヤベェ狂犬だわ。
あんなに九区へ帰りたいと思っていたのに、美咲はもう三区へ戻りたくなった。
「ちっ、美咲ちゃんが言うなら仕方ないか……」
響がわざとらしく舌打ちをし、真凜が残念そうに端末を閉じる。
この基地の倫理観は、美咲がいない間にさらに崩壊していたらしい。
私がこの基地の、最後の良心ちゃんを守護らねば。
「あ〜、いっそ『ベラドンナ』を編入しちゃおうかな〜」
響が椅子に深く沈み込みながら、天井に向かってぼやいた。
その名前に、美咲はぎょっとする。
「はぁ!? 彼女らはテロリストですよ!? 指名手配犯です!」
ベラドンナ。
第九地区の山間部で遭遇した、ヘムロックの実働部隊。
死を救済と謳い、人々を安楽死させる『葬儀屋』。
「でも、『知ってる』だろ?」
響が視線だけを美咲に向ける。
「キャラクターも、スキルも、行動原理もな。
あいつらは話が通じる。何より——推せる」
「……絶対に最後のが本音ですよね?」
「どこの誰とも知らん、腹に一物抱えた三区のスパイより、信念のある悪役の方がよっぽど信用できるし、話が早いじゃん」
——この人、またもマジで言ってるわね——
この男は、自分の庭を守るためなら、テロリストと手を組むことさえ躊躇わない。
善悪ではなく、美学と推しが基準なのだ。
そもそも体制側がテロリストと組むのって処刑対象では? 早くコイツ隔離して。
「……あの2人は、なんでテロリストなんてやってるんでしょう……?」
瓦礫の山で冷徹に、しかしどこか慈しむように鎮魂歌を歌っていた玲の姿。
その幽玄なる姿を脳裏に浮かべた途端、美咲の口から疑問が滑り落ちた。
響が言うように、あの2人はただの快楽殺人者ではない。
彼女たちなりの『信念』があるように見えた。
響は少しだけ目を細め、遠い記憶を探るような顔をする。
「あれはそう……2年くらい前に、本人たちから聞いた話なんだが……」
——まずどうやって、テロリストから身の上話を聞き出せる関係になったの?——
美咲は思わずツッコミを入れそうになった。
敵対組織の幹部と、酒を酌み交わして昔話をするような間柄だとでも言うのか。
いや、この男ならやりかねない。
前のピクニックの約束も、冗談ではなかったのかもしれない。
「あいつらはテロリストだが、『弔い』のために戦ってるんだよ」
響は苦笑いしながらも、真面目な色を声に乗せた。
「弔い……?」
美咲が聞き返すと、響はふっと視線を窓の外へ投げた。
「……ま、本人がいない場所で勝手に話すような内容でもないな。
他人の過去をベラベラ喋るほど、俺も野暮じゃない」
響はそう言いうと、ニヤリと美咲を見つめた。
「今度会ったら、直接聞いてみたら?」
「テロリスト相手に気軽すぎでしょ……」
呆れつつも、美咲の中でベラドンナへの認識が少し変わった。
弔いという言葉の重みが、美咲の胸に小さく残る。
でもテロリストとそんな頻繁に会いたくはないなぁ。
その時、真凜の端末が不快な電子音を鳴らした。
「コンダクター。本部より緊急の通達です」
真凜の表情が、先程までの冗談めいたものから、一瞬で業務モードへと切り替わる。
その声音の硬さに、美咲も背筋を伸ばした。
と言うか、静かだったので存在を忘れかけていた。
893忍者なの? それともサイレンサー機能がついてるの? 怖い。
「……来たか」
響が、死んだ魚のような目を少しだけ鋭くする。
「読み上げろ」
「はい。
『第九部隊における人員不足、および管理体制の強化を目的として、第三地区より1名、監査官を兼任した補充要員を派遣する』」
「……げっ」
響が露骨に顔をしかめた。
「通達によれば、到着は明日。 補佐官も1名、同行するとのことです」
「2人も来るのかよ! カレンが抜けて手一杯なのに、余計な仕事を増やしやがって」
響が頭をガシガシと掻きむしる。
デスクに突っ伏し、カレンがいなくて寂しいという哀愁とは質の違う、どす黒い雨雲が立ち込めていた。
誰が来るのかは分からない。
だが、ろくな相手ではないことだけは確かだ。
美咲は悟った。
また、とんでもない嵐の幕開けになりそうだ、と。
「……篠崎さん。 書類、片付けましょうか」
「頼む……。 あと、胃薬と頭痛薬と、酒を持ってきてくれ……。
ついでに胸も揉ま……あぁごめん、72もなかったね」
「ぶち56しますよ?」
美咲はため息をつきながら、散らばった書類を拾い上げた。
その一枚、カレンの笑顔の写真が、どこか遠く、眩しく見えた。




