3.武骨な砦の中で(カノン視点)
野太い声と剣の交わる音が響き渡る。
石造りの砦の中に作られた訓練所は武骨な見た目の通り、遊びは一切ない。
一心に武器を振るい声を掛け合う仲間たちを見渡し、カノンは一度列から抜けた。
先日の戦で見た姿が今も瞼の裏に残っているせいでどうにも訓練に身が入らない。
いや、それは言い訳に過ぎない。
少なくとも将として兵を率いる以上、生半可な気持ちでいてはいけないのだ。
理解はしていても、気持ちは未だに下級兵だった時と変わらなかった。
目の前に敵がいれば倒す。
それを繰り返すだけだ。
それ以外の生き方を知らないまま周囲の同僚たちはとっくに結婚し子が生まれたものもいる。
柔らかな空気に包まれた家族の姿を見ても、微笑ましい気持ちになれど羨ましい、自分もそうした家族を持ちたい、という願いを抱くことがなかった。
幸い平民の身分であれば後継者を作らなければならない立場でもない。
更によくよく思い返してみればこれは、今生に限ったものではないのだ。
カノンのこれまでの過去生を含めて、結婚や子どもと言ったものは程遠いものだった。
違う時代に生まれ、そして死んでいった中でも、自分が誰かと懇意になり家族となった記憶は欠片もなかった。
魂の記憶、とも呼ばれる過去生が一体どのように影響してくるのか誰も知らない。
全く違う時代のことを自分の過去生だと信じられる。
歴史書を紐解けば過去生のいずれかの人生が記されていることもあるし、知人だった者の名前が載っていたこともあった。
そしてそれは珍しいことではない。
全ての人生を覚えていなくとも、誰もが己の過去生があることを知っている。
だからといって過去生に囚われるものは滅多になく、過去は過去、現在は現在と割り切るものが大半であろう。
カノンには、それが出来なかった。
戦場で出会っただけの相手だった。
決してそこ以外で会うはずもない相手だった。
外見は互いに違い、しかし、その剣筋だけは違うことがない。
どれだけ魅惑的な女性を紹介されても。
どれだけ身を固めるべきだと諭されても。
戦場から離れて家庭を持つことなど考えられず、いつだって戦場で死を迎えた。
次の生でもまた戦場に立ち続けるのだろう、と漠然とした思いを抱えながら迎える死は、ただの通過点でしかなかった。
死にたくない、という強い思いもなく、遺すことを悔やむ相手もいなく。
ただ、次の生でも『彼』に出会えればいい、と願っていた。
最初に出会ったのは一体何時だっただろうか。
自分よりも年若い戦士が敵にいると知った。
その戦士は恐れを知らないかのように武器を振るっていた。例え自身が囲まれても諦めることなく最後まで戦い続け、そして、最期の時まで強い目の光は失われることがなかった。
その目に囚われてしまったのだろう。
それから先の戦場について非常に記憶が薄い。そうして幾度も戦場を渡り続けている間に、その生も終わりを迎えた。
結局、その生でも彼以上に心を揺さぶる相手に出会うことはできなかった。
その次の生では最初から彼を探していた。
また彼と剣を交えたい。
あの目で見られたい。
その願望が拭えなかったのだ。
彼が戦場にいないことは有り得ないと考えていた。何故か確信に近い形で信じていたのだ。
そうして、彼の姿を見つけた。
それから、何度も、何度も、生を巡ろうとも彼の姿を戦場で見つけた。
そのたびに彼と目が合うようになったのは偶然だろうか。
会話を交わしたこともない。
二人だけで会うことだって当然なかった。
名前も知らない敵国の戦士。
二人の間にあるのはただそれだけの関係性だ。
それなのに何がこんなにも心を揺さぶるのか。
自分の心の動きだというのに理解が出来なかった。
今生でもやはり戦場に出るようになった瞬間から彼の姿を探し続けた。
そうして先日の戦場で、彼の姿を見つけた。
蜂蜜を溶かしたような金の髪に、蒼穹よりも青く澄んだ瞳。
細身の体に合わせた鎧は敵国の物であり、顔に残るあどけなさから未だ成人前か、成人したてだろうと想像がついた。
かつて出会った時も、同じように彼は成人したばかりのようだった。
どの生で出会ったとしても、必ず自分の方が年上になる。
いや、実際に会話を交わしたわけではない以上、もしかしたらあの見た目で年上の可能性もないわけではない。
少なくとも、戦場に出始めるのは必ずカノンの方が先だった。
今生でも既にカノンは幾多もの戦場に出ていたが、彼の姿をこれまでの戦場で見たことは一度だってない。
まだ成長途中といった体つきからも恐らく推測は外れていないだろう。
これからの戦場が楽しみだった。
再び彼と剣を交えることが出来る。
その事実が、訓練にも更に身が入る。
「何かうれしそうだな」
「あぁ……。いい目を持つ兵士が、敵にいたからな」
「相変わらず戦好きめ。……いつまでこの戦は続くのだろうか」
訓練へと戻ったカノンを迎えたのは同時期に軍へ入隊した友人の一人だ。共に飲みに行く友人でもあり、貴族でありながら平民のカノン相手にも『親友』と呼び対等に見てくれる数少ない相手だった。
武功を上げていくうちに減っていったが、軍に所属した当初は平民であることを馬鹿にしたものも多くいたのだ。
最もカノン自身がそれを気にしたことは一度だってなかったのだが。
「戦がなくなることなんてあるのか?」
「ほら、姫様が生まれただろう? だから戦争なんてしてる場合じゃないって言っている派閥があるって話だ」
そういえば、今年の初めに現在の国王に娘が生まれたと聞いたことがあった。
当時は王都で祭りがあったようだが、戦場にいたカノンには関係なく、後から聞いただけであるが。
「戦がなくなれば、俺たちの仕事もなくなるんじゃないか」
「いや、そこは街中の警護とかあるだろ。流石にすぐに無職になることはない……はずだよな?」
「知らん。だいたい、俺たちが生きている間にこの戦が終わるかどうかもわからんだろ」
「それもそうだ」
ひょい、と肩を竦める友人に呆れて見せるが、自分の中で戦がなくなることを全く考えていないことに気が付かされた。
戦の為に生き、戦の為に死んだ。
ずっとそうやって幾つもの生を繰り返してきたのに、今更それがなくなったらどのように生きていけばいいのだろうか。
考えたところで先が全く思い浮かばなかった。
乾いた風と血の匂い。
過去生を思い出すときに過るのはそればかりだ。
その中にある『彼』の存在は異質だった。
次の戦場に彼は出るのだろうか。
見上げた空は青く澄み渡り、どこまでも遠くへと繋がっていた。この空の下に彼もいるのだろうか。
もしこの戦争が終わるのであれば。
この空のような目をした彼に会いに行くのもいいかもしれない。
それは戦に関係ないことで初めて感じた『欲』だった。
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