四之六
日暮れの病室。
ひまりとあかねの母親は、大きくなったお腹を擦りながら窓越しに外を見ていた。
雪交じりの昼間から、少しだけ太陽が覗いてくれたそんな黄昏時。
燃えるような陽が沈む逢魔が時、――その火車は、現れた。
見てはいけないものだ。
母親は、直感で理解した――目に入れた時に。
遅いと、火を産む女が悲しそうに言った。
「……片火車は、母親では無く、子を殺すの。でも、弟さんの死はそれじゃない。まだ生まれてはいない命だもの、片火車が狙ったのは……あなた達よ」
母親の、血が知っていた。
死返玉という神の宝を持つ一族の娘だ。不運にも、それを悟ってしまった。
だからこそ、対抗の手段がわかってしまった――。
それは、母親が持つ本能だ。
己の子を護りたいが故の、ある種の超越だ。
母親は、己の母が死ぬ前に"お守り"と言って授けてくれた綺麗な刺繍袋を取り出した――その中にあるのは木簡だ。そのまま病室を走り出て――、古びた店へ雪崩込む。
男の子が駆け寄った、女の傍に。男の子は「お母さん、早く!」と女を急かした。
『よみがえりの玉を、使わせてください!』
『木簡――。わかった。……しばしこちらで待て』
男が奥へ消えた。
女は男の子の肩を抱き、「私を恨まないか」と聞いた。
男の子は頷いた。
『どうせ生まれたらいつか死ぬし。それがお姉ちゃん達のためなら、良いもんだよ』
と、笑う。
奥から戻った男が、女に珠を差し出した。
女は走って戻った。身重の身体が酷く辛かった。
『これで……これで……助かるなら。これだけの理不尽なら。……ごめんなさい、生んであげられなくて。冬の……。うう、ううう、どうか愚かな私を許して……私の子たち……』
母親は珠を握って願いを込めた。資格ある血の娘の願いだ。
珠は、死を反転させるだろう――珠の水が滴り落ち、空となる。
そうして倒れた指先から転がる珠は、病室を抜け、雪降る海辺へ転がった。
たっぷりと溜めこんだ涙の雫。そう、この珠の腹を満たしているのは――引き替えられた、命だ。
これより示される事実は、一つだけ。
ひまりとあかねの命は、既に成立済の蘇りの魂であるということだ。
即ち、秤は釣り合わず、『求めには応じられない』
星が落ちている――吹雪の代わりだ。
白蛇が走り、小舟へ昇った。そこから、起き上がる姿があった。
母親は船を繋ぎ止めて、涙を拭って頷いた。
「ひまりお姉ちゃん、あかねお姉ちゃん」
二人が息を詰まらせた――。
その幼子は、白い和装で二人に近づいて、その小さな腕を伸ばした。
「……なんで泣いているの?」
「わ、わたし……違う。本当に、あなたが、お母さんを連れて行ったなんて、思ってない……思って……」
「わかってる。お姉ちゃん達のことは、ずっと見てたから。だからまあ、助けてあげようと思って、母さんのおなかに入ったんだけど」
男の子はひまりの涙を掬って、にっこりと笑った。
「こういうヒーローも、悪くないぜ」
吹雪き始めた。
もう、契約は不成立。だから、この場はおしまいだ。
神様の猶予も、そろそろ限界だ。
「じゃあ、あかねお姉ちゃんも、自分を押し殺すのも大概にして、将来の夢さ、頑固親父に蹴りいれるくらいの勢いで話せよな」
「なっ――、そんなの、わかってるよ……」
「ほんとかなあ? まあ、母さんと一緒にマドレーヌでも食べながら見てるよ――」
吹雪の中で、船が行く。
母と弟は手を振って、二人の姉妹も手を振った。
白蛇が輝夜の腕に戻ると、母親だけの姿が見える。
母親は口ずさむ。別れ路の慰めの歌を。
どうか、どんな苦難にも耐え忍び、生きていけるようにと、星空に願いを込めて――――。
さて、死返玉に水は還された。この試練の領域を閉じ、再び訪れる使用者を待つ。
既にこの海辺に人影はない。骨董屋は素早く命を現世に引き上げた。
しかし、船が一隻まだゆらゆらと水面に残っている。
空の小舟が、ゆらゆらと揺れている。
***
小春とひまりは、どうやらあの部屋で倒れていたようだ。二人が意識を取り戻すと、あかね、輝夜、葵が傍にいた。
あかねは涙を滲ませながらひまりに抱き着いた。小春は輝夜の膝に寝かせれていたようで、彼の微笑みを受け止めていた。
あかねとひまりは、死返玉を返還した――いや、所有権を葵に譲ったのだ。
「私達には、必要のないものです」
あかねが言う。
「私には……母と弟が犠牲になって、私達を生かしたことが正しいのかは、わかりません。本当は私達が死ぬことが当然だったのに……。だから、こんなことがほいほいと繰り返されるのは、生かされた身として、ちょっと嫌です」
ひまりが姉のその言葉に頷いた。
「はい……。今を、今よりも大切に、生きてみます。だから、これは、いりません」
ひまりはたどたどしく、しかしはっきりと言った。
姉とひしと抱き合った掌で、強く言い放った。
「これは、差し上げます」
「……わかった。ではこの骨董屋が、死返玉、しかと頂戴する」
葵はそれを掴みあげ、頷いた。
帰るぞ、と踵を返す中で、ひまりが小春に声をかける。
「小春ちゃん――」
小春が振り返る。輝夜は「あたし達、外で待ってるわ」とウインクした。
「小春ちゃん……。小春ちゃんは……あの人達の家族?」
「ううん」
「……じゃあ、どうして……あそこにいるの?」
「……どうして……?」
小春は首を傾げた。そうして笑って、
「お家に、帰れないから? っあ、でも全然大丈夫です! へっちゃらへっちゃら!」
ひまりとあかねは見つめ合った。あかねが気まずそうに口を開く。
「……学校は、行ってるの?」
「学校? え、ええと……ここの、鎌倉の? 学校には行ってないです……?」
「そうだよね。大丈夫なの……?」
「えと、何が――?」
小春の笑顔に、二人は困惑の表情を浮かべるだけだ。
「あ、―あ、学校に行ってないことは悪いことですもんね……。そうだよ~でもでも、事情があるみたい? なので……今それを何とかして、また学校に通えるように頑張り中? ですっ!」
小春は両手を握りしめて前のめりに頷いている。彼女の勢いに圧された二人は、納得せざるを得ない微妙な表情で、「そ、そうなんだ……」と頷いた。
「それじゃあ、また!」
小春は片手を振って、玄関へ急ぐ。
そこには葵と輝夜が、小春を待っている。小春は駆け足で靴を履き、二人の真ん中へ飛び込んだ。
さあ、帰ろう。三人で。兄の待つ、幽明境の骨董屋へと。
死返玉編終わり~!
そしてストックも終わった……。




