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 一睡も出来なかった。小鳥のさえずりと、襖から入る黄金の光が睫毛を撫でたから小春は顔を上げた。ぺたぺたと四つん這いで襖の前まで進み、少しだけ開ける。すると飛び込んできた塊に驚いて、仰け反り返った。


「きゃあ!」


 尻餅をついて前髪が揺れる。慌てて目を開くと、目の前を――小鳥が飛んでいた。チチチ、と鳴いて忙しなく羽を動かしている。小春が人差し指を差し出すと、そこにゆっくりと降りて来た。


「小鳥さん……、小鳥さんどうしたの?」


 小春は緩やかに尋ねた。小鳥はチチチと鳴くだけで、何を言っているのか、何を言いたいのかは小春にはさっぱりわからない。しかし小春は、何だかこの小鳥が、ようこそ、と言ってくれているような気がした。


「あら、雲雀ひばりじゃないのね」


「あ――おはようございます!」


 輝夜だ。音も無く襖を開けたのだろう、左手を開けた襖にかけたまま「おはよう」と急いで立ち上がった小春に微笑んだ。小夜啼鳥さよなきどりは小春の挙動に驚いて空へ飛んで行ってしまう。小春は声を出したかったけれど、目の前で微笑む男性に向き合わなければ、という意識が立ち塞がって下を向いていた。


「朝ごはん、食べられそう?」


 と輝夜が聞くので、小春は顔を上げて食い気味に頷く。輝夜は声を出して笑うと、こちらへおいでと小春を連れた。


「好き嫌いがわからなかったから、適当に作っちゃったわ。苦手なものは残してね、あと食べれるだけ食べなさい。人間っていうのは、食べなきゃ何も始まらないのよ」


 と連れられた和室。低く長い机の上に、ビュッフェか――と目を丸めるほどの惣菜が並んでいた。小春は喉を鳴らす。こんなに食べられる自信が無い、と確信して首を振った。

 出された以上食べなければおかしい。何かトラブルに巻き込まれた自分にここまで親切にしてくれているのだ、こちらも相応の態度を返さなければ、と思った。


 小春は案内された場所に腰を降ろすと、輝夜と共に手を合わせる。この場にいないもう一人はどうしたんだろう――と思いながら、与えられた分は全て胃に掻き込んだ。

 案の定、胃が有り得ないほどぱんぱんに膨れ上がり、小春は畳の上で項垂れていた。「あんなに食べるからよ。お腹空いてたのね」と笑う輝夜さんの表情に嬉しくなって、小春は呻きながらもご機嫌だ。食器を片付けようと起き上がる小春を制して、輝夜はお茶を差し出した。


「いいのよ。子どもはゆっくりね」


 と笑う姿に母を重ねて、「お母さんみたいです」と言うと輝夜の瞳が揺れた。小春はしまった、と心が緊張して、でも言葉が出ない。戸惑っていると輝夜が小春の手を握った。小春はさらに混乱した。

 すると突然、風鈴にしては大きな鈴の音が響く。小春が驚いて外を見ても、見え得る縁の下のどこにも風鈴は掛っていない。


「届いたわね。小春ちゃん、いらっしゃい」


 小春はもう一度輝夜の顔を見た。立ち上がる輝夜は手を引く小春が立ち上がらないのを見て一度不思議そうに振り返ったが、ああ、と言うと座る小春の目線に合わせる様に膝を折った。


「名前、アオイに聞いたのよ」


「すみません、私、名乗らずに……」


「いいのよ。さあ、いらっしゃい!」


 ぐい、と手を引かれ小春は慣れない足幅で共に玄関にまで走る。途中で靴を履いて、屋敷を出て、敷地の内外を隔てる門へ出た。その奥にはトラックが止まっていた。引っ越しトラックくらいの大きさで、門の近くにいる人の他に二人が、トラックから荷物を降ろそうとしている。


「ご苦労様。お家の方、どんな感じだった?」


「どうも、この度はご利用ありがとうございますー。あー……、陰陽師呼んだ方がいいと思いますよ。何故か生まれた空き部屋に混乱してます」


「そうよねぇ……」


 トラックから家具が出て来た。毛布に包まれているから、何を運んでいるかはわからない。輝夜が門を片方持ったので小春が慌ててもう片方を持つと、せーの! と息を合わせて木材の重い門を引いた。

 砂利の音を響かせて、二人一組は奥の屋敷を目指している。何を運んでいるんだろう……と目で追うと、輝夜が小春に向かって声をかけた。


「小春ちゃん! 引っ越し屋さん、あなたの部屋に案内してあげて! これ、小春ちゃんの家具よ!」


「えっ――私の!?」


「そうそう! ほら、早く!」


 小春は慌てて二人の後を追い掛けた。玄関を開けて、自分の部屋へ誘導している途中にも「私の家具……?」と首を傾げていたが、毛布を剥いだ中身が確かに私物だったので、「私のものだ……」と頷いた。

 テキパキと配置の指示をしなくても、運送会社の二人組はこの和室に小春の部屋を再現させていく。変わったのは家の素材、というだけの顔を涼し気にさらした小春の部屋は、今目の前に存在していた。


「では、ありがとうございました」


 と頭を下げた二人に慌てて頭を下げる。そのまま二人の後を追って、輝夜達が立ち話をしている場所へと戻った。


「ご苦労様。今、葵は出掛けているのよ。手紙を出してくれたら確実だと思うから、お願いね」


「そうですよねぇ。了解です。では今後とも、御贔屓に」


 門の外、道路へ少し出て手を振る輝夜の横で小春は頭を下げた。広大な屋敷の前に並ぶ住宅は、見慣れた大きさの家が立ち並んでいて、空を覆う青さは雲一つ浮かべていない。太陽が手渡す光輪は幾重にも重なって、屋敷から真っ直ぐに伸びる道路を断ち切る線路の奥の――――。


「う、み……?」


 あの青は、あの波打つ青は、あの、青は……あの、丸みの水平線は……!


 小春はふらふらと道路を進んだ。小春に並んで進む学生の制服に目をやると、見覚えがない。小学生の制服も、見覚えが無い。立ち並ぶ表札の名前も、見覚えが無い。ぐるりと見渡した。この街は、見覚えが無い!

 一番の違和感は、あの青だ。あの線路を超えた、あの青。ゆらゆらと揺れて、押して引いて。


「海だ……」


 胸に湧いたのは、熱い感情。

 肩に手が置かれた。その手は輝夜のものではなく、アオイのものだ。アオイの薄赤の瞳を見て、小春は手を引かれるまま屋敷への門を超えた。小春が門越しに海を見るので、アオイは小春の頬に触れて注意を引いた。


「海なんて、初めて……」


 頬に当てた手に、雫が零れた。小春は気づいて、止められなくて、止まらなくてそのまま涙をぼたぼたと溢れさせる。揺れる瞳に映るアオイは空の雲になったように揺らめいて、傍にいた輝夜は目を背けた。


 小春は、生まれて初めて海を見た。生まれて初めて、海の匂いを嗅いだ。

 そう、つまりこの街は――――小春が生まれ育った町では無い、その証拠だった。






 粉雪が舞っている。あのコンクリートに落ちた雪は、すぐに溶けて水になって、排水溝に流されて消えていく。

 吹雪が吹き荒む。あの海に落ちる雪は、浮かんで漂って華を溶かして、あの海の一部になっていく。

 嗚呼、冬の終わりなのにまた雪が降り始めた。マフラーを巻いて、コートを着て、出来る限り視界を狭めよう。寒いのは嫌だ。痛いのは嫌だ。寂しいのは嫌だ。独りぼっちは嫌だ。

 可哀想に、可哀想に。はやく見つけて、抱き締めないと。はやく見つけて、あやしてあげたい。

 嗚呼、雪が降り積もる。春はまだ遠いか。

今日はここまで!

大体一週間に一話更新です!

みなさま、よろしくどうぞ~!

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