一之三
「お姉ちゃんはさ、この世界が何だかわかってる?」
島の裏へ回る森の途中に、胸に抱いている座敷童がそう小さく尋ねた。
輝夜が降ろしたらいいとは言ってくれたが、体重もそんなに感じないし、何より心地よい温もりが腕のなかにあるので、小春は座敷童を降さずに歩いている。
「……妖怪の世界?」
少しだけ考えて、笑って答えた。
座敷童はその表情を見て、口を開く。
「わかってるんだ」
「うん。大丈夫、怖くないよ」
「そういうこと聞いてないし!」
あはは、と笑う小春を一瞥した輝夜は穏やかに息を吐いて一つの大きな門を見上げる。
両側に柱だけがある、まあ門に見えなくはない――そんな造りだ。
輝夜は辺りを見渡して、この島中でにゃあにゃあ鳴いている猫一匹を捕まえて、門の中心に置いた。
すると懐から赤い布を取り出して、それに空気を含ませるように靡かせて猫にかける。
「――ほうら珊瑚の錦織。襖を開けて、お閉めなさる」
「……いいけどさァ、帰るならちゃんと戻れよ?」
「――猫が喋った」
「なんで猫が喋らないと思うわけ? お姉ちゃんさ……」
小春が猫に気を取られていると、木材が軋む音がする。
視界が上がるその数秒で、門が現れたというのか。現れている。
「さあ、入っていいわよ」
「え、あれ――――」
門が開いて、見える景色に言葉を失う。
そこには、小春が知っている大きな屋敷はない。そこにあるのは、同じ時代を感じさせる作りではあるけれど、どこか妖しげな雰囲気を醸し出す一軒の店だった。
古ぼけた印象は感じない。年代ものではあるけれど、この建物自体が価値を持ちそうだと思わせる。
そんな空気感を漂わせた店の玄関を、その近細工のドアノブを輝夜が開ける。
小春は座敷童に促されて、いまだに店構えに見惚れたまま、ゆっくりと入り口を潜った。
「……すごい古い……でも高そうな……家具ばかり、あります」
「そうよ、アンティークショップなの。表向きはね」
パチパチと、輝夜が首尾よく電気をつけていく。
その電灯すら店の古物商然とした雰囲気を壊すことなく、むしろその行灯や橙色の蛍光灯がより深く艶やかに店を彩っている。
ぼー……とする小春を現実に戻すように、その座敷童はもう一度小春の胸元を引いた。
どうやら輝夜は店の奥へ行くようだ。
靴を脱いで小上がりを行き奥の扉を通ると、一つの机に向かい合う二つのソファ――いわゆる、応接間があった。
「お客様はこっち。小春はちゃんは、あたしの隣ね」
ちょこん、と座敷童を座らせて、小春は小走りで座る輝夜の横へ腰を下ろした。
「……あの、店主はいないの?」
「葵は……恐らく倉庫、かしらね。この店で受けられるか否かは、最終的には葵が判断するわ。まずはさっきの話……詳しく聞かせてくれるかしら」
「……うん――――」
座敷童はぽつりと、約束をしたの、と口に出した。
空気が張り詰める。小春は小さく息を呑んだ。
「昔のこと……シズコ……あたしを、大切にしてくれた子と約束したの。また、生まれる時に傍にいる、って……」
座敷童の瞼の裏には、あの炎が蘇る。動かない両腕に抱かれた自分の身体。
炎さえも燃やせなかった、あたしという存在。
木製の棺は燃え――、その人形は妖へと転じる一を得た。
「……そして、たぶんだけど、シズコは……生まれ変わってる」
座敷童は、小さな瞳で一生懸命に輝夜を見ていた。
「あいつらが境界を敷いてから、上手く感じられないけど……あたしはシズコと約束したの! だからわかるの! シズコは生まれ変わってくれた!! だから、約束を果たさなきゃいけない! わかってくれるでしょ!?」
「そうね。前世からの約束なら、……守らなきゃいけないわ」
座敷童は口を噤んだ。小春から目を離して、そのまま固く握った己の手を見つめている。
輝夜の声は肯定を述べたくせに、その圧が座敷童の口を閉ざさせるには十分だった。
「その程度なら、あたし達骨董屋でも対処できる。声をかけてくれてよかった。単独で境界を超えていたら、大変なことになっていたわよ」
輝夜は笑って言うが、目が笑っていない。
小春は、輝夜さんって案外怖いトコあるんだ……と、忘れないようにしよう、と静かに胸に刻んだ。
「じゃ、じゃあ……!!」
「ええ。この幽明境に店を構える――骨董屋が、あなたを繋いであげる」
「あ、ありがとう……!! シズコ……!! やっと、やっと……あたし達、逢えるね……!!」
そうやって目を拭った人形は、猫の背に抱えられて店を後にした。
二人手を振って彼女を見送って、二人は店に戻る。
輝夜はアンティークの家具を見渡して、腰に手を当てながら小春を振り返った。
小春はただ目が合って、僅かに首を傾げて笑うだけだった。
店は、本邸の一部だと言う。
故に繋がっているのだから、輝夜の背を追えば、再び与えられた部屋に戻ることが出来る。
小春は食べ過ぎて詰まる喉をあやしながら、部屋の窓を開けた。
ああ、やっぱり……勘違い、だったね。
仕事に忙殺されると小説かけないのだ……
つらいのだ……