夏の迷路
「私、夏から出られないの」
燃えるような夕日の中、足を波に遊ばせながら少女は言う
初めて見た蜃気楼のような、そんな夏の不思議な出来事
8月の中旬
日本海側の海沿いにある父方の実家へ帰省
父親も母親も忙しそうで、祖父も祖母もまた忙しそうで
僕だけ一人暇で、なんとなく海沿いの道を自転車で走っていた
漁村の外れ、そこに広く白い砂浜があった
自転車を置き、波打ち際まで行く
奥行きは無いが幅が広い浜だ
ビーチサンダルの指先に海水が触れ、潮風が前髪を揺らし、日は強く肌を焼く
ああ夏なんだ、と思う
都会にはない濃度の濃い蒼天がここにはあった。
足を濡らしながら波打ち際をただ歩く
時々、漁師小屋と言うのだろうか、そんなのもあったりした
浜のはずれ、そこに一風変わった漁師小屋があった
小屋と言うより家だ
一軒家で言えば縁側が海に面していて、座ると足先を波が洗うそんな構造の家
しかし、屋根は一部損壊してるし、壁に穴が空いているし、どう見ても廃屋
なのに開け放たれた玄関と縁側だけは綺麗なままの不思議な廃屋
...興味が先立ち、恐る恐る入ってみる
不法侵入という概念はなかった
何かに引き寄せられるようだった
「…おじゃましま~す」
玄関から入る
「誰かいませんかぁ?」
土間があり板張りの間がある古い家
ひとの気配は無い
壁と床はボロボロで、屋根の隙間から入道雲と夏空が中を照す
...奥に一際明るい部屋がある
そこに何かがあった
なんだろう?
ビーチサンダルのまま上がり、床に開いた穴を避けながら、その明るい開け放たれた部屋に向かう
眩しい
その部屋だけが異様に明るく感じる
光の中に一歩足を踏み入れる
その部屋は眩しかった
その畳張りの部屋の床からは沢山の雑草が突き破って生えていた
その部屋には屋根が完全に無かった
その部屋は壁が崩れ落ちていた
その部屋からは水平線が見えた
その部屋の中央には全裸の少女が横たわっていた
太陽はその少女を照らしていた
生えている雑草は少女の肌をいつくも貫通していた
腕も足も腹も乳房も顔も貫通していた
直接生えている様にも見えた
どう考えても少女は生きていないだろう
それでも少女はまるで眠っているような穏やかな表情だった
少女は綺麗だった
その部屋は夏だった
ぴし!
と何かが弾ける様な音に、思わず瞬きをすると先ほどの異様な光景は無くなり...
屋根と壁はそのままに、床は綺麗な畳張りに、
紺色の水着を着た少女が横たわっていた
一瞬見た光景とは違い、体を突き破っていた雑草もなくなっていた
人形のように動かなかった体が呼吸をして穏やかに動いている
気味の悪い光景と、全裸を見てしまった恥ずかしさと、一瞬で変わったその姿と、自分はどんな表情をしているのだろうかと思う
そうこうしているうちに、少女は小さく身動ぎすると、起き上がり、
伸びながら口元に手を当てアクビをしてこちらを見た
「こんにちは」
小首を傾げ黒い長い髪を揺らすと、アルトの涼やかな声でそう言った
縁側で足を波にちゃぷちゃぷしながら少女は話す
「そっか、潤っていうんだ。私は七海、よろしくね☆」
七海は話が上手かった
「じゃあ反射神経テスト♪今日は何年何月何日?」
七海と話すのは楽しかった
「ねぇ、いつまでコッチにいるの?」
七海は可愛いかった
「ずっと夏なら良いのにね!」
水を掛け合い遊び、海に潜ったり泳いだりした
次の日も、次の日も、遊んだ
いつのまにか不信感はなくなっていた
必ず七海は先にあの不思議な廃屋のあの軒先にいて、自分の事を待っている
明日、帰らなくてはならない
コッチで出来た可愛い友達にそれを告げるのは、正直キツかった
その日の午前中、二人でいっぱい海で遊んだ
昼頃、流石に疲れたのでまた軒先に座る
言葉数が今までより少なくなっていた
「...んしょ」
七海は水着を濡らしたまま、畳張りの部屋の真ん中で足を伸ばして座り
「潤~、コッチでお昼寝しよ~」
と手招きした
しょうがないな...と隣に座る
七海が日に黒く焼けた四肢を伸ばして仰向けになった
習って僕も仰向けになる
「...七海、熱くないか..?」
「え~?気持ち良いでしょ?」
壊れた屋根から直射日光があたり、体をジリジリ焼くのを感じる
自分は肌が弱く、七海と違い日に焼けると赤くなってしまう
「これだから都会っ子は」
なんて楽しそうに憎まれ口を叩く
ふと、七海の海水に濡れた指先が僕の指先に触れ、思わず七海の方を振り向くと
七海はこちらを照れくさそうに見ていた
日に焼けた浅く黒い肌と、ずれた水着の肩紐から覗く白い肌のコントラストが鮮やかだった。
不意に、七海が寝返りをうち、そして...
七海が斜めに覆い被さった
仰向けの僕の肩から首の当たりに七海の頭が
僕のTシャツの胸の当たりから、濡れた七海の水着の水分が伝わる
そんな体勢
僕の心臓がはね上がる
「えっ!?な、七海ッ!!?」
僕の声に驚いたのか、七海は体をビクッとさせ、きゅうっと縮こまる
耳元に七海の吐息がかかる
熱い
日差しも、気温も、七海の体温も
熱い
混乱しながらも、慣れない手つきで頭を撫でる
熱い
七海が長いため息をつき、全身の力を抜いた
七海の軽い体重が全身にのし掛かる
潮風に七海の長い髪が揺れる
潮の香りと七海の香りが鼻をくすぐる
熱い
夏の日差しが熱い
肩に湿り気を感じた
七海は泣いていた
七海の手は僕のシャツを固く掴んでいた
七海の頭を撫で続けた
やがて、泣き疲れたのか七海が「すうすう」と寝息をたて、僕も眠りの中へ落ちて行く
七海の温もりを感じながら
この部屋は夏だった
...波の音が聞こえる
ちゃぷちゃぷ音がする
体に感じていた湿り気を帯びた温もりが、いつの間に無くなっていた
目を開けるともう夕方だった
茜空と入道雲
縁側に座り潮風に髪を揺らす七海がいた
「私、夏から出られないの」
燃えるような夕日の中、足を波に遊ばせて水平線見ながら、少女は言う
「ずっとそうなの
目が覚めると此処にいてね、この浜から出られなくてね
出会う人、みんなに聞くんだよ
今、何年の何月何日かって
そしたらね、みんな8月12日って言って、
8月16日に帰るって
えへへ...
私、オカシクなっちゃったのかな
もうね、ずっとその日をグルグル繰り返してるの
春とか、秋とか、冬とか、全く記憶がないの」
夕日で七海の表情は読み取れない
「ねぇ...」
振り返る七海は寂しげな笑みを浮かべていた
「来年もまたココで会えないかなぁ...」
七海の明るい笑顔が見たくて、七海を元気にしたくて、
七海の現実離れした言葉が本当かどうかなんてもうどうでも良くて、
頷いた
七海は水平線に向き直ると「...ありがと」と呟いた
その夜コソッと祖父に不思議なその少女の話をした
祖父は一瞬青ざめ、そして今年中にあの建物が取り壊される、とぽつりと漏らした
祖父が玄関で火を焚いた
オクリビだと言う
僕は花火をした
来年は七海と花火が出来るのだろうか
自宅に帰り一週間後
あの建物の近くの海中で女性のものと思われる骨の一部が見つかったとの報道あった
ダイバーが発見しそれは、数年前の夏、あの浜で行方不明になった少女のものではないか、との事である
「ずっと夏だと良いのにね」
「私、夏からずっと出られなの」
七海の明るい笑顔と、日に焼けた肌と...約束
全部を反芻し、理解した
僕は泣いた。
翌年、また父方の実家に帰省した
あの浜に不思議な廃棄はもうないが、小さな供養搭が立てられていた
祖父から向日葵の小さな花束を手渡され、行って来い、と一言だけ
波がちゃぷちゃぷ音を立てていた
...ねぇ七海
夏から出られた…?
潮風が答えるように僕の前髪を揺らした
あとがきです
ヤフブロ時代にこのお話を書いて何年経っただろう
高校生の思春期真っ只中に自身が見た夢
それを大人になりバイクで各地を走り回って、北海道かな、佐渡島かな、青森かな、
どこかの寂れた漁師町のはずれ、廃屋になった漁師小屋を見てその夢を思い出した
って事で、
何かに取り憑かれたように一気に書き上げたお話です
三回忌、五回忌、は無事に迎えましたが
ヤフブロがサービス終了
引っ越し先ブログに記事をアーカイブとして残してあり、そこからの転記になります
…今読むと荒削りですね(苦笑
お化けは基本的に「さみしがり屋」だと僕は思っています
なので、夏場に怪談を聞くことがあれば、
怖がるだけじゃなくて、出てくるお化けの気持ちを想像してみてあげて下さい
きっとお化けも喜んでくれるはずです