一之四
朝早く、小鳥が目覚めるには惜しい時間帯。
屋敷の廊下を歩く一人の影がある。
色素の薄い髪は闇色を吸うことなく、店の区画へ吸い込まれた。
「葵」
その男もまた、顔色一つ変えずに命が目覚める前にそのミセに立っている。
葵は目だけをやると、畳に置かれている机の前に腰を下ろした。
「仕入れの時間よ。先刻、御甫街の座敷童が――……」
「――たぁあああああああああああああ!!」
床を揺らす咆哮に似た野太い男の声が部屋を揺らし、小春はその跳躍に助けられて身体を起こした。
辺りをきょろきょろと見渡して、ダダダダダダと駆けてくる音に目をぱちくりと瞬きをする。
僅かな間を与えずにすぱーん! と開かれた襖は再びの「きゃあああああああああ!!」によって破れそうだな、と小春は感じていた。
「ごめんなさいごめんなさいあたしったらおほほほほ、ごめんね~~!!」
と、輝夜は襖を勢いよく閉めて行ってしまった。
「……ええと……ええと……??」
これは、さすがの私でも……正解が――……わかりません。
あはは……。
小春が制服に着替えて居間へ行くと、机に置かれているお膳にまず目がいった。
小春の朝食だ。少し喉を擦って、一人を探す。
――いた。
輝夜さんは手を拭きながら、「おはよう。さっきはごめんね?」と小春の様子を伺っていた。
「何かあったんですか?」
小春へ座るように促すため、奥のキッチンから出て来た輝夜は、あーのー……と口ごもりながら、座る小春の机を挟んだ前に座った。
「ちょっと聞きたいことがあってね。急いじゃった。そしたら小春ちゃんがあまりにもその……ごめんね! 朝はあたしの配慮がどこかいってたわ!」
小春は首を傾げた。
取り敢えず――、早く食べちゃわないと。
まぁ……うちと違って、輝夜さんの作るご飯は味がする。
だから、食べやすいと小春は項垂れる輝夜とは反する笑顔を浮かべていた。
食べ終えてキッチンにお皿を運ぶと、輝夜さんが右頬に手を当てながら控えめに小春へ尋ねた。
「昨日の話……なんだけどね。シズコって言う、あの童の捜し人。何か特徴とかー……一部とかー……渡された?」
「いえ? 特になにも……」
「そうよねー! あたしったらかっこつけたくせに全然仕事してないじゃなーい!!」
一人天井に叫ぶ輝夜を苦笑でなだめていると、輝夜は小春にしがみ付いた。
「これだからー! こっち側は! スマホも普及してないし! 電話も繋がらないし! やりにくいのよ~!!」
と、一しきり泣いていた。
「……また行くしかないわね」
「御甫街へ?」
「ええ……」
輝夜は溜息を一つ吐くと、タオルで手を拭いた。
「今夜にでも行くわ。ご飯の準備はしておくから、小春ちゃんはきちんと食べて……あー……いや、どうするかな……」
小春は静かに、輝夜が答えを出すのを待っていた。
「まだ一人だと怖いわよね。ごめんなさい、付き合ってくれる?」
「はい。勿論です!」
承諾の笑顔を輝きに変えて、小春は再び御甫街の境界を超えた。
魔法のICカード。何よりも美しい宝物に見える。
輝夜は島の参道に連なる店の一つからラムネを買うと、それは小春に与えた。小春は嬉しそうに微笑んで、両手で瓶を抱えている。
二人は島の中心に位置する社へと向かう階段を昇る。島にエレベーターは無く、それぞれの妖たちが律儀に階段を上り下りしていた。
小春は興味津々に見つめている。妖も人と同じように、神に祈りに行くのだろうか?
瓶を回収してもらい、上へ上へ行く。いくつかの社を通り抜け、一層豪勢な社を前にした。
輝夜は社務所――に向かい、何か話している。少しすると、二人は奥へ通された。
それは岩の中だった。湿り気のある洞窟か。
潮のさざ波が響いているようで、壁に等間隔に連なる僅かな光を揺らしている。
「輝夜さん……」
輝夜が目を下げた。
「ここは、神様の……お家へとつながる道、ですか?」
「違うわよ」
優しい声で、悲しそうに輝夜が応えた。
「神様にあたし達は会えないけど……あの方々に近いお方になら、会えるわ」
奥へ行くと、そこに一人の男が立っていた。
輝夜と同じくらいの背格好だろうか。大の大人だ。
「神様に近い人……?」
「ええ。神の傍で神にだけ仕える者……それを、神のお使い、神使と言うわ」
その男は二人の気配の近寄りに合わせて振り返る。
顔を布で隠した和装の男。
何も見えないのに、無害であるとわかる立ち姿――――。
「……これはミズチ。こちらへ来るのは久方ぶりだ」
「御無沙汰しております、神使殿」
輝夜が恭しく頭を下げるので、小春も慌てて両手を握って頭を下げた。
頭を上げるとその布越しに視線を感じ、恥ずかしさを募らせて小春は目線を下げた。
足元の岩に、水が伝っている。
「会えて嬉しいよ。道主貴も、あなた達がこの場所に訪れてくれたことを、喜んでいらっしゃる」
「……はい」
「ああ、確か、用があるのだと。いいよ、申してみよ」
「――はい。とある座敷童の居場所を教えていただきたいのです」
「座敷童。……ふむ、あの子しかいない。……教えるのはいいけれど、何故?」
「……ええと」
輝夜が応えに戸惑った。小春は顔を上げる。
「……骨董屋へ依頼を頂いたんですけれど、その、大事なことを聞きそびれてしまいました。だから……」
「ああ、ミズチ。相変わらずだね。そそっかしい……」
神使の男はけらけらと笑った。恥ずかしそうに目を逸らす輝夜を、小春は見つめている。
「……誓いに縛られた憐れな我らの妖だ。場所を教えてあげる。だから、よくしてやっておくれ」
「……勿論です」
「ミズチ、あなたは、……よくやっている。道主貴もあなたの今を見て、きっと誇らしげに頷いてくださるだろう」
「……ええ」
神使の男は頷いた。懐から出した紙に、傍の岩陰においてあった筆に墨を付けると、すらすらと白い紙に模様を描いていく。
それを輝夜に持たせると、輝夜は深く頭を下げた。小春も慌ててそれに倣った。
神使はまた、小春を見つめていた。
二人が背を向けて道を戻っても、まだ背中に視線を感じている。
小春は不思議と嫌な気持ちはしなかったので、気にすることをやめた。
洞窟の入り口まで戻って来た。
輝夜はそれをどうするのだろう――と小春が思っていると、輝夜は石造りの階段を登っていく。二歩ほどあがった所で小春を振り返り、手を差し出した。小春は微笑んで、急いでその手を掴んだ。
「これ、どうやって使うか気になる?」
「はい、何ですか、それ?」
社務所を迎えの一礼を後ろ目で出ると、輝夜が片手で紙を振りながら小春に問いかけた。小春はこくこく、と頷く。
「これはね、白波綴と言うの。こういう水辺に紙を翳すと……」
輝夜は境内にある小さな池に腰を屈めると、先程の紙を水面すれすれに近づけた。覗き込む小春が目を丸める。
それもそのはずだ。紙はまるで吸われるインクのように水面に溶けだして、その中で元の形に戻ろうと揺れる。それを映す瞳のピントが手元へ戻ると、なんとまだ、輝夜が持っていた溶けた紙が溶けずに手元にあるではないか。
つまり、手元の紙と水面中の紙は存在していて……。二枚になった、ということなのだろうか?
「でね、この紙札をこうやって空に吹くのよ」
輝夜は手に持っていた紙を掌に置くと、それをまるで紙吹雪かと言いたげに柔らかく吹いた。
普通ではよくて飛んでいくだけであろう。でもここは、そう、普通じゃない街!
紙は輝夜の一吹きで千々となり、星屑が指し示す道のようにこの夜の世界に導を引く。
キラキラと輝く点の集合体、即ち線。
そのうねりは、なるほど、白波と言うに相応しい――――。
「……ほら。夜に月の灯を受けて、紙屑がキラキラ光ってる。まるで夜の海、その波打ちみたいでしょ?」
「……はい、そうですね」
「そしてね、これは失せもの捜しの呪いなの。この呪いが綴る線の先に、座敷童はいるわ。さあ、行きましょう!」
おー! と二人拳を突き上げて、社から温かな光が燈り連なる参道へ駆け足で降りていく。
小春は、じんわりと染みる胸を右手で押さえ付けた。
すごい、すごい! 白波綴――なんて綺麗なんだろう!
グラブルが面白くてぇ……気づいたら陽が沈んでてぇ……
そ、それにロケにも行ったし……俺はわ、悪くないですよね!? 先生!!!!!!