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五之九

 部屋の遠くから大きな足音が響いてくる。複数――考えるまでも無い、誰の足音などと。

 三善はしんど……と思いながら体を起こし、葛籠の前に立った。そして、ゆっくりと襖へ振り返る。

 部屋がケシの花に溢れている。真っ赤だな……。


「遅かったな、安心すれば? 萩原は無事だし――――」


 三善の横でぴったりと止まった風が、肩で息をしながら小春を包む葛の網目を見下げた。


「……安心していい。本当に。……今は、だけど」


「葛籠を解こうか?」


 六合が葵を見上げた。葵は眉を下げて、無言のまま六合を見ている。


「……問題はない。葛籠の呪(まじな)いは、既にこの子に移してあるのでな。脆い守りではあるが……一先ずは安心じゃろうて」


 六合が葛籠に触れると、それは糸を引いたあやとりのようにほどけていく。中から姿を現すことを許された小春は、多くのケシの花に埋もれていた。


「……小春……!」


 葵が抱き起すと、傷を癒していた蔓が小春の身体を手放した。

 花が揺れて、散って、小春の乾いた身体は容易く葵に抱き上げられる。葵は小春を抱きしめた。抱きしめた後にこの行為が己の無意識であったと自覚して驚いてしまったが、それでも構わなかった。


「小春……すまない……!!」


 小春が静かに目を開けた。僅かな身体の動きで小春の覚醒を察した葵は、少しだけ身体を離す。


「……葵、さん、だ……」


 小春は、弱く微笑んだ。手を伸ばして、葵の頬に触れる。そうしてまた、微笑んでいる。

 葵は強く強く歯を噛み締めた。不甲斐なくて、仕方なくて……。


「あ、れ……? 葵さん、……今寒い……?」


「……何故?」


「……寒いんですよね? だって、あったかくないもん……」


「……そう、だな。先程まで、寒い夜の海に、いたから……」


 息を飲もうとして、誰も息を飲まなかった。

 痛覚――小春が失ったものだと、誰もが理解したから。


「小春。小春は痛くないやろか」


 琥珀が葵の背からひょっこり顔を出し、小春に微笑んだ。小春は嬉しそうに頬を上げ、何度も頷いた。


「そか。ほなら立てそうか?」


「うん――うんっ! 大丈夫!」


「ほら葵。はよ手、離し」


 琥珀がぺしっ、と葵の腕を叩くと、葵はしぶしぶ小春を畳みに降ろした。

 小春は汚れている制服を不思議そうに見て、琥珀を見上げる最中に部屋中の花に驚いた顔をしている。それを琥珀が茶化す中、玄武が輝夜と燈夜の前に立った。


「待たせてすまなんだ。奥の部屋に寝かせてある。いっておいで」


 玄武が開けた道の向こう。六合が頷く奥の襖。その中に――彼女が眠る。

 輝夜がふらふらと奥へ行く。小春が輝夜を見上げて、輝夜も小春を見た。


「小春ちゃん……だいじょう、ぶ?」


 小春は首をかしげている。


「はい。私は何ともありません……輝夜さんは、大丈夫ですか?」


 輝夜は笑ってみせた――笑えているだろうか。笑えてたら、いいなあ。


「ええ――。ちょっと、行ってくるわね。葵のこと、よろしくね」


 小春は二人を見送った。奥の部屋に何かあるのだろうか?

 気にはなるけど――目の前の葵が心配だ。だって先程から、膝を付いたまま……動こうとしないのだ。




 輝夜と燈夜が部屋に入ると、彼女は布団に寝かされていた。

 この部屋にケシの花はない。それが何かのコントラストのようだった。


「状態は落ち着いている。六合の術で覚醒を妨げているだけで、術を解けばすぐに目覚めるであろうな」


 玄武が後ろからついて来た。六合は比較的小春の近くにいるが、玄武が声をかければこちらを見るだろう。


「……起こすか?」


「待った」


 輝夜が口を開く前に、三善が待ったをかけた。


「境界を守る陰陽師として話をさせてね。ざっと状況を整理すると……その女性は人間、でしょ。魂にちょっかいを出されているせいで可笑しなことになってるけど……」


「妻、――なんです。彼女の前の生で、人間だった彼女を……娶りました」


 三善は目を細めた。輝夜は照夜を見ている。


「人間を妖が娶ったんだ? 随分とまあ、禁忌を犯したね」


「一誠……」


 玄武が諌めたが、三善は肩を竦めるばかり。


「禁忌であることは百も承知です。だから……私達は、彼女と縁を切り、彼女の魂を人の世へ還しました」


「へえ、なるほど。……なるほど……――――」


 三善が顎に手を当てて考え込んでいる。


「でも……そんな照夜の魂を、弄んだヤツが……!!」


「父さん……」


 燈夜が父の握りしめた手を取った。咄嗟に手を緩めた輝夜が、息を吐いている。


「……後でこの件について詳しく聞かせてくれ。……鏡子様に事細かく報告したい」


「……はい! ありがとうございます」


 輝夜はようやく三善を見た。その瞳には、光が差していた。


「アレはだいぶ大問題だし――僕だけじゃ……。ああ、あと一つ。こっちがそちらには重要だし問題だと思う。でも、特別措置はないから。……彼女の魂と歪に結び直されたその縁を、もう一度切らなくちゃいけない」


「……はい」


 輝夜は瞳を伏せざるを得なかった。わかりきっていることだ。とはいえ、酷く、痛い――――。


「対価を差し出した契約は、守られなくちゃならない。じゃないと、結果は遡行し破棄され、今に罰を下すからな。……契約を僕が結び直し、線を引き直す。全ては元通りってわけ。あーでも別に、お二人の記憶を奪うとかそういうことはしないから」


 三善は頬を掻きながら言葉を続ける。


「勿論、その人は何も覚えていられないけどね。まあ、すぐにやろうってつもりはないよ。六合に術を解いてもらって別れをするもよし、このまま泡沫の夢にするもよし。どちらか選んでね」


 そう言うと、三善はくるりと背を向けた。


「ここは幽明境だから……朝4時の時計が鳴る前に、別れを済ませてほしい。そこがタイムリミット、かな」


「あと……一時間……」


「十分、でしょ? 本来有り得ない、捻じ曲げられた再会なんだから。……記憶を消せば、もう一度はわからない。後悔のないようにしてほしいかな」


「……わかりました。ありがとうございます――」


「いいよ頭なんか下げなくて。じゃあ、僕等は向こうにいますから。それでは家族水入らず、ごゆっくり」


 三善は部屋を出て、襖に手を駆ける。そして中の三人に軽く会釈をすると、ゆっくりと襖を閉めた。

 輝夜と燈夜は、家族だけの空間になって……二人、照夜を見た。

 玄武はまだいる。輝夜の答えを待っている。


「……照夜を、起こしてください」


「あい、わかった。六合に伝えよう。それでは、失礼を」


 そうして玄武は静かに姿を消した。

 僅かな静寂の後――彼女は、ゆっくりと瞼を開けた。






そんな……秋が来たというのか!?!?

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